青春シンドローム 三

 またも絹枝の着物、うてやるぞ病が始まった、とは言っても、娃子は来年成人式なのだ。世間のハハオヤとしては当然のことである。だが、この娃子。やっぱりどこかおかしい。

 何と、成人式には行かないから、着物はいらないと言う。

 これには絹枝も返す言葉がない。全くもって、おかしな娘である。買ってやると言うのに、いらないと言う。これが、普通の娘なら大喜びで呉服屋に付いて来るだろうに。さらに、絹枝が買ってやると言うのだから、少しくらい値は張っても構わない。それでも、頑としていらないと言い張る。


 娃子とて、着物が欲しくないわけではない。それでもいらない。絹枝からの着物はいらない。

 一番の理由は「恩を少しでも増やしたくない」からである。

 絹枝が生きている間、いや、娃子が生きている限り、絹枝から受けたオヤの恩が減ることはない。これからも増え続ける。それでも日常の恩はともかく、これ以上の大きな恩は受けたくない。着物と言う高価なものの恩は、ずしりと重い。そんな重い着物など着たくはない。

 そして、成人式にも懐疑的だった。着飾ってまで、世俗にまみれた大人たちの説教を、何でわざわざ聞きに出かけなければならないのだ。

 娃子は大人になりたくなかった。特に、自分の周囲はろくでもない大人ばかりである。彼ら、彼女たちも十代の頃は夢や理想があったことだろう。ああ、戦争中だったので、それどころではなかった。 

 青春期を不運な状況で過ごさなければならなかった、その忸怩じくじたる思いがわからないでもないが…。


「何よ ! 戦後ぬくぬくと育ったあんたらに何がわかる言うんね ! 私らがどんな思いであの時代を生き抜いて来た思うとんねっ」


 生き抜いて来たと言うが、たまたま運よく生き残っただけではないのか。

 思えば、世の中は圧倒的に戦争体験者の方が多い。そんな大人たちは、寄ると触ると、戦争の話。

 静かな様をどうして「お通夜のよう」と言うのだろう。

 そんな静かなお通夜、しめやかな葬儀と言うものを、娃子は知らない。通夜も葬儀は常にざわざわしている。人が集まるのだから、何かしらのざわめきはある。中には故人を「明るく送ってあげよう」と言う人もいるが、肝心の故人そっちのけで知り合いの噂話に興じ、思い出話も最後は戦争の話。そんな通夜葬儀ばかりだ。


「あんたらにゃ、わからんじゃろうけど」


 戦争の話なんか、知らんわ。別に知りたくもない。

 それしか話がないのか。ないのである。

 この大人たちには、それしか話題がないのだ。更に、圧倒的多数派であり、戦争の話なら、安心して共感を得ることが出来る。


「今の若い人たちにも、ああ言う経験があってほしいですね」


 と、ラジオから流れてくる声。

 また、戦争をやれと言うのか。口では「平和」を唱えながら、戦後生まれを堕落した人間扱いする。


「あんたらが、大人になった頃にゃ、どんな恐ろしい世の中になっとることやら」


 では、戦争とは、恐ろしい時代ではなかったのか。

 そりゃ、国がやるんだから、どうしようもないじゃない。

 そうなのだ、国がやることなら、何も怖くない。戦争でテキを多く殺せば英雄だが、それ以外で人を殺せば罪人である。

 そして、皆、口をそろえて言う。


「昔は良かった」


 そんなに昔がいいのなら、冷蔵庫も洗濯機も使うな。テレビも見ないで、昔の様な暮らしをすればいい。便利さは享受するくせに、大人は若者たちに文句ばかり言っている。庄治ですら言う。


「あの頃の方が良かったのう。いつ死ぬか、いつ死ぬか思とったが」


 詰まるところ、この国に中途半端な平和なぞ必要ないのだ。命の危険にさらされようと、食べ物に不自由しようと国民一同、同じ方向を向いて進むことがこの国のあるべき姿なのだ。


 こんな大人にはなりたくない。


 これが絹枝ともなれば、いつもの顔、いつものトーンで突飛なことを言ってのける。


「戦争もせんにゃあ、いけんのよ。戦争せんにゃあ、人が死なんじゃないか」


 へえ、絹枝が世の人口問題を憂いていたとは…。

 ならば、絹枝の前夫は人口減らしのために死んで行ったのか。


 子供の頃から、顔の良さばかり言われて育った、松山竹松は実直な男だった。国のためにと体を鍛え猛勉強し、見事、難関の海軍兵学校に合格した。だが、ここでも顔の事ばかり話題にされた。下宿先に戻れば、近所の娘たちが何だかんだと寄って来る。

