十五歳の夏 二

 娃子あいこは、中学の時の国語教師に手紙を書いていた。一、二年生だけの国語担任だったが、三年生の時には彼女が顧問の読書部も入っていた。つまり、クラブ活動の掛け持ちをしていた。土曜日は読書部。文芸部は土曜日と木曜日に集まりがあり、ここにも娃子のような掛け持ち組がいて、木曜組と呼ばれていた。

 三年生の国語の授業は禿げ頭の教頭だったが、クラブ活動でこの女教師と接点を持っていた。女教師としては少人数で古典を読んでみたいと最初は「古典部」として届を出していたのだが、読書部に名称を変えられたそうだ。その読書部と言う名称がのか思った以上に部員が集まり、半分苦笑いしていた。

 古典と言っても、最初は樋口一葉の「たけくらべ」から、その後は清少納言の「枕草子」と、娃子にとっては、どちらのクラブも楽しいものだった。また、国語辞書を持ってない娃子は、昼休みにわからない漢字の読みを教えてもらうこともあった。禿げ頭の教頭には聞きたくなかった。

 思えば、この中三の時が娃子にとって、それまでにない学生らしい一年だったと言えた。

 だが、卒業時のサイン帳には、娃子への励ましの最後に「心に太陽を、唇に歌を」が書いてあった。

 心に太陽もなく、唇に歌もないんだけどと、これにはちょっとがっかりした。まあ、お嬢さん育ちの人の好きな言葉ではある。

 それでも、卒業してから、彼女の家に遊びに行ったことがある。夫と幼い娘もいた。

 その時は、ユミと言う二つ下の子と一緒だった。ユミは女教師の実家の質屋のすぐ近くに住んでいて、そのことを教えてくれたのもユミだった。そんなこともあり、彼女に手紙を書くことがあった。

 その頃、茂子に見切りを付けるしかない状況の秀子は考えた。これはひょっとして、娃子の方がいいのでは思うことがあった。美容師とは一日中鏡の前で仕事をする。やはり、顔のことは気になるが、娃子の物怖じしない度胸は買える。

 何しろ、あの顔で平気でどこへでも行くし、また、行きたがるのだ。それもいいかも知れない。娃子さえその気なら、この店を任せてみるのも悪くない。


「もし、ダメやったら、私がウラで貰ろたるさかい」


 秀子にしてみれば、まだ、自分にはそれだけの力があると言う自慢なのだが、娃子にすれば見くびられたとの思いの方が強かった。まだ、美容師になるとも言ってないうちから、試験が不合格の時の話までするとは…。

 

 そのことを女教師への手紙に書いた。いや、その下書きを絹枝が見てしまった。書いたと言っても、美容師にならないかという話がある、それくらいのことでしかないのに、なぜか激怒した。

 小学校の作文で家の恥をさらし、散々怒られたと言うのに、まだ、性懲りもなく、こうして家のことを書いてしまうとは、これが黙っておられるか !


「高村 みつ太郎言うて誰ない ! 」


 それは詩人の高村光太郎のことだが、いくら説明しても、絹枝にそれがわかる筈もなかった。


「ろくでもないこと、書きゃあがって ! どんだけ金、使こうた思うとんない ! 」


 書いたことが気に入らないだけなら、ともかく、そこにいきなり金の話が出てくる。こうなったら、手が付けられない。いや、これからが絹枝の本領発揮である。とにかく、娃子を責めまくる。夜になっても、布団を敷きながらも、布団の中で仰向けになっても次から次へと罵詈雑言が、まさにあふれ出てくるのだ。


 その時、娃子の背中に冷たいものが走った。 

 もう、駄目だ…。

 

 朝になっても、絹枝は仕事に行くまでの間、文句を言い続けた。


が ! 」


 コンナゲドウ、とは「この外道」と言う意味である。だが、もう、何ともない。もう、これで、終わり。

 娃子も決断が早い。早速に辺りを片付け始める。見苦しくない程度に。

 昨日の夜、背中に冷たい稲妻が走った。それは、死を意味することだった。

 自殺…。

 今までにも何度か死のうと思ったことはある。あるが、死に方がよくわからなかった。

 断崖恐怖症の娃子は海には飛び込めない。列車に飛び込めば、国鉄は賠償金を請求する。それこそ孫子の代まで取りに来るそうだ。そんな、後に迷惑がかかるような死に方は出来ない。また、首を吊ろうにも吊れそうな木もない。少し山に入って行けば木はあるが、今度は高すぎて紐がうまく掛けられない。手首を切ったとて、包丁で腹を突いても中々死ねないと聞いた。

