逃げる、逃げない…

 憎まれっ子世に憚る。


 これは、娃子のためにある言葉である。娃子は絹枝から、何かにつけ怒鳴られまくられたが、それは今でも変わってない。被害妄想と言われようとも、自分ほど怒鳴られ、なじられ、否定されて来た者はいないと思っている。

 また、娃子ほど、あらゆる人たちから、死を願われた者もいない。


----死ねばいいのに。


 それはもう、娃子の顔を目にした人々の、素直な感情である。あんな顔で生きるくらいなら、死んだ方がマシ。男でも死ぬ。それを女がよく生きていられるものだ。

 すれ違いざまに「死ね ! 」と言われたこともあった。また、ある宗教関係者からも言われた。


「あんたはのう、前生で人の顔をつぶして来たから、そんな顔になったんじゃ」


 ならば、娃子の前生の悪行を教えてくれ。これだけのことをやって来てから、こうなったと提示してほしい。それを新聞テレビで公表、教科書にも載せるがいい。その方がどんな道徳教育より、ずっとタメになる。

 いや、すべては、娃子が死ねば解決する。その方が手っ取り早い。その後には、きれいな虹が出、希望の光とともに、この世はさぞ、美しく明るくなることだろう。

 そんな誰よりも、娃子の死を切望してやまないのが、則子である。

 理由は簡単。もう、見るもおぞましい、この顔。生理的に嫌 !

 則子にとってはそれだけではない。コレが義男の前妻の子であり、自分の子供と血がつながっている…。

 これには怒りよりも、吐き気がする。


----お前なんか、早よ死ね ! お前が死んだら、赤飯炊いて祝おたるわ。もう、頼むから ! 車にでも引かれて死んでくれ !


 と、何度呪ったことか。それでも死なない、このさ。

 則子に続いて義男も災難である。娃子の事では、則子と絹枝の両方から、ちくりちくりと嫌味を言われる。

 自分の子と言っても、絹枝に親権を渡したのだから、もう、関係ない。また、それが前妻に似ているとか、今の自分の子供たちに似ているとかならともかく、似るどころか、似ても似つかぬ化け物面ではないか。


「もう、言うなや。あんなバケモン、わしの子じゃ思うたことあるかいっ」

----ホンマ、早う、死んでくれ


 もう、頭痛の種タネでしかない。

 そして、正男も前後左右上下に同じくである。


----早よ、死ねっ。


 絹枝は、娃子にアレ買うてやったコレ買うてやったと自慢するが、娃子にそんなに買ってやるなら、自分のムスメたちにも、買ってくれと言いたい。


----そんなん、宝の持ち腐れや。


 如何に世間体があるとはいえ、娃子なんぞに、そこまでしてやることはない。アレは義男の子ではないか。従弟の子。それに引き換え、自分の子は絹枝にとっては、血のつながったオイメイではないか。こっちを優先すべきだろう。

 これも、娃子が死ねば解決する。死にさえすれば、今度は絹枝は正男の子たちにアレコレ買ってくれるだろう。また、今の絹枝は金を持っている。娃子、庄治、秀子が死ねば、絹枝のものはすべて自分のものになる。


----頼むから、早よう死んでくれ。

 

 最後に、忘れてはいけないのが孝子である。


----お前なんか、早よ死ね ! お前の顔なんか見たない ! お前に生きてる価値なんかあるかい!! まあ、やる言うもんは貰ろたるけど。それが人間や。そやけど、もう、何でもええよって、早よ、死にさらせ ! 

 

 後は世の中の不特定多数から、娃子の死は待ち望まれている。つまり、それが世のため、人のためと信じて疑わない。だが、ここに、娃子の死を望んでない奇特な者がいる。

 秀子と妙子である。秀子は、娃子が絹枝とケンカする日を待ち望んでいる。茂子の事では優越感に浸っている絹枝の鼻を、それ見たことかとへし折ってやりたい。

 その日が来るのを首を長くして待っていると言うのに、かなり、長く待たされている。一体、娃子の頭の中はどうなってることやら。それでも、まだ、秀子は諦めてない。


----あと少しや。そう、遠くない。さあ、娃子をけしかけてやらいでか !


