無なる口…

 三年生になるとクラス替えがあり、校舎も別棟へ移った。

 そこで、娃子あいこは「ヤンキー」と言う言葉を耳にする。ヤンキーがアメリカ人を指す言葉くらいの認識はあったが、それは「合いの子(ハーフ)」のことだった。

 だが一瞬、誰のことを言っているのだろうと思った。確かに一学年下には、目は茶色、髪は金髪に近い、顔立ちも外人ぽい、誰が見ても、合いの子だとすぐわかる女子がいた。だが、ヤンキーと名指しされた同クラスの女子は、目も髪も黒い。色は白いが取り立てて彫の深い顔立ちでもなかった。

 娃子の目には普通の日本人の子に見える彼女だが、やはり、合いの子だった。また、合いの子は「ハローの子」とも言われていた。なぜか、アメリカ人のことを大人たちは「ハロー」と呼んでいた。

 そして、口唇裂みつくちの女子と牧子もいた。牧子と口唇裂女子は家が近く幼なじみだった。横並び以外認めないこの国では、合いの子も口唇裂もいじめの対象となるのだが、娃子の前ではそれらもかすんでしまう。ただ、牧子は一重まぶたで目が細かった。特に、写真ではいつも怒った顔に写ってしまう。それが牧子のコンプレックスだった。だが、絵が上手だった。どちらかと言えば、少女漫画の様な絵をすらすらと描く。かと言って、漫画家志望と言うのでもなかった。

 牧子の家は新聞屋であり、娃子の家も夕刊を取っていたので、牧子のハハオヤは幼い頃から知っていたと言うより、何しろ、この界隈で娃子はつとに知られた「有名人」であるからして、きっと、ハハオヤから言われていたのだろう。


「娃子ちゃんとも仲良うするんよ」


 一方の口唇裂女子の家は大きく、門も庭もある立派な家だった。何より、しつけが厳しく物の置き方一つでも、うるさく言われるのだと牧子から聞いた。それだけ厳しくしつけられれば、立ち振る舞いにも、それが表れそうなものだが、その女子は至って普通だった。

 娃子、牧子、口唇裂女子、合いの子は自然と仲良くなった。 

 そんな様子を見た別の女子は娃子を指して言ったものだ。


「一年の時はこうで、二年になったらこのくらい、三年になったらこうなった」


 つまり、一年生の時は小さくなっていて、二年生で少し緩み、三年生になったら両手を広げ、娃子の学校での態度の変化をジェスチャー付きで表現してくれたのだった。この女子はバレエを習っていた。

 だが、このクラスにはすごい「猛者もさ女子」がいた。

 とにかく一言も口を利かないのだ。だからと言って人と何が違うわけではない。見かけは至って普通なのだが、入学時からそうなのだと言う。教師がいくら話しかけても、黙ったまま表情一つ変えない。当然娃子に対しても、いや、クラスの誰に対しても関心がない。話しかけられれば一応話は聞くが、それだけである。また、学校を休むこともなく、運動会や遠足にも参加する。それでも、無言を貫き通す。かと言って、ガリ勉と言うわけでもなく、成績も下位の方だった。

 当時の机は二人仕様で、テストによっては、隣の子と答案を交換して採点をし、これまた順番に点数を発表していくことがあった。彼女は採点はするが点数の発表はしない。とにかく、何が何でも言葉を発することを拒否してした。そんな具合だから、意地の悪い男子でさえ気味悪がり、誰もちょっかいすらかけることなく、敬遠していた。

 何が、彼女をそこまでにしたのだろう…。

 娃子は入学式の時「オバケ」と言われたが、彼女は何か言われたのだろうか。何が、彼女からすべての発音を拒否させたのか、誰にもわからないまま、彼女は六年間、一言も発することなく卒業し転居した。新しい中学ではどうだったのか、当然知る由もないが、とにもかくにも、見上げた根性である。

 娃子も、学校に行くのが嫌でズル休みをしたことはあるが、いくら、嫌でもだんまりや登校拒否は出来ない。そんなことをすれば、待ってましたとばかり、絹枝が怒鳴り込んで来る。

