優しさとは…
「23歳で結婚したい」
詩のサークルに結婚願望の強い看護婦がいた。そういう詩も書いていた。この看護婦と、絵の会の看護婦は同じ総合病院に勤務しているのだが、接点はないらしい。
「彼女は、いい奥さんになるよ」
と言うのが、男性陣の一致した彼女評だった。そして、念願かなって23歳で結婚をし、サークルも辞めた。
それなのに何てこと、1年も経たないうちに離婚してしまった。そして、また、詩のサークル活動をしたいとか。
サークル会員の中には既婚男性もいるが、女性の場合は結婚となると、それどころではない。詩は好きだけど、結婚してまでやる気はない。いや、あわよくば、そこで結婚相手を見つけようと、峰子の様に手あたり次第、粉かけまわる様な女もいる。
結婚で仕事でさえ辞めるのにサークル活動など、独身時代の楽しみにすぎない。別にそれを悪いと言う気はないが、何だかなと思うことはある。
絵の会の代表は2年ほど前に離婚している。これからの暮らしのためにと、喫茶店を開いたのだが、妻の方がそっちにのめりこんでしまった。そこで話し合いの上、離婚となった。
その絵の会に、オカさんと言う30半ばの女性がいた。東京で健君が夜通っていた絵の学校を卒業している。代表とも古い付き合いであることは知っていた。その頃、代表は40代後半。思えばこの二人が親密になるのに、それほど時間は必要なかったことだろう。
ある時、オカさんが妙に太っていた。娃子がそのことに気づいた時、皆それまでの話を止め、一斉に黙った。エリが困った様な顔と憐れみを含んだ目で、娃子を見ていた。
いつの頃からか、娃子がやって来ると話がピタリと止むことがあった。娃子はそんなことは一々気にしない。いつでもどこでも、自分が異物扱いされることに慣れている。だが、ここのところ、それは異常なくらいに感じられた。
そして、代表とオカさんのデキ婚、即、出産のニュースが飛び込んできた。いや、みんな知っていた。知らないのは、娃子だけ…。
おそらく、エリが言い出したのだろう。娃子には黙って置こうと
なぜなら、娃子にはまかり間違っても、今後、結婚出産などは無いことだから。気の毒、可哀そうと皆に言って回ったことだろう。
----こう言う気遣いの出来る私たちって、優しいっ。
と、娃子を除く一致団結の精神で盛り上がったことこの上ない。何しろ、優しさ故の「娃子ハネ」なのだから、心は痛まない。だが、やがて、娃子もそのことを知る時が来る。
----でも、出来るだけ遅く知った方がショックも少ないでしょ。
娃子には、最後の事実だけでいい。その方がせっかくのお祝いムードのかげりも少なくなると言うもの。本当はもっと盛り上がりたいけど、それではあまりにも、娃子が可哀そう。
このことは後々まで、彼女彼らの語り草となったことだろう。
「そりゃ、あの時は気を使ったわよ。あの人がいない時でもこっそりと知らせ合い、やって来た時には話を逸らしたり、オカさんに会わせないようにしたりと。だって、そうでもしなきゃ、可哀そうじゃない。でも、私たちがこんなに気を使ってあげてると言うのに、もう、空気、読めないんだから…。まあ、たまに、菓子とか持って来るけど。こう言っちゃあ、悪い、その、何だけど、とにかく変な人よ。時々、体をブルブルッと震わせたりして」
娃子がたまに体がブルブルッと震わすのは、一種のチック症である。何の前触れもなく突如として体が震える。銭湯の湯船の中で震えたこともあった。
これは幼い頃、絹枝が恐かった。あのものすごい声とものすごい形相で、娃子の前に立ちはだかり、睨み付けるのだ。それはもう、身震いするほど恐かった。
それが今もって体の記憶となって現れる。それを皆、奇異の目で見る。
----普通じゃない人は、やっぱり普通じゃない。もうぉ、訳わかんないっ。とにかくこれだけ気を使ってあげたんだから、いいでしょ!!
