青春シンドローム 二

 何と、牧子は二重まぶたの手術をしていた。

 牧子の目は単に一重と言うだけでなく、どの写真を見ても怒ったような顔に写っている。だが、それは牧子が写真となると、なぜか口がキッと真一文字にしてしまうからでもあり、口が真っすぐになれば、目も横に引っ張られる。それではカメラを睨みつける様な顔になってしまう。

 学校の集合写真では笑うことはできないにしても、口角を上げるだけでも違うのではと思ったこともあるが、そのことを牧子に言ったことはない。

 少しくらい、怒った顔に写っていようと、娃子の写真写りに比べれば、何ほどのこともないが、牧子にはそれがコンプレックスだったのだ。

 教室内は一瞬、ざわついた。娃子と牧子は一番前の席に並んでいた。


「まあ、大変だったねえ」


 と、牧子に二十五歳の独身洋裁講師は言った。

 娃子は、何と言っていいのかわからなかった。また、牧子も何も言わない。そして、いつしか、牧子は席を離れて行き、しばらくして、牧子は高校の同級生でもあった女子と男子交じりのリクレーションに行き、その時の写真を女子が持って来た。まるで、その日のために二重の手術をしたようなものではないか。だが、その写真の牧子は確かに怒ったような顔ではなかったが、今度は泣き顔に見えた。

 それから、一言も言葉を交わすことなく、牧子は一年で洋裁学校をやめた。

 その後の牧子だが、結婚して子供も生まれたのに、あの口唇裂みつくち女子に言ったそうだ。


「私、子供、嫌いなんよっ」


 子供が嫌いなら、どうして結婚したのだろう。また、どうして生んだのだろう。

そして、離婚した。

 ちなみに、口唇裂女子だが、こちらも手術をし、きれいになったと言うのに、その後も結婚はしていない。


 二年目からは教室は二階になる。だが、生徒の半数ほどは一年でやめていた。

 二階の教室は広くて明るい。ここは院長先生が指導している。そして、教材は自由。たまに講義があり「ニューデザイン」で締めくくるのだが、それは何年前のニューデザインやらと言うのが、生徒間での定説になっていた。

 もっとも、ここはすべての「生徒」の集まりである。花嫁修業の一環として、何年も前から通っているような人から、主婦までと幅広い。

 そんな中、一人ポツンと座っている女子がいた。娃子が声を掛け、それから仲良くなった。

 彼女の名は、満子みつこ。聞けば、結婚が決まったので、昨年末で勤めていた会社を辞め、挙式までの間に少しは洋服が縫えるようにとの思いから通っているとのことだった。

 さらに、一年の時から一緒だったが、あまり話をすることもなかった、美子とも親しくなり、娃子が詩のサークルの話をすれば入会したいと言った。早速に、峰子とも引き合わせた。

 そして、皆、同学年。満子は女優にも歌手にもなれそうな美人である。美子は背が高い。自称168センチだが、実際は170センチ以上あるらしい。この時代、あまり背の高い女性は男性から敬遠され気味だった。

 そんなある日、満子がぼそっと言った。結婚が延期になると。それから、彼女がポツポツと語ったところによれば、結婚話は無くなり、それも満子から言い出したことだった。


「もう、一言で、冷めた…」


 それでも、満子も悩んだと言う。


「ああ、あのタバコ、食べれば死ぬんよね。そんなことも思った…」


 タバコは吸っても大丈夫だが、葉を食べると死ぬらしい。あの時、十五歳の娃子がそのことを知っていたら、それ食べて死んでいたことだろう。

 その日は、たまたま娃子が洋裁学校宛の郵便物を受け取った。その中に、満子宛ての封書があった。元婚約者からだった。娃子は周囲に見られないように、その封書を満子に手渡した。

 やがて、満子も明るさを取り戻して行き、それぞれ縫い物に忙しかった。洋裁学校の生徒たちは、結構仕立て物を頼まれる。裏地とボタン代は別にしても、洋裁店に頼むよりは格段に安く済むからである。

 娃子の場合も、繁華街に数件ある服地屋の常連客となった絹枝が、次々と生地を買ってくるだけではなく、近所の人や噂を聞いて頼みに来る人もいた。また、時にはとんでもない「ついで頼み」もされる。