 クラスの皆がいじめるから、娃子がこうなったと喚き散らし、それでも解決しなければ、学校を上げての、大騒動に発展したに違いない。

 まさか、いくら何でも、絹枝がそこまでのことをやるか。

 いや、絹枝なら、やる。

 娃子にはそれが耐えられない…。


 娃子の三年生の担任は、まだ若い独身の男教師だった。絹枝はがっかりした。思った通り、いくら思い入れたっぷりに語っても、イマイチ反応が鈍かった。また、この頃では娃子も何か言えば、すぐに絹枝が学校にやって来るので、必要なことしか話さなくなっていた。もっとも、必要なことでも、絹枝の理解を得るのは大変だった。


「やれのう、給食費払ろうとんのに、あれやこれやうるさいことよ」


 だが、それだけでは物足りない、面白くない。そこで、黙っている娃子からあれこれ聞き出そうとする。それでも、黙っていれば、ネチネチと誘導尋問をかけて来る。

 娃子はいじめられているに違いない。誰が考えてもいじめられて当然なのだ。もし、絹枝が同級生であったなら、それこそいじめまくっていたことだろう。それがわかっているものだから、脅しを交えつつ巧みに娃子の口を割らせる。これが、絹枝の得意とするところのカマかけである。九歳の子供に太刀打ちできるはずもなかった。

 そこで、担任教師にも不満がある絹枝は、今度は校長室に乗り込んで行く。とは言っても、そのときには打って変って、低姿勢できちんと挨拶をする。これが絹枝の言うところの「道を踏んでいく」である。

 絹枝が学校に怒鳴り込むことは、取りも直さず、自分が子供思いのいいハハオヤであると言うことをアピールし、世間に、如何に自分がすばらしい人間であるかを、知らしめたいばかりである。

 いじめと言うものは、堂々とやっても面白くない。それではスリルとサスペンスに欠ける。陰に引っ張り込んでやるのが一番面白い。だが、娃子をいじめれば、どうしても目立ってしまう。何しろ、すぐにオヤに言いつけるのだ。

 また、そのオヤが、ヤバイ…。

 ヤバイとは、元はヤクザの言葉であり、当時は一般人が口にする言葉ではなかった。しかるに、これが絹枝には当てはまった。

 オヤ達は我が子にいじめはいけない。特に娃子はかわいそうな子だからいじめてはいけないと言い聞かせつつ、絹枝のヤバさも警告していた。


「ねっ、あのオバサンを怒らせたら、ダメよ!」


 絹枝に同情もし、その気持ちもわからない訳ではないが、それにしても、ヤバイ…。

 だが、学校まで文句を言いに来るハハオヤは、絹枝だけではない。何か、いつも着ている服が市松模様に近いチェック柄の女子がいた。ある男子がそれを「ピエロ」と言えば、ハハオヤが怒って来た。また、ある女子のチチオヤは警察勤務だった。それを宿題の作文に書いた。


「でも、あんたとこのオトウサン、鉄砲、持ってないじゃない」


 と、別の女子が言った。

 チチオヤは事務系の仕事だった。子供心に警察では鉄砲を持っている人の方が偉いと思い、つい、そのことを口にしてしまった。言われた女子は泣きながら作文を破り捨てた。そのことを知ったハハオヤは学校へやって来た。その時は、ちょっとした騒ぎになったなど、少しくらいの小競り合いはあるものの、やはり、絹枝は群を抜いていた。

 子供たちにしても、絹枝に睨まれたら最後、教師もオヤも、すべて娃子の味方なのだ。

 あんな、わかりやすいいじめはするな !  

 それがクラス内の認識だった。だが、子供も成長してくれば知恵が付き、いじめも巧妙になって行く。一見いじめとわからないようなことを仕掛けてくる。

 決して、触らぬ程度ではない。触る程度にチクチク刺して来る。それが快感なのだ。また、娃子は言い返しをしないし、何より復元力がある。

 運動会のマスゲームの練習の時、一人の女子が娃子が全く出来てないと発言した。そこまで言われては教師も無視できず、娃子は学年の女子が見ている前で一人でやらされたものだ。しかし、出来てないのは娃子だけでなく、他にもかなりいた。みんな「難しいね」と言っていたのに、娃子だけが名指しされ、みんなの前で出来ないところをやらされるのは当然かもしれないが、実際はさらし者である。

