オヤの花
それにしても、教科書とは何だろう。教育のための教材であることはわかるが、小学校の時でも、その内容に違和感を感じることはあったが、中学の教科書の不可思議さ…。
特に社会科、出てくるのは男の名前ばかりで、女は、卑弥呼、紫式部、清少納言、北条政子とキュリー夫人が一行足らず。
詰まるところ、歴史とは、学校で覚えなくてはいけない歴史とは、戦争の歴史でしかない。
動物の世界を弱肉強食とか言うけど、彼らは空腹でない限り、他の動物を襲うことはしない。人間の最初の争いも生きるための食料争いであるが、それらはやがて、力関係へと発展し、一部の人間がいい思いをしたいために、国と言う集団で武器を持った戦争が始まる。そのためにどれだけの人が、つらく悲しい思いをしてきたかなど、そんなことは教えない。教えるのは、歴史は繰り返すということばかり…。
また、国語の教科書もひどい。こちらも男の名前ばかりで、女はこれまた紫式部と清少納言。樋口一葉すら出てこない。
それだけではない。女とは愚痴っぽいものとさえ書いてある。
三年生の国語の担任は、
「オヤの小言と、ナスの花には千に一つの無駄もない」
そんな、千に一つも無駄を言わないようなオヤがいるのか。いるのなら、今すぐ出で来い !
オヤ、大人の話など、無駄ばかりである。千に一つのまともがあればいい。そして、保健体育の授業で必ず出てくる言葉。
「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」
この時、当然、娃子にじろりじろりと視線が注がれるが、それは、なぜか、男子が多かった。
確かに、娃子は健全なる肉体、健全なる精神などは微塵も持ち合わせてない。だが、健全なる肉体を持った彼らは、胸を張って、健全なる精神を持っていると言えるのか。
----お前よりは、マシ。
教科書とは、こんなにも女を見下げ、肉体の優劣に心の優劣を比例させることを学ばせるものなのか…。
そんなことはない。そこは教師の話をよく聞くことだ。いや、教師も通り一遍のことしか言わない。
三年生になると、峰子とは別クラスになったが、
「見てみぃ、のう、よその子らぁ、洗濯物は取り込むし、シーツはきちんと伸ばすげな。家のこと、何でもようする言うで。それじゃに、お前は何にもせんじゃないか !」
いや、掃除も台所仕事もやってるし、白ズックの靴も週に一度は洗っている。制服のスカートは毎晩のように寝押している。洗濯も自分のものは自分で洗い、取り込みもするが、シーツは伸ばさなくても、糊が効きすぎる程に効いている。娃子は肌が擦れて痛いのに、絹枝は平気なのだ。
「ウソ、やあがれ。お前はのぅ、シンセイ行ってから、ウソばっかり言うようになってから。よその子とはえらい違いじゃ。ああ、よその子はええ、よその子はしっかりしとる。やっぱり、違うわ」
絹枝は、中学校のことを「シンセイ」と言う。戦後の教育改革により、中学までは義務教育となった。それ以前の中学は旧制中学と呼ばれ、新制中学の誕生となるのだが、絹枝は手っ取り早く「シンセイ」だけ覚えた。また、一度、覚えたことは絶対に変えない。
そして、その肝心のよその子だが、三年生の同じクラスに絹枝の仕事仲間の娘がいた。とは言っても、今まで接点はなく、彼女のハハオヤとも顔を知っている程度でしかない。やはり、ハハオヤが日雇いであることはあまり知られたくないことであり、互いに同級生として接していたが、明るい性格の女子だった。
娃子は彼女に、家の手伝いのことを聞いてみた。
「それがね。うちのオヤは、ちょっと用事すると、ものすごく喜ぶんよ。洗濯たって、今は洗濯機に入れるだけじゃ。シーツは伸ばさんにゃ、しわになっとるし、そんなとこ」
つまり、ハハオヤの採点が甘いか辛いかの違いでしかない。そして、もう、ほとんどの家庭に洗濯機などの家電製品が揃いだしたと言うに、娃子の家には、洗濯機はおろか、テレビもない。
別に、買う金がないわけではない。それでも、なぜか、絹枝は買わないのだ。テレビは娃子が中学を卒業した頃にやっと買い、しばらくして、冷蔵庫。洗濯機はさらに、その数年後のことだった。だが、遅く買うということは、その分、新型である。そして、家に家電製品が運び込まれれば、必ず偵察にやってくるヤモリのオバサンがいた。ヤモリ(家守)とは、大家から家賃の徴収を委託されている人を指す言葉だった。
その後も、絹枝のよその子褒めが続くので、娃子もよその家のことを話してみる。