 既製品のテーラーカラーのブラウスの襟先を丸くしてくれとか、袖をちょっと長く、短くしてくれとか。これは結構面倒くさい。また、絹枝の知り合いの知り合いからの依頼は、既製品のブラウスを添えて、これと同じものを作ってくれればいいからと言うものだったが、これは大変だった。

 大体からして、既製服のパターンとドレメ式の型紙は、まったくの別物である。洋裁をしない人にはそんなことはわからない。せめて仮縫いをさせてほしいと言ったのだが、絹枝も知らない人なので仕方なく何とか作ったが、しばらくするとまた、同じブラウスがやって来た。さらに、その人の知り合いが同じでいいから縫ってくれとのことだった。今度は型紙があるので縫えばいいだけだった。人のものでも、型紙は丸めて縫った生地の端切れで巻き保管している。

 また、大変なのが子供服である。洋裁をしない人は、小さいからすぐに縫えると思うかもしれないが、洋服とは、筒を繋ぎ合わせたものである。自分で手が通せる三歳の子供服の袖ぐりのミシンかけの大変さ。もう、本当に少しずつしか縫えない。

 

 そんなある夜、思いがけない訪問者がやって来た。

 それは、あの三千代だった。何と、三千代は服を縫ってくれと言って来たのだ。


「…のオバサンに聞いたから」


 だが、娃子は今、たくさんの注文を受けていた。頼んだ人は一日でも早い仕上がりを期待しているし、また、期限付きのもある。到底、引き受けられる状況ではなかったので、悪いけどと言って断った。 

 それにしても、三千代の神経がわからない。第一、娃子の腕を信じたのだろうか。それに、家まで知っていたとは…。

 娃子を徹底的に嫌悪し「お化けへ」と言う書き出しで、悪口を書き連ねた紙を突きつけたことを忘れたのか。いや、三千代の中では今でも、娃子はお化けではないのか。

 お前は、お化けの縫った服を着るのか。

 娃子なら、絶対頼まない !

 そんな毛嫌いしているヤツになんか、何一つ頼まない !


 そうやって、洋裁をしつつ、詩を書いたり、絹枝に文句を言われながらもサークル活動に勤しむ日々であるが、娃子に一日たりとも平穏な日はない。

 庄治はまだ諦めてはいない。何とかしてやろうの気はあるものの、娃子に隙がない。それでも諦められないから、今度は娃子の気を引こうとする。そこで、洋裁以外の事にはすべて口を出す。

 それに対して、娃子が文句を言えば、待ってましたとばかりに言ってやるのだ。


「ようしよしよし」


 と、バカにしてやる。当然娃子は嫌な顔をする。それが面白くてたまらない。思うようにならない分、甚振いたぶってやるのだ。


「わしらから見たら、まだ、アカチャンじゃにぃ」


 それを絹枝は笑いながら見ている。絹枝にすれば、洋裁をしていない時の、娃子には価値がない。娃子がどんな目に合おうと知ったことではない。

 だが、娃子も負けてはいない。この庄治、テレビを見て泣くのだ。ちょっとしたことですぐ「感激」する。先ずはウッと口をすぼめ、顎が上がる。このまま放っておけば本当に涙を流すのだが、それを待たずに娃子が笑う。

 娃子にして見れば、こんな面白いことはない。テレビの演出ごときで泣くくせに、ちょっとのことですぐに癇癪を起す。


しまえ ! 」


 と、買って来たうどんを投げつけたり、コンセントを思いっきり引き抜く。当時のコンセントは埋め込み式ではなく、家電製品の位置に合わせて柱にコードを這わせて取り付ける。そして、強く引き抜けば火花が出る。それらのことをちょっと注意すればすぐに怒る。


「やかましいわぃ ! 」


 物を粗末にし、すぐ怒鳴る者が、テレビを見て泣くのだ。時には涙すら流す。

 これが可笑しくなくて、何を可笑しいと言うのだ。娃子が笑い出せば、庄治は照れ隠しに必死にご飯を掻き込むのが、また可笑しい。

 そんな庄治がある日「爆弾」発言をした。 


「わし、タバコ、止めた」


 えっ…。

 絹枝も娃子も、全く気が付かなかった。何でも、黄色いゲップが出るようになったので、止める気になったとか。だが、庄治のアテは外れた。わあ、すごいとかの反応を期待したのに「あっ、そう」だけだった。

 