 一方の妙子は、高みの見物。これから、何がどうなってこうなることやら、想像しただけでゾクゾクする。よその揉め事をこんなにも近くで見られるのだ。そして、見たこと聞いたこと、近所中に触れ回れる。その時、自分はいつも主役。秀子の周囲は揉め事だらけ。今までにも色々あったが、今度は最高に面白そう…。

 だが、則子だけは気を付けねば。則子は他の誰より手強い。則子を怒らすと、どんな仕返しがあるか知れたものではない。則子にだけは気を付けよう。

 一方、ある意味当事者でもある絹枝は、何事にも現実的である。娃子が死ねばそれまで。そうなれば、秀子や正男、博美たち血のつながった者同士が一つ屋根の下で暮らせる。こんないいことはない。だが、娃子はまだ生きている。生きている者はどうしようもない。生きている者は、生きているように扱う。


 そんな世界中の誰からも死を望まれている、娃子だが死ねないわけがある。

 娃子は人に喜ばれるようなことをした覚えがない。その存在だけで人を不快にするだけでなく、人の悪い面をも引き出してしまう。

 誰にも悪い心はある。多くの人はその悪い心を抑えつつ生きていると言うに、その悪い心をわざわざ引き出してしまうのが、娃子である。

 そんな人間に生きている価値はない。多くの人が望み、喜んでくれるのなら、死んでもいいと思うが、それでも死ねないわけがある。

 娃子が死ねば絹枝は、伝説の聖母に祭り上げられてしまう。この思いは今も変わっていない。

 それだけは、それだけは阻止したい、阻止しなければならない。そんなことの為に、例え、生き恥を晒しても、まだ、この世から逃げるわけには行かない。



 則子から、2年越しの着物が送られてきた。

 薄い箱のふたを開けただけで、なぜか、嫌な気がした。着物を取り出してみれば、やっぱりだ。

 上前のラインが曲がっている。さらに、衿先を合わせて見れば、裾と衿先までの長さが左右で1センチほど違う。

 

「目が悪いんじゃのう」


 絹枝はそう言っただけである。絹枝にすれば、娃子に着物を買うてやった。これだけのことをしてやった。それだけでいいのである。


「着物、買うてやったど」


 秀子宅から帰った絹枝が言った。

 どうせ、ロクでもない柄だろうと、この時は気にも留めずにいた。その次の秀子宅訪問は、娃子も一緒だった。絹枝は早速に則子宅へと行くも、手ぶらで帰って来た。着物はまだ仕上がってないとのことだった。そのせいかどうか、則子はやって来なかった。さらに、その半年後、絹枝はまたも手ぶらで帰って来た。


「わしゃあ、縫うて貰おう思うて、スイカ買うちゃったんじゃが」


 そのスイカも絹枝からだとは言わずに、子供達に食べさせたことだろう。そして、戻ってから、あろうことか絹枝が仕立て代を送れと言い出した。それは、仕上がってからでいいではないかと言っても、とにかく送れとうるさい。絹枝は一度言い出したら聞かない。そして三千円送金した。

 だが、受け取ったとも、次には仕上げるとも返事はないまま。さらに、半年後に絹枝が大阪へ行く時、娃子は言った。

 いくら何でも遅すぎる。まだ縫ってないなら反物を貰って来てくれ、こちらで頼むからと絹枝に念を押しておいた。それでも、またも手ぶらで帰って来た。


「娃子がこっちで頼むけん、貰うて来てくれ言うたんじゃが。いや、それはでけん。そんなことしたら、あんたとこ行けんようになる言うてから」


 そして、2年がかりでやっと仕上がって来た着物がこれである。1枚は赤い格子柄、そして、羽織と対の紺地に山水風の柄で、どちらも悪くはなかったが、仕立てはひどかった。ウール地だから、ミシンで縫ってあるのはともかく、それにしても、ひどい仕立てである。

