机と指

 娃子あいこが三年生になると、義男の長男も小学校へ入学した。


「行かんかいっ」


 夏休みに秀子宅へ行けば、例によって、着替えも終わらぬうちに、いつもの妙に重みを含んだ感じで絹枝は言ったものだ。

 この、行かんかいは、歩いて五分程の義男の家に行くことである。

 娃子は義男の家に行くことは嫌ではなかった。義男の長男長女とはトランプをしたりして遊んだ。このトランプも近所の庄治御用達の質屋の孫娘、フキちゃんちで教えてもらった。庄治や絹枝がこんなを知っているはずもなく、フキちゃんちで、オヤコして遊んでいる中でルールを教えてもらった。

 そして、義男宅には、一年生になった長男の勉強机があった。娃子には机はなかったが、そのことは何とも思わないし、長男に机があることくらい想像付いた。

 だが、何てこと…。

 その机はオヤが買ったものではなく、秀子夫婦からの入学祝だと言う。それでも、則子は不満そうに言ったものだ。


「オニイサンはもっとええの買うてやれ言うたんやけど、オネエサンがこれでええ言うて」


 えっ、近くにいれば、机を買ってもらえるのか…。

 絹枝から、散々聞かされた。娃子の入学祝に、則子はゾウリとそのゾウリ入れを買ってよこしただけだと。だが、秀子と恒男からは、これと言って何か買ってもらうなり、祝い金をもらった話など微塵も聞いてない。

 

「あんたら、イトコの端じゃない」


 絹枝はそう言ったが、その後、秀子に何か言ったのだろうか。少なくとも、娃子は絹枝の子ではないか。それなら、娃子にも何か買ってやってもよかろうに…。

 だが、またしても、秀子に言いくるめられてしまう。だから、バカにされるのだ。もっとも、バカにされるのは、絹枝がどうしようもない、バカだからである。


  四年生になると、クラスはそのままに、担任教師が変わった。今度は中年の女教師だった。どうやら絹枝の気に入る反応を示したようで、しばらくは、機嫌はよかった。

 そして、起きた牧子の「舌禍事件」それも絹枝が駅に立っていたと言うだけの話である。それだけのことではないか。なぜ、それだけのことが絹枝のかんに障ったのか、これまた、娃子の脳内限度を軽く超えてしまった。また、そのことがどうしても許せないにしても、せめて、牧子のハハに言うくらいにとどめることは出来なかったの…。

 さらに、傘の取り違えにしても、もう、四年生である。ちなみに、傘を間違えたのは「鉄砲を持ってないチチオヤ」と言った女子であるが、こちらにしても、傘の取り違えくらい、子供同士で処理出来ることではないか。

 絹枝は秀子のように、人の物を取り上げるようなことはしない。しないが自分が買ったものに対する執着心はものすごい。自分のものに「手を出される」ことがどうしても許せないのだ。

 それにしても…。


 「足のしもやけが


 と、娃子の席近くの男女子が話していた。

 でも、しもやけとは何だろう。そのしもやけで足がかゆい…。

 娃子はしもやけなるのものが出来たことがない。しかし、話していた彼らはどちらと言えば、裕福な家の子供で、娃子よりずっと暖かそうな靴下を履いていた。そんな、いい靴下を履いてても、しもやけとかになるんだ。

 かと言って、娃子の体が温かく頑丈な訳でもなく、特に冬は足が冷たい。


「お前の足は死人しびとみたいなの」


 夜、布団に入っても、なかなか足が温まらない。それでも、娃子はしもやけが出来なかった。

 しもやけとは、寒さや冷えなどからくる血行不良が原因で起こる炎症であり、特に、手先や足先、耳、鼻など、細い血管が集まる体の末端部に症状が現れ、遺伝性や体質によるものであることを娃子が知ったのは、ずっと後のことである。


 また、休み時間に漢字の練習をしていると、牧子が娃子の手元をじっと見ていることに気が付いた。

 娃子の右手の人差し指は一節短い。また、中指の爪も変形している。火傷をした時、火鉢に掴まっていたのだ。その時、指の一部を無くした。

 右手の人差し指である。最初は箸を持つのも大変だった。それでも、毎日のことであり、箸は何とか持てるようになったが、一年生の小さな、それも人差し指が一節足りない手では鉛筆を安定させることが難しく、いつしか中指も添えて持つようになっていた。

 その様子を、牧子はじっと見ていた。誰が見ても変な持ち方であるにしても、娃子は何か嫌な気がした。ならば、親指と人差し指だけで字を書いてみようと思った。当然、最初は不安定でミミズが這ったような字しか書けなかったが、次第に慣れてきた。それからは、人と同じ持ち方で字を書けるようになったが、それはそれで、今度は人差し指が目立ってしまう。

 いや、牧子のお陰で鉛筆が「普通」に持てるようになった、そのきっかけを作ってくれたのだ。それでも、短い人差し指ではやりにくいことが多々あり、いつしか、娃子はほぼ両手利きになっていた。だが、この寸足らずの人差し指、冬には、ぞっとするほど冷たい。

 また、牧子の手は荒れて、冬に血を出していることもあった。


「あんたの手はきれいね」

----きっと、水仕事なんかしなくていいんだ。一人娘で、その顔だから。


 娃子も水仕事はしている。それでも、あまり荒れないのだ。ある男子が、娃子は指を一本ずつ拭くと言ったことがある。中途半端に手が濡れているのが嫌いで、水気をしっかりとるようにしていた。だから、手が荒れないのだろうか。

