管切り 五

----やれ、嬉しやのう。


 絹枝は笑いが止まらない。これで邪魔者がいなくなった。いや、他人がいなくなった。

 絹枝の願いが叶った。一つ屋根の下に他人がいない。こんな嬉しいことがあるだろうか。これからは、秀子宅に来れば、いつでも正男に会える。かわいい博美もいる。だが、喜んでばかりはいられない。言うべきことは言ってやらねば。


「そしたら、何かぁ。ヨメもらう時も、正男呼び寄せる時にも一言も相談もせんと決めたくせに、別れる時だけ、わし呼ぶんじゃのう」

「そら、まあ…。そやけど、向こうは男二人付いてて、こっちは私だけやから。そら、男の方が何かとオシも強いし、しゃあないやないか。お前かて一人で裁判やれるかぁ」


 確かに、今度の事では秀子は分が悪い。だが、ここは何とか絹枝を丸め込まなくては、何と言っても自分はアネなのだ。


「よう、あんな不細工もろうたわ」

「顔の事は言えるかいな。お互いや」

「正男は、そんな悪い顔しとらん ! 」


 秀子はまたも呆れるしかない。一体、どこの誰が、お世辞にも正男がいい顔立ちの男だと言うのだ。


----お前の目は、明後日の方に付いてんか!!


「それだけじゃないぞ。チンバじゃないか」

「そら、私も義理があったさかい」

「おお、そんなら、自分の義理のためにオトウトを犠牲にするんか」

「そやけど、最後にもらうて言うたんは正男やからな。嫌やったら、断ったらええやないか」


 当時の正男は秀子宅に居候していた。

 秀子も男尊女卑の思想の染みついた明治の女である。いくら、この家が自分名義であり、恒男の身内を幾人も居候させて来たとは言え、美容院経営も夫の反対を押し切って始めたと言う負い目もあり、やはり、男には強く言えなかった。

 さらに、肝心の正男が煮えたとも煮えないともわからない、すべてにおいてどっちつかずの男である。


「飼い殺しや」


 本当に、このままでは飼い殺しになってしまう。それほどに何も考えず漫然と過ごしているだけの正男だった。もう、一日も早く追い出したい。そんな頃に持ち込まれた正男の縁談だった。秀子はその話に飛び付いた。もう、相手はどんな女でも構わない。そして、正男にこの結婚を承諾するよう仕向ける。

 正男にも恒男から疎まれ、肩身の狭い居候生活から抜け出したいと言う気持ちがあり、また、結婚して所帯を構えなければ男でも一人前扱いされないと言う、結婚がすべての世の中だった。

 結婚が決まった時、嘉子の身内の世話で今の勤め先に潜り込むことが出来た。その後、会社は急成長し、大企業へと発展して行く。お陰で末端の工場作業員に過ぎない正男でも、堂々と社名を名乗られた。


 時は流れ、正夫と嘉子は15年間の結婚生活にピリオドを打つことになった。そのことが嬉しくてたまらない、絹枝の鼻息は荒い。今まで、ハネにされてきた恨みもある。


「今度、正男にヨメもらう時は、わしに相談せえよ。あんなロクでもないヨメもらやあがって」

「心配せんかて、ヨメの来てなんかあるかいな」

「わかるかいっ」

 

 すぐに、義男が正男の「縁談」を持って来た。


「近所に四十の行かず後家がおるんで、話、しちゃろうかあ」

「いや、ええ」


 義男の世話料目的の縁談であることくらい、正男にもわかる。また、義男が持って来た話と言うだけで気に入らない絹枝は、とんでも理論を展開する。


「そんな奴は、物取ろうじゃ」


 物と言って、正男が何を持っていると言うのか。


「この家と土地があるじゃないか」


 それは秀子のものである。正男のものと言えば、それこそ、の様な上物だけではないか。


「悪賢い女なら、それくらいするわぁ」


 娃子はもう、言葉がない…。

 義男は簡単に、四十の行かず後家と言うが、その人がどうして四十まで結婚しなかったのか知らないけど、そんな女性が、鼻毛の伸びた薄汚い最早初老男の、さらに、難しいコブ三つと、土気色の獅子舞いのようなコジュウトメまでついている所へなど、誰がやって来るものか。

 秀子はこの界隈では有名人である。美容院を経営していただけではない。次から次へと揉め事ばかりの家であることを知らぬ者はいない。いつも、噂話の中心人物ではないか。そんなところへ、来る者などいない !

