針山天一 三

 三年生になると峰子とは別クラスになったが、二年生頃から、詩や小説を書くようになっていた娃子あいこと本好きな峰子と他の女子二人とともに文芸部に入部した。

 一人は峰子の幼馴染の文子、もう一人は允子ちかこと言う娃子と同じ小学校で、一二年と五六年、中学では二年の時同じクラスだった。三年では峰子と同じクラスだった。允子も成績がよく、学級委員であり、積極的に発言をし、常に女子の中心的存在だった。何しろ、小学校卒業時には英語の筆記体が書けたのだ。ローマ字は書けるが、アルファベットすら、よくは知らない娃子とは大きな違いだった。

 だからと言って、家は裕福でもなんでもなく、娃子も詳しくは知らないが、どうやら母子家庭らしく、姉がいるとか聞いた。当時の母子家庭の暮らしも厳しいもので、小学校の道徳の時間に允子はよく母を気遣う発言をしていた。

 実は、中学の入学式に一人だけ制服を着ていない女子がいた。それが允子だった。クリーム色に黒っぽい縁取りのカーディガンを着た允子の姿はやはり目立っていた。それでも、彼女は堂々と胸を張っていた。次に彼女の姿を見かけた時には、制服を着ていたが、何しろ一年生だけでも八クラスあり、組が違えばわからないことの方が多い。 

 文芸部の顧問は一年のときの担任の数学教師であり、彼は詩人だった。ただ、ここでも娃子を気後れさせてしまうのは、下級生に至るまで、成績がトップクラスばかり集まっていることだった。

 それでも男子部員は個性的であり、そこには日常生活でも授業でも感じたことのない刺激があった。

 ある日、顧問の先生が全員に詩を書いてくるようにと言った。

 娃子はそれを宿題感覚に捉え、以前書いていた詩に手を入れて提出し、その後もう一編書けたので、それも手渡しておいた。


「後でゆっくり読むね」


 しばらくして先生は、あの詩は面白いとほめてくれた。

 何かにつけてほめられたことなどない娃子は、そうかなと思うだけで、自分の気持ちを吐露したにすぎない詩がここまでほめられるとは思ってもみないことだった。

 また、数日後、先生から詩が入選したと聞かされた時、すぐにはその意味がわからなかった。それは地元の信用金庫が毎月発行の新聞に中学生の詩を掲載していた。その信用金庫に先生の同人仲間がいた。その人が選者だった。

 その新聞に娃子が最初に書いた詩が入選作として載ることになったのだ。佳作は允子だった。

 やっと事態がのみ込めた娃子は、峰子の教室へと向かった。後姿の峰子の背中あたりを軽く叩いた。


「叩きんさんな」


 峰子は嫌そうな声と顔で振り向いた。軽くしか叩いてないのに、そんな嫌な顔をしなくてもと思った。いつだったか、峰子も話をしながら、娃子を叩いていたではないか。それも、数回。それでも、その時は何か気持ちが沈んでいたのだろうと思い、簡単に話だけして自分の教室へ戻った。

