白黒写真

 町は発展しつつあったが、取り残される人たちもいた。

 今日も一人の老女が何かぶつぶつ言いながら、歩いている。帽子をかぶり、あれやこれや物を引っ提げ、毎日町を徘徊していた。ただ、歩いているだけで害がないので、黙認されていたが、どこの誰かと言った情報もなかった。娃子あいこはこの人は夜はどこで寝るのだろうかと思った。どこか小屋のようなところでも寝るのだろうか。

 時折、白い着物を着た傷痍しょうい軍人が辻に立ち、祭りともなれば、彼らは楽器を持ち、行きかう人からの募金を募っていた。また、歩けない、いや立つことすらできない、移動するときは女物の下駄を手に履かせ、それで移動しながら乞食をしている若い男もいた。

 近くに知的障害者が二人いた。一人は成人している大人しい女性。ハハオヤが面倒を見ていた。もう一人は小さな商店の次女。店の前にかごの様なものの中に入れられ「お、う、お、う」と声を発し、銭湯では姉が体を洗ってやっていた。

 家風呂が普及してない頃、銭湯には、両松葉杖のオバサンもやって来た。片足の太ももの半分から下がない。脱衣所からは片足で少しずつ歩を進めていた。だが、怖いのは風呂場である。それでもそのオバサンは、小刻みにしっかりと片足で移動していた。

 戦後とはいえ、行政はまだ、そこまで手が回らなかったようだ。

 また、ものすごくきれいなオバアサンがいた。髪は半白髪、顔は皺がいっぱい。それでも、娃子から見ても、この人は若い頃はさぞ、きれいだったろうと思った。だが、今はモンペ姿で庄治と同じく失対で生計を立てていた。

 庄治が彼女について語ったことは何もないが、いくら、元美人とは言え、今は年寄り。さすがの庄治も興味が持てなかったようだ。やはり、女は若い方がいい。

 それにしても、女はきれいに生まれれば、それだけで幸せになれるのではないのだろうか。皆そう言っているのに、こんなきれいな人が年老いて底辺の一人暮らしとは…。


 家には、頻繁に物売りや物乞いがやって来た。やって来られてもどうすることもできないが、中には見るからに怪しげなのもいた。子供をさらおうとしたり、食べ物をねだったりしたり、しゃがんだ女の子のスカートの中を覗き込んだりと、それでも子供の多い地域だったことが幸いした。どこかに子供の目があり、子供が子供の危機をカバーしているような状況だった。

 学校の正門前にも子供相手の物売りが交代のように来ていた。子供の射幸心をくすぐるような物ばかり並べられ、また、その口上も面白かった。ある日、ノートより少し大きめの表面がつるっとした紙が売られていた。色鉛筆やクレヨンで絵を描いても布で拭けば消えてしまうと言うものだった。塗り絵の好きな娃子はそれが欲しかった。思い切って買い、色んな絵を描いては消したりしていた。

 それを見た絹枝は、その時、何が気に入らなかったのか、娃子の目の前で黙ってその紙を破り捨てた。それは20円もしたものだった。娃子の小遣いは一日10円。当時の子供の平均的な金額であるが、それを二日分使わずに買ったのに、有無を言わさずに破られたことはやはりショックだった。絵を描いて消す紙の何が気に入らなかったのだろう。いや、その時の絹枝にはそれが許せなかったのだ。

 一日10円貰え、衣食住が保証されているだけでも、ありがたいと思わなければいけないのだろうが、身も心も置き場がない毎日だった。あるとすれば、写真、写真の中…。 


 白黒写真とは残酷なものである。

 そこに写し出されるのは陰影でしかない。余程、顔立ちがいいか、または、影をうまく利用するしか、きれいに写らない。

 娃子の一番最初の写真は、三歳の時である。カメラなど高級品で持っている家が珍しい時代、写真館で写真を撮ることは特別なことだった。

 写真を撮る余裕などない暮らしとはいえ、何しろこの顔である。そんなことは考えもしなかったが、さすがに七五三ともなれば、着物を着せて、写真の一枚も撮ってやらねば世間体が悪い。また、将来、娃子から写真もないのかと文句を言われるかもしれない。

 絹枝は着物生地を買い、仕立ては従姉に頼んだが、当然仕立て代は払った。そして、帯も髪飾りも、その店で一番高いのを買ってやった。

 写真はこの着物姿だけでなく、毛糸の上下にエプロンのもあった。そして、今度は七歳。その時、着物は大人用の生地で仕立てるようにと従姉が言った。そうすれば、後にその着物は後に長襦袢になる。

 娃子はこの七歳の写真を撮った時のことを覚えている。いや、忘れようとしても忘れられない。日本人形が張り付いた羽子板を持たされ、長いこと立たされていた。写真一枚撮るのに、こんなにも時間がかかるのかと、いい加減うんざりしながらも、これは、きっと、少しでもきれいに撮ろうとしてくれてるのだと思った。写真が出来上がるのが楽しみだった。しかし、出来上がった写真を見て愕然とする。そこには、必死の形相の娃子が写っていた。

 あれだけ時間をかけて撮った写真が、これとは…。

 当時の婚礼写真などは不自然なくらいに修正されていた。ならば、娃子の写真も少しくらい修正してくれてもいいではないかと、嘆くより悔しさでいっぱいだった。

 娃子はこの写真を破ってしまいたかった。いや、何度も破って捨てようとしたが、なぜかそのままになってしまった。

 また、この写真屋は小学校の専属でもあり、学年毎の記念撮影の時、教師がいくら口添えしても、通り一遍の写真しか撮らなかった。


 そして、二年生になると、クラスはそのままで教師が変わった。今度の教師は定年が近いような歳だったが、ここでも、絹枝はありったけの演技力を発揮するも、淡々と聞いているだけの教師では面白い筈もなく、思ったような反応がなかったことに文句を言っていた。


「今度の先生は詰まらんわ。のう、娃子」


 返事がないので、再度呼んでみる。


「娃子娃子」


 それでも、反応はない。聞こえないふり?

