管切り 一

 冷蔵庫が冷えなくなった。


「おかしいのぅ、買うてから、そんなに経っとらんのにのう」


 庄治が乱暴にドアを閉めるからである。もっと古いワンドアの冷蔵庫を使っている家もまだある。


「そうよのう。物を大事にせんけんのう」


 そして、ついに冷蔵庫を買い替えることにした。今度はツードアの冷蔵庫である。もっとも、古いワンドアの冷蔵庫は古道具屋に二千円で売れた。だが、冷蔵庫が新しくなったからとて、それで、庄治の八つ当たりが無くなった訳ではない。ドアバンは相変わらずだが、新しいほど性能はよくなっている。今度のはいくら叩きつけてもドアはピタリと閉まったままだ。そして、例によって、家守やもりのオバサンは何か買うと見にやって来る。


「そんなによそのが、気になるんかのう」


 その後、洗濯機、ホームこたつと家電は増えていくが、その都度、家守のオバサンは偵察にやって来た。また、新しい家電がやってくると、その使い方をめぐってすぐに庄治のヒステリーが始まる。


「わしゃ、人に聞いて知っとる ! 人は間違ごうたこと言わん !」


 絹枝は店員の説明を聞き、娃子は説明書を読む。庄治はなぜかそれを他人に聞く。同じ家電であっても、メーカーや年式によって仕様は違うと言っても、最初は聞く耳を持とうともしないが、最後は絹枝たちの言う通りにしなければ使えない。そのくせ、いくら言ってもコンセントのコード引き抜きは止めない。

 さらに、家電だけでなく、家具も増えた。婚礼のセット流れのちょっといいタンスに普通の整理タンス、洋服タンス。ちゃぶ台は捨てられ座卓。一番最初の古道具屋経由のタンスはまたも古道具屋に舞い戻るが、これもなぜか買った時と同じ五千円で売れた。だが、只でさえ狭い家にこれだけの家具類が鎮座するのだ。

 それでも、絹枝は家財が増えたことが嬉しくてならない。何より、タンスに傷がつくことを極端に嫌う。家が狭いのだから、布団をタンスに沿わせて敷くことすら嫌がる。もう、必死で傷がつくを連呼する。


「タンスでも傷つけてみい。手でもへし折っちゃるぞ ! 」


 これが冗談とかではなく、本気で言うのだ。

 そんなに大事なら、使わずに仕舞って置けと言いたいが、それを言えば絹枝が烈火のごとく怒るから言わないだけである。そのくせ、せっせと古雑巾でタンスを拭く。光線の具合で雑巾のケバが張り付いているのが見えるのだが、それは気にならないらしい。

 そんな絹枝を、さらに喜ばせたものがある。

 絹枝はこれまたせっせと貯金をしている。それも、郵便局の普通貯金ではなく、定期貯金である。絹枝にすれば、貯金とは貯めるものであり、出すものではない。

 そんなある日、郵便局のオネエサンから今度利子が上がるから、今までのをまとめた方がいいよと言われ、これまでの定期証書を全部持って行く。


「まあ、こんなにあったんじゃねえ。計算するのに時間がかかるわ」


 絹枝が買い物で時間をつぶして郵便局に戻れば、すごいことが待っていた。


「オバサン、これ、利子が四十万付いとるよ」

「ええっ、四十万…」


 世は高度成長期である。銀行も郵便局も金集めに必死で、利子利息は上がって行くばかりだった。絹枝は嬉しくてたまらない。

 

「やあれ、嬉しや。のう、利子が四十万付いとった…」


 まとめて三百万の定期証書等は昔の大きな札入れに入れ、押し入れのふすま側の桟に釘を打ち、細いゴムひもで止めていた。

 娃子は早くからそのことを知っていたが、庄治は知らない。だが、この家で一番口の軽いのは庄治である。とにかく、人に話しかけられただけで、ニコニコしてしまう。そのくせ、酒での失敗など自分にとって都合の悪いことは棚に上げ、絹枝やその身内のことまで何でもしゃべってしまう。さらに、娃子のこととなれば、好きなもの、嫌いなもの、ああ言ったこう言った、ちょっとしたことまで誰彼構わずしゃべってしまう。よって、娃子にはプライバシーがない。

