ろくでもない 二

 金がなくなったので帰って来たのだ。いざとなれば、売春すれば何とかなるが、その気にならない時もあり、たまには家のことも気になるようだ。


 その夜の夕食は天ぷらだった。茂子はその天ぷらに醤油をかけて食べていた。それを秀子がとがめた。


「ま、好き好きですわな」

「何言うてんの、茂子ちゃん。てんぷら言うもんは、おソースで食べるもんですよ。醤油なんかで食べたら、人が笑いますよ」

 

 何が人が笑うだ。それにしても、明治大正生まれは、ことあるごとに人が笑うと言うが、人ではない、自分が笑っているだけなのに、何かにつけ、人を道連れにする。

 また、絹枝もあまり親しくない他人の前では、娃子にちゃん付けをすることがあるが、秀子は気取って文句を言う時、ちゃん付けをする。

 食事時に気取ることもないもないと思うが、今は娃子がいる。ここは、絹枝とは違う、自分の頭とヒンの良さを見せつける意味もあった。

 そんなことより、何が、おソースだ。これが別のものであれば、お醤油、ソースなんかと言ったくせに。また、その天ぷらも秀子が揚げたものならともかく、駅の側の元は闇市だった寄せ集めの小店の塩味の効いた天ぷらではないか。そんな天ぷらに何をかけて食べようといいではないか。

 娃子は黙っていた。これは茂子を怒ると言うより、娃子を怒りたいのだ。娃子が口を出してくるのを待っているのだ。そして、次に絹枝がやって来た時、言ってやるのだ。


「娃子も、口が立つようになったなあ。もうすぐやで」


 もうすぐとは、娃子が絹枝に怒りを爆発させることである。己の不注意を棚に上げ不可抗力であったことを絹枝は強調するが、何が悪いと言って、火傷をさせるオヤが一番悪いのだ。まして、娃子は女の子ではないか。女にとって、顔がどれだけの意味を持つか、如何に不器量な絹枝とは言え、わからぬことはあるまい。

 姉妹揃って実子でない子を育ててきたが、茂子は放蕩者になってしまった。そのことで、今までは分が悪かったが、さあ、これからが巻き返しだ。娃子に散々責められろ。

 

----ふん、今に見とれ !


 秀子と恒男の仲はとっくに冷え切っているが、この点だけはぴったりと一致する。


「あんたも、これから、やられるわ」


 恒男も絹枝に言ったことがある。


「娃子は、そんなにならんわ」


 恒男はそれを絹枝の負け惜しみと受け取った。

 きっと、娃子も怒り狂うことだろう。茂子は高校入学時に実子ではないことを知っただけで反抗的になった。だが、娃子は違う。未だに絹枝をジツボと思っているのはともかく、絹枝から、ひどい顔にされたのだ。ジツボであろうとなかろうと、いや、その時は秀子と揃って本当のことを暴露してやる。今まで、茂子の事では苦汁を飲まされて来たが、それも、あと少しで逆転だ。その時の一日も早いが待ち遠しくてならない。


 翌日、例によって、物が捨てられない、やると言うものは何でも貰う、何でも取っておく秀子が、近所から持ち込まれた不用品の整理をしていた。


「茂子、フトンて、どないな字、書くんや」

「そんなん、うち、知らん」

「何言うてんや。お前、女学校出とるやないか」

「知らんもん、知らん」


 と、茂子はその場を去る。


「娃子、知ってるか」


 頷いた娃子がマジックインクを手に取ろうとした時、秀子が言った。


「もう、ええわ」


 と、秀子は段ボール箱に「フトンカバ」と書いた。

 二三日して、茂子は家を出ていくのだが、その時の自分の着替え以外のは風呂場にあった女物の時計と秀子の財布の中から、いくらか。もう一つ、恒男の時計もあったが、これはうっかり風呂場の入り口の棚に置き忘れてしまう。さらに、とんでもないを残して行った。

 水を張ったバケツの中に浮いた生理の血が付いた下着。


 翌日の昼間、一人の美容師が自宅の方にやって来た。今、店には美容師が二人いるが、どちらも通いだった。


「こんにちは」

「ほれ、こんにちは言うてはんのやから、こんにちは言わんかいな」

「センセ、何言うてんの。この子がこんにちは言うたから、私もこんにちは言うたんやないの」


 秀子も何かにつけて、娃子を見下す。また、その後、娃子も知っている近所の人がやって来た。娃子は台所で茶の用意をし、持っていけば、秀子はどこかの祝い事でもらったピンクの蒸し饅頭を果物ナイフで切っていた。


「娃子も食べや」


 と、言われたので、娃子が手前の切り片に手を伸ばそうとした時、秀子がいかにもと言う感じで言った。


「娃子、こっちの方が大きいで」


 はぁあ?

