第五章

忠実なる忘却 一

 色の黒い女は、意地が悪い。

 色の白い女は、身贔屓みびいきである。


 色が黒いのは、秀子、則子、嘉子、博美、妙子、牧子、マセ子、元ポン菓子屋の三姉妹、

 色が白いのは、絹枝、娃子、茂子、孝子、三千代、涼子、満子…。白子しろこ。 


 特筆すべきは絹枝である。生まれた時「この子は絹のような肌をしている」ところから、絹枝と名付けられたのだが、絹と言うより、朝日を浴びた白雪である。

 信じられないかもしれないが、肌に光る分子が散りばめられているのだ。本当に肌が光っている。

 いかなる美人女優であろうとも、こんなきれいな肌の人はいない。もし、いたとすれば、いや、絹枝が女優にでもなっていれば、その肌の美しさで話題になっていたことだろう。


「日本一の美肌」

「輝く肌の持ち主」


 これが化粧水一つ付けるでなく、洗濯石鹸で顔を洗い、年中陽の下で働き、夏には汗疹が出来たり、首の周りが陽に焼けて赤くなったりするが、秋になるといつの間か元の白さに戻っている。

 今は年相応に大きなしわはあるが、小皺はない。ちりめん皴などは無縁である。ある時、あまり汗をかいたので着替えるべく仕事着を脱いだ時、若い作業員がため息を漏らした。


「何と、オバサンの肌はきれいなのう…」


 本当に、光る肌の持ち主である。

 その対極にいるのが、白子である。絹枝の光る肌に対して、こちらは透き通るような肌をしている。その白さから、白子さんと呼ばれていた。

 この白子とは、小学三四年生と中学二年の時、同じクラスだった。これがまた、絵に描いた様な優等生である。成績は峰子よりも良く、ずっと学級委員だった。

 いつも微笑みを絶やさず、決して人の悪口など言わない、非の打ちどころのない少女だった。彼女のことを悪く言う者など、誰もいない。

 まさに、白子は、君子くんしだった。 

 そう、決して、娃子と言う「危うき」には近寄らない君子だった。それも、露骨に避ける訳ではなく、さりげなく、さりげない。

 それでも、小学生の時は離れた所から、娃子をじっと見ていたことがあったが、中学になると即、触らぬ神に祟りなしと避けているのだが、誰一人として、それに気づいた者はいない。

 自分は、娃子に触ってない。触ってないからいい。触らなければいい。

 きっと、娃子にも、いい人と思われているに違いない。なぜなら、娃子をいじめたりしたことはないから…。

 学級委員の白子が唯一、その名を呼ばなかった女子は、娃子だけである。

 そう、自分の評価を落とさないためなら、何でもやる、色白女…。

 結婚するなら、白い女の方がいい。ただ、この色白女。一つ間違えば、残酷なことも平気でやってのける。何しろ、自分が一番なのだから。

 誰でも、自分が一番かわいいではない。常に自分が、自分の評価が一番なのだ。

 だが、白子よ、忘れるな。この国広しと言えど、お前に悪感情を持っている「ゲス女」がいることを…。


 また、白いとも黒いとも言えない女もいる。

 峰子である。 



 娃子の洋裁学校生活も3年目に入った。本科生も二階に上がって来れば辞める者もいる。 


「洋裁学校なんて、2年で十分よ」


 と、美子は辞めて行ったが、娃子と満子は笑いながらそれを聞いていた。確かに、2年通えば一通りなる。

 四月も終わりに近づいた頃、満子が「実は…」と話し始めた。

 何と、満子はこの四月から、夜間部の講師になったと言う。彼女の様な講師は他にも数人いる。現に、自分も縫いながら指導もしている講師もいた。とは言っても満子の場合、今はまだ、院長先生のアシスタント。ちょうど今、夜間部の講師のなり手がなく、やむを得ず院長先生が受け持つことになったのだが、彼女にも家庭と子供があり、家がすぐ近くとは言え、付きっ切りと言う訳にも行かず、そこで、満子に白羽の矢が立ったと言う訳だ。

 そうなんだ、良かったねと言いつつ、同じくその話を聞いていた叶子かなこの顔が引きつったのを、娃子は見逃さなかった。

 この叶子とは牧子の高校の同級生である。叶子も色が黒い。そして、その意地悪さは、娃子にだけ発揮される。いつも、じろりと娃子の顔を見る。娃子が絹枝の通院で学校をしばらく休んだことがあった。久しぶりに学校へ行けば、ニタニタ笑いで近づいてきた。


