第七章

ナゾと謎

 そんな娃子にも、男は近づいてくる。体目当て、金目当ての男が。


 ちょうどこの時期、絵の会にヤマダと言う30歳くらいの男が入会してきた。デッサン会の時の彼の絵には誰もが驚いた。モデルの後ろ向きに近いところから描いていのだが、頭の大きさに対して体が小さい。あまりにもバランスが悪いのだ。スケッチブックに無理して全身を収めなければいけないものではない。それは、今後のヤマダの課題であるとして、新会員には誰もが気さくに話しかける。

 そして、このヤマダと帰る方向が同じだった。娃子の方が先にバスを降りるが、バスを待つ間にも話をする。ある夜、ヤマダからお茶に誘われた。帰り道に会員が良く利用する喫茶店があった。お茶を飲みながら話をすれば、ヤマダは自営業だと言った。


「名刺にゃ、税金はかからんけん」


「ヤマダ建材工事」の名刺をくれたが、自営業と言うより、雨トイなどの請負仕事をしているようだった。そして、娃子がバスを降りればヤマダも降り、送って行くと言う。近くだからいいと断ったが、一緒にバスを降りた男が引き下がる筈もなく、家の前まで付いて来たが、その時はそのまま帰った。

 翌日は絹枝も仕事休みだった。長期の仕事が一区切りついたことと、さすがにこの頃は仕事をセーブするようになっていた。


「若い男が、この辺りを見て回りよんで」


 と、ちょっと気味悪げに言った。娃子はボタン付けをしていたが、別に気にもならない。国道に近いところなのに、この一角だけ妙に奥まった感じで家が密集していた。ちょっと身を隠すにはいい。そんなところであるからして、昔から変な男がやって来ることがあった。

 その時、玄関で声がした。ヤマダだった。

 まさか、昨日の今日で、家にやって来るとは思わなかった。絹枝が家に上げたので、絵の会の人だと言った。

 絹枝が男を見るのは、先ず、顔である。テレビで事件の犯人の顔が出れば、必ず言う。


「やっぱり、人相悪いのう」

「ほう、ええ顔しとるのに」


 悪いことをするのは面相の悪い男であり、そこそこの顔立ちの男が犯罪に手を染めるのが絹枝には理解できないのだ。また、女にも同様のことを言う。

 そう、絹枝こそ、人の外見にこだわるのだ。だから、本音のところでは、娃子なんか大嫌い。こんな顔、出来れば見たくない。だが、それは心の奥底にしまっている。黙ってさえいれば、誰も、娃子も気づかない。

 そんなもの、とっくに、子供、幼児の頃から気付いている。いや、絹枝の許にやって来た時から、赤ん坊でも感じ取ることは出来る。


 ヤマダはエラは張っているが、普通の顔立ちなので良しとした。一応、茶と菓子を出したが、そろそろ昼時である。


「急なことで何もないけど、食べるかね」


 と、三人での有り合わせの昼食となった。ヤマダにはイモウトがいて結婚していると言う。チチは亡くなり、今はハハと暮らしているそうだ。そして、すぐに、アイコちゃん、オカアサンと呼ぶようになっていた。

 どうして、この国の特に男はすぐに誰でも、オトウサンオカアサンと呼ぶのだろう。呼び込み店員からしてそうなのである。


「オカアサンオカアサン」

「私は、あんたを生んだ覚えはない」 


 そんな投書も新聞に載っていた。

 ある時、ファッション雑誌から抜け出たような若い女性が、赤ん坊を抱いて店内を見て回っていた。すると、六十をとっくに過ぎたような女店員が、例によって「オカアサンオカアサン」と呼び止める。女性は嫌な顔をしていた。子供に対して、オカアサンはと言うことはあっても、どうして、奥さん、お姉さんと呼べないのだろう。全くもって…。


 簡単な昼食が終わった後も、絹枝とヤマダの話はと言うより、次が重要なのだ。絹枝にとって、男は先ずは顔、次は戸籍、いや、部落であるかないかの確認。ヤマダの住んでいるところは部落ではないにしろ、それだけでは信用できない。あれこれ探りを入れて行くが、どうやら部落ではなさそうだ。

 次は仕事である。絹枝も仕事で建築現場に行くので、雨トイのことも知っているが、それより、この男、あまり金は持ってなさそうだと思った。そして、夕刻近くになってもヤマダは座ったままだった。


----何と、腰の長い…。


 そうこうしているうちに庄治が帰って来た。今度はオトウサンの連発が始まった。

 帰宅すれば、すぐにでもビールを飲みたい庄治である。絹枝は買い物に行くが、一応ヤマダの分の刺身と、総菜屋であれこれ買ったが、あれでもと思って帰ってみれば、やはり、ヤマダは居座っていた。

