ここは、どこの竹藪じゃ

 竹藪を抜けると、そこは万博だった。


 万博会場に着いて、娃子が先ず驚いたのはそのスケールとかではなく、会場周辺に竹藪があったと言うことだ。

 ここは、ど田舎…。

 考えてみれば、こんなど田舎でもなければ、これだけの土地を確保することは出来まい。


 何と言っても、この年は日本万国博覧会。アジア初、日本最初の国際博覧会、通称・大阪万博が3月15日~9月13日まで、千里丘陵で開催された。

 いつもは夏になると、子供を丸投げにやって来る正男だが、この年は違った。絹枝に万博を見に来いと、二人のムスメに手紙を書かせた。封筒の中には孝子の主語を省いた文字の羅列に、博美の何だかよくわからない絵も入っていた。

 どうして、正男がこんなにも万博へ誘うのかと言えば、戦後のどさくさ紛れで入社した鉄工所が、今や大企業へと発展し、万博に企業出展しているだけでなく、万博のそのパビリオンへ自分が派遣されることとなった。とにかく、それを自慢したくてたまらないのだ。

 おそらく企業にとって、万博とは出展することに意義があり、出展して仕舞えばそれまでである。責任者兼数人のスタッフと受付に若い女性を配置しておけばいいが、やはり、雑用係もいる。その雑用係として、体育館の管理と言う閑職仕事の正男が派遣されたと言う訳だが、当人はそれが嬉しくてならない。何しろ、世界的イベントへの派遣である。正男にしてみれば、選ばれた、白羽の矢がたったと天にも昇る心持だったろう。その姿を絹枝に見せびらかしたい一心で、ムスメたちに、せっせと手紙を書かせに他ならない。

 そして7月、万博を見に行くことになった。そうなれば、大変なのは娃子である。絹枝だけでなく、自分の服も縫わなくてはならない。もう、時間がない。自分と絹枝の帰り用の服のボタン付けは秀子宅でやることにした。

 そして、ボタン付けが終われば、娃子も疲れていた。たまにはいいだろうとそのまま座っていると、秀子が言った。


「娃子、何しに来たんやっ」


 娃子は万博見に来たと言った。その後で、絹枝に秀子に言われたことをチクっておいた。


「アネの、やつぅ」


 さすがの絹枝も秀子に言った。


「娃子に何しに来たんか言うたそうじゃのう」

「そやかて、何にもせえへんよって」

「タカヨと博美、茂子の服も縫うちゃったじゃないか。娃子も今は働きょんじゃ。友だちも多いし、服の仕立ても頼まれたりして忙しんじゃ。よう、そんなこと言うたわ」


 と、秀子の前では、娃子の肩を持つ。これが正男の前では何かにつけて文句を言う。この様に絹枝は「娃子の使い分け」をする。


----そやけど、私のもんはなんも縫うわへんやないか。


 絹枝が貧乏で着るものもロクに買えなかった頃、、服一枚とてやるどころか、貸すこともしなかったくせに、そんなことは、とっくに忘れている秀子だった。


 そして、早速に則子がやって来た。もっとも、その前に絹枝が行ったからであるが、例によって、娃子を睨み付ける。


----まだ、生きとったか。お前なんか、早よ、死ね !


 三人の子供たちは、ハハオヤのこんな顔を知らないのだ。


「万博行くねやったら、難波のとこの寿司屋でうたらええわ。あそこの寿司、おいしいよって」


 と言ったので、当日、そこで巻き寿司を買った。だが、誰より機嫌が良かったのが正男である。早々に、万博の写真入通行証を見せびらかしたものだ。

 先ずは、自社のパビリオンへと連れて行く。だが、娃子も絹枝もトラクターなど

に興味はない。それでも、一通り見て回ったが、何と「きき酒」のコーナーがあったのには驚いた。それにしても、鉄屋がきき酒とは…。

 昼になり、巻き寿司を食べることにした。則子がおいしいと言った巻き寿司だが、酸味が強かった。普通、市販の寿司はそんなに酸っぱくはないのだが、酢の効いた巻き寿司だった。これがおいしいのだろうか。

 午後からは、ほぼ娃子一人で行動した。月の石が展示してある日本館などは2時間待ちなので、最初から行く気はない。近くの個室の様なパビリオンを見て回った。その国の民芸品の様なものや、大統領夫妻の写真などが展示されていた。そして、少し行くと、中程度のパビリオンがあった。

 どこの国かも確かめないまま入って行けば、チーズの試食をやっていた。食べて見てびっくりした。それは、あっさりした食べやすい個包装のチーズだった。娃子が万博で買ったものはそれだけである。

