十五歳の夏 一

 タクシーが止まったところは小規模の病院だった。

 事前に義男がアポを取っていたようで、院長と面談することが出来た。早速に入院日の話になるのだが、院長が外国へ行くので少し先のこととなり、ひとまずは帰ることにした。

 帰ってからも、絹枝の口は滑らかで院長が外国へ行くことを触れ回った。海外旅行がまだ一般化していない頃、外国へ行くことは特別なことだった。そんな外国へ行くほど、すごい院長。そこのところを絹枝は強調するも、行先はアメリカであったり、イギリスであったり、フィリピンであったりと、はとどまるところを知らなかった。

 いよいよ入院日が近づき、再度秀子宅へ行く。

 入院日当日の絹枝の服装を見た妙子はやりきれない気持ちでいっぱいだった。紺サージのスカートに、上は黒っぽいブラウス。さすがにブラウスは新調したようだが、どうみても安物である。


----着て行くもんないんやったら、やらいでも、貸してあげたらええのに…。そんな気もないんやなあ…。


 自分は絹枝から金を借りて、今の暮らしを築いたと言うに、秀子はそのイモウトに服を貸す気すらないのだ。  


 この病院は当時としては珍しいくらいに宣伝をしまくり、大阪で知らないものはないと言われる整形外科だった。絹枝もラジオでこの病院の名を知った。また、当時は整形外科、美容外科の区分も曖昧であり、娃子あいこの行う手術は、美容整形ではなく、事故などによる損傷を復元する形成手術に分類されるのだが、形成外科という言葉すら一般にはまだ、認知されていなかった。

 

----わあぁ、十五万がぁ…。


 絹枝が最初に病院に支払った金である。それにしても、十五万円とは…。

 自分の汗の結晶ではないか。やはり、惜しい…。

 それだけではない。近くの酒屋で千五百円のウイスキーを買い、院長に届けた。


「先ほどは、結構なものを頂戴いたしまして…」


 と、院長が病室までやって来た。それが効を奏したのかどうか、手術費は免除されたとのことだった。


「の、見てみい。やっぱり、金じゃ」

----娃子。わしは、ここまでしてやったぞ !


 これで、また…。


「あなたは死にますが、その代わり、娃子の顔はきれいになりますよ言うんなら、わしゃあ、それでもええの !」


 と、これまでにも幾度となく、絹枝は顔を大きく動かしながら言ったものである。

 つまり、娃子の顔のためなら、自分は死んでもいいと言うことらしいが、これはウソである。

 そんなことはない、そんな手術はないと思っているから、こんなにも自信たっぷりに言えるのである。どこの世界に、喜び勇んで死んだ者がいるか。

 己の心意気の素晴らしさを、娃子にこれでもかと植え付けつつ、絹枝自身が、自分の言葉に酔いしれているだけである。

 だが、人はいとも簡単に絹枝の言葉を信じる。それが、娃子を取り巻く世の中の構図である。


 そして、いよいよ娃子の顔の手術となるのだが、娃子がまだ子供であること、絹枝があまりにも無知であるところから、事前説明などほとんどないままに手術は行われた。

 手術室は二つあり、一つは一階の診察室の隣にあった。後に、娃子は間違ってドアを開けてしまったことがある。まさに、その時は手術の真っ最中だった。驚いた娃子はすぐにドアを閉めた。

 一回目の手術はこの部屋で行われた。先ずは、右目の下瞼の修正である。耳の後ろの皮を右目の下に細長く移植し、これで、下瞼のは解消された。

 しばらくして、今度は両頬の移植であるが、先ずは頬の皮を剥ぎ、その上に麻のような布切れを張り付け、これまた、しばらくそのまま。途中でその麻布を交換するのだが、その時の痛いこと。何しろ皮膚のない生の身に布が張り付けられているのだから。それでも、娃子は黙って耐えた。

