鍋の中 

 秀子はいつもふんぞり返っていた。そのふんぞり返るために突き出た臨月のような腹。その分、尻は小さく萎んでいた。そして、いつも、周囲を見下していた。

 我こそは成功者。学のない女が飛び込んだ髪結いの世界で、今は自分の家と店を持っているという自信にあふれていた。それが、例え、絹枝の金に裏打ちされたものであったにせよ、所詮は自分の賢さが勝り、絹枝がどうしようもないアホでしかないのだ。

 世の中に、こんなにもアホがいたとは、それが自分の妹とは…。

 そのアホのお陰で今の自分があるのだけど、それを差し引いても、あまりのアホ丸出しに笑ってしまう。

 せっかく、握った金をアネ、オジ、庄治、娃子あいこに寄って集って食いつぶされたのだ。現に今の格好とて、見すぼらしい限りではないか。


「おなごしや」


 だからと言って、そんな絹枝にも容赦ない。弱っている相手からでも取り上げられるものは取り上げる秀子だった。最早、どうしようもなく欲が深い。

 誰にでも欲があり、この世に欲のない人間など存在しないが、自分のものは自分のもの。人のものでも自分の手元へやって来たものは、自分のもの。利用できる者は誰でも利用する。また、かき集められるものは何でもかき集める秀子だった。

 だが、どんな人間にも抜けているところはある。

 秀子も煮炊きにアルミ鍋を使っているが、絹枝と違い銀色っぽい鍋を使っていた。この色のせいもあると思うが、常に薄汚れ、形はボコボコだった。これは、秀子がよく鍋を焦がすからである。

 煮物の準備をして火にかければ、煮えるまでの間、秀子はその場を離れる。そこに妙子がいれば話し込み、庭の手入れをし始めれば、つい、夢中になってしまい、気が付いた時には鍋は焦げている。それを繰り返すので、秀子宅の鍋はいつも黒ずんでいた。

 娃子にはこれが信じられない。いくら、すぐに煮えるものではないにしても、鍋の中のものが煮えるのに、どれくらいの時を要するか、長年の勘でわかりそうなものではないか。

 秀子の手順がどのようなものか知らないけど、娃子は用意ができれば、すぐに火にかけ、煮えるまでの間に片づけをする。その方が効率がいいと思っている。火力が七輪からガスへと変われど、焦がしていては食材も鍋も損であり、火力の無駄使いでしかない。

 さらに、秀子宅へ来ると何か独特の匂いがする。最初は裏の染物工場の匂いだと思っていたが、それだけではないようだ。ある時、小ぶりのカメの中の昆布の佃煮を一口食べて秀子は言った。


「ああ、うまいなあ」

 

 だが、秀子がそれを食卓に出したことは一度たりともない。しかし、これも娃子にすれば食べる気も起らない気持ち悪いだけの代物であった。


「あの佃煮かて、あのまま置いといて、カビが生えたらまた炊きなおすんやで。もう、何べんも炊きなおしてるわ」


 妙子からそれを聞いてから、余計にも気持ち悪くなった。また古そうな缶詰があったので、日付を見れば十年前のものだった。


「なに言うてんや、そんなことあるかいな」


 あるかいなと言われても、日付はそうなっている…。

 そうか、秀子は缶詰の日付けの読み方を知らないのだ。さらに、娃子を驚かせたのは秀子が買ってきたポリ袋に詰め込まれた卵の大きさ、いや、小ささ。大き目の卵の半分くらいでしかない。こんなにも小さな卵があったとは…。


「小そうても、一つは一つや」


 試しに値段を聞いてみれば、一つ当たり差ほど安くもなかった。それでも、秀子は数が多い方がいいのだ。

 娃子は酢が嫌いである。あのつんとした匂い、刺すような酸味。当然膾なますは嫌いだが、寿司は好きである。それと言うのも絹枝の作る膾は当然酸っぱいが、不思議と寿司は酸っぱくないどころか控えめなのだ。よって、巻き寿司もばら寿司も好きだった。

 だが、秀子の寿司は酸味が強い。また、この辺りではばら寿司にちりめんじゃこを入れる。このちりめんじゃこが全くの異分子で、じゃりじゃりしておいしくない。しかし、これも、秀子が安くて固いちりめんじゃこを使うからである。また、その他の具の量も少なく、なぜか普通は巻き寿司の定番具である干瓢かんぴょうを刻んで入れるのだ。後は牛蒡くらいと、すべて茶色尽くし。

 また、大阪のうどんは澄んだ色のきれいな出汁なのに、味噌汁はどうして赤だしなのだろう。

 赤だしとは主に豆みそに米みそを合わせた味噌汁である。名前の由来は固めて刻んだ豆みそを布で包み、だし汁でゆすり出したものが赤茶色だったという説がある。さらに、この赤だしに、板麩いたふ(庄内麩)が浮かんでいる。もともと味噌が好きではない娃子は、赤だしも見ただけで気持ち悪いが、この板麩もスカスカでおいしいとは思えない。

 ある時、秀子は赤だしに魚のアラを入れて食べていた。


「アラかて、鯛のアラや」


 と言うが、アラの身をしゃぶっているうちに汁が冷めてしまう。食べ終わったアラは犬にやる。秀子は犬など金のかかるものは飼いたくないのだが、恒男と茂子が犬好きであり、猫もいた。

 経営する美容院の名称が「ヒデ美容院」これはわかるが、何と、犬の名が「デコ」餌の世話だけで取り立てて可愛がりもしないのに、自分の名前の下部を付けていた。

 また、秀子が買った出始めの洗濯機の中の水が真っ黒だった。娃子は洗濯機というものはこんなにも汚れが落ちるのかと思ったものだが、それにしても気持ち悪いほどに黒い水だった。その訳はまたも妙子が教えてくれた。