 正男と一緒にいられるだけで満足の絹枝であるが、広いだけの場所にいい加減飽きて来た。絹枝の一番の目的は、日頃いいものを食べてないであろう正男に好物の鰻を食べさせてやることだ。思えば、朝は昆布の佃煮、昼は酸っぱい巻き寿司。このまま帰宅しても、どうせ、しょぼい食事でしかない。いや、秀子のことだ、食べて来るのを見越して端から用意してないに決まっている。

 そんなことはどうでもいい。たった一人のオトウトに鰻を食べさせてやる。その時が近づいてる。もう、娃子など眼中にない。実に嬉しそうに、正男に笑いかける。正男も仕方なく苦笑いを返す。それだけでも幸せな絹枝であった。


 帰宅しても、家の中は相変わらずの状態、いや、物が増えていた。正男宅の6畳間のわずかな隙間にミシンが置いてあった。孝子も学校でミシンの使い方を習い、家でやるべき宿題もあるのに、秀子がミシンを使わせないのだと言う。

 秀子にしてみれば、孝子なんぞに使わせれば、ミシンの調子を狂わされかねない。また、針でも折られたらたまったものではない。そこで、仕方なくミシンを買ったと言う次第である。

 今回、やって来て早々に孝子は不満を漏らした。ミシンの事ではなく、鍋の焦げのことだった。何と、秀子は今もって、鍋を焦がすのだ。それを孝子に洗わせる。自分が焦がした鍋ならいざ知らず、人の焦がした鍋を洗わせられるのだ。誰でも文句の一つも言いたくなる。大人の身勝手さを押し付けられ、面白くない。ここまではわかる。


「えらい、長かったわ」


 と、例によって、気だるいドスの効いた声で、例によって、主語を省いた物言いしかしない。


「そやから、長い て! 」

----まだ、わからんのかあ。情けないやっちゃなあ。


 孝子も絹枝と同じで、これだけでわかれと言うのだ。

 これで、誰が何をわかると言うのだ。


「長かった、言うてるやろっ」


 何のことかと思えば、絹枝が去年の秋、この家にやって来た時持って来た孝子用のワンピースの丈が長かったと言っているのだ。


----ふんっ、丈も知らんのかっ。


 知る訳ないだろ。

 第一、絹枝ですら二人のメイの歳も学年も知らないのだ。それでも育ち盛りである。すぐに身長は伸びる。だから、あまり丈の短いものを作っても思ったに過ぎない。だからと言って、特別長くしたつもりもないが、そう言えば、娃子とは年に一度会うくらいだが、背が伸びたなと思ったことはなかった。妙子が言っていた。


 「秀子さんなあ、博美ちゃんに赤い服ばかり着せるねん。また、あの人、センス悪いよって。博美ちゃんも、また赤や言うて、娃子ちゃんに縫うてもろた服の方がええて言うてたわ」


 昔人間の秀子は、赤色とは子供の時にしか着られない色だと思い込んでいる。今はそんな時代ではないと言っても、そう簡単に頭は切り替わらない。では、孝子にも赤を着せるかと言えば、これがそうでもない。そこは、やはり、アネとイモウトでは違うのだ。ちょっと落ち着いた感じの色を着せる。


「この前、タカヨちゃんが服着てたんで聞いたら、オネエチャンが縫うたて言うてたわ」


 よく聞いて見ると、それは博美用に縫った服の方だった。つまり、孝子は背が低いのだ。いずれ背が高くなるだろうとの気遣いなど、いらぬお世話でしかない。だから、服の丈に文句を付ける。


----もっと、ちゃんとしたもん、縫うて来んかいっ。


 そうなのだ。正男の三人の子供は物をもらったくらいで「ありがとう」とは言わない。だが、絹枝は正男と子供たちの喜ぶ顔が見たい。


「わあっ、オバチャン、ありがとう」


 と、言ってほしいのに、誰一人としてそれを言わない。


「ありがとう言いや」


 と、たまに正男が言えば、仕方なしに口の中でもごもごと言う。しかし、これが金なら、ありがとうと言う。


----これなら、言うたるわ。


 そう言う、正男も何をしてもらっても絹枝に一度として、礼を言ったことはない。


「正男も、心の中では思うとんかもしれんが、済まんのとも言わんわ」


 オヤが言わないものを、子供が言うか。 



 おのれのズボラは棚に上げて、気に入らないことには当然の顔で文句を言う孝子だが、相変わらず部屋は散らかり放題、片付けると言うことをしない。一応、勉強机もあるのだが、その上は物がそれこそあふれている。では、どこで宿題をやるのかと言えば、6畳間の二段ベッドと箪笥の間に座り込んでやるのだ。また、孝子は二段ベッドの下で寝ている。そのせいかどうか、ベッドと畳の隙間に何でも突っ込む。