 翌日は自転車でやって来た。そして、夜までいて自転車を置いて帰った。それからは三日に上げずやって来た。家にばかりでは面白くないので、外にも行く。デートと言えば聞こえはいいが、これまた、行くところもない。もう、この町のことは知り尽くしている。遊ぶところはおろか、しゃれた喫茶店もない。表から見ればいい感じだが、中は雑然としていたり、普通のオバサンたちが声高に世間話をしているような店ばかりである。映画にも行ったが、あまり面白い内容でもなかった。

 この頃は、デート代は男が持つものだった。同じ仕事をしても女と言うだけで給料はものすごく低い。

 ある日、昼食に普通の食堂に入った。


「オカアサン、この店はきれいになったねえ」


 と、女店主に言っていたが、実際は初めての店だと笑っていた。さらに、とんでもないことを言い出した。


「油絵の具は買わんよ」


 買わないでどうするのだろう。


「水彩絵の具に油混ぜたらええんじゃけん」


 まあ、そういうやり方もあるのか。


「それに、ガラスの粉混ぜて描いたら、素晴らしい絵になるっ」


 小学校五、六年の時は二年間、クラスも担任も同じだった。図画の時間、娃子たちは水彩絵の具で普通に絵を描いていたが、あるクラスは水彩絵の具に水を余り使わず描いていた。それは油絵の具で描いた様な立体感のある絵だった。また、そのクラスでは点描画も描いていた。同じ図画の授業でも教師によって違うのだ。

 絵の具にガラスの粉を混ぜれば独特の雰囲気が出るだろう。だが、それはあくまでも技法の一つであり、それをやったからと言って、誰もが素晴らしい絵を描けるとは限らない。第一、ガラスの粉はどこで手に入れる。ガラス屋に貰いに行くのか。油やガラス粉を混ぜることより、デッサンもっとしっかりやれと思ってしまう。ここ何回かのデッサン会のヤマダの絵は、相変わらずではないか。

 さらに、とんでもないことを言った。


「あの二人は敷居が高い」


 あの二人とは、代表とオカさんの事である。傍目から見れば、いい夫婦に見えるにしても、それを敷居が高いとは。敷居が高いとは、不義理をしてその家に行きにくい時に使う言葉である。


「いいや、別の意味もある」


 確かに、無くはない。あまりに高級すぎてその店に行けない時にも使う。その他にもあるとは思えない。そう言えば、娃子が文庫本を買いに本屋に寄った時も興味なそうだった。おそらく本もあまり読まないのだろう。

 そして、夕食は娃子の家で食べる。昼前からやって来れば昼と夜、デッサン会の時も終われば、家までやって来て食事をして帰る。ほぼ、それの繰り返しだった。

 そのあおりを受けたのが庄治である。帰って、飲んで、風呂屋に行けば、後は寝るだけだが、ヤマダがいるので寝られない。


----飯、食うたら早よ、帰りゃええのに。


 また、娃子にしても、中学生の男女交際でもあるまいに、デート内容が筒抜けなのだ。別に、秘密にする気はないが、何から何まで知られてしまうと言うのも、あまりいい気はしない。また、ヤマダといると「食べること」ばかりの様な気がしてならない。

 ある日、絹枝はお得意の巻き寿司を作った。日頃は娃子がおごってもらっていると思ったからだ。


「ン、おいしい ! 」


 一口食べてヤマダは言った。おいしいと言って食べるのはいいが、どうやら食べ過ぎたらしく、しきりに腹をさすっていた。


「わあぁ」

「胃薬飲むかね」


 と、本当に胃薬を飲んだ。

 また、ヤマダのイモウト自慢がすごい。美人で何でも出来るとか。写真を見せてもらったが、ちょっと遠めの写真で色が白い以外は顔立ちもはっきりしないものだった。以前、ヤマダは見合いをした。それは、相手の女性の家に行くと言う形式だった。


「オニイチャン、帰ろうや」


 うつむき加減に座っていたヤマダにイモウトが言った。どうしてと思っていると、相手の女性がエプロン姿で茶を運んで来た。それが気に入らないと言う。その他にも何かにつけて妹を引き合いに出し、イモウトの嫁ぎ先が冠婚葬祭の派手な地域で結婚式がすごかったと言う。