 極めつけは両頬の移植手術である。この時はもう一つの手術室で行われた。前の部屋より狭いが、医師と看護婦と患者の三人なら手頃と言えたかもしれない。

 皮膚移植とは文字通り、損傷した皮膚を取り除き、そこに、他所から剥いできた皮膚でつぎ当てをすることである。剥ぎ取ってくる皮膚は近ければ近いほどいいのだが、娃子の場合は顔である。さすがに顔の近くからは持ってこれないので、太ももから取った。

 手術用の針は釣り針のように丸くなっている。糸はナイロン糸である。一針縫っては糸を結んで行く。また、その縫い方にも違いがある。肉と肉がくっ付けばいいような時は荒く縫うが、特に顔などの場合は細かく縫う。細かく縫えば縫うほど仕上がりはきれいになる。

 だが、この手術は惨憺さんたんたるものだった。ここまですべて、局所麻酔である。今までもそうだったが、特にこの日は麻酔が効かなかった。痛いと言えば、また、顔に麻酔を打たれるが、それも効かない。あまりの痛さに涙がぽろぽろ落ちてくる。 

 この時は執刀医も変わった。後で聞くところによれば、この道では知られた医師らしいが、大阪弁丸出しの不遜な医師だった。少なくとも娃子にはそう思えた。

 

「そんな大きな声で、痛いって言うんやのうて「痛い」て普通に言わんかいな」


 声が出るほど痛いから、痛いと言うのだ !


「麻酔て、大酒飲みには効かんけど、酒は飲まんよね」


 と、今度は看護婦が呑気そうに言う。

 十五歳の少女が酒を飲むか !

 それだけではない。皮膚を両太ももから剥ぎ取るため、腰椎に麻酔をしたが、それでも剥ぎ取られる時も痛かったし、今も下半身が膨れ上がったような感触に悩まされていた。

 もう、少しでも早く終わってほしい手術なのに、医師はラジオをかけろと言い、相撲を聞きながら勝った負けたとほざいていた。外科手術の場合、患者の気を紛らわせるためにラジオを聞かせることがあり、また、音楽を流しながら手術をする医師もいると聞いたことはあるが、それにしても相撲とは。

 

「ほれ、きれいになったで」


 やっと終わった…。

 移植し終わったところにガーゼを当て、その皮膚が動かないようスポンジで固定する。それを圧迫という。まさに、台所で使うようなスポンジである。さらに、その上から包帯をそれこそぐるぐる巻きに巻かれた。

 その圧迫のお陰で、食事は牛乳とジュースだけになり、もう、お腹がすいてどうしようもない。絹枝が近くの店でカステラを買い、それを少しずつ口にいれるが、そんなものでは到底足りない。それでも抜糸まではこの状態が続く。

 病室は三人部屋で、隣のベッドは二十二歳の娘だった。彼女は足を痛めて入院していた。その隣は中年女性。だが、この人は本当はどこが悪くて入院しているのよくわからなかった。ただ、排尿の後、看護婦に消毒してもらっていたから、婦人病のようである。当時の入院区分も適当なものである。

 もっとも、ここでも、絹枝のハハオヤとしての評価は院長をはじめとして、称賛されまくり状態であり、特に、隣の若い娘はすっかり絹枝に心酔しきっていた。また、絹枝も日頃の言葉使いの悪さはどこへやら、そこは方言交じりではあるが、少しはヒンよく振舞っていた。


 娃子の見舞いに一番最初にやって来たのは、正夫である。絹枝はこのことを後々までも、ものすごく評価したものだ。

 その正夫が二度目にやって来た時、ちょうど昼食の配膳があった。付き添いにも食事が提供されていた。


「正夫、食えや」


 正夫は言われるままに、その食事を食べ始めるが、娃子は信じられなかった。それは絹枝の昼食ではないか。それを食べてしまっては、絹枝は何を食べるのかとは思わなかったのだろうか。だが、正夫にしてみれば、食えと言われたから食った、言われなければ食わない。それだけである。

