きらめく「セイザ」

「今度の先生は、活発なの」


 五年生になるとクラス替えと校舎移転があり、転任してきた女教師が担任だった。これは、絹枝に手を焼いた学校側の苦肉の策でもあった。どの教師も娃子の担任を嫌がった。そこで、子持ちの新任教師に押し付けたと言う次第である。

 幸いと言うか、ある意味、彼女は熱血教師でもあった。絶対の自信をもって、生徒に接し、また、涙もろい。自分の話に感極まって涙を流すくらいだから、絹枝の話にはそれこそ、涙線全開で聞き入ったことだろう。


 そして、この五、六年生の時の持ち上がりクラスには、あの三千代もいた。平気できつい言葉を次々に刺して来たものだ。また、ある男子は娃子に「ハゲ、ハゲ」と言った。別に娃子の頭にハゲがあるわけではない。


「やけどハゲ」


 本当はそう言いたいのだけど、それを言ってしまうといじめになる。だから「ハゲ」にしてやっているのだ。実はこの男子。三年生の時に「ヤンキー」と言った奴でもある。

 「ハゲの数え歌」は全国的にある。ただ、その地方地域によって歌詞の内容は違う。


♪ひとつふたつはいいけれど

 みつつ、醜いハゲがある

 よっつ、横ちょにハゲがある

 いつつ、いつかのハゲがある

 むっつ、昔のハゲがある

 ななつ、並んだハゲがある

 やっつ、やけどのハゲがある

 ここのつ、転んだハゲがある

 とおで、とうとう、ハゲだらけ


 これが娃子が覚えている歌詞である。だが、この歌より、嫌いなものに「セイザ」がある。


「はい、セイザ」


 それは、姿勢を正し、手を揃え目をつむらされることだった。担任の女教師はこのセイザが好きだった。教師は「セイザ」をすることが、精神を落ち着かせる一番の方法だと、信じて疑わないのだが、娃子にはこんな苦痛なことはない。しかたなく、目を閉じ…。


「おい、見てみぃや。あいつの目ぇ」 


 その声の主は、娃子に「ハゲ」と言った男子である。その声は娃子にすら、聞こえているのに、教師はすました顔で自分も目を閉じたままであった。 

 娃子の左目の下瞼は下に引っ張られていて、完全に目を閉じることが出来ない。また、女教師は言った。


「嫌なことがあったら、誰もいないところへ行って、大きな声を出しなさい」


 先生の悩みって、それくらいで解消されるんだ…。さらには。

 

「家族会議をしなさい」


 先生は何を言ってるのだろう。

 娃子には何のことだかさっぱりわからない。

 もっとも、これは教科書にも書いてある。民主主義の時代である。それを学ぶためにも家族で会議をやりなさいだとさ。

 民主主義の原理は多数決であり、少数の意見も大事にすると言うものだが、これは嘘である。多数決で決まれば、わき目もふらず一直線。少数意見など、すぐに無きものにされる。

 娃子は生まれてこの方、ずっと国民の少数派(余計派)である。だれからも、どこからも、どうしようもない異分子でしかないことは、みんな知っているくせに、テストでいい点を取るためには、教科書に書いてあることを鵜呑みにする。いや、しなければ、結果が出せない。

 確かに、民主主義である。多数派に属することが有利である。

 それは小さな集合体、家でもそうである。三と言う数字は、常に二対一の構図となる。当然、大きい数字に入った方がいい。

 この家の中心は絹枝である。何事も絹枝に付いていた方が楽である。絹枝が娃子を怒鳴っていれば、すぐに庄治は便乗する。娃子に散々文句を言い終わった後は、すっかり余裕をかましている。だから、ずっと絹枝についていればいいのである。だが、余裕が出てくると、今度はなぜか娃子にも付こうとしてくるのだ。そんなことで、娃子に相手にされる筈もなく、また、すぐに怒りだす。