 死ぬのなら、確実に死ななくてはいけない。死に損なってはいけない。死に損なって見ろ、それこそ、絹枝からどんな目に合わされるかわかったものではない。 あの絹枝が、死に損なったものを決して許すものか。

 だが、今は確実な死に方を知っている。

 中学の生物の教師が教えてくれた。教師は別に自殺の方法を教えたわけではないが、それは、確実な自殺方法であった。


 水の中で血管を切る。

 血は水より濃いと言うが、その濃い血は水に溶ける。

 もう、片付けも終わった。遺書など残す気もない。何を書いても無駄である。例え、峰子に託したとしても、何ほどのこともない。

 娃子が死ねば、みんな、喜ぶ。特に、絹枝は喜ぶことだろう。


----やっと、オウコウコウしてくれたか…。


 あの顔から、やっと解放される。庄治とも別れられる。こんないいことはない !

 その他の人も、もう、あの顔を見なくて済む。これでこの町の景色も良くなる。娃子は正しい選択をした。一応泣き顔は見せておくが、心はお祝いムード満載。

 娃子は今まで、人に喜ばれるようなことは何一つしたことがないから、それで、人が喜んでくれるなら、死んでもいい。

 だから、もう、思い残すことはない。


「娃子ちゃん」


 その声に、一瞬、ぎくりとした。

 これで死ねなくった…。

 声の主は質屋の孫娘のフキちゃんだった。庄治がパチンコ代欲しさに着るものを持って行く、すぐ近くの質屋である。もっとも、絹枝がフキちゃんの祖母に庄治が何か持って行っても貸さないようにと頼んだことから、庄治は新たな質屋を見つける。それが、女教師の実家の質屋だった。これには娃子が驚き、その質屋へ行くのはやめてくれと言った。その後は多分、行かなかったと思うが、本当のところはわからない。

 そんなことより、とんだ邪魔が入った。お陰で死ねなくなった。

 この辺りは朝は魚市場のざわめきや、車の往来もあるが、それとて騒がしいと言う程ではない。しかし、これが、昼間はものすごく静かになる。だから、足音がすればわかる。だが、大人の特徴的な歩き方と違い、子供の足取りは軽やかである。また、そんな足音にも気が付かないほど、娃子がしていたと言うことか。

 フキちゃんにして見れば、夏休みで暇してたから遊びに来たに過ぎない。彼女は中学二年生である。そして、何と、この四月から文芸部に入部していた。そのことは知っていたが、何より、彼女は歌が上手である。小学生の頃、地元のラジオ局で歌ったことがある。その彼女が文芸部とは意外だった。

 だが、さすがのフキちゃんも、その時の娃子の様子から何かを感じ取ったらしく、娃子の気持ちをほぐすかのように文芸部の話を始めた。


「先生がね。卒業した三年生の中で、文章は部長の…君で、詩は娃子ちゃんが良かったって言ってたよ」


 後から考えても、もう数分フキちゃんが来るのが遅かったら、娃子は確実に死んでいた。その方が良かったかもしれないが、またも娃子は死の淵から現実に引き戻されてしまった。


 そうだった。

 娃子が生きている限り、絹枝の評価は高まって行く。だが、今、ここで娃子が死ねば、その評価は一気に頂点に達することだろう。また、バカなマスコミが取り上げるかもしれない。

 彼らには「取材」と言う伝家の宝刀がある。その伝家の宝刀も所詮は当事者やその取り巻きから話を聞くことでしかない。そこから見えてくるものもあると言うが、誰もが真実を知っている訳でもない。いや、そこに嘘があっても、真実として報道される。こんな美談は滅多にあるものではない。特に、読者受けのいい「ハハモノ」である。また、取材を受けた人たちも、娃子が死んだ嬉しさを隠しつつ、ここぞとばかりに絹枝をほめたたえることだろう。

 そして、絹枝は「伝説の聖母」となる。


 それだけは、阻止しよう。それだけは…。


 質屋の娘への手紙から、質屋の娘によって止められた、自死。

 娃子、十五歳、死に損なった夏…。


 足が痛い。 


 

 






 















 



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る