 

 それにしても、嘉子にとって、この15年間は何だったのだろう…。

 男は仕事、女は家庭で子育てをするのが当然とされ、女にとって、働くことは結婚までの腰掛け。結婚すれば、それまでの俗世間とはすっぱり縁を切り、夫と子供のために生きるのが女のしあわせと、誰もが信じて疑わなかった時代である。

 嘉子はその通り、ずっと専業主婦で子育てをして来た。なのに、子供の一人も引き取りもせず、離婚した。一番下の博美はまだ幼稚園である。

 結婚において、足や手に障害のある相手と言うのはどうしても敬遠されてしまう。せめて、五体満足と言うのが、この国の「基準」であり、その上、不器量ともなれば、年頃になっても見合い話もなかった。だが、それは嘉子の性格にも起因していた。気に入らなければ、近所の人に挨拶もしない。一度、へそを曲げればずっとそのまま…。

 あの性格では、迂闊に話も持って行けない。そうこうしているうちに、嘉子は二十五歳になってしまう。もう、完全な行き遅れである。さすがに何とかしなければと、オヤキョウダイは奔走する。そんな時、白羽の矢が立てられたのが正男だった。大人しいだけのパっとしない男であったが、もう、そんなことは言ってられない。

 ちなみに、白羽の矢が立つと言うのは、元は人身御供として選ばれた家に白羽の矢が立てられたと言う伝承から、昔は犠牲者の意味だったのが、現代では選ばれる、抜擢されるいい意味として使われている。


 だが、娃子には嘉子と言う女もよくわからない。第一、二十五歳迄何をして来たのだろう。また、オヤは足の悪いムスメに洋裁など手に職をつけてやろうとは思わなかったのだろうか。足が悪くてもミシンを使える人はいる。それでも、足の具合によっては使いにくかったかもしれないが、ミシンが無理なら、和裁、編み物もある。また、花嫁修業として、ハハオヤはムスメに料理を教えなかったのだろうか。

 そんな娘も何とか結婚し子供も生まれ、まさに一件落着と言ったところだが、そして、降って沸いた様な秀子との「同居」話。これまた、オヤはどうして反対しなかったのだろう。例え、秀子が好人物であったとしても、毎日顔を突き合わせていれば、そこには何らかの軋轢が生じるものである。そんな話は世間に掃いて捨てるほどある。オヤならば反対すべきではなかっただろうか。

 案の定、嘉子はふくれっ面で実家に帰って来る。また、その時に子供の一人も連れてない、孫の事が気にならないソボもいるのだ。

 そして、無意味な話し合いの後、裁判までの三ヶ月ほどの間、ハハムスメアニは何を話し合ったのだろう。本当に、それだけ離れていても、誰一人として、嘉子の子供たちのことを気に掛けることもなく、また、裁判であっさりと親権を手放してしまうとは…。

 娃子には、嘉子とその家族の気持ちもよくわからない。

 とにかく、正男と嘉子の離婚は成立した。

 遅かれ早かれ、この事態は免れなかったかもしれないが、またも「不幸」のきっかけは、娃子だった。


 離婚後、四人の男が嘉子の荷物を取りに来た。その時、長持ちは無論の事、15年間使わず仕舞いだった婚礼布団も正男は渡したと言う。

 その話を聞いた時は、またも呆れるしかなかった。では、三人の子供の布団はどこでどうやって調達したのだろう。もし、離婚しなかった場合、ひょっとして、この布団は孝子の嫁入り布団になったかもしれない。いや、今夜から、嘉子はその布団で寝るのだろうか。はたまた、使わないから売る?


 そして、すぐに秀子は音を上げた。


「ああ、嘉子、戻さなよかった」


 三人の子供の世話が秀子にすべてかかって来た。食事だけでも大変なのだ。


「嘉子なあ、孝子の給食費二か月分払ろてなかった」


 さらに、問題は、この孝子である。博美は秀子が話しかければ、少しずつ口を利くようになっていた。博美は孝子のように、誰とも口を利きたくないわけではなく、アネの孝子がだんまりを決め込み、ハハの嘉子はいつも不平不満ばかり言っていた。そんな状況で、うっかり何か喋れば怒られそうな気がして黙っていただけである。そして、秀子は孝子に声を張り上げる。


「孝子!お前、何でもの言わへんのや!」


 それでも、孝子は黙っている。


「孝子!どないやねん!」


 孝子は平気な顔をしている。


----ふん、こんくらいのことで、誰がもの言うたるか!