 そして、ついに庄治はその札入れを見つけてしまう。見つけたからと言って、印鑑がなければ引き出せないし、印鑑は絹枝の胴巻きの中に入れている。また、郵便局のオネエサンに、娃子以外の者が出しに来ても、決して出さないようにと頼んである。だが、それを決して黙っていられないのが庄治である。見つけたことが嬉しくてたまらない。ある時、ついに、それを匂わせて来た。 


「一人の時に、家の中、探し回るんじゃの」


 だから、娃子の物でもよく知っている。


「あれは、あそこにあるで」


 と、例のニタニタ笑いで言って来る。何をどのように隠そうとも、すべては見られてしまう。

 外で発散できない分、すっかり内向きになってしまった庄治は、すべてのことに口を挟む。


「娃子」


 と、呼んだだけで、庄治の方が「ン」と絹枝に顔を向ける。


「娃子、あれはどうなった」

「ああ、あれはのう」

「あんたに聞きよりゃせん。わしぁ、娃子に聞きよるんじゃ」

「わしも知っとるわいっ」


 庄治が知っていることにせよ、娃子の説明の方がわかりやすく、頼んだことはきちんとやる。庄治の説明も行動も、いつもどこか抜けている。そのくせ、ちょっと気に入らないと、すぐに怒り出す。


「精神病院に入れちゃるぞ ! 」


 あまりに怒鳴り散らすので、絹枝は本気半分、脅し半分に言う。それでも、庄治が平気なのは、世間体を気にする絹枝が、仮にも夫を精神病院なんぞに入れる筈がない。もし、本気で入れるとなれば、それこそ、さめざめと泣けばいい。


----が泣くかい。


 もっとも、すぐに怒るのは絹枝も同罪である。

 いつも何かを言わなければ気が済まない絹枝。いつも何かを言いたくて仕方ない庄治。必要以外口を利きたくないけど、いつも、ケンカの相手をさせられる娃子。

 だから、この家の平穏は、それぞれが一人でいる時だけである。相手がいれば、それだけで摩擦が起きる。


「ああ、お前らの世話にゃならんお前らの世話にゃならん。だれが、お前らの世話になるかいっ」

「世話にならん言うて、世話になったじゃないか」


 少し前の夜中に、庄治は目の痛みを訴えた。絹枝に付き添われ、近くの眼科に行き、医者をそれこそ叩き起こし診察してもらった。何のことはない。昼間、溶接の火花を見ていたと言う。あれを見てはいけないことくらい子供でも知っている。

 翌日は昼間、娃子に付き添われて病院に行った。


「あれが世話になった言うことよ」


 急に倒れたのでもない限り、病院は一人で行くものだ。


「大きなこたぁ言わりゃあせん言うことよ。この前でも」


 一年ほど前に、庄治は黄疸を発症した。発症しただけでそれ程のことはなかったが、日頃の大口はどこへやら、すっかりビビッてしまい、酒も飲まなかった。また、不快症状があるらしく、とんでもない弱音を吐いた。


「わあぁぁ。モルヒネ打ってくれんかのう」

「何を大げさな!!」


 と、二人から一喝されてしまう。だが、二三日もするといつもの様に酒を飲み始めた。地黒が黄色がかっただけで、事なきを得た。

 その点、絹枝の病気は重い。動けず、食べられず、見る間に痩せて行く。入院するでなく、家で往診を頼むのだが、雨の日、いつもの様に医者はオートバイで乗り付け、雨合羽のままで上がり込み、注射を打てばそそくさと帰って行く。まだ、往診先があるのはわかるが、絹枝は情けなかった。

