ろくでもない 三

 何と、茂子は結婚相手を連れて帰って来たのだ。

 その相手とは遊技場を経営している在日の男性だった。恒男は、この在日と言うところに引っかかったようだが、何より、落ち着いた人物であり、やはり、茂子にもきちんとした家庭を持ってほしいと言う気持ちから、結婚を承諾する。

 そして、正月には新婚夫婦そろって年賀にやって来た。娃子もこの年の正月は秀子宅で迎えていた。そんな娃子に、茂子の夫はお年玉をくれた。

 娃子は、十六歳にして、初めてお年玉なるものを貰った。

 今まで、正月だからと言って、絹枝、秀子は言うに及ばず、誰からもお年玉と言うものを貰ったことはなかった。

 その後、義男が息子と娘を連れ年賀にやって来た。


「ホイッ」


 と、ポチ袋を座っていた娃子の前に投げるように置いた。中身はまたしても、五百円。本当は、この五百円でも惜しい。渋々、則子が財布から出した金であることくらい、わかりすぎるくらいわかる。茂子の夫は、千円だった。

 

 だが、茂子の結婚生活も長くは続かなかった。

 原因は茂子の浮気と言うより、元から、貞操観念などない女である。ちょっと男に言い寄られれば、すぐにその気になる。それがバレ、すったもんだの挙句、離婚。

 この年の春に、娃子の入院先へ二人して見舞いに来てくれた時、料理のできない茂子が一念発起するも、煮魚を失敗した話を楽しそうに話していたのに、茂子にとって、家も男も出入ではり自由なものでしかなかったようだ。


 そんな茂子がまたも舞い戻っていた頃だった。恒男の親戚の女が娘を連れてやって来た。

 娘も美容師であり、都会の店で働いてみたいと言う。だが、オヤとしては若い娘を一人で遠くにはやれない。

 幸か不幸か、親戚に大阪で美容院を経営している秀子がいた。そこならと、こうしてやって来たと言うわけだ。

 みんなでテレビを見ていた時だった。例によって、カラーテレビになっても電灯も点けてないところへ、やって来た。さすがに、その時は秀子も明かりをつけたが、恒男、茂子、娃子はテレビのコメディを見ていた。


「ふあっふあふあっふああ」


 と、秀子がハハと娘と話をしているのに、茂子が大きな声で笑う。


「茂子 !」


 と、注意されても、その後も茂子の笑い声は響いた。


「では、よろしくお願いします」


 しばらく話をしていたハハオヤは秀子に頭を下げ、帰って行った。

 娘の名は、涼子、この時二十一歳。その夜から、娃子と同じ部屋で寝ることになった。

 翌朝、涼子は茂子とともに店に向かうが、さぞ、がっかりしたことだろう。大阪の美容院と言えば、誰もが少しはしゃれた店を想像するが、ヒデ美容院は昔風の佇まいの店だった。また、やって来る客もそのほとんどが中年以上と来ている。それでも、オヤとともにやって来た以上はすぐに根を上げるわけにも行かない。

 この涼子と言う娘、ショートカットの茶系の髪色がきれいだった。


「何で、染てんの」


 ちょっと若い客は必ず聞いたものだ。自分も同じ色で染めてほしい。


「これ、地毛なんですよ」


 と言えば、ものすごく羨ましがられたものだが、惜しいのはその体形である。色白のかわいい顔立ちに身長も上半身も普通なのに、足が信じられないくらい太かった。

 美容院は月曜日が休みだが、毎週のように講習があり、涼子は熱心に講習に通っていた。新しい技術の勉強のために大阪にやって来たのだから、当然かもしれないが、そこは若い娘。やがて、美容用品の納入業者の社員との交際が始まる。デートは講習の後。

