不安とともに 二

 昼食は用意されていたが、夕食は作らなくてはいけない。一組、夫婦で参加していた。その奥さんと、独身女性5名で食事作りをする。娃子以外は皆、女子大生。女が6人もいれば10数人の食事くらい、それほど苦でもないが、中にはロクに料理などしたことのない女子大生もいる。しかし、この奥さん、作るのが早いと言うより、要領のいい料理を作る。下ごしらえは娃子が手伝ったので、割とスムーズに作ることが出来たのはいいが、それからの二日間、男連中は何もせず、ゴロゴロ。たまに、茹でたジャガイモの皮を剥いたり、大根おろしを頼めば自分がやったから、うまいとか言ってくれる。そして、食事作りの指揮を取ってくれた奥さんの旦那が言った。


「これ、うちの奥さんが作ったんじゃない」


 その通りである。家でもよく食べさせられる一品だそうだ。

 別に、食べて飲んで騒ぐための合宿ではない。親睦を深めつつ、現地でテーマを決め、それを詩や散文にして批評し合うと言うのが 趣旨であるのに、女性ばかりが食事の支度や片付けに時間を取られる。

 文学青年を進歩的、革新的と思ってはいけない。彼らこそ、政治家並みに男尊女卑の思考の持ち主である。


「女は子宮でものを考える」

「女は子供から、すぐオバアチャンになる。大人の期間がない」


 うるせっ。そう言う、あんた達だって、女から生まれて来たではないか。だが、彼らにとって、ハハとは女ではない。元、女であってもハハとなったからには女ではない。

 この国の男は、すべからくマザコンである。ハハオヤに愛されようと愛されまいとマザコンである。愛されればハハオヤべったり。愛されなければ、余計にでもハハオヤの理想像を探し求める。だが、他人の女には容赦ない。

 女とは、バカな生き物でしかなく、男がいるから、この世は成り立っているとか平気でほざくくせに、作品内で女を卑下することはない。良き対象として書く。また、芥川賞受賞作品のこき下ろしも忘れない。これが、文学青年の実像である。

 そんな中に、色白で細身、黒縁メガネの大人しい大学生がいると思ったら、何と高校生だった。とても、高校生には見えない。それが、けん君だった。


 食事の後は飲み会となり、昼にそうめんを作ってくれた、この家の息子は何とシェーカーでカクテルを作った。彼の職業はバーテンダーではなくサラリーマンである。一時期、バイトでもしてたのだろうか。

 娃子もカクテルを少し飲んだが、別の男性が水割りを勧めて来れた。あまり飲めないからと言えば、薄いのを作ってあげるからと言う。そうではなくて、薄くても飲めない。また、あまりに薄い水割りは嫌いである。ウィスキーの琥珀色が好きであり、原液と水を交互に飲むが、それでもあまり飲めない。

 当時は、酒もたばこも10代のうちから覚えるのが普通だった。


「はあ、二十歳か。そろそろ、酒もたばこも止めるか。バカやったら、新聞に名前は出るし、少しは真面目になるか」


 と、少年は意気がったものだ。

 娃子も少しは酒が飲めるようになりたいと思っていたし、今も思っている。庄治が酒を飲むのは酒が好きもあるが、酔うことが好きなのだ。酔っている時は何もかも忘れ幸せなのだ。 

 だから、娃子も酔ってみたいと思った。ほんの一瞬でもいいから、心がほろっと酔ってみたいのに、まだまだ、その域には達してない。だが、酒は訓練すれば強くなると聞いた。それで、飲んでる、飲むようにしているが、体は酔ってもまだ心は酔わない。本当は体が酔うと言う状態も好きではない…。

 つまみにチーズがあったので、娃子は息子に海苔がないか聞いて見た。あると言って味付け海苔を持って来てくれた。そこで、分厚いチーズをスライスし、海苔を巻いて食べるよう勧めてみた。


「これ、うまいな」

「食べやすい」


 酒を飲まない健君も海苔巻きチーズを食べていた。何だかんだあったが、娃子には非日常の楽しい体験だった。

 

 いつでもそうだ。よその家で楽しく過ごして帰れば、我が家には暗くどんよりとした冷気が充満していた。今回は正男たちがいたが、それでも、やはりここは暗い。

 その夜は外で花火をした。花火を持たせ、娃子がマッチで火を点けようとすると、孝子は平気だが博美はそれを嫌がった。それなのに、火の点いた花火なら持つことが出来た。そして、娃子の帰宅を見すましたかのように、正男は一人帰って行く。