「よそはよそ ! うちはうち ! 」
と、こちらは、にべもなく撥ね付ける。そして、またも、念仏が始まる。
「ああ、娃子は役に立たん。わしらぁ、家のタメにゃあなった。わしほど、家のためになったもんはおらんわ。ああ、娃子は役に立たん娃子は役に立たん」
まだ、眠いのに、チチに起こされ漁の手伝いに駆り出されたことを言っているのだ。
何かあれば、尚のこと。何もなくても決して黙っていられないのが、絹枝であり、庄治である。この二人が黙っているのは一人の時だけである。そこに、誰かいれば何か言わずにはおられない。絹枝は粗探し、時には問わず語りもどきに、突如として何の脈絡もない話が始まる。また、話とは、時に脱線してしまう時もあるが、絹枝の場合、今、この話をしていたかと思えば、ふいに、話が脱線を通り越して、どこかへ飛ぶ。まさに、飛ぶのである。ある時、娃子がそのことを指摘してみれば、とんでもないしっぺ返しにあったものだ。
「おおっ、話が飛んで悪いか、悪いか、悪いか言うてみぃ、言うてみぃ。のう、言うてみぃ言うんで。何かぁ、そんな法があるんか、あるんか。あったら言うてみぃ ! がたがたぬかしゃあがんな ! オヤの言うことは聞かんと、文句言うことばっかり、覚えやがって ! しょうのないガキじゃ」
もう、二の句が継げない…。
その点、庄治はただ、相手をしてほしいだけである。誰でもいいから話し相手が欲しい。そこに酒があれば尚いい。一人は嫌で、話をしながら飲みたいのに、それを怒らすのが、絹枝であり、娃子である。
特に、近頃の娃子の口達者なこと。今から、こんな性格では先が思いやられる。絹枝ではないが、どうして、自分の顔のことを考えて、人に好かれようと思わないのだろうか。何より、オヤを怒らせるとは何事か。
また、絹枝は陰では、誰でも呼び捨てにする。絹枝に呼び捨てにされなかった人はいない。さらに、見下げられるものは何でも見下げる。犬猫など、人間以外は無論のこと。その人間も、まずは年端もいかぬ者。赤ん坊や幼児の何気ない仕草はかわいく、思わず笑みもこぼれるが、そんな時でさえ、絹枝の笑いは見下げ笑いでしかない。そして、障害者の真似をする。
「のっ、こうやって歩きよるで」
と、
さすがに、娃子がそんなことはやめろと言えば「げへへっ」と笑ってごまかす。
さらに、在日の人を嫌う。もっとも、娃子には、どの人が在日なのかよくわからない。その人たちは普通に日本語をしゃべり、日本社会に適応しているように見えるが、それは、娃子が知らないだけだった。
同学年に「英姫」と言う名前の女子がいた。
えいひめ?それにしても、すごい名前を付けるオヤがいるものだと思っていたが、例のハーフ女子が
「まあ、あそこのオジサンは、普通に箸、使こうて食べるけど、オバサンとあの子は、丼に残飯みたいもんをほりこんでスプンで食べるんじゃけん。それに、オバサンは立てひざ、ついてから。見られたもんじゃないわ」
彼女はハーフと言っても、日本人の祖父母と暮らしているので、在日の食事風景には驚かされたようだ。
だが、何より絹枝がバカにし、嫌いぬいているのが、被差別部落の人たちである。当時、市内には
娃子たちの通う中学の隣の校区にその町はあった。だが、この隣の中学。これまた、娃子たちの悪中に比べ、市内に知られた「良中」なのだ。
高校受験のことを考え、この中学へ通わせたいと引越しするオヤもいるほどである。別に引越ししても損はない。駅は近くなるし、何より、目指す市内一の進学校が近くなのだ。その部落はちょっと奥まったところにあった。
絹枝は部落民のことを「エッタ」「新平民」さらに、なぜか「チャセン」とも言った。とにかく露骨に軽蔑するが、彼らの子供たちが通うのは、その良中である。また、その子供たちが何かやらかしたような話は聞かない。聞こえてくるのは、ワル中の生徒たちのことばかりである。
あの、ガラの悪い町には在日の家族も多いとか。
それでも、絹枝は部落民を罵る。
本当に、いつでもどこでも、誰かを何かを悪く言わなければ気が済まない絹枝である。
そんな中学生も三学期になれば、一気に受験モードへ突入する。
結果、峰子と
----お前が自殺した言う話、待っとるけんの。
卒業式の日に、男子のそんな視線を痛いほど感じた。
そして、娃子は…。
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