青春シンドローム 一

 恒男の死は、病気と言うより、当然の自殺行為であった。

 互いに容姿に自信のあった者同士の結婚だったが、秀子の横柄なケチぶりには呆れた。それでも流産した後、子供ができないのでメイの茂子を養女にした。最初は二人とも男の子を望んでいたが、茂子の兄の君男はちょうどいたずら盛りで、とても手に負えるものではなく、そこで茂子にしたと言う経緯がある。

 連れて帰ってからの三日間、茂子は泣き通しだった。それまでの大勢の兄弟の中にいたのが、急に知らないところに連れてこられては、不安で泣くのも当然であったろう。

 何はともあれ、オヤになった秀子は早速にしつけを始める。ところがこの茂子、ちっとも言うことを聞かない。また、恒男は実のメイであると言うのに知らん顔。面白くない秀子は恒男の反対を押し切り、美容院の経営にのり出す。

 恒男はもうすべて放っておくことにした。秀子のすることに口を出さなくなった。絹枝から借りた金でこの家を買ったのも秀子の才覚であるし、近所の人に貸す金は秀子が稼いだものであり、嫌味を言いつつも、自分の身内の面倒を見てくれている。

 だから何でも秀子のしたいようにさせた。町内の旅行の旗振りはいつも秀子であった。もっとも学がないから、乗り物や旅館の手配は人に割り当て、いつもいい位置に陣取っていた。それが唯一の秀子の楽しみとなっていた。その影で恒男は適当に遊んでいた。

 だが、茂子が自分が実子でないことを知ってからは、状況が変わった。

 それまでの茂子は特に何かに秀でるでなく、実にのんきな性格であったが、高校生の時に事実を知ると急に反抗的になり、美容師の資格は取ったものの、プチ家出を繰り返し、その度に家のものを持ち出しては質屋に持って行く。

 恒男も叱責するものの、日頃から見て見ぬ振りをしているチチオヤの言うことなど聞くはずもなく、さらには娃子がいた。

 娃子も養女であるものの、絹枝からひどい目に合わされたと言うのに、それを何も言わないとは…。

 そんな娃子と茂子を比べられれば如何んともしがたいものがあった。

 貧相な身なりの絹枝が娃子のことだけは勝ち誇ったような顔をするのが、悔しくて溜まらなかった。さらに、秀子と茂子には血のつながりがないが、秀子と絹枝は娃子とわずかでも血のつながりがある。自分たちの血筋の良さを匂わせる絹枝の厭味ったらしさ。それも、秀子と姉妹話の態で聞こえよがしに言うのだ。腸が煮えくり返る思いの恒男だったが、ここぞとばかりに、絹枝に切り札を投げつける。


「あんたも、いずれ、娃子から、やられるようになるわ」


 これだけは、冷え切った夫婦でもぴったり一致した。思えば、この二人を繋ぎとめているのは、絹枝と娃子がケンカする姿を見ることだった。


「今に、絹枝は、娃子からえらい目に合わされる」


 何と言っても、特に女にとって大事な顔を台無しにされたのだ。どこの娘がこれを黙っておるものか、茂子どころの比ではない。大ケンカが始まる。その日がやって来るのを、今や遅しと待っている恒男と秀子だった。


「娃子は、そんなにならんわ」

 

 これは絹枝の負け惜しみと受け取った。内心はビクついている筈だ。


「そら、まだ若いさかい、今はそうでもないやろけど、そのうち、みんなが結婚するようになったら。黙ってはおらんやろな」

----なあに、今に見とれ。吠え面かくに決まっとる。


 その時の、絹枝のむっとした顔。今思い出しても面白い。また「その日その時」が待ち遠しい。その時には姉妹の情も何のその、秀子と二人で呵々大笑してやる。だが、待てども待てども、その日はやって来ない。 

