針山天一 二


 二年生になっても峰子と同じクラスになれたことは嬉しかった。彼女つながりの友達もできたし、あの三千代とは別クラスになった。

 そんなある日、かねてから誘われていた峰子の家に行った。山の上の中学から坂を下り、また坂を上った所に峰子の家はあったが、峰子は外股ではなかった。

 峰子のハハオヤは絹枝と同年代に見えたが、峰子は末っ子で、姉と兄が二人がいた。そして、家の近くに畑があるらしく、帰り際にサツマイモを持たせてくれた。

 しばらくして、娃子あいこも峰子を絹枝に引き合わせた。

 娃子の初めての友達らしい友達であり、いきなりサツマイモをもらって帰ったことに気をよくしていた絹枝であったが、そこはじっくりと峰子の品定めをした。子供とはいえ、初対面の人間には警戒心を怠らない絹枝だった。

 それでも明るいわりに控えめで擦れてない峰子に好印象をもったようだ。その後も娃子と峰子は互いの家を行き来したりと、娃子にとって、少しは楽しいと思える学校生活であったが、ある日唐突に担任教師は席を替われと言った。

 娃子は理由わけのわからぬまま、仕方なく席を替わった。

 それは娃子の席の近くに同じ小学校だった男子が二人いたことに起因していた。彼らは気安く娃子をからかう。

 娃子は単に聞き流していたが、峰子達にはそれがいじめに見えたらしく、担任に席を替えてあげてほしいと頼み込んだのだった。

 だが、彼らはそれほど意地の悪い男子ではなく、娃子は峰子たちの近くの席がよかったのに、今度替わらされた席は最悪だった。

 それこそ、今までなじみのなかった男子達が、待ってましたとばかりに、ニタニタと絡んできた。娃子は坊主頭のニタニタ笑いをする男が大嫌いだった。それだけでなく、性に興味を持ち始める頃でもあり、ある時などは床に座り込み、何をしているのかと思えば、なんと、娃子に腋毛が生えているかどうか半そでの下から覗こうとしていたのだ…。

 思えば、この中学は市内でも評判の悪中ワルちゅうである。それは峰子たちの小学校区の一部にものすごくガラの悪い区域があるからに他ならない。そのガラの悪さを嫌って、せめて小学校の間だけでもと、越境入学させるオヤもいるほどである。

 それが中学では一緒になる。この時の生徒会長ですら、ボンクラと呼ばれていた。また、少し前の先輩たちは修学旅行先で、旅館の物を壊しまくり、校長以下、引率教諭は平身低頭で謝ったそうだ。そんな連中はほぼ全員、あのガラの悪い町の住人である。

 娃子はつくづく峰子たちと同じ小学校でなくてよかったと思った。彼らはオヤや教師のことなど何とも思ってない。もし、同じ小学校であれば、とんでもない目にあわされていたことだろう。

 それにしても、峰子たちは余計なことをしてくれたものだと思った。それでも何も言えなかった、言わなかった。言えば、せっかく出来た友達をなくしそうな気がした…。

 言わなくて正解だったかもしれない。席が離れた峰子とは結び文でのやり取りをしていた。ある時の結び文には「何でも話し合える友達になって」と書かれていた。

 誕生日の手紙も嬉しかったが、まさか、峰子がこんな自分を、こんなにも思ってくれていたとは、感動に震える思いだった。

 それからの二人は色々な話をした。その多くは大人や世間に対する不満、反発など、どうしようもない気持ちでいっぱいだった。

 だから、せめて、自分たちはあんな大人にはなるまいと、それは誓いのように語り合ったものだ。


 例によって、絹枝は、娃子が少しでも物思いでもしようものなら、すぐに何か用事を言いつける。絹枝自身じっとしているのが嫌いであるし、まして娃子がのんきに考え事をしているなど許せないことであった。

 子供のくせに、なに思い悩むことなどあるものか。

 オヤの庇護のもと、ゆくゆくと暮らしていると言うに、暇をもて余しているなどもってのほかである。ただでさえ、この頃の娃子は口ばかり達者になってきたではないか。


「お前には家の手伝いをしょうか言う気はないんか!」


 洗い物も掃除も済んだと言えば。


「家が光るほどに掃除せえ」


 光るか、こんな家。

 家はボロでも畳と布団はきれいで、ちり一つ落ちてないというのが絹枝の自慢であるが、娃子はこの家が嫌いだった。狭いだけでなく、玄関からも台所からも戸を開ければ中が丸見え。後に、台所にはカーテンが付き、玄関は庄治が中が見えない程度に仕切りを作ったが、それでも掃除のし甲斐がない家だった。朝、掃除しても夕方にはうっすら埃が積んでいる。

 たしかに絹枝はきれい好きであった。

 だが、ちょっとおかしい。

 やっと買ったタンスをしげしげと拭いてはいるが、それは畳などの拭き掃除に使った後の雑巾で、光線の具合でゲバが張り付いているのがわかるが、それでも絹枝は大満足なのだ。そのくせ、娃子が衣類の入った段ボール箱の上にインクをこぼした時は当然のように怒ったが、それは少量で中の衣類には全く影響はなかった。だが、当の絹枝が畳の上にインクをこぼした時には、一大事とばかりに狼狽えてしまう。


「ああぁ、娃子娃子、こぼれたこぼれた」


 娃子は急いでふき取ったが、しみは残った。絹枝は日雇い仕事の保険申請書を書いていた。

 当時は日雇い手帳があり、そこに印紙を貼ってもらい一定の条件を満たせば、健康保険書と失業保険が支給される。朝、雇い先と値段の交渉と印紙のあるなしで働き先を選ぶのだ。そして「仕事のない日」にはその日だけの失業保険が支給される。

 鉛筆以外の筆記具と言えば、万年筆か浸けペンの時代である。万年筆は高価で子供が持てるものではなく、インク瓶にペン先を浸して書く。万年筆でさえ、インク瓶から補充していた。このインクをこぼさないようにするのが大変だった。

 日頃、絹枝は娃子に対し、一を聞いたら十を知る人間になれと言う。そんな、一を聞いて十を知るような人がどこにいるというのだろう。

 それは自分、絹枝自身がそうだと言う。ならば、物を汚すことを何より嫌う絹枝が畳にインクのしみを付けたことは十のうちに入らないのか。段ボール箱に少しインクのしみを付けたことに、散々文句を言ったではないか。

 ムッとした表情の娃子に、絹枝は照れ笑いをした。

 いつもそうなのだ。娃子のちょっとしたミスは決して許さないくせに、己の失敗は笑い飛ばす。

 物事をほぼ完璧にやりこなす人から文句を言われるのは当然かもしれないが、自分もそれもつまらない失敗をするような人間から、どうして文句を言われなければならないのか、まったくもってわからない。


「お前は執念深いの、いつまでもちょっとのことを根に持つもんじゃないわ。子供いうもんはオヤに怒られて大きゅうなるんじゃ。わしらもオヤによう怒られたもんよ」


 だから、その腹いせを今、やっていると言うのか。

 こんな大人にはなりたくない。なるもんか!

 




  



 






  



           



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