 そんな庄治であるが、これが絹枝と娃子の二対一となった時は本気で怒る。


「何で、二人がかりで、わしを攻撃せなならんのか!」


 と、ちゃぶ台を叩いて怒る。二対一とは、誰が聞いても卑怯である。そう、庄治は一人になると、まるで弱い。また、娃子と庄治が付くことはまずない。ないが、あまりの絹枝の理不尽さにさすがの庄治も呆れ返ってしまう。だから、民主主義とは、付いたり、離れたりの繰り返しでもある。いや、これも、家族会議なのか。


 多数決の原理はクラス内にもある。もう、五、六年生ともなれば、多少のいじめなど問題にならない。彼らにもいじめていると言う感覚はない。ちょっと、からかっただけ。ちょっと、言ってやっただけ。何しろ、家ではオヤにベタベタに甘やかされ、学校では教師に贔屓されているのだから、少しくらい言ってやって当然、そうでもしなければ、こっちの気が治まらない。教師も、娃子に耐性があると知れば、見て見ぬ振りをする。

 卒業までの二年間に、絹枝が怒鳴り込んで来ることはなかったが、それは、いじめが巧妙化したのと、娃子がひたすら黙っていたに他ならない。


「すばらしい、オカアサン」


 と、女教師は絹枝を讃えるが、娃子は心の中で叫ぶ。

 家じゃ先生の悪口言ってるよ!

 たとえ、娃子の口からそれを聞いたとしても。


「絹枝さんの話に涙すらした私が、なぜ悪く言われなければならないのよ」 


 それだけではない。


「昔は学校なんか行かんでもよかったんじゃ!」


 と、何度言ったことか。

 誰にでも、外面そとづら内面うちづらの使い分けはあるが、絹枝は極端に違った。そして、常にイライラしていた。絹枝の熱弁に涙するくらいは当然のことであり、しない方がおかしい。なのに、それから先が進まないことに苛立ちをつのらせていた。


「まあ、絹枝さんてなんてすばらしい方なんでしょう。こんな立派な人は表彰すべきですわ。校長先生、他の先生方も、市会議員や市長に働きかけて、絹枝さんを表彰して差し上げましょうよ。さあ、早く!あら、絹枝さん。もうちょっと待ってくださいね。じきに表彰されますから。あなたはそれだけの価値がある人です!」 


 その言葉を、表彰と言う言葉をひたすら、待っているのに、そこら辺の主婦ならいざ知らず、教師という尊敬される立場の人間なら、それくらいのことは出来るだろう。なのに、待っても待ってもナシのつぶてではないか。待ちくたびれて、校長室まで行ったというに、その後音沙汰がない。やれやれ全く世間の目は節穴だ。

 それにしても、娃子に対するいじめが六年間、この程度で済んだのは、ひとえに絹枝のヒステリー性格のお陰でもある。子供のいじめは、背後のオヤを見てやるものだ。


 その女教師が産休を取ることになった。三か月の間、代理の教師がやって来た。まだ、若い男教師である。

 ある時、その男教師は、二人の男女の名を呼び、教科書の束を手渡した。

 四年生までは、二人仕様の机で男女並びになることもあったが、さすがに五年生ともなれば、横列は同性が並び、縦列は男女交互となっていた。

 娃子の前の席の男子が教師から教科書の束を受け取った一人だった。この男子のハハオヤは絹枝の仕事仲間であるところから、互いの家に行ったこともあるが、学校ではそんな話はしないし、何より男女である。取り立てて話もない。

 そして、その男子が教科書を受け取り、席に戻ってくれば、娃子の隣の席と列向こうの女子が早速に噛みついた。


「ちょっと、それ、どういうこと!」

「そうよ、おかしいじゃない」


 娃子は、すぐに生活保護家庭だとわかった。だが、この女子たちは、生活保護と言う言葉すら知らないのだ。


「先に金、払ろうとんよのっ」


 と、隣の席の男子が吐き出すように言った。彼が生活保護のことを知っていたと言うより、何か事情があると思ったようだ。そう言う気づかいのできる少年だった。

 これが女教師なら、皆の前で教科書を渡したりしなかったのに、この臨時教師にはそこまでの配慮はなかった。

 娃子は、その男子の家が生活保護家庭であることは知らなかった。そう言えば、チチオヤについての印象がない。母子家庭だったかもしれない。

 だが、娃子はそのかん、何も言ってない、黙ったままだった。それでも、その男子が最後に睨みつけたのは、娃子だった。

 どうしようもない屈辱感を、娃子を睨みつけることで憂さ晴らしをしているのだ。


----その顔、どっか行け !