 そんな中、絹枝だけは違った。どの女も振り向いて、自分の顔を眺めると言うのに、ただ一人だけ振り向かない娘がいた。話しかけても素っ気ない。それが絹枝だった。

 竹松には、それが新鮮だった。自分に興味を示さない女がいたとは…。


「わしゃあ、男を好きじゃ思うたことがない」


 絹枝も竹松をきれいな男だと思った。だが、それだけである。

 それは、絹枝が他人を嫌悪しているからである。男でも女でも、他人は信用しない。また、絹枝は戦時中はそれ程、大変な思いはしていない。嫁ぎ先が農家だったので、食べ物に不自由しなかった。

 終戦を迎えても家や土地を売った金があった。故郷へ帰る汽車の中で弁当の握り飯を食べていた時、向かいの席の男がそれこそ食い入るように見ていたと言う。

 その話を聞いた娃子は、よく人前でそんなものを食べたなと思った。あの当時、汽車に乗る人のほとんどは買い出しだろう。何とか米は買えても、食べるものと言えば、大根などの野菜を混ぜた菜飯。それでも食べられるだけ有難い。そんな彼らにとって白米の握り飯など、夢のまた夢でしかないのに、そんな人たちの前で、平然と米飯を食べられるとは…。

 だが、絹枝の戦争は戦後から始まった。庄治との再婚、娃子との悪縁。

 竹松が残した金のほとんどは、娃子に次ぎこまれた。

 もし、竹松が戦死しなければ、その後も裕福な暮らしが続き、自分の子供でも生まれていれば、絹枝も世間一般の、我が子第一のハハオヤとなったことだろう。

 歴史に「たられば」はないが、国のために戦って死んだ夫に対して、人口削減の一環とはよく言えたものである。


 美形の秀才が、ただ一つ、見誤ったもの。それは、我妻の性格である。


 それにしても、単なる人口削減のために戦争する必要があるだろうか。

 戦争で一番に死ぬのは若い男ではないか。また、町も破壊される。そんなリスクを冒すより、役に立たない年寄り、病人、障害者を殺した方が手っ取り早い。ついでに、見るに堪えない傷者、不細工も殺せばいい。そんな法律を作ればいいだけである。すると、この国は若者天国、美男美女揃いでさぞ楽しい日々が送れることだろう。

 また、人口削減を叫ぶのなら、一番に絹枝自身が死ぬべきではないのか。絹枝一人が死んだとて、何ほどのことはないが、ついでに、娃子、庄治、その他気に入らない者を道連れに、大見得切って果てればいい。さすれば、世間の人たちは「よくぞ、やってくれた」と拍手喝さいで讃えてくれることだろう。

 それを自分は安全なところにいて、人の生死を数える…。


 その後も、着物買うてやる病を絶賛発症中の絹枝はついに考えた。

 家にいると、絹枝が何だかんだとうるさいものだから、娃子が買い物に行くと立ち上がれば「わしも行く」と、付いて来る。

 一人で行くと言ってもそうはさせない。そして、バス停側の呉服屋へ、それも自分の着物を買うからと、娃子を店に引っ張り込む。この時、確かに、自分用のウールの着物も買ったが、今度は娃子にもと言えば、店員たちは待ってましたとばかりに、あれこれ勧めてくる。

 

「ウールの着物も一枚くらい持っとかんにゃ」

「そうですよ。やはり、一枚はお持ちになられるべきです !」


と、店員も食い下がるが、娃子はいらないと言った。柄が今一気に入らない。着物地の色は薄ピンクだが、こんなごちゃごちゃした柄は好きではない。


「これで、締まりますよ」


 と、店員が紺地に鮮やかなピンクの花模様の帯を勧めた。もう、絹枝は買う気満々である。成人式用の着物を買わないのなら、せめて、普段着でも買ってやらなければ、オヤとしての面子が立たない。これで、あちこちに触れ回られる。


「ありぁ、ウールにゃ見えん。帯もええのを買うてやった」


 その後、娃子は茂子の中振袖を貰った。薄紅色とくれない色の二枚。

 ケチな秀子が買ったものだから、正絹の高級生地ではないが、柄は良かった。


 これで、いいのだ。






 


  



 








 






 



























 









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る