だが、知ってしまえばそれまでよと、娃子が知ったとなれば、もう遠慮はしない。オカさんは本屋のムスメで、金にならない絵を描くより、オヤやオトウトから金を出してやるから何か商売でもしろとか言われていた。そして、代表との結婚もハハオヤは年が離れていること、絵描きと言う不安定さで反対したが、子供が出来たと言うことで認めざるを得なかった。
そして、出産当日、娃子を除く会員たちはアトリエに集まり、今か今かと「カウントダウン」で大いに盛り上がり、無事生まれた時には歓声が上がった。当然、皆でお祝いの品も用意していた。生まれたのは男子。
絵の会では不定期にガリ版刷りの会報を出す。当然、次の会報にはそのことがメインだった。だが、何と言うこと。生まれた子の名前の字が間違っていた。
「自分の子じゃないけんのう」
本当なら、大事なムスコの名前を間違えられ、オヤとしては腹立たしい思いだが、苦笑いで済ませたのは、これを書いたのがエリだったからである。お気に入りのエリだから、この程度で済ませた。他の人が間違えたのなら、何かにつけてチクリと言ったことだろう。
娃子なら間違えない。詩や文章を書き、印刷屋で働く者として固有名詞、特に名前は間違えられない。必ず確認を取る。その確認先がエリ、それもない。代表に確認を取る。また、万が一にも、娃子が間違えたとすれば、それこそ一生恨まれたことだろう。いや、やはり、娃子なら間違えない。
話は逸れるが、印刷屋とは因果な商売である。まだ、出版物の多くが活版印刷だった頃、手書き原稿の悪筆に悩まされつつ、活字を拾っていく文選作業の大変さ。その点、版組は文字ばかりで最初は楽であるが、その後の校正から戻って来たゲラ刷りを見て、泣きたくなる時もある。
元の原稿にすら、朱が入っている。もうこれだけで文選は目がチカチカする。そして、校正後のゲラ刷り原稿には、活字ミスはともかく、あちこちに、タコ足の様に文字が付け足されており、文選はその部分の文字だけ活字を拾って行くが、版組の方はかなりの修正を余儀なくされ、禁則処理もしなければならない。
石原慎太郎と言う作家はものすごい悪筆で、彼専属の文選者、校正者がいたと言う。また、原稿と言っても、その辺の紙に走り書きしたものを渡される時もある。
ある時、事務の女子が皆に聞いて回っていた。
「兄に口の字ってある?」
口偏に兄なら、呪うと言う字だが、兄に口など誰も知らない。娃子はその原稿を見せてもらった。鉛筆で走り書きされた字は確かに兄と口、いや、只にも見える。それにしても、兄に只の字もあったかなと皆、首をかしげていた。また、その字が名前の一部なのだ。彼女は活字の注文先にも電話で問い合わせた。
そして、やっとわかったのが兄ではなく「咫」と言う字だった。この字を名前に使うのも珍しいが、それならもう少しわかりやすく書いてほしいと、印刷屋の誰もが思うことである。そう言う娃子も「発注者」の一人である。
詩のサークルでは、半年に一度詩集を発行する。それぞれの詩が集まった段階でチェックが入る。ある時、娃子は詩の中に「ほほ」と書いた。すると、まるで漢字を知らないのかとばかりに「頬」に書き直されていた。即座に「漢字にしない」と訂正を入れておいた。
特に詩の場合、平仮名、片仮名、漢字、ローマ字の持つイメージを考えてのことである。漢字の間違いならともかく、人の作品の文字を勝手に書き換えるとは…。
では、娃子にミスがないかと言えば、そんなことはない。つい、間違えてしまうが、書くと描く。絵を書くと書いたこともある。その話を絵の会の看板職人に話せば、彼は逆に文字を描くと書いてしまうそうだ。
つまり、印刷屋とは、不完全なものを渡されて完全を要求される、悲しき職人たちの作業の積み重ねなのだ。それでも、仕上がった印刷物を触ると、活字のぼこぼことした手触りが何ともいいのだ。だが、その活版印刷も既に廃れつつあった…。
ある日、絵の会に行けば、代表の赤ん坊を中心に盛り上がっていた。娃子が赤ん坊に近づいた時、代表の目が険しくなった。娃子が赤ん坊に対し、どのような態度をとるか気になったようだ。危害を加えるとは思わないが、自分には経験することのないことである。悪意を持っているのではと、思ったようだ。その後もしばらくは、娃子に注意を払っていた。
さらに、彼らはオカさんの出産とほぼ同時進行に、もう一つの秘密を共有していた。何と、看護婦の結婚が決まったのだ。これも当然、娃子には黙って置く。出産や結婚等の祝い金は、娃子からは徴収しない。
