針山天一 一

 娃子あいこが絹枝をよく理解できないまま、時だけが過ぎて行き、いや、世の中のことも、その仕組みすら、何か、まだ、よくわからないままに、これも世の仕組みの一つとして、生まれて十二年経た日本の子供は中学生となる。

 娃子は中学生になったことで、ホッとしたことが一つだけあった。それは制服があるということだ。制服さえ着ていれば、学校で服装のことをとやかく言われることはない。入学式から帰った娃子は制服が脱ぎたくなかったものだ。

 しかし、絹枝はまたもやらかしてくれた。黒いラインの入った靴下とあろうことか、色付きパンツを買ってきた。それもなぜか、薄紫…。

 どちらも履かなければ怒られる。靴下はラインを隠して、パンツは普段は見えないにしても、身体検査の時は履けない。何より、干す時が恥ずかしい。二階ならともかく、一階では洗濯物など丸見えではないか。


うてもらえるだけ有難い思わんのんか。文句ばっかり言いやがって」


 いや、中学生に色付きパンツを買って来る方がおかしい。


 小学校は、平地の商店街の中ほどにあったが、中学校は山の上だった。坂道を上って行くが、住宅が続いた先は墓地だった。その間の道が通学路となっていた。

 中学校は二つの小学校から生徒がやって来る。そのもう一つの小学校出身者に外股の女子が少なからずいたのにはちょっと驚いたが、よく見れば、男子もそうだったが、女子と違ってズボンをはいているので、あまり、目立たない。

 そうなのだ。彼らの住まいの多くは坂道なのだ。どうやら、子供の頃から坂道で暮らしていると、外股になりやすいようだ。

 そんなことより、憂鬱だったのは小学校で同級だった三千代と言う意地の悪い子とまた同じクラスになってしまったことだ。色白の二重瞼の結構かわいい部類に入る顔立ちの女子だが、娃子に対してものすごく意地悪なのだ。

 その意地悪さは、オヤも教師も知らない。小学校の下校時に買い物をしている同級生のハハオヤから声をかけられることがあった。その時は娃子も挨拶くらいはするが、その中に三千代のハハオヤもいた。ハハオヤは好意的に話しかけてくるが、娃子はすぐにもその場を立ち去りたかった。

 きっと三千代もハハオヤの前ではいい子なのだろう。よく似た顔立ちのオヤコなのが、余計に癪に障る。何度、あんたの娘はものすごく意地悪だよと言ってやろうかと思ったものだが、すぐにその何倍にもなって返って来るのが、いじめと言う者だ。

 大人は案外、何もわかってない。

 それが中学のクラスでは、三千代の席は娃子のすぐ後ろだった。身長は娃子の方が少し高いのだが、なぜか後ろの席だった。

 席が離れているのならともかく、真後ろになった三千代は待ってましたとばかりに意地悪を始めた。

 

「汚い、前へやって」

 

 と、娃子の三つ編みを前に跳ねたり、机を押し付け、娃子を身動きできないようにした。

 担任は数学教師であったが、自分が読んだ本の話もするし、日記のようなものを書くのを奨励していた。できれば読ませてほしいとも言っていた。

 娃子も書いたものを読んでもらうことがあった。三千代からの後ろ攻めの執拗さに娃子は思い余ってそのことを書いた。


「席は自由に替わっていいです。その代わりよく話し合ってから替わるように」


 早速に、三千代が当時仲の良かった女子と席を替わってくれと言って来た。これで娃子に対する三千代の態度が変わったわけではないが、後ろからの圧迫がないだけ気は楽だった。

 ちなみに、三千代とその女子は互いに家を行き来したり、揃って刺繍クラブへ入部したりと親密だったが、二年生の頃には仲違いしたと聞いた。

 中学では、教科毎に教師が替わり、体育と家庭科の授業は男女別に受ける。そんな家庭科の調理実習の時、味噌汁と煮物の献立を班ごとに分かれて作り、試食も終えたが、鍋に味噌汁が残っていた。その味噌汁を班長が捨てようとしていた。