 貧乏していると、医者は濡れた雨合羽も脱がずに上がり込んで来る。だから、いつもは娃子が寝ている板間の方に寝ていた。

 だが、只では起きないのが絹枝である。症状が少し落ち着いて来ると鏡を持って来させ、自分のやつれ具合を見る。そして、回復すれば、そのことを自慢する。


「まあ、顔がこぅんなに、細うなってから」


 と、ムンクの「叫び」の様な顔をして、如何に自分が我慢強い人間であるかを誰彼なくアピールする。確かに、小太りが痩せたのだから辛かったと思う。思うが、顔はそこまでのことはない。


 人には、一人で生きていける人間と生きていけない人間がいる。世の中のほとんどの人間は一人では生きていけない。

 

「そ、すごく、寂しがり屋なの」


 今もテレビで一人の男性タレントに対して、一見やさしそうなイメージの女性タレントが言っていた。

 寂しがり屋とは、なぜか心やさしい人間と言うことになっているが、ほんとうにそうだろうか。

 寂しがり屋とは、一人では何もできない、したくない。とにかく一人は嫌だと言う、やたら寂しがるだけの「寂しがり」に過ぎない。庄治がそれである。寂しがりだから、大声を出して気を引こうとするのである。

 寂しがりがやさしさだと言うのなら、娃子は、そんなやさしさなどいらない。


 そして、ここにも口は達者だが、決して一人では生きて行けない強欲女がいた。

 秀子が恒男亡き後、収入を得る手段としてこの家をアパートにすることは知っていたが、初盆に行って見れば、屋根だったところに二階部分が乗っかっていると言う代物には驚きを通り越して、絹枝も娃子も呆れたものだ。


「どうやって、建てたんね」


 絹枝は妙子に聞いた。


「いや、下で暮らしながら、そのまんま建てたんやわあ」


 アパートと言うから、土地全体、もしくは一部をフルに使って建て替えたのかと思えば、庭いじりの好きな秀子が庭部分を残したのはわかるにしても、元の平屋に二階を載せただけとは…。

 二階に上がる階段、間取り等で妙子宅は二階の表側の部屋に入ることになり、肝心の間取りだが、四畳半二間、共有の物干し台付きの三戸。道に面した一階部分は以前から、小さな会社に貸していた。合わせて四戸分と店の家賃が秀子の収入となっていた。

 だが、秀子の住まい部分もかなり狭くなっている。一人暮らしだから、そんなに広くなくてもいい様なものだが、とにかく全体が暗い。寝室、台所には全く陽が当たらない。娃子が寝起きしていた部屋がメインの部屋となり、そこへ持って来て、秀子のでさらに狭くなっていた。

 それにしても、もう少しマシなものが建てられなかったのだろうか。そこは秀子のケチ精神とものぐさで、この仕様になったらしい。


 初盆の坊さんの読経も終わったので、みんなで食べよう思い、娃子は冷蔵庫から、まくわ瓜を出して来た。この甜瓜も絹枝が持って来たものである。思えば台所で娃子が皮を剥いた方が良かったかもしれない。

 瓜と果物ナイフがあるのを見た嘉子が早速に皮を剥き始めたのはいいが、その剥いて行く皮の分厚いこと。5ミリ以上の厚さである。そんなに厚く剥かなくてもと思わずにはいられなかった。


「この子ら、こんなん、食べしませんねん」


 では、孝子と博美は瓜が嫌いなのかと思ったのも束の間、二人とも食べているではないか…。

 何か、この嘉子もよくわからない。

 その夜、絹枝が言った。


「アネのヤツ。ろくでもないヤツじゃ」


 正男は一駅先に住んでいる。時々、会社帰りに秀子のところへ寄る。寄れば、食事をして帰るのだが、金を借りることもある。


「正男、この前の三千円返しや ! 」

「お前、それくらいの金やれえや」

「やれるかいな ! 」


 たった一人のオトウトに三千円の金くらい、くれてやってもいいではないかと、絹枝は憤慨していたが、秀子は違う。例え、絹枝からでも容赦なくむしり取るだろう。 

 だが、何と翌年には正男一家を呼び寄せた。何も知らない絹枝と娃子が行ってみれば、秀子宅にくっ付けた形のチンケな家がそこにあった。またも、絹枝は蚊帳の外である。

 通院中の娃子がこの家にいた頃、秀子が言った。


「どこか、人のおらんとこ行って、一人で暮らしたいなあ」


 娃子はそんな暮らしは出来ないと言った。


「テレビも電話もない暮らしやないねんで」


 それでも、出来ないと言った。人里離れたポツンと一軒家で静かに暮らしたい、テレビと電話があれば、現代版世捨て人の暮らしができると思っているようだが、娃子は暮らしよりも、秀子の性格のことを言っているのだ。

