食わず嫌い 

 目は口ほど、ではない。

 目は口以上に雄弁である。

 口は平気で噓をつくが、目は嘘をつけない。


 あわただしい春がやって来た。

 陽子さんの娘は第一志望の国立大学に合格。エリは地元の有名企業に就職。健君とは東京へ行く前に、ここの会員の絵を展示してくれている、その名も「画廊」と言う喫茶店に一緒に行った。二人で歩いていると、娃子の同級生と会うが、その時、ものすごく嫌な顔をされた。


----なんで、あんたが男と歩いてんのよ ! それも、二人きりで。


 健君には、二つ上の姉がいるが、妹に見られると言う。本当に私服姿は、優男やさおとこの成人男性に見えてしまう。とは言っても学生服姿も見たことがない。

 その「画廊」には健君の自画像や他の会員の絵も展示されていた。当時の喫茶店は、コーヒーの後に昆布茶が出て来た。娃子も健君も昆布茶は今一好きではない。そして、彼は東京へと旅立って行った。


 絵の会では週に一度、デッサン会が開かれる。それぞれに描くこともあるが、誰かがモデルになることもある。一度、代表がモデルになった。そして、娃子のデッサンを見ると笑いが起こった。そこには、しょぼくれたオッサンが描かれていた。


「いや、でもこれ、すごい特徴つかんでる」

「実際、こんな感じよね」


 代表は仕方なく苦笑いしていた。そして、デッサン会が終わりに近づいた頃、戸が開き、いつもの男が黙って入って来る。会員の中にFラン大学に通う在日の、がいる。そのキム女を迎えに来たアッシー君であるが、茶を出されても、なぜか、一言も発しない。キム女は大学で経営学を学んでいる。


「家庭の経営者になるんです」


 と、言っているが、誰がどう見ても、大人しく家庭に収まりそうなタイプではない。事実、後に家庭経営より会社経営に乗り出す。そして、色が黒い。ご多分に漏れず、意地が悪い。

 キム女は口にこそ出さないが、片方が吊り上がった笑いとともに露骨に、娃子に蔑視の目を向ける。


----あんた、その顔でよく生きてるね。私ならとっくに死んでるわ。これからいいことなど何もないどころか、生きてる価値すらないのに。バッカじゃないのっ。


 その目は、そう言っていた。

 目は口以上に、雄弁であるが、口ほどには、罪は問われない。



 娃子のスタイルは抜群にいい。身長は158センチと中途半端だが、Cカップのバスト、ウエスト58センチ。また当時、美脚歌手として人気の朱里エイコに負けないだけの脚線美の持ち主だった。

 誰もが、これで普通の顔であったらと思わずにいられない。だが、いくらスタイルが良かろうと、人の目は厳しい。


「アレなら、私だったら、死ぬっ」

「男でも死ぬ」

「死んだ方がマシ ! 」


 それなのにどうして、娃子は死なずに今、それも、こうして人の中にいるのだろう。それが奇異に思えてならない。なぜ、娃子は死ななかったのだろう。この先、生きていても、楽しいことどころか、世の男から相手にもされない人生など、何の意味があると言うのだ。自分なら、耐えられない。

 万一、死ねなかったにせよ、そうなれば、家から出ない。いや、恥ずかしくて出られない。この顔で街を歩ける神経がわからない…。


 人は、引きこもりや鬱をものすごいことのように言う。そこまで追い詰められてかわいそう、気の毒。特に鬱は病気認定されている。だが、娃子に言わせれば、引きこもりや鬱になれる人はまだいい。

 極端な話、奴隷が鬱になるだろうか。鬱で何もできない奴隷がいるだろうか。引きこもりや鬱になるには、そのための空間と時間があると言うことだ。奴隷にはプライバシーも思考の時間もない。

 娃子も学校に行きたくなく、ズル休みしたことはある。それも1日だけで次の日には学校へ行った。それを登校拒否でもしようものなら、絹枝からそれこそ半殺しの目に合わされたことだろう。また、絹枝はその足で学校に駆け込み、これまた、大騒動に発展したに違いない。それが、恥かしい…。

 何より、実際に引きこもる空間などない狭い家である。また、ちょっと考え事でもしようものなら、すぐに絹枝の怒鳴り声で、娃子の思考など吹き飛ばされてしまう。

 では、娃子がどの様に詩作をしているのかと言えば、それこそ寸暇を惜しんで、絹枝の留守や、寝ている間。また、布団の中で走り書きをすることもあるが、翌朝、自分の書いた字なのに読めない。記憶をたどりつつ、清書をサークル事務所ですることもある。