 翌日は、陽子さんに合宿のあれこれを話したが、ここは女同士、男への不満を言い合い、仕事が終わると絵の会に行ったが、そこで驚いた。


「ああ、ああ、ああ…」


 思わず、二人とも同じを発していた。

 何と、そこにいたのは、健君だった。昨日の今日で、それも街で偶然会ったとかではなく、まさか、ここで会おうとは…。

 元々が絵が好きで、この絵の会を知ったのだが、同人誌の方は高校の国語の女教師に付いて入会した。今回、女教師は合宿には参加しなかったが、まさか、絵と同人誌の両方で、娃子と一緒になろうとは思いもよらぬことだった。

 ちなみに、健君の通う高校は峰子の高校より一ランク下だが、ここも成績が良くなければ入れない。その後、健君を陽子さんに引き会わせたり、娃子も健君の高校の国語教師、信子先生とも親しくなった。信子先生は30半ばの美人の独身女性だった。

 何となく、気が合った娃子と健君だが、来年の卒業後は歯科技工士になるため、東京の学校に行き、さらに、夜は絵の勉強もすると言う。せっかく、仲良くなれたのに、ちょっと寂しい気もしたが、健君の未来のためであり、来年までまだ間がある。 

 ちなみに、絹枝も部分入れ歯を。それも、たくさん。歯医者に行けば、入れ歯を勧められ作るのだが、それを家に持って帰り再度口の中に入れて見る。


「わあぁ、いやじゃあ」


 と言って、別の歯医者に行き、またも入れ歯を作ってもらうが、どれもしっくりこない。絹枝は入れ歯も医者が作るものと思っている。


「あの医者、下手じゃ」


 と、歯医者の梯子をするので、引き出しの中には似たような入れ歯がいくつも投げ込まれている。入れ歯と言うものは、調整をしてもらいつつ、慣れて行くしかないのに、絹枝は最初から違和感なくピッタリと治まるものでなければ嫌なのだ。


「はあ、丸飲みじゃあ」


 只でさえ、絹枝は食べるのが早い。それが体にいい訳ないことくらいわかりそうなものだが、堪え性のない、辛抱などとは無縁の性格である。

 

 その絹枝は思案していた。去年の娃子は洋裁学校だったので、休ませて家で縫い物をさせながら、正男の子の面倒を見させておけばよかったが、今は働いているので、そう休ませる訳には行かない。しばらくは絹枝が二人のメイの面倒を見ていたが、何より、あの家のことが気になる。少しは片付いただろうか。そこで、ふと、ひらめいた。


「茂子の服、縫うちゃれえやぁ」


 今回は、娃子も連れて行き茂子の服を縫わせてやろうと思った。娃子は生地を買い、裁ち鋏を余り布で巻いて持って行った。


♪包丁一本、さらしに巻いて

 

 と言う歌があるが、洋裁には裁ち鋏である。

 秀子宅に着いた翌日、貝塚の病院へ行けば、博美は付いて来たが、出不精の孝子は留守番と言う名のゴロ寝を決め込む。

 電車を乗り継いで片道2時間の距離である。降りてからもそこそこ歩く。病院までの途中に小さな店があり、そこで、スイカを買う。

 例によって「持って来てほしいもの、寿司、おまん、くだもの」の面会要請ハガキのリストの一つ、果物を持って行く。


「いやあ、オバチャン。娃子ちゃんも、博美ちゃん」


 と、言ったのも束の間、早速にスイカにかぶりつく茂子だった。それにしても、また、太っていた。食べてゴロゴロしているだけの入院生活では太るのも当然であり、例によって風呂には入らない。何しろこの巨体、看護婦ではどうにもならないので、たまに男手で強制的に入れるそうだ。

 茂子の採寸と言っても、丈と腹回りを測るだけでいいが、そこは茂子も女。一応バストもヒップも測っておいたが、どこも大差ないドラム缶体型だった。

 翌日、娃子は仕立てにかかるがノースリーブのワンピースなので、簡単である。秀子のミシンは足踏み式であるが、これが軽い。こんな軽い足踏みミシンは初めてだった。そして、超巨大なワンピースが出来上がった。

 その間、絹枝は孝子に掃除のやり方を教えていたが、例によって仏頂面の孝子はしぶしぶ掃除の真似事をやっていた。


----このババとバケモン、早よ、帰れ !