 また、茂子がまともになるはずもなく、秀子に離婚を切り出したこともある。このままでは、茂子がやくざ者と関わりを持つようになるかもしれない。そうなってはこの家も取られかねない、その思いからであったが、秀子はなぜかなし崩しにした。そこにはやはり、夫のいない女性への世間の風当たりがあった。その代わり、茂子の籍を抜く事にした。

 何もかも諦めた恒男の楽しみと言えば、大阪球場へナイターを見に行くことの他は、やはり酒を飲むことだった。それが自殺行為であることも知っていた。

 いよいよ、その時が来た。入院する日の朝、妙子夫婦に挨拶をした。


「ほな、行ってきますわ。もう、あきまへんわ」


 茂子とも縁が切れたし、飲んだ酒に悔いはないが、出来ることなら絹枝と娃子のケンカを見たかった。最後に人の不幸を見てみたかった…。


----娃子のアホ…。



 絹枝と娃子は急ぎ新幹線にのり、秀子宅へ。その足で入院先へ向えば、恒男は荒い息をしているだけだった。側にいたのが恒男の実兄であり、邦男のチチオヤのヒゲさんだった。このヒゲさんとは今どき珍しいくらい立派な髭を顎の下までたくわえているところから、陰でヒゲさんと呼ばれていた。

 さらには、家では茂子が奥の部屋で寝ていた。それだけではない、茂子が食べた後の食器は別に洗い、最後に熱湯をかけていた。聞けば、茂子は脳梅毒に掛かっていると言う。

 今は籍は抜けていると言っても、今までと何ら変わりなく気が向けば「我が家」へ戻って来る。茂子にとって、家と男は出入り自由なのだ。

 ここのところ、妙子ところには、彼女のメイも同居していた。


「そやから、おなんじ風呂入とったんやからっ、検査に行かせたんやわ」


 その話を聞いた絹枝は「わあぁ」と横向いてものすごく嫌な顔をした。絹枝の頭の中では、若い娘が産婦人科へ行って足開いてと、想像しているようだが、梅毒は血液検査で調べれられることくらい、娃子でも知っている。後に絹枝の梅毒検査表が出て来た。陰性だったが、その時の検査方法も忘れているとは…。

 

 その後、茂子は精神に異常をきたし、入院することとなった。



 それにしても、恒男の身内はいつも何かやらかしてくれる。このヒゲさんも通夜の席で秀子に文句を言った。秀子は泣き出した。恒男が死んだと知らされても、取り立てての感情もなかったが、ここは泣いておかなければ、薄情な女に思われてしまう。思えば、ヒゲさんはそのきっかけを与えていくれたようなものである。

 娃子はどっちも見っともないと思った。ろくに、看病もせず、夫の死を知らされても、平然としている秀子の態度が頭に来たとは言え、それを臆面もなく通夜の客の前で声を荒げる、このヒゲジジイも。


「そんなんやったら、わしは葬式は出ささん」


 とも言った。だが、それ以上に現実的なのは絹枝である。


「葬式せんかったら、腐ってしまうじゃないか」


 さらに、能天気なのが、正男のヨメの嘉子だった。


「いやあ、娃子ちゃん」


 と、満面の笑みで娃子に話しかけて来る。もうすぐ葬儀が始まるんだけど…。


「まあ、娃子ちゃん、よう知って。孝子が鏡の前で着て喜んでから。まあ、ピッタリやったわ」


 娃子が洋裁学校の教材用に縫った子供用のブラウスとワンピースを送ったことへの礼を言ってくれる気持ちは嬉しいが、もう少し小さい声で言ってほしい。去年、正男一家がしばらく滞在していた時は、洋裁学校へ通うつもりがなかったとは言え、育ち盛りの子供である。背も少しは伸びただろうと思案しながら、子供の標準寸法を参考にしながら作った。それがちょうど良かった、また、孝子も喜んだと言うことらしいが、それにしては当の孝子は露骨にそっぽを向いている。去年も会っているのに、それは子供とは思えないほどの露骨さだった。