 娃子は正夫がメニューのカツに噛り付く姿が忘れられない。

 次に、妙子の内縁の夫が水あめを持って来てくれたが、これは甘すぎて、消費するのが大変だった。そして、則子が長女を連れてやって来た。

 ほとんどの商品に上げ底が施されていた頃である。ジュースが2本入った形だけは大きな箱に、封筒が添えられていた。

 中身は、五百円札が一枚…。

 それにしても、まさか、五百円とは…。

 あの時、義男は言った。


「後の雑費は、わしがするわいの」


 さすがの絹枝も二の句が継げなかった。取り立てて後の雑費を期待していたわけではないが、それにしても、五百円とは…。

 いやしくも、自分のムスメではないか。それだけではない。


「ちぃたあ、しちゃったんか」


 その後、義男が帰郷した時、オバが娃子の手術に際し少しは金を出してやったのかと尋ねた。


「しちゃったで」


 それを聞いた絹枝は怒った。


「なあにもしてもらやあせんわ。が二本と、五百円だけじゃった」


 これには、オバもキヨ子も驚くしかなかった。自信たっぷりにしてやったと言うから、数万くらい出したのだろうと思っていた。


 そして、やっと抜糸になるのだが、娃子の場合、抜糸も結構時間がかかる。何しろ縫い目が多いのだ。ピンセットで糸をつまみ上げ、ハサミで切っては引き抜く。ついに、圧迫も取れたが、両頬にはガーゼが貼られたままである。このガーゼ交換も看護婦によって違う。貼りやすいのかもしれないが、ガーゼを止めるテープを鼻の下に貼る看護婦がいる。これはすぐに剝がれてしまうし、動く口の上と言うのはうっとうしいことこの上ない。

 それより、娃子は移植跡がどうなっているのか気になり、鏡の前でガーゼの隙間から覗いてみた。何と、右頬がシワになっているではないか。医師に見せるも、ああ、なってしまったかという反応でしかなかった。


「次な、もういっぺん、やるわ」


 また、同じところに同じことをやる…。

 そして、太ももだが、ずっと包帯を巻かれたままで取り換えもしないので、匂いがして来た。シーツにも血が付いているが、この血がどう見ても、黒いのだ。

 戦争で負傷した人の話で、黒い血が出たと聞いたことがある。まさか、これが、その黒い血?

 娃子は見回りに来た他の医師に、匂いがするから包帯を取り換えてほしいと言った。また、ガーゼはへばり付いているから、交換するとき痛いのではと言えば、何と、全身麻酔で包帯を交換してくれた。

 皮膚を剥ぎ取った跡には赤い薬が塗られていた。その赤味はすぐに取れたが、毛穴が透けて見えた。それだけではない。その部分すべてではないが「肉」が盛り上がってきた。それも柔らかい太ももにそぐわないほど固く、厚いところは1センチ

くらいあった。その肉の盛り上がりも、やがては消えて行くが、それもかなりの年月を要した。だが、毛穴はそのままである。  

 そして。抜糸後の顔にはヒルドイドを塗り、顔と太ももには赤外線ランプを当てる。


か。それやったらあるで」


 と、秀子が言ったので、退院時に赤外線ランプは買わずに済んだが、ヒルドイドは1本五百円だった。娃子はしばらく通院があり、仕事のこともあるが家のことも気になる絹枝は一足先に帰ることにした。また、庄治が何か質屋へ持って行ったかもしれない。帰ったら、真っ先にそれを調べなくてはいけない。


 そして、峰子がちょうど夏休みに入った頃、娃子も帰宅した。

 峰子とは、手紙のやり取りをしていたし、帰ることも知らせておいたので、すぐに会うことが出来た。

 そんなある日、中三の時、同じクラスだった牧子と他に男子と女子が家にやって来た。話はクラス会をやろうと言うことだった。


「げへへ、若い衆が来とったじゃないか。ふん、色気づきゃあがって」


 三人が帰ると、絹枝が笑いながら言ったものだが、それも、男子が一人でやって来たのならともかく、女子二人と一緒なのに妄想逞しい絹枝である。そのくせ、またしても、娃子のクラス会参加を渋った。


 そして…。

 


 

 


 





















































































































































































































































































































































































 

  

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