坊主なぜ泣く

 中学生になると、男子は全員坊主頭になる。

 小学生の時は特に決まりはなく、坊主頭でも坊ちゃん刈りでも構わないが、圧倒的に坊主頭の方が多かった。そんな、坊ちゃん刈り男子が坊主頭になった時は、ちょっと奇異に感じたものだが、その中には私立中学への受験が失敗した男子もいた。

 だが、坊主頭になったからと言って、人の頭の形がすべて丸いとは限らない。頭が絶壁の男子もいて「オチロウ」と呼ばれたりしていた。

 男子でなくてよかった…。

 娃子あいこの頭も絶壁である。それだけではない。頭頂部が陥没している。さらに、娃子の頭は大きい。

 大頭で頭頂部が陥没している…。

 誰が、そんな頭、放っておくものか。当然、さらなるいじめの対象になったことだろう。

 ただでさえ、この顔の上に、絶壁陥没大頭。こんな、不気味で滑稽なことはない。

 ここだけは♀であることが救ってくれた。また、毛量も多く、絶壁であることも陥没していることも、髪の毛が隠してくれた。

 誰にも知られてない。絹枝ですら気づいてないことである。

 絶壁は仰向けに寝かし続けたからであり、陥没は絹枝に殴られてできたものである。幼児期のまだ頭が柔らかい頃、陥没する程に殴りつけられたからである。

 絹枝は決して体に痕が残る様な虐待はしない。だから、娃子が言葉で意思を伝えられるようになるまで、頭を殴り、手をひねり上げ、畳の上に転がし足蹴りした。オヤや教師による体罰など、問題にならなかった時代、子供が泣こうがわめこうが気に留める者はいなかった。

 オヤは子を怒るもの。子は泣くものと決まっていた。

 俗に、頭が大きい方が賢しいとか言うが、そんなことはない。現に庄治も大きい方に入るが、そんな大頭をさっぱり使わない奴もいる。だが、頭の小さいのに、賢いのはいない。

 そして、娃子にも反抗期が始まる。もう、何もかもが、ムカついてどうしようない。反抗したからと言って、何が変わるわけでもないが、ムカつく気持ちと、庄治の視姦に対する防御でもあった。

 攻撃は最大の防御である。


 山の上の中学校からは眼下に海が見えた。小学校唱歌で「海は広いな、大きいな」と歌わされたものだが、娃子の知っている海は広くも大きくもなかった。

 三方を山に囲まれた地形に加え、海の向こうにも山が立ちはだかっている。正確には島だが、その島が視界を遮っている。これでは海と言うより、静かな池か湖でしかない。

 また、学校までの坂道を毎日上り下りすれば足が丈夫になると、ある教師は言ったが、この町から有能なスポーツ選手が出たとも聞いてないし、小さな町で小さな海を見ていたのでは、大した人物も出ないだろうと思った。あの坂本龍馬が毎日見ていた海は、太平洋だ。

 もう、息が詰まりそう、こんな樽蛇のような町。


 樽蛇たるへび

 樽の中に蛇を入れ、体が抜けられそうなくらいの穴を開けておく。どの蛇もその穴から抜け出したいのに、一匹が出ようとすれば尻尾に噛みつく。順番に出ればいいだけのことなのに、勝手に出ようとするのが気に食わない…。


 三千代もそんな蛇の一匹でしかない。この三千代という名前も、チチオヤが女優の新珠三千代のファンだったところから付けたくらいは想像付く。それにしても、似ても似つかぬ名をつけたものである。

 三千代は仲良くなった友達の前で紙を広げ、何か書いていた。書き終えると、娃子にその紙を突き出して来た。

「オバケへ」という書き出しで、娃子の憎悪悪口が大きな字で書き連ねてあった。読み終えた娃子は「読んだ」と言って、その紙を返した。

 三千代にしてみれば「どうだ、参ったか」のつもりで書いたのだろうが、娃子は別に何ともない。この程度のことに一々反応するほど、やわではない。

 だが、いくら、それまでに三千代から娃子の悪口を聞かされていたとは言え、側で三千代の書く文を黙って見ていた女子。彼女が取り立てて、娃子に何かしたとか言ったとかはないが、別に、この時の「手紙」が原因で三千代と仲たがいした訳ではない。仲たがいはもっと後のことである。つまり、仲の良い友達が嫌いなものは嫌いで「オバケへ」という手紙も当然のことなのだ。