----あんたの怨念のこもった様な、祝いなんて誰もいらないわよ。
それが、共通の思いだった。だが、こっちも知ってしまえばそれまでよ。
結婚式には、代表は当然、エリと呉服屋のムスメは友達して招待された。
「あの時、先生、ものすごく食べてたよね」
エリが言った。
「わしゃあ、儀式言うもんは好きじゃないけん。食べることが祝うことじゃ思うたけん、食べたんじゃ」
と、あれほど秘密にしておきながら、今は、娃子が居てもお構いなしに平然と話をする彼ら…。
これが、優しさなのだろうか…。
いや、これが世間の常識なのだ。その常識を娃子が知らなかっただけである。だが、彼らも絹枝たちのように「知らないのは娃子だけ」と言う「共通の笑い」の面白さに興奮したことだろう。
----たまには、いいじゃない。日頃、気を使ってあげてんだから。
この年はちょっとした結婚ラッシュだった。信子先生も結婚した。そして、同人仲間の中学教師も40半ばで結婚した。その話は代表から聞いた。
彼は常日頃、結婚しないのが思想だと言っていた。
「そりゃあ、思想が変わったんじゃろう」
と、代表は事も無げに言ったが、別に思想とは変わっても構わないが、それにしても、唐突だった。
「まあ、まんざらでもなかったんじゃろう」
相手の女性は、オヤの反対を押し切ってやって来たそうだ。
「人間は、結婚せんにゃあ、ダメよのう」
そう言うあんたは一度離婚しているではないか。つまり、離婚は良くて、結婚しないのが悪い、ダメ人間と言いたいのか。
では、何歳まで結婚すればいいのか聞いて見た。代表は言葉を濁した。それはそうだろう。代表にとっては10歳ほど年の離れた若い妻かもしれないが、オカさんは世間的には売れ残りと言われる歳である。信子先生もそうだし、中学教師は40半ばである。
この時、娃子は25歳。若いとは言えないにしても、絵の会の独身女性の中で一番年上と言う訳でもない。最近入会した女性の一人は、娃子より2歳年上。もう一人は30歳くらいの女性である。
いやいや、彼女たちにはまだこれから結婚のチャンスはある。
----お前にはない。断言してやる !
だから、お前はダメ人間、女失格なのだと言いたい。これが言えたら、どれだけすっきりすることだろう。
そして、アトリエでの忘年会に新婚の看護婦がやって来た。今回は呉服屋のムスメがおでんを作ってくれた。これだけのおでんを作るのは大変だっただろうと思う。
「これ、おいしいね。おでんの素、使こうた」
看護婦が言った。インスタント食品や○○の素が次々に発売され出した頃である。
「生活がわかるね」
と、看板職人が言った。こんにゃくと練り物が中心のおでんである。砂糖と醤油で味は付けられる。おそらく、寮生活で料理などあまり作ることなく、結婚したのだろう。それだけではない。その暮らしは、何でもインスタント風に見てしまう。
「それ、ヘアピース?」
娃子が夏に髪をアップにしているのを見て言った。これは、ヘアピースかと言われることもあるので気にしなかったが、新年会に着物姿の女性がいた。
「あれ、文化帯よね」
文化帯とは、お太鼓部分と胴に巻く部分とに初めから別々に作られている帯である。昔と違って、多くの女性は一人で着物を着られない。そこで、簡単に帯が結べるとして、文化帯が登場した。だが、ちょっと見れば文化帯かどうかはわかる。娃子は違うと言った。
「でも、きれいに結べてるから」
どうやら彼女には、きれいに出来ている、美味しく出来たものは、インスタントらしい。だが、世の中はインスタントだけで成り立っているわけではない。
ある日、彼女がやって来た時、代表のムスコがいた。この時が初めての対面ではないが、こま前は独身。今は人妻、結婚したのだ。結婚すれば、やがては自分もハハとなる。それが現実のことなのだ。
この時、彼女の顔つきが変わった。目と口角が吊り上がった疑似ハハの顔でムスコに迫る。そして、側のおもちゃを手に必死にあやすが反応なし。
「それねえ、もう、飽きとんよ」
と、オカさんに言われてしまう。その時の彼女のつまらなそうな顔はなかった。
日常の暮らしに自信がなくても「優しさ」があればいいか…。
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