「汚いなあ、こんな汚い真っ黒な水でもまだ捨てんのやさかい。うちらかて白いもん洗うた後に、もう一回洗ろたりするけど、こんな黒い水見たことないわ。この前かて、汚いさかいもう捨てるで言うたんやけど、まだ洗えるて言うんやさかい」


 当時の洗濯機は一層式で、脱水用のローラーが付いているという代物だった。洗剤で洗った衣類をローラーに挟んで脱水し、洗剤液を捨て、再度水を張り濯ぎ、ローラーで絞ってから干す。無論、洗剤液を二度使用したり、濯ぎも二、三度やるようではあるが、おそらく秀子は洗剤液を何度も使いまわし、濯ぎはたらいでやっていたのではないだろうか。ここには手押しポンプの井戸もあった。

 そんな秀子宅での唯一の楽しみはテレビが見られることだった。まだ、白黒テレビが珍しい頃であり、また、テレビの置いてある八畳の居間には不釣り合いな大きなソファがあった。ソファなどここでしかに座れることはない。ソファに座ってテレビを見るのは気持ち良かったが、そこは秀子である。決して「只」では見せない。何と、テレビを見るときは電気を消すのだ。それは、カラーテレビになってからも変わらなかった。テレビの側に人形ケースがあった。


「娃子、盗りなや。私が死んだらやるよって」


 別に盗る気などない。ちょっと手に取ってみたかっただけである。

 人形ケースの中には、秀子が旅行で買ってきた民芸品などが所狭しと入っていた。だが、そのケースの戸は開かなかった。見れば、大きな釘が打ちつけてあった。これでは盗りようもないではないか。いや、この釘は手で簡単に抜くことができるのだ。その時の娃子はそのことに気づいてはいなかった。


「秀子さん、これ、捨てといて」


 と、今日も近所の人が不要の衣類などを置いて行ったのを、一枚ずつチェックし、段ボール箱に入れていく。娃子がそれらをどうするのかと聞いたことがある。


「また、お前はそんなこと言うてから。今の若いもんは何でもものを粗末にするけど、こんなんな施設に送ってあげたら喜んでくれるわ」


 秀子の年代の人たちは、施設と言うところは未だに衣食住は粗末なもので不自由していると思い込んでいる。ならば、積み上げておかないでさっさと送ってあげればいいのにと思うが、一向に送る気配はない。果たしてこんな着古してくたびれたものを送ったからといって施設の人たちが喜ぶか娃子には疑問だった。

 こんな秀子に比べれば、独自の生活観を持った絹枝の方がマシに見えてくるから不思議だ。

 それにしても娃子は、二歳違いの姉妹なのにどうしてこんなにも違うのかと思わずにはいられない。

 姉は色黒、妹は色白。これだけでも極端に違う。

 何より血のつながりを大事にする絹枝に比べ、秀子は他人の方を大事にした。他人は受けた恩義を色んな形で返してくれるが、身内は何も返さない。それは絹枝ら学んだことだった。

 だから借りた金も、絹枝が催促しないからそれまでで、今は法的にも時効になっている。それでも、このことを秘密にしてないことが、せめてもの秀子の利息代わりだった。

 だが、共通項もなくはない。ともに、自慢屋である。己の自慢をやらせたらこの二人の右に出る者はいない。


「みんなでな、日本髪結うてたんやわ。その時に、センセは他の人にはあれやこれや言うねんやけど、私には何にも言うてくれへん。おかしいな、なんで、センセはうちには何にも言うてくれはらへんのやろ思てたらな。最後に、はい、きれいにできましたねって…」


 この時の秀子の得意そうな顔。髪結いの修業時代に、先生の前で、数人が日本髪を結った時、一人だけ褒められた自慢である。これだけではない。秀子にはさらなる自慢がある。

 娃子は秀子が若い頃美人だったと聞いたとき、到底信じられなかった。これが

 恒男ならわかる。今でも細身の体でまず男前の部類に入る。

 しかし、今の秀子のどこからも美人の気配は感じられない。肌はドス黒く、態度もでかいが顔も目も鼻も口もでかい。額には大きなしわが三本あり、大口からキンキラキンの金歯がむき出される様は、土気色の獅子頭のようでしかない。

 これのどこが過去においても美人だったと言えるのか、娃子は不思議でならない。

 そして美容師が紺屋の白袴でもあるまいに、生え際三センチほどの輪を書いて白い、伸びきったパーマのいわゆるオバハンヘアーである。それでも外出時には口紅だけはつけるが、それとて何の効果もない。

 また、秀子の若い頃の写真を見たが、確かに目鼻立ちは悪くはないが、取り立てて美人とは思えなかった。特に昔は女は色白でおちょぼ口が良いとされたのではないのか。

 それでも秀子は今だにおのれを美人だと思い、絹枝や近所の人の不器量をあげつらう。


「ほれ、あの不細工なオバチャンや」


 と、茂子に話しているのを聞いたことがある。そして、折にふれ松竹から誘いがあったことを自慢する。


「秀子さん松竹入りや、秀子さん松竹入りやて、言われてな。あんたは愛嬌もあるし、度胸もええさかい。松竹入ったらええのに、て。そやけど、役者なんてもん、いやらしいよって…」


 事実、誘いはあったらしい。だが、この話になると、なぜか絹枝だけが妙な笑いを見せていた。





 







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