 また、指は切断しても、関節が残っていれば、爪が生えてくる。

 娃子の右手の人差し指にも爪は生えているが、この爪が曲者なのだ。小さくて、太くて、固くて、短いつの状の爪が生えている。そして、この爪は伸びてくるのだ。伸びる速度はかなり遅いが、遅くても伸びてくる。伸びてくれば摘まなくてはならない。これが厄介なのだ。少しづつ、それも角の周りをぐるっと回るように慎重に摘んで行かなければならない。摘むだけでも少し痛みがある。摘みすぎると血が出る。そこまで行ってしまうとかなり痛い。摘んだ後はやすりを掛けなくては、尖った爪があちこちに引っかかるし、やはり、痛い。

 爪だけではない。爪の周囲の皮膚が微小のイボ状になっている。幼児の頃、絹枝がそのイボを爪切りで摘んでしまった。血はイボの部分しか出なかったが、あまりの痛さに娃子は泣き出してしまった。


----大げさな。血はそれこそほんのわずかしか出てないのに、ここまで痛がるとは、大げさなことよ。


 娃子の火傷に関しては、絹枝にも責任がないとは言わない。言わないが、今まで、それ相応のことはしてやって来たではないか。今からもしてやると言うのに、この時は、何か娃子から責められているような気がしてならなかった。

 だから、その後は特に言って聞かせた。


「お前が、火鉢におもちゃを放り込んだんじゃ。お前が、お前が、お前が」


 火鉢は、その後も使っていたが、娃子が小学四年生の冬、庄治が腹立ちまぎれに入り口のコンクリートの上に投げ付け割ってしまった。

 

「わしが、短気なん、知っとろうが ! 」


 そんなことは知らない。知っているのは、酒、タバコ、パチンコが好きなことだけである。

 ある夏の日、恒例の貝堀りに行った時、絹枝は財布を拾った。中身は何も入ってなかったが、それをきれいに洗って乾かした。のちに、絹枝は言ったものだ。


「あの財布、拾うてからじゃの。本当に金を貯めんにゃあいけん思うたんは」


 そして、家にあったで細長い筒状のものを作り、四つ折りにしたさつをナイロン袋に入れ、さらし筒の中に入れ腹に巻き付けるようにした。家でも外でも、一日中巻き付けたままである。寝る時は布団の下に敷き、銭湯に行くときは、はずして押し入れの布団の隅に入れて行く。庄治もそれを知っているが、さすがに、そこから金を抜いたりしない。抜けば、すぐにバレてしまう。何しろ、金の四つ折り束は一つではない。最低二つはあった。だから、絹枝の金はいつも波打ったような三つのうねりが付いていた。こうでもしなければ、庄治が金を持ち出す。

 金を持ち出せなくなった庄治は質屋へ行く。そして、その季節になるとさらっと言う。それで、また、持って行ったかと知る次第である。当然、ケンカになる。

 

 娃子は貧乏よりも、貧乏人の子供であることが、この上なく嫌だった。

 

 近所に、娘三人息子一人の家があった。そのチチオヤはまじめな人だったが、思うような収入を得ることは出来なかった。一時期はポン菓子屋をやっていた。

 ポン菓子とは、大正から昭和中期にかけての子供の定番おやつだった。米と砂糖を持って行けば、穀類膨張機と呼ばれる機械の回転式筒状の圧力釜に、生米などを入れ蓋をして密閉し、釜ごと回転させながら加熱する。十分に加熱されたら、圧力釜のバルブをハンマーで叩いて蓋を開ける。この時、激しい爆裂音がして釜から内容物が勢い良くはじけ出される。このため、路上実演では、機械に受け用の網籠が取り付けられていた。この際に発生するものすごい音から「ポン菓子」 と呼ばれていた。

 当時は米屋が御用聞きに来ていた。絹枝はいつも10キロ注文するが、この家のオバサンはある時「7キロ」と言った。それを聞いた絹枝はせせら笑った。六人家族で7キロとは…。

 そして、まだ、娃子が幼い頃、外の縁台でスイカを食ていた。汁や種が散るので、大人も子供もスイカは外で食べるものだった。その時、ちょうどその家の三女が外に出て来た。娃子より一つ上である。絹枝は三女にもスイカを与え、家の中に入ったが、少し気になり窓から見ていた。三女はもらったスイカをあっという間に食べ、娃子に言った。


「娃子ちゃん、おしっこ行っといで」


 幼児期の一歳の差は大きい。娃子は言われるままに、溝の傍にしゃがむ。その間に、三女は娃子の食べかけのスイカにかぶり付き、娃子が戻ってくると、そのスイカを縁台に戻した。


「娃子、そのスイカは…ちゃんにあげんさい。まだ、あるけん」


 と、娃子を家の中へ連れて入ったと言う話を後に絹枝から聞いた。

 そう言えば、近所の人から菓子をもらうことはあったが、この家から何かをもらった記憶はない。また、上の姉たちは、離婚したハハオヤとソボが飲み屋を経営している家の娘の守りをしていた。むろん、幾ばくかの金銭も派生していただろうし、洋服も作ってくれるとか言っていた。

 だが、同じ貧乏でも、その家は夫婦ケンカをすることもなく、娃子のように庄治の酒癖や絹枝に怒鳴りまわされるようなことはなかったと思うに、その家の末っ子長男の目がギラギラしているのだ。家が貧乏だからである。

 娃子は、ああ、自分もこんな目をしているのだろうかと思った…。

 その後、その家はヤクルトの販売、瓶の回収をするようになり、暮らし向きも落ち着いて来た。 


 そして、四年生の終り頃、娃子の許へ机がやって来た。庄治がどこかで不要になったものをもらってきたのだ。だが、この机には後日談がある。


 娃子、十歳。髪を伸ばし始める。

  







  









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