 娃子は、少しくらいの大きい小さいを言うのは見っともないことだと思っている。一人子の娃子は食べ物の取り合いをしたことはないが、家では、一番おいしいところは絹枝が食べることになっている。

 きっと、秀子はいつでもどこでも、損をしないよう少しでも大きい方を取って来たのだろう。だが、今は客の前、ここはオバとしての優しさを印象付けるために言ってやったのに、娃子は構わず手前のを食べた。


----せっかく、大きい方、譲ってやったのに…。


 いや、秀子が細かすぎるのだ。

 以前、義男の子たちがやって来た時の、菓子の分け方に呆れた。当人はに分けているつもりらしいが、やることが


「娃子、これ、いるか」


 ミックス菓子の中から、細長い羊羹を取り出したから、いると答えれば、何と、それを歯で半分に噛み切ったのだ。いくら、ビニールに包まれているからと言って、秀子の歯型の付いたものなど誰が食べるか。娃子は即座にいらないと言った。いくら公平を期するにしても、そんな汚いものいらんわ。

 菓子くらい、紙の上にでも広げて出せばいいではないか。そんなことをすれば、誰かが一人占めするとでも思っているのか。自分がそうだからと言って、一緒にしないでほしい。

 また、火鉢でかき餅を焼いている時に、近所の人がマゴを連れてやってきた。秀子はまだ焼いてない、かき餅の中から幾片か取り分けていたが、娃子は焼けた端から、そのマゴに食べさせた。 


「何やっ、私がちゃんと分けてやったのに」


 そのかき餅は正月の残りで、すでに割れてしまい、形は不ぞろいだったが、大きい小さいと言っても、その差は一口にも満たない。

 わずかの大小に、そこまでこだわるとは…。


 さらに、その翌日、秀子は婚礼用のかつらを出して来た。昨今の婚礼は式場で行われ、そこには専属の美容師がいるので、今はあまり声が掛からなくったとは言え、やはり、鬘はちゃんと手入れをしなければならない。

 多角形の鬘ケースの扉部分に幅広の茶色のグログランリボンが掛かっていた。娃子は鬘の下地は羽二重を使うと思っていたが、今はリボンで代用するのだ。


「あっ、お前、盗ったやろ」


 一瞬、何のことかわからなかった。


「その頭のリボン ! 」


 娃子には、頭がドタマに聞こえた。娃子は髪を一つに束ね、茶色のグログランリボンを結んでいた。だが、これは娃子が買ったものであり、また、鬘のリボンと同じものであるとは言え、幅が違う。鬘用のは娃子のリボンの倍以上の幅である。

 それなのに、娃子が鬘から盗って束ねた髪に巻いていると思い込んだようだ。冗談じゃない、そこにあるではないか。

 

----ああ、よかったよかった。


 秀子にしてみれば、娃子がリボンを盗ったと言うことより、リボンが無事であったことの方が大事なのだ。このリボンとて、秀子の財産なのだ。それを盗るものは誰であっても許せるものではない。また、紛らわしいリボンを付けている方が悪いのだ。



 やがて、通院の終わった娃子は自宅へ帰ることにした。帰れば、早速に峰子と会い、夏休みなので、いろいろと話が出来たし、二人して、中学の文芸部の顧問だった教師の家に行ったものだ。それぞれ、書いた詩の批評をしてもらったり、小説や詩の話をすることは楽しいことだった。

 だが、教師の家まではちょっと距離がある。市電を降り、長い商店街を歩いていく。歩くのは苦ではないが、日差しが強いので、娃子は日傘を持って行った。その日傘を二人で交代で持つことにしたが、峰子が持つとつゆ先で、必ず娃子の結んだ髪を引っかけるのだ。引っかけられるのが嫌で、どうしても娃子の方が日傘を持つようになってしまう。

 娃子は、峰子は日傘など必要ないのだと思い、ある時、日傘を持って行かなかった。


「日傘は」


 持って来なかったと言えば、峰子は何だと言う顔をしていた。

 最初、娃子が日傘を持って来た時は、気が利くなと思った。だから、暑い間はずっと持って来ると思っていた。でも、自分が差すのは嫌、さらに、娃子の束ねた髪のために、高く持つのはもっと嫌だった。娃子が差し掛けてくれ、日除けが出来るのがよかったのに…。 


