日々累々 二

 齢六十を越えた頃から庄治の老化は始まった。

 誰でも、若い頃はその若さに任せて突っ走ることが出来たが、やがて年とともに衰えを感じるようになる。その時、これではいけないと生活習慣を改めたり体を鍛えたりするものだが、庄治は常に楽をするを旨としてきた。そして、ついに、衰えを感じ始める。


----ああ、もう、無理はでけんの。

 

 と、素直に老いに従う。人は娃子を「素直」だと言うが、素直なのは庄治である。こんなにも自分の心と体に素直な人間が、どこにいるだろうか。特に、絹枝から外酒を禁じられてからは、外で発散できない分、すっかり内向きになっていた。たまに酒屋で立ち飲みするくらいで、今は飲み友達もいない。もっとも、庄治の飲み友達とは酒を飲む時だけの友達でしかない。

 人間には一人で生きて行ける人間と、生きて行けない人間がいる。庄治も絹枝も一人では生きて行けない人間である。特に庄治は究極の寂しがり屋である。いつも、誰かとムレていなければ寂しくて仕方ない。だから、いつでもどこでも話し相手を求める。近所の人に話かけられただけで嬉しくて、すぐにニコニコしてしまう。だが、それは短い時間でしかない。

 家では本当は、娃子に相手になってほしいのだが、近頃の、娃子は難しい。そこで先ずは、娃子と絹枝の話に耳を傾け、何でもすぐに口を挟む。


「そうや。わしゃ、そんなん知らんで」


 と、知らないことは知らないで、話に加わろうとする。だが、庄治の場合、知らないと言うより、知らなさすぎるのである。以前、テレビで養殖真珠の工程をやっていた。娃子もこの時、初めてその工程を知ったのだが、庄治にはそれがさっぱりわからない。その時は、今見たことを一応説明したが、それでもなお、わからない。


「ほれ、アレよ、アレ」


 と、今度はタレントの話をして来るが、名前が思い出せない。そこで、娃子に思い出せと言うのだ。


「アレよ。声を出すよ」

----わからんかのう。

 

『アレ、ソレ、ナニ』を多発する、これが年を取ると言うことか。いや、庄治は頭を使うことなく生きて来た。何も考えず何も悩まず、その時をやり過ごせればいい。


「こいつら、ええのう。こんなことやっといたら、金になるんじゃ」


 と、今度はドリフターズを見ながら言う。彼らの芸も庄治にはふざけているとしか見えないのだ。


----これくらいのことなら、わしでもやっちゃるわ。


 当時の庶民の最高で最良の娯楽はテレビだった。これまた、庄治は素直にテレビとともに、泣き、笑うのだ。気に入らなければ、すぐに声を荒げる庄治が、テレビの泣かせてやろうのあざとい演出に、すぐに感動し、泣き、笑いと感情豊かなことこの上ない。もう、ょっとしたことですぐに「うっ」となり、口をすぼめてテレビに見入る。これが、娃子にはおかしくてたまらない。


「そんなに、笑ろちゃるなや」


 そう言う、絹枝も笑っている。そして、庄治は照れ隠しに必死で飯をかき込む。

 また、ある夜、娃子が楽しみにしていた洋画を見ていた。期待にたがわず息をのむ展開に目が離せない。

 それを庄治も布団の中から見ていた。いや、ものすごい力の入れようでテレビ画面を凝視している。それはコマーシャルになってからも変わらず、娃子はその間に洗い物や明日の支度をしたりするのだが、庄治は気を緩めることすらしない。

 何もそこまでにならなくてもと、思わずにはいられない。そのくせ、ラスト近くのいいところで、その緊張感に耐えられなくなったのか、大きく「ふふふぅふうううん」と息をする。これでは、今までの映画のいい感じも削がれてしまうと言うものだ。せっかく、ここまで来たのだからもう少し…。

 それを庄治に期待する方が無理と言うものだ。


 庄治の理想は、浦島太郎である。竜宮城で美しい乙姫様と飲んで騒いで暮らせれば言うことはない。ただ、浦島太郎と違って国へ帰ってみたいなどとは思わない。どこへ行っても、これほどいい暮らしはないことを知っている。

 庄治の出身は奈良県であるが、若い頃には台湾にもいたと言う。終戦後、どんな経緯でこの町まで流れ着いたかなど、今さらどうでもいいが、現実は浦島太郎とは程遠い暮らしでしかない。さらに、年を取るにしたがって勝手が出来なくなった。その不満を、娃子をからかうことで発散させようとするが、すぐに、いや端から相手にされない。すると、今度は絹枝にすり寄って行く。


「ちょっと人から何か聞いてきたら、すぐにその気になってしまうんじゃけん。調子ええことばっかり言うてから。自分が今まで何して来た思うとんや。若い頃から酒ばっかり飲んだくせに」


 絹枝の言う庄治の若い頃とは40代である。


「今は大人しゅうしとんやけん、ええやないか」


 それが、勝手すぎると言うのだ。庄治にとっては、過ぎた昔のことかもしれないが、娃子も絹枝もされたことは忘れてない。

   

「言うなや、もっ、言うなや」


 腹を立てた庄治は家を出て行くが、その前に必ず女二人を見る。内心は引き留めてほしいのだ。だが、庄治のそれは単に家から少し歩いたに過ぎない。1分もしないうちに戻って来る。家から10メートルも歩けば、ちょっと広い道に出る。この道は夜でも車の往来がある。