 発言した女子はそれが面白くてたまらない。腹の中で、笑いを堪えているのを娃子は知っている。一人になった時、さぞ、大笑いしたことだろう。

 これが他の子なら、後で言い争いにもなるが、言い返しをしない娃子なら、いや娃子のことなら何を言っても誰も文句は言わない。

 娃子にしても、きついことを言われ、こちらも何か言い返してやろうと思うが、いつも絹枝から文句ばかり言われ、本当に嫌な気持ちになる。下手に言い返しをすれば、相手も気分が悪くなるだうと思えば、つい、黙ってしまう。だが、その後にはさらに、ひどい言葉が返って来る。たまらず、ちょっと言い返せば、それこそ、大騒ぎされたものだ。


「まあ、ちょっと聞いて、この子、こんなこと言うんよぉ」


 と、その時には、尾ひれ付きで触れ回られたものだ。


----へえ、あんたでも言うときは言うんだ。何でもオヤにやってもらっているくせに、おおっ、恐っ。


 それ以来、何を言われても、大抵のことは黙ってやり過ごすことにしたが、それはそれで、また、標的とされたものだ。

 だが、娃子に対するいじめがこの程度で済んだのは、一にも二にも絹枝のヒステリー性格によるところが大きい。

 子供はいじめも、オヤを見てやる。娃子のオヤはうるさい。口唇裂女子の家は大きくて両親揃っている。だが、合いの子女子は祖父母に育てられていた。娃子に不満をぶつけられない分、彼女に当たった。遠足の時、意地の悪い男子が合いの子の弁当をわざとひっくり返した。娃子たちは、彼女に自分の弁当を分けてあげた。


 とにかく、家でも学校でも、娃子が何すれば何か言われ、しなくても何か言われる。

 それは、娃子に一生ついて回ることだった。

 つまり、みんな、娃子の存在そのものが気に入らない。本音はどこか見えないところへ行ってほしい。消えてほしいでしかなかった。消えてくれないから、消えるように仕掛けてやるのだ。それでも、消えないとは。困ったものだ…。

 いや、娃子はそれどころではない。

 家では、庄治は酔っぱらっているか、癇癪を起こすかのどちらかである。絹枝はそれこそいつでも、誰にでも、文句ばかり言っている。もう、この世は気に入らないことばかり。そして、本当は見たくもない、その顔が今日もそこにある…。

 これで、何か言わずにおらりょうか。今も二、三発殴りたい気持ちを抑えている絹枝なのに、そんなオヤの気も知らず、娃子は今日ものんきにラジオを聞いている。

 当時の子供の楽しみの一つに、連続ラジオ放送劇があった。その中の一つに「小天狗霧太郎」があった。忘れもしない、そのラスト。絶体絶命に追い込まれた霧太郎がどうなるのか、ハラハラしながらラジオに耳を傾けていた。だが、何てこと。それまで敵対していた、横笛お竜が「早く、霧太郎様をお救いするんだよ」と言った時には思わず、絶句…。

 すぐに霧太郎は助けられ、それまでは「霧太郎 ! 」「お竜 !」と、叫んでいたのに、即、手のひら返しにあった。


「霧太郎様」

「お竜さん」


 何だ、これは、あまりにひどすぎる。あんまり子供をバカにするなと思った。いくら、勧善懲悪物にしたところで、これは、ない。正義の善人が何とか踏ん張るとか、助太刀が入ることくらい想定の範囲だが、これはない !


「あたしも、目が覚めましたのさ」


 と、お竜の台詞だが、悪人が急に目が覚めたと改心するなどある訳ないことくらい、子供でもわかる。

 また、昔話の中に「約束を破ってしまったのです…」とあるが、これは「約束を破ってはいけませんよ」と言う教訓話ではなく、人間とは、つい、約束を破ってしまうものと言う、肯定話ではないか。

 いや、すべては、そのようにしか受け取れない娃子の、根性がどうしようもなくねじ曲がっているからに他ならない。




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ラジオ放送劇のことですが「赤胴鈴之助」は1957年(昭和32年)1月7日~ 1959年2月14日まで。

「まぼろし探偵」は1959年2月16日~ 1960年10月22日までとなっておりますが、この「小天狗霧太郎」はいくら調べても放送期間が昭和30年代前半としかわかりません。映画化は1958年です。どなたか、放送期間をご存知の方がいらっしゃれば、お教えいただければ幸いです。






















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