管切り 二

 正男一家が引っ越してきて、せっかくやったミシンを嘉子が売ってしまったことには腹が立ったが、その夜は一緒に秀子宅で食事をした。

 ところが、それからも三食は無論のこと、常に入り浸り状態。自分たちの住居部分に戻って行くのは風呂と寝る時だけ。さらに、この嘉子、タンス、押し入れ、その他の引き出しでも勝手に開ける。

 そんなある日、嘉子が言った。


「オネエサン、お米、ありませんのやけど」

----やっと、気ぃ付いたか。

「嘉子さん。うちはうちで食べるさかい、あんたとこはあんたとこで食べなさい」


 嘉子はムッとして、思わず秀子を睨む。


----話が、違う。


 嘉子も秀子の側で暮らしたくなかった。


「アネが死んだら、あそこはわしのもんやないか」


 と、正男に説得されてやって来たわけだが、越して来た日に一緒に食事をしたので、嘉子は自由にやっていいのだと思った。秀子の住まいと合わせれば、広くて快適だった。

 だが、秀子にしてみればたまったものではない。五人分もの食費を負担させられ、嘉子が買うものと言えば、子供の菓子くらい。また、自宅の掃除や洗濯はこまめにするが、料理はお世辞にもうまいとは言えない。

 ジャガイモの皮は厚く剥き、切るのも遅い。まだ、娃子の方が、いや、娃子はやることが早い。野菜もきれいに刻む。では、絹枝はと言えば、嘉子ほどではないが、決して早くはない。また、野菜がうまく刻めないので、それは娃子にやらせている。それでも、娃子が何でもこなせるのは、自分が教えて来たからだと自慢したものだ。

 それから、嘉子は態度を変えた。もう、自分が家に籠るだけでなく、子供も正男も秀子宅へ行くことを嫌った。だが、夜になると、秀子は正男を呼ぶ。

 呼ばれると飼い犬の様に出て行く正男が腹立たしいやら、情けないやらで、嘉子は枕を正男に押し付ける。


----それ持って、向こうで寝てきぃ!


 その話を聞いた絹枝がとんでもない邪推をする。


「なんぼ何でも、アネと正男がそんなことたぁせんわ」


 嘉子とて、別にアネと夫の近親相姦を疑っている訳ではない。秀子が正男を呼びつけるのは、あんまをして欲しいからである。だからと言って、毎晩のように呼び付けられたのではたまったものではない。また、それに、ホイホイと出て行く正男の不甲斐なさ。

 秀子と違い、元が社交的でない嘉子はさらに意固地になり、近所の人とも、あまり話をしなくなった。

 そして「事件」は起きた。

 

「何してんや!!」


 嘉子が庭の花を折ろうとした時だった。


「ちょっと、花瓶に生けようかな思うて」


 嘉子に対する日頃の不満は溜まる一方なのに、さらに、大事に育てた花を折るとは、花も秀子の財産であり、到底許せるものではない。その時、秀子は竹箒を持っていた。庭の周囲を掃除するつもりでやってくれば、何と、嘉子が花を折っているではないか。


----おのれ ! ようもようも、大事な花をぉ。


 思わず持っていた竹箒を振り上げ、嘉子を何度か叩いた。気付いた妙子が止めに入り、それで治まったが、嘉子の手はみみずばれの様になっていた。


「よう、警察に言わんかったことよ」


 その話を聞いた絹枝は言った。その通りである。嘉子が警察に訴えていれば…。


「のっ、口で言うのはなんぼ言うてもええ。罪にゃならん。手ぇ掛けたら罪になるんじゃ」 


 と、日頃から言っていた絹枝だが、加害者が実のアネとなると、歯切れは悪い。


 そして、嘉子は黙って家を出て行った。おそらく、実家へ帰ったのだろう。だが、しばらくして、妙子は慌てた。

 もうすぐ、博美が幼稚園から戻って来る。行き帰りの集合場所は駅の前である。迎えに行ってやらねば。

 孝子も学校から帰って来た。だが、ハハオヤがいないと知っても、この二人、うんともすんとも言わない。長男の智男もさっさと二階へ上がってしまう。 

 この三人の子供には全く会話がない。智男は男の子であり、中学生だから、そんなものかもしれないが、姉妹同士でも会話はない。会話しないまま遊ぶのだ。それでも、博美は話しかければ笑顔を見せるが、孝子はいつもムスッとしている。

 妙子もいつまでも子供たちに付き添っているわけにも行かず、また、秀子がいるので、自宅へ帰った。

 夜、暗くなってから、正男が帰って来た。そして、嘉子がいないことを知り、秀子のところへ行く。


「何、食べさせよ」


 今夜の夕食のことを言っているのだ。秀子も今夜は何も作る気にならず、茶漬けで済ませそうと思っていた。


「何て、金あるやろ。何か買うて来たらええやないか」

「金、無い」

「無いて、よう探してみんかいな」

「どこ、探してもないんや。みんな持って行ったようや」

「子供置きっぱなしで、金もみんな持ってたんかいな。はぁあ」

 