 何より、着れば、衿が逃げる…。

 それこそ、着ただけでも衿がしっくりこない。そして、ちょっと手を動かしただけで、衿が逃げてしまう。つまり、衿がはだけるのだ。こんな、みっともないことはない。

 おそらく、娃子は洋裁は出来ても和裁の事など何も知らないと、高を括ってのことだろうが、娃子も少しは着物に対する知識は持っている。

 仕立ての方は、中学の家庭科の授業で浴衣を縫ったきりだが、そんな初心者が縫った浴衣でも、衿が逃げることはなかった。   

 だが、着物と言うものは、寸胴でなければきれいに着られない。娃子のようなメリハリボディではその矯正が大変である。そこでバスタオルを三つ折りにしたものにマジックテープを付けた。それをウエストに巻き、胸の谷間には四つ折りハンカチを三角にして入れ、また、大判ハンカチを四つ折りし、さらに半分にしたものを腰ひもに挟む。これくらいの知識は持っている。また、娃子は着物には打って付けの撫で肩である。なのに、衿が逃げるとは…。

 いくら洋裁と和裁は違うとは言え、娃子には洋裁で培った仕立ての腕もある。

 では、則子の和裁の腕がその程度のものかと言えば、そうではない。これでも、呉服屋の仕立て内職もしているのだ。それだけの腕を持ちながら、よくもこんなひどい仕立てが出来たものだ。

 それにしても、どうして則子は仕立てを引き受けたのだろう。こんなにも引き延ばしたと言うことは、縫いたくないからである。娃子のものなど縫いたくない ! それなのにどうして引き受けたのか…。

 

 着物、特に一重の着物のは決して難しいものではない。洋裁の様に複雑でもない。一重の縫い方、袷の縫い方、皆、同じである。その決まった縫い方故、ごまかしが効かないのが和裁である。また、縫い方は同じでも、生地による違いがある。

 娃子は図書館で着物の縫い方の本を借りて来た。則子がそうであるように、娃子も則子の顔を見たくない。いつでも、あの度のきついメガネ越しに、有りったけの憎悪で睨み付けられるのだ。

 浴衣一枚しか縫ったことはないが、衿を外し、上前の曲がりを直し、本を見ながら衿も付け直した。そして、着て見れば、衿は逃げなくなった。洋裁も和裁も、どちらも衿付けが肝心である。だが、この仕立て直しを後悔することになろうとは…。


 実は、その前に例によって「ムスメに着物買うてやった」と触れ回りたい絹枝に、バス停前の呉服屋に半ば強引に連れて行かれた。この時も気に入った柄はなかったが、薄ピンクのごちゃごちゃ柄をこれまた押し付けられた。それもウール地だったが、ちょっと目にはウールに見えない上質のものだった。だが、柄は今一気に入らなかった。

 そして、仕立て上がって来た着物は、娃子のような素人目からしても、それはすごく美しい仕立て上がりだった。そして、着て見れば、衿がまるで吸い付いたように胸元にフィットする。

 また、この時の仕立て代が、七百円だったのにも驚いた。則子に三千円送金した後だった。

 この時、娃子は思った。

 着物とは一も二もなく、仕立てだと。本当に仕立てのいい着物は余程の大立ち回りでもしない限り、着崩れなどしない。

 

 また、則子の行為は和裁に対する冒涜ぼうとくである。

 その程度の腕しか持ってないならともかく、また、少なくとも、三千円の仕立て代を受け取っている。そんなもの、請求した訳でもない。勝手に送られて来たものかもしれないが、受け取った以上、それ相応の「仕事」をすべきである。如何に、娃子憎しと言えど、よくも、こんな着物が縫えたものだ。まさに、恥知らずである。 

 娃子にしても、本当は縫いたくなかった峰子の最後のブレザーだが、決して手抜きはしていない。だが、この仕立て直しを後悔することになろうとは…。


 それ程に、則子は強力(恐力)だった。


 そんな、娃子にまたも新たな波が押し寄せる。





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