 また、三千代はとんでもない勘違いをしてくれた。席の近くに学級委員の男子がいた。入学式の時、新入生代表だった。造り酒屋の息子で、野球少年でもあった。人当たりもよく、話も面白い。席が近いので、彼の話に笑ってしまうこともあった。それを三千代は娃子が彼を好きなのだと勘違いした。


「お生憎さま。…君の机は運びましたよだ」


 掃除のとき、娃子に言った。娃子は逆に三千代が彼を好きなのだと思った。自分と同じ男子を好きになるなんて、許せない!と言ったところだろう。


 そして、初恋の彼だが、何しろ、一クラス60人近く、それが八クラスあるのだ。クラスが離れれば顔を見ることもない。そんなある日、久々に会った彼はメガネをかけていた。それも、ロイドメガネ…。ちょっと、ガッカリした。

 そんな中で出来た、峰子という友達…。

 仲良くしてくれるだけでもうれしかったのに、誕生日には心からの手紙をくれた。そして、二年生も同じクラスになれた。その時は互いに喜び合った。それだけではない。

「何でも話し合える、友達になってや」の結び文には感動すら覚えた。だが、二年生のこのクラスは最悪だった。峰子たちの「助言」により、唐突に席を替わらされた周囲には、ひどい悪ガキたちがいた。

 この中学は市内にその名をとどろかせた「悪中わるちゅう」である。それは峰子たちの小学校区にひどくガラの悪い地域があるに他ならない。そして、娃子はそんな悪ガキに囲まれてしまった。本当に樽蛇である。

 つくづく娃子は峰子たちと同じ小学校でなくてよかったと思った。もし、これが彼らと同じ小学校なら、それこそ、どんな目にあわされていたかわからない。彼らは、オヤや教師から一、二発殴られたくらい何ともない。例え、絹枝が烈火の如く怒ろうとも、その時は、子供であることを最大限に活用すれば何とかなる。

 彼らも娃子のことは噂に聞いていた。

 さらに、同じ中学の同学年だったが、クラスが違えばそんなチャンスとてない。下校時はほとんど峰子たちと一緒で、商店街では大人の目がある。そして、やっと、同じクラスになれたと喜んだものの、今度は席が離れ、これまた、峰子たちにガードされているようなものだった。これでは思うように絡めない。

 それが、なぜか、突如、自分たちのすぐ席近くにやってきた。まさに、飛んで火にいるとはこのことだ。嬉しくて、ニタニタが止まらない。だが、思った以上に娃子には耐性があった。また、オヤがかなりヤバいらしい。だからと言って、手を緩める気はない。


「これ付けたら、わからんようになるよ」


 これとは、習字の墨のことである。習字の時間が終わり、残った墨を捨てに行くとき、ある男子は硯を娃子の目の前に突き出して言った。つまり、顔に塗れと言うことだった。そして、机の中にノートを破った走り書きが投げ込まれていた。


「僕はあなたが好きです。…の前で待っていてください」


 誰が、こんないたずらにのるものか。

 そして、彼らは授業中でも騒ぎ、性に興味深々の年頃であり、平気で卑猥なことを大声で言う、ひどいクラスだった。

 また、ハーフ女子に「ヤンキー」娃子に「ハゲ」と言った奴は転校していた。転校先からの手紙が廊下に張り出されていた。


「僕はクラスで25番になりました」


 と末尾に書いてあった。お前が25番なんぞ、どんな学校だよと思った。

 男子だけでない、女子の中にも不良はいる。逆毛を立てた髪に、白ではあるがフリルのついたブラウスを着、これで本当に中学生かと思うほど、しぐさはすでに夜の女の風情を漂わせていた。また、大柄で言葉使いは男の女子もいた。その女子が娃子の側にやってきた。日頃、話もしたことがないのに、態度が生意気だとか言ってきた。