 一方、いくらドケチな秀子と言えど、正男の子は言うに及ばず、茂子にまで服を縫ってくれたのだから、さすがに知らん顔は出来なかったようだ。

 茂子もその昔、花嫁修業の一環として洋裁学校へ通ったことがある。その頃縫った夏服と、振袖二枚を娃子にやることにした。秀子にすれば、大盤振舞である。振袖はともかく、こんな昔の夏服まで取って置いてたとはさすが、だけのことはある。洋服の型は古いが柄は今でも大丈夫である。帰宅して、紺色のレース生地と合わせ、当時流行りのサンドレスに仕立て直した。


 さて、肝心の茂子のワンピースであるが、翌月は則子と一緒に面会に行くことにした。その前に、ワンピースを則子に見せた。則子は着物の仕立てが出来、洋裁も簡単な子供服くらいは縫える。


「なあ、何ぼ何でも、茂子、こんなに大きいやろか」

「仮縫いは」

「してへん」


 則子はおかしかった。ちょっと洋裁が出来るからと言って、仮縫いもせずに縫うとは。いくら、茂子が太っているからと言って、大きければいいと言うものではない。

 まあ、これで、娃子のことを笑ってやれると、ほくそ笑みながら病院に行けば、確かに、茂子は太っていた。それにしても、ほどのことはないと鼻先で笑っていた。


「茂子。これ、着てみ」


 茂子にしても、新しい洋服は嬉しいものである。


「いやあ、ちょうど、ええわぁ」


 これには、秀子は言うに及ばず、則子も驚いたが、すぐに気分が悪くなった。娃子を笑ってやれるのを楽しみにしていたのに当てが外れた…。

 

 娃子は次に秀子宅にやって来た時、この話を聞いた。


「そやけど、茂子があない大きかったとはなあ」


 あのドラム缶を包むには、あれくらいの布がなのだ。



 そして、8月末、満子から連絡があった。何と、美子が結婚するのでその祝いをしようと言って来た。美子の結婚の話は知っていたが、サークル内の誰もが白けていた。


「本当にするんかあ」


 何しろ、2年の間に3回見合いをし、その3回とも結婚を公言したのだ。娃子に限らず、その内、またも「やーめた」とか言い出すのではと思っていた。だが、今回は本当にするらしい。だからと言って、峰子の事では散々悪者にされた、娃子にとっては、美子の結婚などどうでもいいことだった。


「私の本当の親友は、中学からの友達と、峰子さんだけよ」


 と、満子に面と向かって言い放ったことがあると言う。満子とて、別に美子の親友を気取るつもりはないが、付け足し扱いされたと、その時は怒っていたではないか。もう、忘れてしまったのか…。

 この二人の間にも色々とあった。2年ほど前のことだが、美子をダブルのドライブデートに誘った時、美子は男性の一人を好きになった。


「もう、昼ご飯も食べんのよ」


 その一日、満子はすごく気を使ったと言う。だが、週明けに洋裁学校で顔を合わせば、誘ってくれてありがとうもなく、好きになった男性の話もしない。そればかりか、洋裁道具を置いたまま、他の女子数人と外出してしまった。娃子もこの時は驚いたし、院長先生も嫌な顔をしていたが、その前に、そんなことがあったとは、聞いて二度びっくりしたものだ。


 満子は、娃子に対する美子の所業のすべてを知っているわけでもなく、一緒に祝いの品を持って行こうと言う。これまた、娃子も強くは言えない性格であり、仕方なく満子と一緒に美子の家に行った。どうやら、今回は本当に結婚するらしい。


「アイスクリームがえええ、コーヒーがえええ、お茶がえええ」


 まだ、暑い夏の日だった。せっかく美子が言ってくれたので、娃子はアイスクリームと答えた。美子は台所へ引っ込み、しばらくして盆にホットコーヒーを載せて持って来た。そして、何事もなかったかのように、娃子と満子の前にコーヒーを置いた。アイスクリームがあると思ったけど、なかったとも言わない。もう、娃子は何も言わずにコーヒーを半分ほど飲んだ。

 その後、お返しと例の結婚報告ハガキが届いたが「旧姓」が「旧生」になっていた。

 その後の美子だが、当時、詩のサークルの会計をやっていた娃子が気が付いた。何と、美子はサークルを辞めてなかった。結婚してからは当然のように顔を出さなくなったが、まだ、籍はあり、会費の滞納額がすごいことになっていた。

 美子の家の近くにサークル会員の女子がいた。娃子は彼女に頼んで美子の家に行ってもらうことにした。結局、つわりがきついとかの話だけで、美子は会費をそのまま踏み倒した。

 その後の美子だが、子供は無事生まれたが、後に離婚したと聞いた。ちなみに、文子はその後も結婚しないままである。


 そして、秋の気配が感じられる頃、長く休んでいた人が復帰してきた。



















 

 

 







 

















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