 ご飯はあると言うので、仕方なく秀子はとっておきの鶏肉を冷凍庫から出し、ぬるま湯で戻し野菜と炒めたのを出した。食べ終わると、正男、智男、孝子はそのまま黙って立ち去ったが、博美だけは久しぶりの秀子の部屋をうろうろしていた。


「博美、おいしかったか」


 博美はにっこりと頷いた。あの正男と嘉子から、よくもこんな子が生まれたものだと思うくらい、博美はかわいい顔立ちをしている。博美もしゃべらないが、笑顔で体をくねらせたりとしぐさもかわいい。そんなところも秀子は博美は自分に似たのだと思っている。

 博美になら、取って置きの菓子でも出してやろうかと思った時、正男が呼びに来た。


「早よ、寝な」


 博美は面白くなさそうに帰って行く。秀子には洗い物が残っていた。

 翌朝、電車が混むのを嫌う正男の出勤時間は早い。智男が昼のパン代がないと言うので小銭を渡し、博美には幼稚園を休ませた。

 昼過ぎに嘉子は帰って来た。


「どないしたん、幼稚園行かんかったん」

----行かしてくれたらええのに。


 と、博美の手を引いて自宅へ入れば、それっきり。


----何や、黙って出てったくせに、挨拶もないんか。こっちは、えらい物入りやったわ。


 その後も、嘉子はちょっと気に入らないことがあれば、すぐに実家へ帰ったが、一度として、誰一人子供を連れて行ったことはない。そのくせ、金はすべて持って行く。

 

 絹枝も最初は秀子と正男一家の「同居」を喜んだ。これからは大阪に来れば、いつでも正男に会える。だが、不安もあった。


「それで、ここは登記つけてもろたんか」

「いいや」

「何で、お前はわしに相談せんのんない。いつでもそうじゃろうが。相談したら、ちゃんとしてやったのに」


 正男は黙ったままだ。また、嘉子がこの家を出たがってると聞けば、ここぞとばかりに引き留めに掛かる。


「あんた、ここを出てどこ行くんね。また、どこか借りるつもりかもしれんけど、そしたら、家賃はいる、風呂代もいるで。子供三人もおって、いくら金があっても足りゃあせんわ」

「そやけど…」

「あんたが犠牲になっとりゃええんよ。わしら見んさい、どれだけ娃子の犠牲になって来た思うとんね。わしらに比べりゃあ、あんたなんか、ええもんよ。正男は酒も飲まんしパチンコもせんじゃろう。そのどこに文句があるんね」

「そやからな、アネとは適当に付きおうとったらええんや」

「お前も最初に相談せんけんよ。相談しとったら、ええようにしてやったのに」


 だが、大方の場合、口約束が守られることはない。


「うちのオトウチャン、カイショ(甲斐性)ありませんやろ」

 

 絹枝はカチンときた。実のオトウトが甲斐性なしと言われたのだ。確かに、正男には覇気がないかもしれない。その代わり、真面目ではないか。


----何が、そう言うお前は何ならあ。チンバじゃないか。そんなを「カタワもん」をもろうてやったのに、よう言うたの。覚えとけよ!わしゃあ、絶対忘れんけんの。こののドチンバが !


 初めて嘉子を見た時、あまりの不器量さに思わず顔をしかめたものだ。さらに、足が悪い、チンバと来ている。


----大事な跡取りのオトウトに、ようもこんな片輪もんをヨメにしたことよ。


 と、秀子を恨んだ。その時には、すでに長男の智男は生まれており、これがまだ子供がいなければ、別れさせることも出来た。

 絹枝は戦死した長男のヨメが気に入っていた。取り立てて美人ではないが、気立てが良く、字が上手である。今でも、秀子とは付き合いがあり、恒男の葬儀にも来ていた。この女を正男のヨメにと思っていたのに、寄りによってこんな出来損ないと一緒にさせた秀子の神経がわからない。

 以前「メシ食いに来いや」と正男が言ってくれたので家に行けば、初めてやって来た義姉に、干物と漬物で茶漬けを食べさせたではないか。さらに、絹枝を激怒させたのは、義男のチクリだった。

 あのヨメは飯を作らない。だから、秀子のところへ寄って飯を食べてから家に帰るのだと言う。それを聞いた絹枝は怒り狂った。だが、これも話を聞いて見れば、別住まいだった頃、仕事帰りの正男は、しばしば秀子の家に立ち寄っていた。