 それより何より絹枝の帰宅が待ち遠しかった。こんな気持ちは初めてだ。絹枝の顔を見るなり、詩が入選したことを告げた。


「シ?シいうてなんやぁ」


 詩を知らない……。

 娃子は言葉に窮した。

 詩を知らない者に、どうすれば詩を伝えられるというのか……。


「表彰されるんか」


 庄治が口を出したが、娃子は何も言えなかった。

 数日後、先生から、学校名と娃子の名前が記された大きな角封筒を渡された。

 中には信金新聞が二部と鉛筆二本、五百円入金された貯金通帳が入っていた。それを黙って絹枝の目の前に並べた。

 絹枝は一瞬照れたような表情をみせたものの、すぐに澄まし顔のまま、新聞を手に取ることもなく、ウンともスンとも言わなかった。


「うぅ、ええ、文句じゃ」


 何もわからないくせに詩を読んだ庄治が言った。

 娃子はがっかりした。

 いつも娃子の欠点ばかりあげつらう絹枝ではあるが、こうして形に表れた「いいこと」に対してこんなにも素っ気ないとは思っても見ないことであった。


「ふーん」


 その一言くらいは期待していたし、してもいいと思った。

 それ以来、娃子は特に絹枝に対して、何かを期待するということをきっぱりやめたが、さすがに絹枝も黙っていられないと見えて、尋ねてきた人に言ったものだ。


「娃子が、シィ、いう問題に当たってぇ」


 聞いた人もすぐには意味がわからないようだった。


「ああ、シー、シー、言うから何のことか思うたら、詩のことね」


 こんなおばさんでも詩くらい知っているではないか。

 それでも学校に行けば、数人の同級生や教師から詩のことを話題にされるのことはうれしいことだった。

 そして、あの時提出した全員の詩はガリ版刷りで一冊の詩集となったのだが、なぜか娃子の作品だけは二作目が載っていた。

 だが、娃子は愕然とした。

 無い。

 無いのだ。

 一人の男子の作品が。

 文芸部の部長である彼の作品はすごいのだ。単に生意気盛りの中学生の文章ではない。

 もう、大人なのだ。

 何が彼をあそこまで大人にしたのだろう…。

 三島由紀夫に傾倒し、それで娃子も三島作品を読んだという有様であり、とても娃子の敵う相手ではない。

 当然、彼も詩を書いたと思っていた。彼が書けば、彼の詩が入選していたことだろう。

 その彼に「勝てた」ことが、何よりうれしかったのに、彼は書いてなかった。

 どうして、彼は詩を書かなかったのだろう。詩だけでも彼に勝てたのではなかったのか…。

 だが、そんな感傷は例によって、いつも絹枝にぶち壊されてしまう。


「今はのぅ、結納金は三十万じゃ。よう覚えとけ!」


 どうして、中学生が結納金の金額など覚えなくてはいけないのか。それより、貯金通帳…。

 その後、あの五百円入金された通帳に、絹枝は金を入れてくれ、娃子も少しばかり貯めていた。それを、金はまとめた方が利子がいいからと、通帳を取り上げられようとした時、娃子はあの五百円だけは残してくれと頼んだ。


「やかましい!」


 まさに、鶴の一声で、通帳を没収されてしまう。さらに、その通帳の行方すらわからない。おそらく捨ててしまったのだろう。

 また、峰子がやって来た時、今度セーターとカーディガンを、近所の人に編んでもらう話をしていた。

 しばらくして、絹枝がそのことを聞いたから、セーターに刺繍を入れてもらうと言っていたことを何となく話した。


「刺繍なんか入れてもらわんでもええ」


 一瞬、何のことだろうと思った。


「刺繍なんか入れてもらわんでもええ言うんじゃ。入れてもらやぁがってみぃ」


 と、ドスの効いた声とともに、娃子を睨みつけた。

 娃子はまたも呆れるしかない。それは峰子の話ではないか。何でそれを絹枝が娃子に対して怒らねばならないのか。

 別に娃子が峰子が買ってもらうのなら自分もと、ねだったわけではない。

 娃子は何もねだらない。学校の教材以外絹枝が買ってくれるものを着、買ってきたものを食べる。そして、小遣いで買えないものはあきらめる。

 それなのに、どうして、峰子のことで娃子が怒られなければならないのか。

 これが一を聞いて十を知る人間のすることか……。

 いや、針小棒大という言葉がある。

 物事を大げさに言うことの例えだが、絹枝にかかれば針ほどのことが山になり、口を開けば、すわ、天下の一大事。

 これを娃子はひそかに「針山天一」と呼んでいる。

 今後も絹枝の針山天一は続くことだろう。

 だが、またしても娃子は、己の中の悪い心に悩まされてしまう。

 誰にでも、悪い心はあるというが、自分ほど極悪ではないだろう。 

 この極悪さに比べれば、絹枝など所詮小悪党に過ぎない…。

  

 今も娃子は、自分の中のものすごく悪い心に、思わず身震いしてしまうが、すぐにそれ以上の「うねり」がやって来る。


「お前はダメじゃお前はダメじゃ」


 と、またも、絹枝の「念仏」が始まった。




  



           



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