 いや、娃子はそんなことはしない。しないどころか、呼べばギクッとし、一瞬怯えたような顔をする。その反応が絹枝には面白いのだが、そう言えば、ここのところずっと、反応が鈍い。


----何と、子供のくせに耳が遠いとは……?


「娃子、来てみい」


 絹枝の「来てみい」にはろくなことがない。また、何を言われるのかと思う間もなく、耳を引っ張られその場に座らされた。

 そして、絹枝が娃子の耳の穴から引っ張り出したものは、血膿ちうみの塊だった。火傷の時の血膿が耳に入ったまま固まっていた。細長い円錐形のそれは三センチ以上ある代物だった。それが左右の耳から取り除かれた時は、外界の音が違って聞こえた。

 娃子の耳から異物が掻き出され、少しは聞こえるようになったからと言って、それまでの何が変わったわけでもないが、授業で郵便制度の仕組みを習う一環として、クラス内に簡易ポストが設置された。別に、手紙を出す相手とていない娃子に一枚のハガキが届いた。それは允子ちかこからだった。


群青ぐんじょう色のワンピースがよく似合いますね」


 その文面は今でも覚えている。だが、娃子はこのワンピースの野暮ったさが嫌いだった。それでも、允子の手紙は嬉しく、返事を出そうと思ったが、なぜか、出さない、出せないままに終わってしまった。

 だが、クラスには娃子はいじめてもいい、いじめられてもいいんだと言う不文律があった。何しろ、家に帰れば、オヤにベタベタに甘やかされている。それも、誰もがうらやむ一人っ子。ましてや、それが普通でない子なら、余計にでも、オヤはそれこそ猫かわいがりしていることだろう。だから、少しくらいいじめても、家に帰れば、オヤにベタベタに甘やかされ、何でもオヤに言えば、何でもやってもらえるのだから。

 確かに娃子は一人っ子でよかったかもしれない。兄弟姉妹そのどれか一人でもいれば、もっと悲惨な目にあっていたに違いない。

 だが、娃子がそれらの「恩恵」の代償を払わされていることは誰も知らない。

 絹枝はすかさず「子供のケンカ」にしゃしゃり出て来るが、オヤの大人同士のケンカにも「加担」させられる。


「オバサン、さっき、何であんなこと言うたん」


 絹枝が怒ってたと言って来いと言う。娃子は嫌だと言った。どうして、絹枝のケンカに、大人のケンカに子供が駆り出されなければならないのだ。全くもって意味がわからない。それにしても、毎日毎日飽きもせず、娃子や庄治に文句を言うだけでは足りず、近所の人ともよく揉めていた。 


「お前はこんなこともよう言わんのんか。情けないのう。そんなことでつまるかいっ。ほれ、今、そこにおるけん言うて来いや。ほれ、早よ言うて来いっ」


 と、絹枝に押し出され、仕方なくそのオバサンに言いに行かされる。言わなければ、後で延々と怒られなじられるのだ。


「さっき、娃子ちゃんがこんなこと言うたけど、それ、どう言うこと」

「やれのう、何がね。わしゃ、娃子が何言うたか知らんで。知らんけど、子供の言うたことじゃない。それを一々真に受けてから。やれやれ、あんたも大人げない」


 そして、娃子はそのオバサンから、睨みつけられる。


----やっぱり、こんな子は…。


 思うに、学校でも近所でも絹枝が一番のトラブルメーカーであった。人と人が暮らしていれば、何らかの軋轢あつれきは生じるものだが、それを絹枝は決して黙っていられない。まして、娃子は誰からもいじめられる存在なのだ。これが黙っておらりょうか。

 絹枝はまじめによく働き、人にも親切であるが、怒らせるとかなりうるさい。

 それでも、絹枝に何も言えないのは、どうしようもなく普通ではないひどい子を育てているからだ。

 その現実を突きつけられると、人は何も言えなくなってしまう。

 これが、わが子だったら、いや、わが子でなくて良かったと胸をなでおろせるなら、絹枝の口うるさいのことくらい、目をつむることも致し方ない。

 そして、人と同じように絹枝を褒めておけばいいのだ。ついでに娃子も。

 それでいいのだ。所詮、他人ごとであるからして、絹枝を敵に回すことはない。


「素直な子」


 と、娃子にも一応褒め言葉をかけるが、それは娃子を褒めているのではなく、絹枝を褒めているのだ。地獄くじを引いた絹枝を褒めているのだ。この国の子供は所詮、オヤの付属物でしかない。

 いや、人は娃子のこれからの人生が楽しみなのだ。先に待ち受けている娃子の「出来事」が…。


  

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