 相手の男は店にもやって来るので、自然とわかる。その頃は娃子も朝から店で「アシスタント」をしていた。例によって、茂子は涼子が店に慣れた頃、出て行った。


----この子、知らんねんな。

----知ったら、どないな顔するやろ。


 客のほとんどが、そういう目で娃子を見ていた。

 何しろ、秀子のところは揉め事の宝庫なのである。少し前までは、茂子の離婚で茶のみ話は盛り上がったが、今は娃子がいる。

 何も知らない娃子を眺めるのも悪くない。本当のことを知ったら…。

 どっちもどっちの、茂子と娃子。よその揉め事を高みの見物できる程、面白いものはない。その時が待ち遠しくてならない。

 そんな客の目など、一々気にしていたら、生きてはいけない。娃子が臆面もなく生きているのは…。

 いや、生きると言うことは、先ずは食べること。それからだ。

 昼食は秀子が店に持って来た。これが秀子の毎日の時間だった。店の奥と言うほど広くもないが、ちょっとしたスペースがあり、簡単なイスとテーブルに棚もあった。棚の上には例によって何やら積み上げてあるが、娃子も涼子もそんなものに興味はない。

 ある日、娃子は棚から風呂敷包みを下すように言われた。中身はレコードプレーヤーだった。また気が付かないようなところに、茂子がファンの橋幸夫のレコードがあった。秀子が得意気にレコードをセットし、歌が流れた。

 だが、数日して、秀子がプレーヤーがないと言い出した。


「知らんねぇ」


 娃子も頷いた。あの後、また、棚の上に上げてからそのままである。


「ほんまかあ?」


 と、秀子は露骨に疑いの目を二人に向けていた。怪しいのは、この二人しかいない。だが、やはり、これも茂子の仕業だった。それだけではない。魔法瓶を割ったのも茂子である。魔法瓶の内側はガラス製だった。


 また、ある月曜日。涼子は講習兼デートで留守。そこに近所の人がやって来た。その様子からして、察しはついた。娃子は邪魔せぬよう、台所にいた。秀子に金を借りに来たのだ。

 しばらくして客は帰り、娃子が箪笥の自分用の引き出しを開けようとした時だった。


「アイゴォォ!」


 と、勢い良く、ふすまが開き、血相を変えた秀子が今にも、娃子に掴みかかろうとするが、とっさに娃子は体をかわした。


「早よ、出し!出さんかいな!」


 と、これまた、何のことだが、わからない。


「お前やろ、お前しかいてへんわっ!今な、…さんが来て、三千円貸してあげたんや。そやけど今見たら、千円足らんのや。そやから、早よ、出し! 出し、て ! 出さんかいなぁっ!!」


 秀子にしてみれば、娃子が千円盗ったこともだが、何より、自分の財布から千円と言う大金が無くなった。それが許せないのだ。自分の財産が減るなど、到底許せるものではない。

 娃子がいくら、知らないと言っても、そのことが秀子に通用する筈もなく、娃子が盗ったものと決めつけている。

 正直、娃子は秀子の財布がどのようなものかも知らないし、触ったこともない。だが、そんな娃子に業を煮やした秀子は、何と箒を持って来た。


「おのれ!早よ、出せ!!」


 こうなったら、しばき倒したると、振り上げた箒で娃子を打ち据えようとするが、五十をとっくに過ぎた腹の突き出た女が、十六歳の素早さに太刀打ち出来るものではない。そして、箒を持ったまま、仁王立ちで息を整えていたかと思えば、今度は娃子用の引き出しを開け、中から財布を取り出した。


「あるやないか!!」


 と、娃子の財布から千円札を取り出し、ぴしゃりとふすまを閉め、自分の定位置に座り、自分の財布の中に千円札をのだった。


----ふん、取り返したった。誰がお前なんぞに、やられてたまるか !