 そんなある日、絹枝が行きつけの病院の薬袋を娃子の前に置いた。薬袋には娃子宛てのメッセージが書かれていた。


「なつかしく思います。近況が知りたいです」


 それは、中学三年生の時の同級生で、歯茎むき出しでよく笑う明るい女子だった。彼女の進路について詳しくは知らなかったが、准看護婦になっていた。実習で絹枝の通う病院に配属され、絹枝とも面識があったようで、向こうから声をかけて来たそうだ。

 娃子はすぐに手紙を書いた。だが、待っても待っても返事は来なかった。

 彼女にすれば、娃子の近況を知ればそれでよかったのだろう。それ以上の興味はなかったのだ。

 娃子にしても、小二の時の允子ちかこからの手紙に返事を出してないのだが、あれは郵便制度を知るための授業の一環だったが、それでも、たった一人、娃子にハガキをくれたのが允子だった。何となく返事を出さないままに終わってしまい、その後も同じクラスになったと言うのに、ごめんねの一言も言えないままに、今に至っているので大きなことは言えないが、便せんにつらつらと書いたのに、一度くらい返事をくれてもと思ってしまう。

 後年、クラス会ならぬ、中学の同期会が開かれたとき、この彼女と一瞬目が合ったが、すぐにプィと目を逸らした。


 そして、久しぶりに、マセ子のハハオヤと会った。会釈をしただけだったが、それが、最後になろうとは…。

 マセ子のハハ方は鈍行列車で二時間ちょっと離れた県の端の町だった。夏休みになると、イトコたちが遊びに来ていた。そこに、家を建て、マセ子とハハオヤは転居したが、チチオヤは仕事の関係でそのまま残っていた。つまり、逆単身赴任となっていた。マセ子は向こうの高校に行き、ハハオヤは時々、チチオヤのところへやってきていた。

 その夜、何やら、騒がしい。筋隣の二号のオバサンが、家守のオバサンを呼ぶ声がしたりと、人の動きがあわただしい。何事かと絹枝と庄治が外に出てみれば、何と、マセ子のハハオヤが死んだと言う。

 チチオヤは医者を呼びに行ったが、助からなかった。人が自宅で死ねば、警察がやって来る。


「刑事が笑うんで」


 と、二号のオバサンも笑いながら言う。

 その死因と言うのが、腹上死ならぬ、腹下死だった。マセ子のハハオヤは口は達者だが、心臓が悪く何度か入院したこともある。それを行為中にチチオヤが胸を圧迫したことが原因らしい。

 やがて、タクシーを飛ばして来たマセ子が到着したが、葬儀は「実家」で行われた。

 そして、半年後、チチオヤは再婚した。チチオヤ五十歳、相手三十八歳。マセ子のハハオヤとは似ても似つかぬ、色白の太った陽気な人だった。二号のオバサンの情報によれば、以前から付き合いがあったとのこと。

 だが、この家も六畳二間、その一つの部屋で前妻が死んだと言うのに、そこにそのまま住めると言う、後妻の神経の図太さ。娃子には耐えられない。いくら、その時の布団や前妻の衣類などは処分したとしても、台所などはそのままらしく、後妻は「不用品」を捨てていた。また、絹枝がそれを拾って来るのが嫌だった。

 後に、後妻は男の子を生んだ。マセ子十六歳下のオトウトが出来た。


 年が明け、春になり手術のため、娃子と絹枝が秀子宅にやって来れば、台所に赤い花柄の蓋つきボウルが鎮座していた。それは、娃子が難波の地下街で買ったものだ。持って帰ろうかと思ったが、持ち切れず棚に包装のまま置いて帰った。

 それにしても、十六歳のメイが買ったものを包装を破ってまで、使うとは…。


「いるんやったら、いる言わんかいな。言わんさかい、いらんのやろ思たわ。ちゃんと言うとかんのが悪いんや」

 

と、秀子が言い返すセリフくらい、聞かなくてもわかる。娃子は何も言わなかった。そうなのだ。この家にあるものはすべて秀子のものなのだ。それを自分のものと主張するなら、さっさと持って帰るべきだっだ。


 そして、同じことの繰り返しの手術だったが、そこでも娃子の「引き攣る質」は健在だった…。


 また、例によって、茂子が戻って来た。戻って来れば、家のものを持ち出すのが常だが、今回は違った。茂子は、一人ではなかった。 


 












 

















 









  


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