----ふん、お前の顔なんか、見たないわ。


 ともかく、葬儀は終わった。そして、皆、それぞれの日常生活へと戻って行く。

 


 その後、娃子は順調に洋裁の腕を上げて行く。

 絹枝は千鳥格子の服地を買って来た。一枚はあってもいい柄である。そして、いつものことだが、裏地とボタンは娃子に任せている。

 洋服の裏地とは主に同系色であるが、ウールなどの合い物のスーツや冬物のコートなどに思い切った色を持って来る時もある。特にコートは脱ぐこともあり、その時の色のギャップが楽しい。

 仕上がった絹枝の千鳥格子のスーツの裏地はきれいなクリーム色だった。この時、絹枝は少し驚いてしまう。

 まさか、クリーム色とは…。

 これが既製服なら、押しなべてグレーのそれもペラペラの裏地でしかない。絹枝もたまには既製服も見て歩く。ある時、ちょっと気に入ったブラウスがあったので買った。しばらくはそれを着ていたが、すぐに止めた。


「ダメじゃ。肩が下がって来るわ」


 絹枝の体に合わせて仕立てた服と、既製品を一緒にしないでほしい。当時の既製品のほとんどはその程度のものだった。

 娃子が教材で縫ったジャンバースカートは紺地のチェックだったが、その裏地はピンク色だったことを、絹枝は思い出した。スーツなど人前で脱ぐことはないか、袖口から覗いたクリーム色が人目を引き、裏地のセンスをほめられた。そうだ、昔から本当のおしゃれは裏地にこだわるものだった。また、娃子はボタンも、毎度毎度いいものを探してくる。

 余談だが、ボタン一つで服の印象はものすごく変わる。着飽きたスーツ、ブレザー、コートがあれば、ボタンを変えて見ることをお勧めする。ボタンも決して安いものではないが、それだけの価値はある。

 またたく間に絹枝の着ているものは、仕事着から、スーツに至るまで娃子の縫ったものになり、最初は古道具屋で買った整理タンスだけだったのが、今では洋服タンスまでと狭い部屋がさらに狭くなっていた。


「まあ、その服、いいねえ」 

「娃子が縫うたんよ」


 普段着でさえ、近所の人からほめられる。 

 そして、近所の人からも服の仕立てを頼まれるようになる。


「娃子ちゃんの縫ったものは着易いわ」


 これは絹枝の念願でもあった。背の低い小太りの体型ではなかなか合う既製品は少なく、ちょっといいものは高くて買えなかった。それが今は、タンスの中に衣装は増えて行くばかりである。


 そんなある日、峰子が服地を持って来て、ブラウスを作ってほしいと言う。その頃には、娃子は近所の人からも仕立てを頼まれるようになっていた。

 峰子は高校卒業後、食品会社に就職していた。娃子たちが住んでいる平地部では三年ほど前から都市ガスが引かれていたが、峰子たちのような山の斜面の家はプロパンガスだった。食品会社と言っても、プロパンガスや米なども扱っていた。その出張所が配属先だったが、何と、その場所は家から坂道を下った先にあると言う、小学校に通うよりも近いところだった。そこで、峰子はレジ打ちと事務をしていた。

 そして、娃子がまだ、パン工場で働いた頃、二人して働く者たちの詩のサークルへ加入していた。峰子がまだ、高校生と言うこともあり、思うように活動出来なかったが、今は二人とも出来るだけ会合に参加していた。半年に一度くらいは詩集も発行していた。

 そのサークル事務所だが、他に絵や写真、山のサークルも一緒と言う狭くて暗いところだったが、やはり色んな人との交流が楽しかった。

 例によって、絹枝は娃子の洋裁学校以外への外出を嫌ったが、そこは峰子に協力してもらいながら何とか活動を続けていた。


 そんなある日、牧子が洋裁学校を休んだ。そして、牧子が登校してきた時、皆驚いた。牧子の顔に違和感があった。

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