 その千円は娃子の金である。だが、それを証明するすべはない。秀子が自分のものだと言えば、そうなるのが、世の中のルールなのだ。

 日が暮れても、二人の膠着状態は続いた。やがて、涼子が帰って来た。


「何か、あった?」


 娃子はものも言いたくない。その時だった、恒男も帰って来た。


「今朝、あんたの財布から千円借りたん、返しますわ」


 と、千円札を出せば、秀子の顔色が変わる。そうだった。今日は月曜日だが、恒男は代休で昼前まで、家にいたのだ。

 

「返すわ」


 とだけ言って、秀子は千円を娃子に押し付けて来た。そして、秀子から事情を聞いた恒男は、そのままだんまりを決め込む。

 この恒男も身勝手な男である。昔、正男もこの家に居候していた。まだ、若かった正男はつい朝寝をしてしまう。


「早よ、起きや !」


 と、秀子が文句を言うので、絹枝が正男を起こしに行ったが、まだ、眠そうな正男に向って恒男が言い放った。


「正男さん。朝寝したいんやったら、家、建ててからにしいや」


 この家にしたところで、恒男が建てたものでも、買ったものでもない。秀子が、絹枝からせしめた金で買った、秀子名義の家であるのに、よくもそんなことが言えたものだと、絹枝からその話を聞いた時、娃子は思った。

 さらに、髪の長い娃子は美容師の練習台になることがあった。ある時、その髪のままで帰れば、早速に恒男に言われたものだ。


「そんな髪は、顔がきれいになってから、することやな」


 また、風呂釜が壊れたので、銭湯に行くことになった。


「オジサン言うてたで。銭湯に行ってきますと言うたて」


 確かに、そう言ったが、それがどうした。


「そう言う時はな、お風呂に行ってきますて言わんかいな」


 十六歳の娘が銭湯と言う言葉を使ってはいけないのだろうか。


「若い娘は、可愛らしいことを言わな」


 恒男には、銭湯と言う言葉が気に障ったようだが、今回は違う。自分の財布から千円紛失したからと言って、娃子が盗ったものと決めつける秀子も秀子だが、元はと言えば恒男が黙って秀子の財布から千円持ち出したことから招いたことである。また、そのことに対して、恒男は黙ったままだ。

 何か言えば、すぐに言葉の揚げ足取りをするくせに、自分の都合の悪い時はだんまりを決め込む…。

 娃子は見て取った。どっちもどっち、ろくなもんじゃない。

 

 数日後、娃子の次の入院のために絹枝がやって来た。早速に娃子は、そのことを絹枝に言った。頭に来た絹枝はすぐに秀子に文句を言いに行くが、秀子の方が一枚上手うわてだった。

 曲がったことが大嫌いな絹枝である。娃子がとんでもない疑いをかけられたのだ、もっと強く抗議してくれるものと思っていたのに、秀子から何だかんだと言いくるめられてしまう。もっとも、絹枝にしてみれば、娃子が金を盗ってなければ、それでいいのである。娃子の気持ちなど、何ほどのこともない。

 それからの秀子は一刻も早く、バツの悪さを打ち消したい一心からか、逆に似非人生訓を垂れ流したものだ。


「そやから、世の中ちゅうもんは。いろんな人がおるよって。しっかりせなあかんちゅうこっちゃで」


 また、それを絹枝は神妙な顔で聞いている。


----娃子、よう聞いとけよっ。


 どうして、こんな大人たちから、説教をされなければならないのだろう。

 そっちは大人、こっちは子供。

 大人は大人と言うだけで、そんなにも、えらいのか…。


 その後、償いのつもりか、秀子は娃子用のスカート生地を二枚買って来た。秀子が娃子の前に広げた生地は、一枚は真っ赤、もう一枚はこれまた赤のタータンチェックと赤尽くし。明治大正の女たちは、赤とは若い時にしか着られない色だと思っている。当時は邦男一家が線路の反対側に住んでいた。スカートはこの妻に縫ってもらった。


 さらに、この涼子も、とんでもないことをやらかしてくれた。 






















 











 

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