「もう、こんな鯛がみんなの膳にあるんじゃけん」


 と、両人差し指でかなりの大きさの鯛を表した。その結婚式で金を使ってしまったとも言った。

 娃子は人の話は半分に聞くことにしている。いい話も悪い話も。どんな話にも何らかの誇張が入るものである。絹枝もこの手の話には手厳しい。


「どこまでが本当やら」


 イモウトのことは自慢するが、ハハは料理が下手で魚もよく焦がすと言う。オヤがダメなら、ムスメがしっかりする場合もあるが、それにしても、何かおかしい。

 そんなヤマダはある時から、ぴたっとやって来なくなった。デッサン会にも顔を出さない。それでも別に気にならなかった。ヤマダに会えなくても何ともない。

 そして、二週間ぶりに顔を出した。


「どうしよったんね」


 と、絹枝は言ったが、娃子は死んだのかと思ったと言った。

 ヤマダにすれば、娃子も絹枝ももっと心配してくれ、それこそ大歓迎してくれるに違いないと思ったようだが、そんなことでへこたれはしない。これからが本番である。


「うちら、ちゃあんと、貯めてあるんじゃけん」


 この頃の絹枝は金を持っていることを平然とひけらかすようになっていた。

 家は大したことない借家だが、金はある。それからは今までにも増して居座り続け、たまにちらと結婚を匂わせるようなことも言った。


「コレで、金、出さんのんじゃけえ」


 と、片手を握りしめ、ハハがケチであることをアピールするも、ムスコの商売上の金を出さないのはおかしい。いくらかと聞けば、15万円だと言う。商売するなら、百万円くらい持ってなければと言って置いた。

 何の金にせよ、娃子から引き出そうとしたのだ。娃子とて15万円くらいの金は持っているが、金の貸し借りはしないことにしている。ある時、絹枝が言った。


「お前は、金、貸せえ言わんのう。よその子ら、足らん時にゃオヤに貸せえ言うそうじゃが」


 それこそ、冗談じゃない。絹枝に金を借りるくらいなら、まだ餓死を選ぶ。


「片オヤになったら、辛いんじゃけえ」


 片オヤ!?確かにヤマダにはチチはいない。だが、そのチチオヤが死んだのは、25歳の時である。25歳で片オヤアピールとは…。

 娃子から、金を取れないと思ったからか知らないが、ヤマダは言った。


「無い。出しといて」


 食事代を出せと言う。いつもおごってやっていると言いたいのだろうが、その分、それ以上にうちで食べているではないか。それはオヤの金であり、おそらく娃子も世間のムスメ同様、給料半分小遣い、半分貯金をしていると思っているのだ。金を出さないのなら、食事代を出せ。


 好きな男となら、どこで何をしても楽しいものだが、いつまで経っても楽しくない。

 ある日、二人で歩いている時、娃子はポソッと言った。もう、付き合いたくないと。ヤマダは反射的に走り出した。娃子がそのまま歩いて戻れば、三月みつき近く家の側に放置されたままの自転車が消えていた。


 その後、庄治がヤマダと会ったと言う。失対の仕事もその時々で場所が変わる。


「何で、アイコちゃんがもう付き合わん言うたか、わからん言うとった」


 ヤマダにすれば、それこそ青天の霹靂へきれきだったことだろう。

 まさか、あの娃子の方から別れを切り出されるとは…。それも、普通の会話の延長で言ったのだ。

 どう考えても、今もってわからない。あんな誰からも相手にされないような女が自分を振った。あんなバケモノに振られるとは…。

 折角、いいカモを見つけた思った。先ずは自転車でマーキング。ヤマダはいつでも立ち寄れる無料食堂が欲しかった。そして、結婚を餌に金を引き出し、ホテルへ連れ込む。その後は適当に引き延ばせばいい。だが、実際は金も引き出せず、ホテルへも連れ込めなかった。

 このヤマダ、結構酒を飲む。この男のタバコの匂いも嫌だった。また、見くびられていることもわかっていた。

 こんな顔の女、ちょっと甘いことを、時には結婚をちらつかせれば、それこそ舞い上がることだろう。絹枝にしたところで、ものはズケズケと言うが、内心はムスメの婿探しに躍起になっているに違いない。それなのに、どう考えてもわからない…。

 ヤマダにすれば、永遠の謎かもしれない。


 娃子は人を見る目は持っている。峰子とのことがあって以来、人に期待しない。特に同世代の女にはいつの間にか一線を引いてしまっている自分がいた。また、峰子のように、安売りする気もない。


----何を、見栄張って !


 少しくらいの見栄張って何が悪い。

 一寸の虫にも五分の魂と言うが、娃子は全身が魂の塊である。


 サークル活動も男女の出会いの場の一つである。実際に会員同士の結婚もある。峰子の様にほぼ出会い目的であっても、それを一律に悪いと言う気はないが、それにしてもヤマダの場合、それがどうして「絵」だったのだろう。

 絵や詩は、創作活動である。今でもヤマダが創作活動に向いているようには思えない。

 それが、娃子のナゾかもしれない。そして、ヤマダと同時進行に別のも持ち上がっていた。


 








    







 








 







 

















 





















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