「まあ、どうしてたの」


 オヤの通院の付き添いだったと言った。


「まあ、うふふ、永久就職したのかと思った」


 永久就職とは結婚のことである。


----あんたには縁のないことだけど、聞いてあげたのよ。


 本当はもっと言ってやりたいけど、あまり露骨にやると周囲にバレてしまう。そこで、叶子は次の一手を思いつく。

 料理人には包丁が、洋裁師には裁ち鋏が大事である。その裁ち鋏で紙を切ってはいけないとされている。ある時、叶子が娃子の裁ち鋏で製図紙を切っていた。


「あっ、ごめんねごめんね」


 と、うっかり使ってしまった態で、叶子は明るく言い、すぐに体を反転させた。その時、娃子は院長先生と目が合った。


----わかってるよ。


 と、その目は言っていた。叶子の振り向きざまの、してやったりの笑いを院長先生に見られていたのだ。この距離では会話の内容はわからないにしても、娃子に顔を背けた途端、嬉しくて、つい、底意地の悪い笑いが出たのを見られてしまった。

 これは確信犯である。おそらく、これまでにも娃子の目を盗みつつ、紙を切る時には、娃子の鋏を使っていたことだろう。見つかれば「ごめんね」と言えばいい。ごめんねの安売りならいくらでもしてやる。特に、娃子にならば。

 叶子は県立の女子高の被服科卒である。それに引き換え、満子は女子が滑り止めに受ける私立の女子高卒であり、また、この学校の正規の生徒ではなく、中途入学ではないか。それなのに、自分を差し置いてアシスタントとは言え、講師とは…。

 娃子に対する嬉し笑いを、院長先生に見られていたとは知らない叶子のプライドは、大きく傷ついたことだろう。

 次の日から、叶子は学校に来なくなった。


 二階の教室には小部屋がある。そこには黒板もあり、少人数の講義が出来るようになっていた。そこにも数人の生徒がいた。それが、四月初めには人の出入りもあったのに、ここのところ、空き部屋になっていた。


「あそこ、行こうか」


 満子が言えば、娃子の他にも数人が移動し、最初の内は和気あいあいの感じだったが慣れてくると、娃子に何か言ってやりたい女がここにも湧いて来た。いや、最初からそのつもりでくっ付いていたのかもしれない。もう、言ってやらずにはおれない。それでも、満子がその緩衝材の役割を果たしてくれていた。


 そんなある日、庄治の知り合いの男が家にやって来た。娃子は初対面だったが、その男は娃子が洋裁学校に通っていることも知っていた。それは庄治から聞いたのだろうと思ったが、何と、娃子の通学路の商店街にある洋裁店の店主だった。それも、洋裁材料を買う店の隣だった。隣に洋裁店があることは知っていたが、まさか、その店の店主とは…。

 それにしても、しゃべり好きの庄治がどうして今までこの店主の話をしなかったのか、また、どういう知り合いなのかもよくわからないままに、娃子はこの洋裁店で働くことになった。

 絹枝はこの話を喜んだ。この人が酒を飲まないので、娃子に近くの和菓子屋に土産用の菓子を買いに行かせるなど歓待した。

 そして、娃子のお針子仕事の始まりとなるのだが、そこで、プロと洋裁学校の違いをまざまざと見せられることとなった。だが、娃子の他にも同じような生徒はいた。商店街にもう一軒洋裁店があった。その店で三人が働くことになった。仕事は主に、切り仕付けや仮縫いのための作業だったが、そこの店主が一日にスカートを4枚縫うのには驚いたと言っていた。

 娃子はすぐにスカートを縫わせてもらったが、アイロンが普通の家庭用ではなく重いものだった。温度調節は太いコンセントの抜き差しでやる。だが、慣れてくるとこの重いアイロンの方がきっちり仕上がる。また、この店主も足が悪い。

 

 そして、娃子が洋裁店で働き始めてひと月あまり、忘れもしない、十月一日月曜日。駅で、文子と会った。早速に峰子のことを聞いて見た。文子は「えっ」と言う顔をして、とんでもないことを言った。

 娃子は黙ってその場を去り、バスに乗った。その夜、銭湯へ行く道の公衆電話から、満子に電話した。今は夜間部の休憩時間である。娃子は思いの丈をぶちまけ、満子の休憩時間をつぶしてしまった。最後に嫌な話ばかり聞かせてごめんねと謝った。


 峰子が結婚すると言う噂は聞いていた。正直、その時は半信半疑だったが、五月のある夜、サークルからの帰りのバスで偶然峰子と一緒になった。バスの席は縦列に並んでいる。娃子は峰子の前の席に座った。この際だからと峰子に結婚のことを聞いて見た。


「まあ、そんなあ…」


 と、笑いながら言った。それだけだった。その時は、では、あれは単なる噂だったのかと思ってしまった。そして、峰子は心にもないことを言った。


「遊びにおいでえやあ」


 まさか、これが、峰子の最後の言葉になろうとは…。

 それも、こんな心にもない言葉を投げかけるとは…。

 

