優しさの後

 草食動物の子は、生まれるとすぐ立ち上がる。

 それが、娃子には羨ましい。どうして、人間の子は成長するまでにこんなにも手がかかるのだろう。もう少し、赤ん坊、幼児の期間が短くならないものかと思わずにはいられない。それでも、我が子なら仕方ないが、他人の子を育てるのはそれだけでも大変なのに、娃子のようなムスメを育てている絹枝は、称賛されて当然なのだ。

 

 

 正男は子供の頃から絵が上手で絵描きを志すも、絵では生活できないと説得され、絵描きの道を諦めた。その後は戦中戦後と大変な時代を生きて来た。誰もがその日の暮らしに追われたが、現在は昔とは比べ物にならないほど、生活水準も上がり、余裕も出来たと言うのに、正男は絵を描くことを忘れてしまっている。

 正男がどんな絵を描いていたか知らないが、昔はともかく今は絵は収入に結び付く。絵は売れることもあるし、教えることも出来る。小説は賞を取ったりすれば本が売れる。金にならないのは詩である。絵を習っても詩を習う人はいない。



 代表の絵も売れることがあるし、実際にアトリエの二階で子供に絵を教えていたのはオカさんである。高校生や大人は代表が教えていたが、子供たちには、もさっとしたオッサンより、自分のハハオヤと同年代の女先生の方がいい。出産前後は呉服屋のムスメを臨時講師にしていたくらいである。もっとも、そのことも、娃子には知られないようにしていた。また、幼稚園等の講師の依頼もオカさんの方が多い。

 そこで、どうしても子守りは代表の仕事となってしまう。今まで赤ん坊など無関心だった、50近いオッサンが初めて子育てをするのだ。


「これじゃあ、バカになるわ」


 今までは女、特に世のハハオヤたちの無能さを小バカにしていたが、実際に子育てをしてみれば、それこそ一時いっときも目が離せない。そして、泣けばあやしてやらねばならない。その時、なぜか幼児言葉になってしまう。

 それにしても、どうして幼児、いや、赤ちゃん言葉を使うのだろう。普通に話しかければいいと思うのだが、やはり、これはまだ人間とは言えない小さい生き物をバカにしているからである。自分では何もできないから、オヤの助けがなければ、オヤが庇護してやらなければ何もできないと、心の中では見下しバカにしているからである。また、この辺りには妙な「?」がある。


「♪ やっすんすん、あ、行ってきましょ」


 さっぱり、意味がわからない。

 赤ん坊を抱いて歌いながら外へと行った後、笑いが起こった。まさか、あの皮肉屋の代表がこれを歌うとは…。

 だが、娃子を除く、彼女彼らはオヤになった途端、やはり、これを歌うのだろうか。


「早よ、結婚しんさんな」


 それまでは、町で偶然会えば、まだ、生きていたのかと言う目で見ていたくせに、今は赤ん坊を背負い、くたびれた顔の同級生は言った。

 これを額面通りに受け取ってはいけない。実際、子育てとは想像以上の大変さだろうが、彼女たちは上から目線で言っているのだ。確かに、自由でのんびりしていた独身時代がなつかしいが、娃子には縁のないこと。いずれは寂しい老後が待っている。だから、ちょっとやった。

 ちなみに、小中学校で同級だったハーフ女子だが、二十歳で出産していた。そして、同じくくたびれた顔で、娃子に早く結婚するなと言った。だが、後に開かれた中学の同期会の名簿には、旧姓のまま、住所も載っていなかった。

子供もいると言うのに、何があったのだろうか。 



 ある日、娃子はおいしいおかきを見つけた。元々、固いもの好きであるが、これまたすごくおいしいのだ。それを持って絵の会に行き、先ずは赤ん坊にそのおかきを持たせた。


「あんたっ、そんな固いもん、赤ん坊食べんよ」


 と、エリは言ったが、赤ん坊は一度握ったものは放さない。


「あ、これ、おいしいわ」


 と、今度はおかきを食べたエリの感想だったが、何と、手で割って食べていた。それくらい、噛めないのかと思ったが、彼女たち普通の女は、そんな品のない食べ方はしないのだ。もっとも、エリからもアメ一つもらったことはない。