 娃子がまだ幼児の頃、絹枝から家の前の道以外は出てはいけないときつく言われたものだが、今、庄治がそれを守っている。車の通る道へは出て行かない。戻って来れば、いつもの定位置に座るか、寝る。それだけである。

 つまり、物事はやったもん勝ちと言う訳である。やりたいことをやって、そして、今は昔のこと、終わったことにすればいい。


「仏さんの鶴亀よ。火さえ灯りゃえんじゃけんのう」


 絹枝の庄治評である。絹枝のように物事を先取り苦労するでなく、娃子の様に取り越し苦労するでなく、酒が飲めればいいのである。その時に若くきれいな女がいれば言うことはないが、そうもいかない。そして、気に入らなければ怒鳴る、


しまえ ! 」


 と、すぐに物を投げ、怒ることでしか自分の存在をアピールするすべを知らない。そして、止められないのが、娃子への便乗怒りである。娃子を自分のものに出来なかった悔しさもある。


「お前はのう、オヤの言うことに、そやねぇ言うたことがないの」

「そやそや、フン、言うたことがない」


 これは、その通りである。何より絹枝の言うことに、それもそうだなと思ったことがない。いつも、ちょっとおかしい。この前と話が違う。


「この前はこの前、今は今よ。そこを臨機応変にやれ言うとるじゃないか」


 相も変わらず、臨機応変と言う言葉が好きな絹枝である。だが、それは絹枝の臨機応変であり、娃子のそれではない。


「かわいげ、ないでえ」


 絹枝を味方につけた庄治は俄然強くなる。この、かわいげとは、子供っぽくないと言う意味である。


「たまにあ、オヤとふざけることがあってもぉ」


 何で、どうして、大人になったムスメがふざけなくてはいけないのか。子供の頃は面白くないものだから放っておいたくせに、大人になれば今度は子供になれと言う。


「よその子ら、かわいげあるでえ。オジサン、こんにちわぁ言うてのぅ」


 人に挨拶くらい、娃子もしている。もう、バカバカしくてやってられない。

  

 ある時、爪切りが見当たらない。家にある昔からの爪切りが使い難く、娃子が買って来たものである。それが見当たらないのだ。この狭い家で探すところも限られているのにどこにもない。だが、うっかり物が無くなったと言えない。


「お前が何でもその辺に、取って投げるけんよ」


 それ見たことかとばかりに絹枝に文句を言われる。娃子が物をそこに置いただけで、絹枝は取って投げると言う。これを知らない人が聞けば、娃子が本当にものをポイと投げてしまうように思われるだろう。

 仕方ないので、同じものを買って帰ったその夜、絹枝が爪切りをそれこそ、娃子の前に投げて来た。

 また「省エネ」と言う言葉がテレビで使われ出した頃でもある。ネクタイの代わりにループタイが店先に並び始めた。このループタイとは、男性のためだけのモノではなく、女性にも人気でブラウスの襟もとにつけたりしていた。

 娃子もシンプルなループタイを持っていた。だが、これまた、しまう。どこへ行ったのだろうと散々探し回った挙句に見つけた時、それはとんでないものになっていた。

 ループは短く切られ、庄治の自転車の鍵飾りとなっていた。娃子は何も言わなかった。これで何か言えば、それこそ庄治の思うツボである。

 娃子のループタイを見つけた庄治は、これを自転車の鍵飾りにしてやろうと思いつく。そして、それを見た、娃子は怒るだろう。

 よし、怒らせてやろう。これは面白いぞぉと、庄治の子供心に火が点いた。

 

「いるもんやったら、ちゃんと仕舞しもとかんかい。そこら辺に置いとくんが悪いんじゃ」


 と、先ずは、娃子の失敗を笑ってやる。そして、さらに怒らせてやる。その時が待ち遠しくてならない。だが、娃子は何も言わなかった。面白さは半減したが、娃子の物を取ってやった、今日のところはそれでヨシとしてやるにしても、何か、物足りない…。


 絹枝も庄治も、娃子を怒らせ、からかうことも楽しみの一つとなっている。だが、この娃子のたちの悪いところは、気に入らないとものを言わなくなることだ。こうなって来ると、庄治は悲しい。


「あんたが、あんまり、娃子をけんよ」


 絹枝に諭され、この時には、さすがにやり過ぎたと反省するのだが、すぐに忘れる。

 そして、ついにと言うか。失対しったいが希望退職者を募った。退職金30万円。当時の30万円とはそれは魅力的な金額だった。行政はそこまでしても失対を無くしてしまいたかったのだ。また、働くところの紹介もあった。だが、それに「待った」をかけたのが絹枝である。


「辞めんさんな。あんたがのう、そんな、よそ行って、働かりゃあせん ! 失対じゃけん働けるんじゃ。あんた、なに、よそ行って勤まるかい ! 」


 庄治は苦も無く30万円に釣られそうになっていたが、絹枝はいつも現実的である。一般社会の仕事は失対の様に悠長ではない。庄治の堪え性のない性格では、すぐに腹を立て、仕事に行かなくなるかもしれない。結果、家でゴロゴロされたのではたまったものではない。


 絹枝のこの判断は正しかったと言える。


 娃子が愚にも付かない日常を余儀なくされている頃、絵の会ではの出来事が起き、秀子はまたも、お得意の箒を振りかざしていた。


 何だろう。

 後ろから首を絞められるような、この感覚は…。

 

















        


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