 何が一人静かだ。常に周囲を見下し、ふんぞり返っているくせに、何か言えば「アホウ、アホウ」と言うではないか。そんな欲と自己顕示欲の塊のような人間が、一人でそれも草深いところで暮らせるものかと娃子は思っている。また、田舎には都会にない自然の厳しさがある。 

 現に、娃子は日本ではなく、テレビでアフリカの奥地の部族の暮らしを見て心を動かされたことがある。少しのものでもみんなで分け合って食べる、そんな暮らしに憧れた。欲の塊が洋服を着ているようなこの国ではなく、いっそ、未開の地で暮らした方がいいのでは…。

 そこで、少し調べてみた。だが、すぐに現実を思い知らされた。とてもじゃないが、娃子が暮らせるようなところではない。それで、諦めたと言う経緯がある。

 それなのに、国内での世捨て人を夢見ていた筈の秀子が、恒男の死後一年足らずでオトウトを呼び寄せたとは、聞いて呆れる。

 もっとも、これらのことは、長年の友である幸子の入れ知恵でしかない。収入の道は確保出来たが、暗い家にはものがあふれ、夜になると、電気を消したまま一人でテレビを見ている秀子の姿に危機感を覚えた幸子だった。


「マーヤン、呼べや」

「いや、嘉子が、あれやさかいな」


 オトウト嫁の嘉子が気に入らない。薄ぼんやりなだけでなく、常識に欠ける。


「そやけど、なんちゅうてもキョウダイやからな」


 と、ついに幸子の説得に応じる。思えば、アパート経営を勧めたのも、それらの手配をしたのも幸子である。正男用の家を建てた大工は絹枝も知っていた。


「いい家やろ」

「なあにが、こんなアブラゲみたいな家」


 これは言い得て妙である。アブラゲとは油揚げのことであり、当時の油揚げは三角形だった。まさに、ここは三角油揚げのような家だった。建築に疎い、娃子でさえ、どうすればこんな家になるのだろうと思ったほどだ。

 玄関の戸を開ければ、真正面にステンレスの流し台。秀子宅の台所にくっ付けたので仕方ないかもしれないが、玄関即流し台と言うのもあまりいいものではない。

 次の間は板間。その奥に六畳間。二階があるが、何とこの階段、上に行く程狭くなっているばかりか、階下の押し入れにしっかり込んでいる。つまり、四角い押し入れの左上が三角に切り取られた形になっている。そして、玄関脇に取って付けたような鰻の寝床風呂のせいで、陽の当たらない家となっている。風の通りが悪いだけでなく、どう考えても、オヤコ五人でこの間取りでは狭い。さらに、二階は長男の智男が一人で使っていると言う。

 それより何より、引っ越し早々秀子が激怒する。秀子は嘉子がミシンを持ってないので質流れではあるが、嘉子にやった。それが引っ越し時に見当たらないのだ。


「嘉子さん、ミシンどないしたんや」

「あれ、使わないから、売りました」


 もう、憤懣やるかたない秀子だった。ケチな秀子がそれこそ、清水の舞台から飛び降りる覚悟でミシンをやったと言うのに、それを売るとは…。

 また、それを平然と言ってのける嘉子。誰が考えても、義姉からもらったものを使わないからと売ってしまうだろうか。


「いらんのやったら、返してくれたらええのにっ」


 と、秀子が憤慨するのも無理はない。

 これだけでも、前途多難、いや、既には起きていた。

 秀子お得意のほうき。それも家箒ではなく、庭の竹箒で…。

 

 

 




 




 

















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