 肝心の赤ん坊だが、見ると、おかきをにしていた。さらに、口にいれるも変えていた。味のしなくなったところは、除けることを知っているのだ。



 絵の会では年に一度、体育館の二階ロビーで「絵の会展」を開く。展覧会が近づけば、会員たちが次々と絵を持ち込んでくる。


「これねえ、風景ばっかりじゃなくて、何かないかねえ」


 ある女子が、同じ場所の絵を三枚描いていた。それを三枚とも「風景」では面白くないと言ったので、娃子はある画題を口にした。

 そして、展覧会当日、彼女の絵の一枚の画題が「ススキ野」になっていたのを見た時、がっかりした。彼女はすすきの生い茂る野原を描いていた。あの時、娃子は「すすき野」と言ったのに、ススキとは…。

 絵の場合、風景、静物、人物など、画題はあまり重要視されないが、やはり、薄は片仮名ではなくて、平仮名で書いてほしかった。

 この時、娃子も一枚出品していた。アトリエの隅の方に、傘のない電気スタンドが転がっていた。ちょっとレトロチックで、木の生地そのままの丸い台座の上に、棒が伸び、コードが巻き付いた上に小さな電球が乗っかっていると言うものだったが、なぜか心惹かれ、それを描いた。ちょうど秋なので画題を「灯下」とした。

 その頃は退院していた、健君が言った。


「画題は、一番いい」


 詩は文字ばかりだから、タイトルもあれこれ考える。絵の様に単純明快ではない。別に、シンプルなタイトルが悪いと言う訳ではないが、タイトルで人を引き付ける時もある。いや、シンプルなタイトルこそ、な内容では済まされない。作者独自の視点がなければいけない。

 ある時の詩集に「ミーは」と言うタイトルの作品があった。何だろうと思って読めば、何のことはない。猫の名前だった。それも二十歳過ぎた男が飼い猫とは言え、詩のタイトルに「ミーは」とは…。

 また「無題」というタイトルも、結構。主に仕事に対する悩みを書いた作品に多いが、これも何かタイトルを付けるべきだと思う。「無題」と言う詩に心動かされたことはない。それにしても、絵を描く人ももう少し画題に気を使ってほしい。


 肝心の健君の絵だが、ものすごく緻密な「ちぎり絵」だった。絵は細長い花弁の花だったが、その花弁や葉、背景にも色紙いろがみをその形に手でちぎり貼りつけたものである。入退院の繰り返しで、如何に時間があるとは言え、その出来栄えには目を見張るものがあった。確かに、地味で細かい作業の技工士を目指すくらいだから、根気は相当なものである。



 そして、秀子がやって来た。何年ぶりだろうか。

 思えば、大阪万博の年に秀子宅へ行けば、娃子に「何しに来たんや」と言った。これには絹枝も怒っていた。そして、娃子に言った。


「今度、アネが来たら、何しに来たんか、言うちゃれえ」


 これには、娃子ものった。とは言うものの、秀子がおいそれとやって来る筈もなく、時だけが過ぎて行ったが、ついに、その時が…。

 いや、秀子がやって来たのは、オバの葬式のためである。チチオヤのキョウダイの中で、一番長生きだったオバが死んだからである。さすがに、これでは言えない。

 だが、秀子は、開口一番言った。


「アレな。丈、短いねん」


 アレとは、絹枝からもらったチョッキの事である。

 絹枝は数件の服地屋の常連であるが、たまには洋服屋にも寄ってみる。いや、たまには洋服屋で買い物してみたい。

 買うものと言えば、主にブラウスやチョッキである。スカートやズボンは、娃子が縫ったもの比べ、やはり見劣りするし、サイズが合わない。ブラウスは気に入った柄があれば買って来るが、すぐに着なくなる。