 当時の生活保護とはゆるいもので、保護を受けながら日雇い仕事をしているなど、普通にあることだった。そして、支給日には直接市役所に保護費を取りに行く。九州のある市では、その日には市役所に行列ができ、屋台も繰り出して来たという。

 

 そして、産休明けの女教師が帰って来た。やはり、クラス全体が締まった。

 ある時、画用紙に日本地図を写すと言う宿題があった。地図帳の中の日本地図にパラフィン紙の様な薄い紙を置き、鉛筆でなぞり、裏面もなぞったのを画用紙の上に置き、さらに、なぞって行けば、画用紙に日本地図が写し出される。

 娃子が裏面をなぞっていると、絹枝が覗き込む。後は画用紙の上に置いてなぞればいいだけだ。


「かしてみいぃや」


 と、絹枝が鉛筆を取り上げ、画用紙の上でなぞり始めた。娃子は自分がするからと言った。


「ええわい、わしがしちゃるわい」

「好きにやらしとけや」


 例によって、庄治も同調する。娃子は絹枝が写し終えた画用紙を黙って丸めた。翌日、宿題の成果を見て回った教師が、娃子の地図に首をかしげる。

 何と、その地図は裏返しに写っていた。確かめればよかった…。

 また、当時は映画全盛期であり、一番身近な娯楽であった。踏切傍の小さな駄菓子屋に映画ポスターが貼られていた。娃子は映画ポスターを見るのが好きだった。それは夢の世界への入り口だった。

 だが、小中学生は学校から許可された映画しか見に行ってはいけないと言う規則になっていた。それなのにホームルームで、娃子が許可映画以外を見に行ったと言われたのだ。

 どうして、こんな疑いが持たれたのか、皆目見当がつかない。

 では、まったく身に覚えがないかと言えば、一度だけある。だが、それも小二の時である。さらに、その時はどういう話の流れでそうなったのか、近所中で映画を見に行くことになった。それも、近くの小汚い映画館ではなく、繁華街の映画館へ。それも平日に、子供たちにも幼稚園や学校を休ませて。日頃、何かと口うるさくけん制し合っている大人たちのどんなが一致したのか知らないが、その日は学校を休み、みんなして映画を見に行った。 

 今更、そんな前のことを持ち出すとも思えない。結局のところ、行った行ってないの水掛け論でしかなく、グレーのままに終わってしまった。

 さすがに、娃子はその話を絹枝にした。第一、映画を見に行くには金が要る。この頃には一日の小遣いは三十円になっていたが、それを映画を見るくらい貯めようとすれば、ちょっときつい。

 

「あれは、隣のマセ子らしい」


 しばらくして、絹枝は言った。このマセ子、何より、おしゃべりであり、いつでも何事も黙っていられない。チチオヤが入院した時、院内ではしゃぎ回り出入りを止められたほどである。また、平気でウソをつく。バレれば相手が大人でも、笑ったり、とぼけたりしてごまかす。この点、絹枝と似ているが…。そんなこんなで周囲の評判は悪い。

 絹枝の情報網にもそのことは知られており、そこで、娃子が勝手に映画を見に行ったなどと言うのは、マセ子しかいないと言う結論に達したようだ。とは言っても、確たる証拠はない。そこで、絹枝はマセ子やハハオヤに何かと嫌みを言う。

 絹枝の怒りの矛先がマセ子に向いてくれたので、しばらくは、気楽…。

 その時、娃子の体が、ブルブルっと震えた。


「変な子で」


 庄治が言った。


  







  

 




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