 一方の絹枝も今を生きている人間である。今時の若者が仕事を終わっても真っすぐに家に戻ってこないことくらい知っている。それが今の世の風潮であるからして、しぶしぶ認めてやっているのに、娃子は好き勝手ばかりしている。これが黙っておらりょうか。

 絹枝の怒りを際立たせるものの一つに、娃子の若さがある。これが、もう妬ましくてならない。これは庄治も同じである。そこで、何か言ってやらねばと、娃子の一挙手一投足に目を光らせる。娃子を凝視する。四つの目…。


 この状況でどうすれば、娃子が鬱になれると言うのか。

 なれるものならなってみたいわ !



 何も知らない、世間の女たちはじっと考え、やがて、一つの結論に達する。


----鈍いのだ。鈍いから、平気で人前に顔を晒せるのだ。それとももう、自分の顔に慣れた?私たちは慣れないんだけど。ああ、そうだ。自分の顔は自分では見られないもんね。鏡の前に行かなければ。だから、あまり鏡は見ないようにしてるんだ。いや、それすら既に慣れてしまったとか。だから、平気なんだ。それでも、私たちにはわからない、理解できない…。やっぱり、鈍い人は違うもんね。


 鈍いと思われるのが、一番つらくて悲しいことだった。


----だって、その通りじゃない。


 いや、娃子は敏感すぎる程、敏感なのだ。

 口は重宝なものである。口では何とでも言える。あの峰子ですら、心にもないことを言ったではないか。

 娃子は少しくらいの言葉で傷ついたりしない。それを、安易に強いなどどおだてないでほしい。

 目ほど正直なものはない。目は嘘をつかない、つけない。

 中には驚きを、おくびにも出さないように人もいるが、娃子には、そうしてくれているのがわかる。だが、そういう人はまだいい。好奇心満載で、視線を外さない人。憐れみの目ならいいとでも思っている人。

 これらに、一々反応している暇はない。現実はもっとずっと厳しいのだ。


 色白のエリはやさしさと憐れみを前面に押し出すが、会社ではタバコを吸わない。吸っていることを知られたくない。その吸えない分をアトリエで吸っている。

 そんな中に、おかっぱ頭でぽっちゃり気味の垢ぬけないメグミがいた。夏になれば、誰もがラフな格好になる。ある日のメグミも、麦わら帽にTシャツ、綿パンと言う、至っての格好でやって来たが、くたびれた感じのTシャツと綿パンに、帽子すらオジサンが被っている様な代物だった。


「どこのオバサンが来たのかと思った」


 と、つぶやいたのは、呉服屋のムスメである。だが、このメグミ。腹の中はともかく、気さくな女子だった。皆が敬遠する娃子とも普通に話をした。娃子が洋裁が出来ると知れば、服の手直しを頼んで来た。そのお礼代わりにメグミは、娃子を食事に誘ってくれた。食事と言っても、その辺の一膳飯屋の定食だが、娃子は嬉しかった。

 その話を聞いたキム女も、娃子に手直しを頼んできた。


「お礼はしますから」


 と言ったが、お礼どころか逆に文句を言われた。娃子は言われた通りに仕上げたつもりだったが、気に入らなかったようだ。だが、話を聞いて見れば、キム女の伝達ミスでしかないのだが、このキム女が自分のミスを認める筈もなく、怒って帰って行った。

 その様子を見ていた、大病院勤務の看護婦は呆れていた。さすがに看護婦だけのことはあり、娃子にも如才なく接する。

 絵の会の会員の中で一番優雅なのは呉服屋のムスメである。呉服屋と言っても、市内中心部から10キロ以上離れた町の、看板だけは立派な呉服屋であるが、とにかく呉服屋と言うのは儲かるらしい。だが、この呉服屋には子がなく、そこで、養子を取り嫁を迎え、生まれたのが彼女と弟妹。

 彼女は京都の大学を卒業し戻って来てからは、花嫁修業三昧。お花、お茶、そして、絵。

 呉服屋と言えば、客に反物を勧めるだけの仕事に思われがちだが、一つの反物は軽いが、数が増えれば当然重くなる。裏では男も女も重い物を運んでいると言う。だが、彼女は店の手伝いなどしたことがない。