「やっぱりダメじゃ。肩が落ちてくる」


 オーダーメイドと既製品を一緒にするな。それでも、買って来ては、すぐに嫌になり人にやる。今度は、ツイードのチョッキを買って来た。これは既に持っているのに、またも買い物したい病に付き動かされてしまった。だが、これも娃子が縫ったのに比べれば一目瞭然である。


「娃子が縫うたんじゃ言うて、アネにやって来た」


 と、言っていた。

 それを、娃子が縫ったものとばかり思っている秀子は、もっと丈の長いのを作れと言う。当時の服地屋には「スカート分」として、端切れが売られていた。それを同じものを二枚買えば、チョッキとスカートが作れる。

 絹枝が秀子にやったチョッキもそれに近いくらいの丈があったが、秀子は腰が冷えるとかで、丈の長いものを好む。冬になれば、腰に薄手の毛布のようなものを巻き付けているくらいである。

 だが、娃子は絹枝用の服しか縫わない。絹枝が秀子にも服をと言えば、やはり、仮縫いをしなくてはならない。だが、絹枝は何も言わない。だから、娃子も何もしない。それより、何しに来たかと言えないことが残念だった。

 オバの葬儀が終われば、絹枝と近くの海産物問屋に行く。この辺りには色んな問屋がある。そこで、買って来たものは、小イワシのみりん干しだった。それを土産にすると言う。葬儀に来たのに、土産がいるのかと思った。娃子には小イワシのみりん干しなど珍しくもないが、大阪では珍しいのか。いや、軽くてそこそこ大きさがあって、何より安価であることから、それにした。

 そして、秀子の中では、この次、故郷に帰って来る時は、絹枝の葬式だと言う確信があった。

 その時には…。 




 さらに、満子もやってくれた。


「とうとうゴールインしました。近況をお知らせください」と言う走り書き付きの結婚通知ハガキが届いた。

 思えば、美子の結婚の時は自身にもその予定もなかったので、娃子を誘って美子に祝いの品を届けに行った。そして、今度は自分も結婚することとなった。

 娃子が聞いたのに、峰子は自分の結婚のことをぼかした。その時、満子が言った。


「私も、友達が黙って結婚した時は、嫌な気がしたけんねぇ」


 なのに、自分の結婚は、娃子には結果報告だけ。だが、美子には知らせたに違いない。その時、娃子には黙っておくようにと、どこかで偶然に会っても言わないようにと念を押したことだろう。

 それは、娃子が普通の女ではないから。だから、こうして、気遣ってあげてるんじゃない。

 こうして、優しさ故の、娃子ハネは自然と湧いて来た。だが、彼らも絹枝たちと同じように、一人ハネの面白さも知った筈だ。心の中では何も知らない、娃子を笑っていたことだろう。

 洋裁学校で読んだ小説の話になった。娃子は「嵐が丘」は読んでいたが「ジェーン・エア」はまだ、読んでなかった。満子は読んだと言うので感想を聞いて見た。


「良かったよ。あんたなら感動するわ」


 あんたなら感動する?

 それはどういう意味か。満子の感動話なら聞く。だが、読む前にで感動を押し付けられるとは。それで、読む気がしなくなった。

「ジェーン・エア」は世界的に知られた名作である。一度は読むべきと思っていたが、その後も読んでない。読む気がしない。


 満子からのハガキに近況を知らせろとあったが、近況などある筈もなく、届いたのが10月だったので、年賀状は出したが返事はなかった。


 これが、優しさだろうか…。

 

 いや、これが世間の常識なのだ。娃子がその常識を知らなかっただけである。

 常識は、これで終わりではなかった。


 思い出した。満子も絹枝や峰子と同じ干支だった。




  




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る