 ある日、満子と学校近くの服地屋に行けは、男性店員が娃子を指して言った。


「こちらの方は、お琴を習ってらっしゃるんでしょ」


 娃子は琴など、習うどころか触ったこともない。

 そう言えば…。

 それこそ、滅多にタクシーなど乗ることのない娃子だが、たまたまその滅多なことでタクシーに乗った時、まだ若い運転手から言われた。


「オネエサンは、○○町に住んでいる人?」


 その町には、知り合いもいなければ、行ったこともない。

 実は以前、絹枝からこれまたとんでもない疑いをかけられたままである。

 絹枝は仕事仲間の中では、ボス格である。まさに口八丁手八丁の絹枝に睨まれれば、いじめの対象となってしまう。


「わしゃあ、ようしてくれたら、ようしちゃる。じゃが、悪う出たら、こっちもとことん悪う出ちゃるけんの !」

----娃子 ! よう、覚えとけよ!


 と、娃子を睨み付けながら言う。そんな性格だから仲間の女たちは、絹枝の娃子への「情語り」には頷き、絹枝の怒りには同調する。そして、娃子を見かけたら、即絹枝に報告する。すると、絹枝の機嫌がいい。

 帰宅すれば、すぐにその目撃情報をひけらかす。


「そうれ見いの。悪いことたぁ出来ゃあせんじゃろうが。わしゃ、お前がどこで何しよんか、ちゃーんと知っとんじゃけん。へへへっ」


 いや、別に悪いことはしてない。それらの目撃情報と言うのは、娃子が歩いてた、買い物してた、誰かと話てた。その類のことでしかない。それでも、絹枝は鼻高々なののだ。

 だが、今回は違った。


「お前、昨日、学校サボってどこ行ったんない ! 」


 娃子は洋裁学校をサボったことは一度もない。休んだのは、恒男の葬儀と膝に水がたまり歩けなくなった絹枝を、病院に連れて行くのにタクシーまで背負い、タクシーから病院の中まで背負った。最初に膝から抜いた水はトマトジュースのような色をしていた。何度か通ううちに透明になって行った。通院の間、学校を休んだ。それだけである。


「ウソやあがれ。見たもんがおるんじゃ。ウソばっかりやあがって。そうやって、オヤを ! 」


 この、ちゃらかせと言うのは、ごまかすと言う意味の誰も使わない「絹枝語」の一つである。だが、娃子にはそんな覚えはない。そこで、だれが、いつ、どこで、娃子を見かけたのか聞いて見た。

 それでも、絹枝は娃子を睨みつけるばかりだった。娃子も絹枝の仕事仲間の女たちの数人は知っている。そこで、娃子を見かけたと言う人を連れて来てくれ、交通費も茶菓子も出すからとも言った。だが、絹枝にとっては、いつ、だれがではなく、娃子が学校をサボった。さらに、娃子がウソをついていることが許せないのだ。


「お前を、見間違える奴がおるか !」


 これは、娃子をぎゃふんと言わせる決定打のつもりだった。ひょっとして泣き出すかもしれない。泣いたところで、誰が許すものかと一瞬身構えた絹枝だが、娃子はこの程度で傷ついたりしない。


----何と、可愛げのないガキよ…。 


 これは厄介なことになったと、これから先の展開が思いやられたが、結局、そのまま膠着状態となっていたが、さすがに今日服地屋で言われたこと、タクシーの運転手から言われたことを絹枝に聞かせた。普通なら、ここで怒り狂う筈の絹枝だが、この時はニタリとした笑いを見せた。

 すでに、絹枝はそのことを知っていたのだ。


「まあ、娃子ちゃんか思うたら、違ごとったわ」


 それならそれでいいが、それを娃子に教えるつもりはない。


----へへっ、気付きゃあがった。


 だが、このことは絹枝に快哉を上げさせることとなった。やはり、娃子のことは絹枝にとって重荷である。ひょっとして、こんな顔は娃子一人かと思えば、気が塞ぐこともあったが、もう、気に病むことはない。

 同じような娘が、それもこんな近くにいるのだ。また、男の子にもいた。だが、男と女では違うが、とにかく、娃子一人ではなかった。


「ふん、世の中にゃ、手や足のないもんも、おるわい。それに比べりゃあ」


 これは、究極の選択である。娃子はすべての人間に問うて見たい。


 どっちがいい?





















  

 








 





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