 その後、満子から峰子の結婚の話を聞いた。それでもあの時、峰子はまあ、そんなぁと言っただけだった。では、この言葉をどう受け取ればよかったのか。明言しなかったので、単なる噂だと思ってしまった。そこまで、深読みしろ、察しろと言うことだったのか…。

 また、どうして、満子が峰子の結婚のことを知っているのかと言えば、美子とは今も付き合いがあり、たまに洋裁学校にやって来る。その時に聞いたと言った。編み物の得意な美子がお祝いに何か編んであげると言えば、峰子はテーブルセンターがいいと言ったそうだ。

 峰子の転職は成功した。わずかの間にそこそこの男を見つけたようだが、この時は、へえ、そうなんだと思ったに過ぎない。やはり、峰子も言いにくかったのだろうと思った。

 改めて、娃子も峰子とのこれまでを思い返していた。色々あったが、それでも友として過ごした時もあった。本来なら、服を縫ってくれと言って来る筈だがそれもない。それでも、今までの事もあるし、エプロンでも縫って届けてやろうと思った。

 幸いにも、文子と会ったので峰子の結婚のことを聞いて見た。 


「昨日じゃった」


 昨日…。

 では、娃子がどんなエプロンを作ろうか考えていた頃、峰子は嬉し恥ずかしの結婚式の最中だったと言うのか。

 娃子は黙ってその場を去った。もし、何も知らずに娃子がエプロンを縫って、峰子の家(実家)へ届けに行き、そこで、既に結婚した後だと知った時、そのエプロンをどうしただろうか。実家には子育て真っ最中の兄嫁がいる。数年前、家を新築し兄夫婦も同居していた。

 いくら何でも、連絡くらいあるだろうと思っていた。まさか、娃子に知られると邪魔でもされると思ったのか。いや、美子が思った以上の働きをしてくれたお陰で、すっかり悲劇のヒロイン気取りになったと言うのか。だからと言って、こんな後ろ足で泥水かける様な事をしなくてもいいではないかと思わずにはいられなかった。

 俗に、立つ鳥跡を濁さずと言うが、この立つ鳥とは渡り鳥の事である。渡り鳥は飛ぶためには体を軽くしなければならない。余分な羽根を落としフンもする。なので、実際の渡り鳥が飛び去った後は汚いのだ。

 立つ鳥跡を濁さずとは、飛んで去る鳥の様子が語源である。水鳥は一定期間ある水辺に住みついたあと、別の場所へと飛び去る。その時の水辺が、草花や餌のごみなどがなく、よどみのない水の状態に保たれていることからこのことわざが誕生した訳だが、この水鳥とは白鳥や鴨などの渡り鳥ではなく、さぎのことである。

 安土桃山時代のことわざ集「北条氏直時分諺留ほうじょううじなおじぶんなおことわざどめ」に「鷺は立ちての跡濁さぬ」とある。しかしその後の江戸時代のことわざ集では「立つ鳥跡を濁さず」と書かれるようになり、いつの間にかこちらが主流となり、すべての鳥がきれいに飛び立つと勘違いされたようだ。

 峰子は、鷺ではなく、渡り鳥だった。


 どうやら、娃子は何事においても平穏とは無縁のようだ。このまま、この店で働いていれば少なくとも、職業洋裁師としての人生を歩んだことだろう。

 しばらくして、店主のチチが亡くなった。実家でリョウシンと妻と暮らし、妻がチチの介護をしていた。娃子も葬儀に参列した。そして、持ち上がったのが、相続問題。店主には二人のイモウトがいた。

 よその家の話である。何がどのようになったかは知らないが、何と、店主は実家を売り払い、店もたたみ、生まれた地を去ることになった。それにしても、自分たちの生まれた実家にハハもまだ健在だと言うのに、家を売らせたイモウトたちの思惑とは何だったのだろう…。


 娃子は洋裁学校へ戻ることとなった。そこで、またも、パシリ屋美子がやって来た話を聞く。

 何と、峰子から娃子に連絡を取ってくれと頼まれ、それでやって来たと言う。文子から、娃子と駅で会った話を聞き、さすがにこのままではヤバイと思ったのだろう、そこで、都合のいいパシリ屋の美子に猫なで声で言い付けた。

 峰子から、分高卒をバカにされているとも知らない美子は即、洋裁学校へとやって来た。友達思いのふりをして満子に、娃子との橋渡しを頼むのだった。


「ダメだと思うよ。手紙出してみんさい。それしかないよ」


 そして、またもパシる美子だった。


 しばらくして、峰子からの手紙が来た。  























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