「私は、恵まれていますから」


 と言うが、祖父母には冷たい。


「血のつながり無いし」


 こんないい暮らしをさせてもらっていても「血は別」なのだ。そして、誰もが思っている。彼女は下手な恋愛などしない。見合いで「自分にふさわしい」相手を選ぶだろうと。 

 ある冬の日、外出先からアトリエに行けば呉服屋のムスメがいた。外は寒くて凍えそうだった。ストーブの暖かさにホッとしたものだが、こんな時に限って、お茶もコーヒーもない。寒さの治まらない、娃子は薬缶の湯をカップに入れ、しばらく、それで手を温め、そして白湯を少し飲んだ。


「白湯、飲むなんて…」


 と、軽蔑された。呉服屋のムスメにとって、白湯など人の飲むものではないのだ。それ以来、娃子は白湯が飲めなくなった。

 会員はまだ他にもいるが、ある時、30代後半の厳つい感じの男性が言った。


「あんたは、顔立ちはええで」


 彼は、リップサービスのつもりで言ったのかもしれないが、こんなものは気休めにもならない。


 娃子には顔がない。

 表面上だけではなく、娃子は骨格レベルで自分の顔を無くしている。

 大人になってからの火傷は表面だけのものだが、赤ん坊の頃に皮膚の表面が引き吊れば、その下の骨が思うように成長出来ない。そこで、顔骨は縦に伸び、口の中では歯がひしめき合い、顎の骨は引っ込んだまま。また、鼻も小さい。顔の真ん中当たりに申し訳程度にくっ付いている。それを絹枝が面白そうに言う。


「鼻が、コトっと落ちての。コトっと」


 赤ん坊の娃子がまだ治療中の頃、ある時、鼻が落ちたと言う。その時の事を手ぶりを付けて絹枝は笑いながら言う。だから、鼻が小さいのだと。だが、実際に鼻が落ちると言うことはなく、かさぶたが落ちたものである。

 娃子の鼻が小さいのは、やはり、鼻の骨が思うように発育しなかったからである。だからと言って、それを笑いながら言われたのでは、地味にむかつく。

 

 それを顔立ちがいいだと…。

 知らないのだから、当然かもしれないが、この男、やはり、エリが好きなのだ。もっとも、エリから相手にされる筈もなかった。


 それより、娃子には「人中じんちゅう」がない。鼻の下の人中がない。人中のきれいな人を見ると、やっぱり羨ましい…。 


 口は重宝なものである。口では何とでも言える。あの峰子ですら、心にもないことを言ったのだ。

 口では、娃子を「素直だ」と言いながら、目は、視線は時に鋭く刺し、時にいつまでもどこまでも追いかけ回すではないか。そして、心の中は…。


----人の不幸は、密の味。



 サークル事務所には、写真や映画サークルなどがひしめき合っているが、彼らは表面上にせよ、娃子に普通に接してくれ、サークル活動をしている人の中には、左翼寄りの人もいる。その関係で「民青みんせい」の人たちとも知り合った。

 民青とは、日本民主青年同盟のことである。その人たちの話は勉強になった。

 この世には持つ者と持たない者がいる。一握りの人間が抱えきれないほどの富を所有し、所有出来ない人間は努力が足りないからだと言う。彼らの財の大部分は労働者からの搾取ではないか。安い賃金で働かせて得た富なのだ。誰もが家やマンションを所有出来るような暮らしが、普通のことになるべきである。

 娃子もそうなればいいと思う。なのに、こんな人たちが、どうして危険思想として未だに毛嫌いされるのかわからない。

 やはり、一党独裁がいけないのだ。せめて、二大政党で互いにしのぎを削らせ合わせなければ、いい政治をやろうとはしない。そのために頑張っている。

 こういう目的意識を持って行動している人たちは男も女も、娃子を一人の人間として接してくれた。

 その中に、ものすごい美少年がいた。

 髪は天然の巻き毛、顔は西洋画の美少年そのもの。すぐにもモデルや芸能界入り出来る容姿の持ち主であるのに、彼の体制批判は鋭い。

 また、娃子より一つ上の、丸顔の飛び切り明るい女性がいた。彼女は後に市会議員になった。


 人は十人十色と言うが、組織や団体の大小に関わらず、往々にして、そこのボスの影響を受けてしまうものだ。絵の会には代表の「娃子嫌い」が少なからず影響している。


 そして、70年安保。

 陽子さんのムスメも大学ではコーラス部に入り、普通にキャンパスライフを送っているつもりだったのが、否応なしに安保闘争に巻き込まれてしまう。

 娃子も6月14日の安保のデモに参加した。


 この年、もう一つ忘れてならないのが、大阪万博である。

 



 

 









  

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