 態度が生意気と言われても、どうしようもない。だから、何と言った。


「そんなら、どうなっても、ええんじゃのっ」


 それで、何が、とか言っていたら去って行った。その後は何もなかったが、彼女にしてみれば、どんな反応を示すか、ちょっと娃子を脅してみただけかもしれない。それが、思ったより強気だった。

 今日のところは、このくらいにしておいてやるか。そんなところだろう。

 だが、彼らには、娃子はいじめてもいいんだという不文律があった。

 なぜなら…。

 娃子は、いずれ、自殺する。それが娃子の歩むべき、正しい道。いや、遅いくらいだ。並の神経の持ち主なら、とっくに自殺している。それを今まで、生き長らえている方がおかしい。だが、すぐに、現実にぶち当たることだろう。

 そして、自殺する。いずれ、自死する人間をいじめて何が悪い。できれば、もっと早く、今日にでも、明日にでも、死んでくれ。

 その方が、世のため、人のためではないか。お前が死ねば、多く、いや、すべての人が喜び勇んで拍手喝采してくれるだろう。いや、線香片手に並んでやる。だから、何をためらう。

 何しろ、人三化七にいさんばけしちなのだから。


----よ、死ね!! 

 

 学校でもセクハラまがいに悩まされ、家では、ちょっと油断すれば、庄治に襲い掛かられるかもしれない日々。今に始まったことではないが、娃子にはどこにも身の置き場がない。

 

「そりゃ、どこの家でも多少のいざこざはあるよ」


 と言う人もいるが、多少のいざこざではない。これまでも、これからも連綿と続くであろう、怒り時々、泣きの連鎖。

 泣くのは、娃子ではない。絹枝でもない。庄治が泣くのだ。それも、絞り出すような声で泣くのだ。

 なぜ泣くのか。それは自分の「思い」を受け入れてもらえないことを泣いて訴えるのだ。

 女の涙は武器と言うが、娃子は涙が武器になったことなど一度たりともない。ウソ泣きなどしたこともない。また、悲しくて泣いたこともない。いや、悲しいことなど何もない。

 悔しくて、どうしようもなく、涙が出てくるのだ。こんな悔し泣きが武器になどなるものか。

 だが、男が泣けば、周囲、特に女は胸を打たれる。


----よくよくのことがあったのよ…。


 日本の男は滅多なことでは泣かないものとの先入観があり、その男が泣くのだ。それも身も世もないくらいにむせび泣きつつ、涙ながらに言うのだ。


「わしはのう、わしはのう…。腹いっぱい、飯、たこと、ないっ…。わしは食わいでも、お前らに食わしてやったじゃぁ」


 だから、飯の代わりに酒を飲むのか。それも、浴びるほど。

 そして、泣きが終われば、平然としている。

 酔っぱらって、道端で寝たり、入り口前でひっくり返えったりと、酒での失敗を繰り返しても凝りもせず。気に入らないことがあれば怒鳴り、ものを投げ壊す。しかし、幸か不幸か、娃子が成長してくる。だが、この娃子、口が達者になったかと思えば、ある時から、ふいに黙ってしまう。一言も口を利かない。そして、実に冷ややかな目で見るのだ。

 自分がいい気分であれば、人の目など、さほど気にしない庄治だが、娃子は違う。娃子だけは違う。只でさえ、見るもおぞましい顔に、冷ややかな目が加わるのだ。さすがの庄治もぞっとする…。

 だから、酒を飲むのだ。これが、飲まずにはおられるか…。

 それは、絹枝も思いは同じである。だから、殊更きつく当たるのだ。外でいいハハオヤしてやっている分、取り返さずにはおられない。何しろ、毎日この顔を見せつけられるのだから…。


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