 子供が三人もいて、生活も苦しかったのだろう。正男一食分の食費でも浮かせようとの意図もあり、時には金を借りることも出来た。

 そんなある日、秀子と食事をしていると、義男がやって来た。


「どしたんや、家帰って、飯食わんのんか」


 義男もこの時は、嘉子が食事を作って待っているのではと思って聞いたまでである。


「家帰っても、飯無いしな」


 正男にすれば、ここで食べて帰るので、今夜の食事は無し、いらないと言う意味で言ったのだが、元が口下手でこんな言い方しか出来ない。この時は、それで終わったが、後に義男はこれを利用することを思いつく。

 義男にしても、則子にしても、半年か一年おきに絹枝が娃子を連れてやって来るのが苦痛でならない。また、その時の絹枝の勝ち誇ったような、ニタニタ顔…。


----ほうれ、見いよ。連れてきてやったど、のムスメじゃ。人に押し付けたままで、知らん顔しやがって。ほれ、よう見い、この顔を…。


 この世で一番見たくないもの。それは娃子の顔である。それだけではない、絹枝は何かにつけて当てこすりを言って来る。お陰で、この時期は則子との仲も険悪になる。


「もう言うなや。あんなバケモン、わしのムスメじゃ思うたことあるかい !」


 それでも、則子の嫌味は留まるところを知らない。その時、思いついた。早速、嘉子嫌いの絹枝にチクる。 


「ネエサン、あのヨメは、飯作らんのんで」


 これは見事に功を奏した。それだけで絹枝の怒りの矛先が嘉子に向いた。 

 まんまと義男の口車に載せられた絹枝であるが、とかく、この国の人間は「悪人作り」が好きである。いつも、誰かを悪く言っていなければ気が済まない。人を悪く言うことで、自分をよく見せようとする。

 それだけではない。正男と嘉子が一緒に風呂に入ると聞いた時、絹枝は「うわあ」と顔を背けた。絹枝は家では夏になると、裸同然の格好でいるくせに、夫婦が一緒に風呂に入ることは嫌悪する。また、正男と嘉子がそれを堂々とやるのだ。風呂には申し訳程度の脱衣スペースがあるが、誰もそこで着替えたりしない。短い距離ではあるが、脱いでから風呂場へ行く。

 絹枝と娃子が正男宅に行った時、風呂に入る嘉子と出くわしたことがある。この時は博美と一緒だったが、二人とも裸。


「あ、風呂入らはる」


 いや、そんなことより、嘉子こそ、早く風呂に入れと言いたかった。いくら女同士とは言え、恥ずかしげもなく、萎びた裸を晒したままではないか。娃子は、この時は嘉子の歳を知らなかったが、後に、四十歳だと知って驚いた。いくら痩せているからと言って、四十歳の体があんなに萎びるものだろうか。これでは、絹枝の方がずっときれいな体をしている。

 また、娃子も絹枝が家では裸同然であることを秀子に愚痴ったことがある。


「お前は、何ちゅうことすんねん。ムスメがいてるのに、そんなことするやなんて、ちゃんとせんかいな」  


 その時、絹枝は笑っているだけだった。秀子にチクったところで、絹枝には痛くも痒くもないが、やはり、娃子も黙っていられなかった。黙っていられないことは、もう一つあった。

 一昨年、正男一家が夏にやって来た時、みんなで海水浴に行った。その時、写真が趣味の正男はあちこち取りまくっていた。その中に娃子の写真もあった筈である。

 娃子に言われ、正男はアルバムを出して来た。その中には、娃子が一人で写っている写真もあった。その写真をもらおうとした時、嘉子が言った。


「それは、後ろの風景が…」


 では、娃子はその風景の付け足しなのか。それにしても、こちらが言うまで知らん顔とは、焼き増しをして送ってやろうとも思わない、そんな気すらないのか。

 手土産一つ持って来なかったが、絹枝は三人の子に服を買ってやり、帰りには簡単ではあるが巻き寿司の弁当を持たせたではないか。それなのに、帰ってからも無しのつぶて。さらに、写真まで出し渋るとは…。

 娃子は半ば強引に写真を持ち去った。


 そして、娃子たちが帰った後、正男が倒れた。幸い、大事には至らなかったが、体にしびれは残り、そこで、仕事もそれまでの工場勤務から体育館の管理へと変わった。

 それらのことを知ったのは、翌年秀子宅へ行ってからである。またも、絹枝は怒った。


「何で、知らせんのんないっ」

「嘉子が知らせるやろ思てたわ」


 と、秀子は素っ気ない。


「私は、子供の面倒見るので忙しかったさかい」


 正男が入院中は、しばしの休戦状態だった秀子と嘉子であるが退院すれば、元の木阿弥である。

 既に、崩壊は始まっていたとは言え、そのきっかけは、娃子だった。

 



 

 

 









 











 








 










































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