 一度、業を煮やした秀子が妙子とともに、ベッドの下から物を取り出せば、出て来る出て来る、有能な手品師でもここまでは隠せまいと思うくらいのものが出て来た。カップラーメンの腐敗した汁のこびりついた容器迄あった。


「ちゃんと、捨てときや ! 」


 と、学校から帰った孝子に言ったが、捨てたのはラーメン容器くらいである。後はそのままで、いつしかベッドの下へ…。



 だが、秀子も孝子のことは言えない。とんでもないゴミ物体を作ってしまった。

 何と、入り口の横の塀に沿って、畳敷きの部屋が作られていた。それも、なぜか洗濯機付き。そこは、メインの部屋が日当たりが悪い。これでは秀子の健康に良くない。そこで、秀子の相談相手でもある幸子が、日当たりのいいこの場所に秀子用の部屋を作るよう勧めて来た。もっとも、この家も正男の家も幸子の知り合いの建築屋が請け負ったものだが、それにしても、日当たりが悪くなることくらい専門家なら最初からわかりそうなものなのに、それを後になってから、こんなものを作らせる友達とは…。


「幸子さんに、踊らされてんや」


 妙子が言った。そうだと思った。このアパートを載せた家、正男ののような家、わざとらしいこの部屋にしても、幸子と建築屋に相当搾取されたことだろう。

 肝心の部屋だが、秀子がここに移り住むことはなかった。如何に日当たりがいいとは言え、秀子がここで寝起きをしようものなら、正男一家がそれこそ秀子本来の家を我が物顔で使うことだろう。まさに、軒を貸して母屋を取られてしまう。

 そんな事態に秀子が耐えられる筈もなく、やはり、自分の定位置は譲れないと、結局は物置となってしまう。何と、高い物置部屋ではないか。秀子もケチな割には銭失いである。まさに、どっちもどっち…。


 万博は、竹藪を抜けられたが、この家はどこにも抜けられない。


 

 そして、翌日は秀子と絹枝、娃子でデパートに行った。何と、夏なのに、夏だからこそかもしれないが、冬物バーゲンをやっていた。そこはデパートである。セーターから毛皮のコートまであった。絹枝がもこもこしたものを握って言った。


「娃子、言うこと聞くか。言うこと聞いたら買うちゃるで」

 

 それはキツネの襟巻だった。この時には既に買う気の絹枝であるが、いつでもこうして勿体を付けることで自分の「偉大さ」を、娃子に再認識させるのだ。黙ったままの娃子をしり目に絹枝が支払いをしようとした時だった。


「これで」


 と、秀子が出したものは写真入りのカードだった。帰宅してから、絹枝が1万円札を秀子に出した。襟巻の値段は9800円。


「のう、やっぱり、釣り、出しゃあせんけんのう」


 あの秀子が釣りを出す筈はない。自分の手元にやって来たものは、すべて自分のものである。それを見越してカード払いにさせたのだ。決して損をしないだけでなく、得することも忘れない秀子だが、三人のオイメイに「訓示」も忘れない。 


「三杯目はな、お茶漬け食べてもええねん」


 と、夕食時にしたり顔で言う。胃の調子が悪く医者に行けば食事内容を聞かれる。秀子は茶漬けが好きである。好きもあるが、茶漬けだとおかずが少なくて済むと言う、好きとを兼ねている。

 娃子も茶漬けを食べることはあるが、あれは噛まずに飲み込んでいるに過ぎない。そんな茶漬け三昧の食事では胃も悪くなる。そこで、医師に茶漬けを控えるように言われたのだ。だが、今時の子供はご飯を三杯も食べない。特にこの三人はわりと小食である。16歳の智男でさえ、そこまでの量は食べない。

 ちなみに、智男は中学卒業後、正男の会社の研修生となっている。



 絹枝の大阪土産はいつも「岩おこし」である。他の物には見向きもしない。そんなに岩おこしが好きかと言えば、取り立てて好きでもなくほとんど食べない。その時々で変わる、知り合いへの土産である。 

 娃子も岩おこしを持って職場に行き一通り配り終えると、陽子さんには8枚束のおこしと万博で買ったチーズも添えた。そして、このチーズにはちょっとしたが付いて来た。

 チーズを食べた彼女の夫が、どこの国のチーズかと聞いた。


「そこに書いてあるじゃない」


 チーズがくるまれている銀紙に緑色の文字で書いてあるが、夫にはそれが見えない。

 何と、チーズで老眼が発覚したと言う、オチだった。


 そして、健君が帰って来た。

 

























 







 





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