「ようしっ ! 」


 立ち上がった秀子は、お得意の箒を振りかざすが、それでも孝子は黙ったままだ。そして、次の瞬間、秀子は孝子の頭めがけて箒を振り下ろし、続けざまに箒で叩きながら叫ぶ。


「おのれ ! これでも言わんのか ! まだ、言わんのんか ! 」


 秀子は孝子がものを言うようになるまで、叩くのをやめる気はない。

 びっくりしたのは孝子である。今まで、誰に叩かれたことも怒鳴られたこともなかった。子供の頃から病弱で、オヤたちはそれこそ腫れ物に触るように接していた。叩かれたこともショックだが、それは一発では終わらなかった。


「これでもか ! 」


 と、思いっきり叩けば、孝子は泣き出した。


「泣いたって、わかるかいな ! 」

「……」

「どないやねん ! 」

「言う、言います」

「ほんまやな ぁ! 」

「うん、はい。言います」

「もし、また言わんようになったら、そん時は、裸で放りだしてやるさかい。よう、覚えときやぁ !」


 ついに、孝子はギブアップした。もっとも、後にその経緯を知った、娃子は情けなぁと思った。あれ程、ふてくされた態度で大人を舐めきっていたくせに、ちょっと叩かれたくらいで「口を割る」とは。

 そんな、根性無しだったとは…。

 小学校の六年間、一度として口を利くことなく、表情一つ変えなかったあの口無し女子とは雲泥の差である。

 孝子がものを言わないことを、絹枝が正男に尋ねたことがある。


「何で、タカヨはああしてものを言わんのんない」

「もの言わんように、さしてしまうんや」


 正男は秀子と嘉子が孝子をそのようにしてしまったとばかりに言うが、孝子がものを言わないのは、この家に来る前からである。ならば、正男にもその責任がないとは言えないのに、決して、自分を悪者にしない正男の辞書に、反省と言う言葉はないが、責任転嫁と言う言葉は大きく鎮座している。

 思えば、正男と嘉子もすべてが成り行き任せに生きて来たのだ。結婚はした方がいい。秀子との同居もそういう話があったから。離婚もそのようになってしまったから…。


 だが、絹枝のは収まらない。とにかく、嘉子の悪口を誰の前でも言いまくる。


「この子らの前で、ハハオヤの悪口言うたりなや」


 さすがに、則子は言った。


「あんな風になるな言うて、教えちゃりょうんじゃ」


 秀子と則子は、世間の絹枝のハハオヤとしての評価に、常々疑問を持っていた。娃子にあれこれしてやったのはわかるにしても、則子や義男に対する底意地の悪さ。気に入らない者は、徹底して悪く言う。そして、秀子も言った。


「あれは、今に大変なことになるで」

「大変なことて」

「あのなぁ、則ちゃんは知らんかもしれんけど、絹枝なあ、よう娃子をいちびってるよってな」

「それで」

「あれでは今に、娃子が怒り出すわ。まあ、すごいやろなぁ…」


 秀子は、そのとばっちりが義男と則子にもあることを匂わした。則子はムッとした。その鋭い目つきに「しまった」と思った。ここは絹枝の悪口で盛り上がるつもりだったのに、つい、口を滑らせてしまった。


「まあ、そん時は、私がしたるよって」


 と、慌ててフォローに回る。則子は誰よりも気が強い。ここで、怒らせるとロクなことはない。金のかかるパシリであるが、まだ、失う訳には行かない。



 博美は来年から小学生である。ここで、絹枝は奮起する。ランドセルを買ってやることにした。


「一番ええのをうちゃったけんの」


 と、得意満面で話すが、上の二人の時には何も買ってやってないではないか。絹枝にして見れば、あの時はあの時、今は今のつもりだろうが、智男と孝子はいい気はしてない筈だ。特に欲の深い孝子は、決して忘れないだろう。

 


 その後、娃子と絹枝は、秀子正男宅で、衝撃の光景を目の当たりにする。

 

「わあ…」


 これは…。














 















 


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