 そんな、捨てなくても…。


「そんなら、あんた、飲みんさい」

----私らは、もう、お腹いっぱいだけど、へえ、あんた、まだ食べられるんだ。じゃあ、どうぞ。


 娃子とて、別に食べたいわけではないが、この人は食べられるものを迷わず捨てられるのだ。だが、この班長、班決めの時には希望者が多かった。


「まあ、……さんは、みんなから好かれとんじゃね」


 と、家庭科教師が言った時の彼女の嬉し恥ずかしの風情は、今はどこにもなかった。


 一方の絹枝は娃子が中学生になったことでがっかりしたことがある。

 特に、小学校低学年の頃は、学校の行事等で、仕事を休まなければならないこともあったが、今度の娃子の担任がまだ若い独身の男教師と知れば、絹枝の苦労話のし甲斐がないというものだ。さらに中学ではそのほとんどが、男教師であることも、絹枝が学校から遠ざかる要因となり、家庭訪問もあっさりすっぽかしたものだ。

 それでも、まったく無関心でもいられず、学校にやってくれば、絹枝のことを知らない同級生は言った。


「あの人、おばあさん?」


 娃子と絹枝の年齢差もあるが、働くばかりで身なりを構わない絹枝は年より老けて見えた。

 また、未だ質屋通いを止められない庄治は、近くの質屋には絹枝が貸さないように頼み込んだため、相手にしてもらえなかったが、すぐに少し離れたところに別の質屋を見つけた。しかし、これに焦ったのが娃子である。

 その質屋は娃子の中学の国語教師の実家だった。今は結婚した若い女教師が娃子は好きだった。その女教師を家の近くで見かけることがあった。やがてその質屋の娘だということを知った。

 庄治が質屋に持っていく物といえば主に、近所の娘に編んでもらったカーディガンなど、ケチなものでしかないが、とにかく黙って持って行き、その季節になると、庄治は事も無げにそのことを言い、また持っていったかと知る次第である。

 しかし、今度ばかりは話が違う。娃子はあの質屋は中学の先生の実家だから、止めてくれと頼んだ。


「何を言うか。わしゃ、客じゃ。質屋なんか客がおってこその商売じゃ。そのセンセに礼を言われこそすれ、なに、遠慮することがあるか」

----人の利子で、大学まで行きやがって。


 それでも、多分その後、その質屋には行かなかったと思うが、そのことで分が悪くなった庄治は、娃子が校庭を自転車で走ってきたおじさんと接触して、制服のスカートを少しかぎ裂きしたのを絹枝に咎められた時には、即座に「実演入り」で絹枝の娃子責めに便乗したものだ。

 そんな庄治はまたしても、失対帰りに酒を飲み、泥酔して家にたどり着いたものの、玄関前でひっくり返ってしまうと言う失態をやらす。

 夜とはいえ、近所の人にみっともない姿を見られ、酔いが醒めれば絹枝に「出て行け」と通告され、自転車にのって出て行った。例によって、行き先は泊まるだけの安宿であった。

 翌日は土曜日で娃子が学校から帰ると、庄治は家で寝転がっていた。

 これもいつものことであるが、この時、庄治は大掃除をすると言いだした。仕方なく手伝わされながらも、娃子は憂鬱だった。

 絹枝が帰ってくれば、その後の展開は火を見るより明らかである。

 庄治が絹枝へのご機嫌取りの大掃除に娃子を借り出した思惑など、たいしたことではないが、この時ばかりは少し違った。

 絹枝は意味ありげな笑いを娃子に向け、その足で近所の人をつかまえる 


「は、わしゃ、あんな男、今度という今度は絶対、戻すまぁ思よったんじゃが、娃子が、一緒に大掃除したんよ言うて、戻しとんじゃけぇ。のう、子供いうてショウのないもんじゃあ」


 娃子は何も言ってない。庄治とも絹枝とも口をきいてないのに、娃子が庄治を引き入れたことにされていた。


「もう、愛想が尽きて、今度という今度こそ別れよう思うとったのに、娃子が戻したんじゃあ、どうしようも出来んわ」


 その後も、折に触れては。 


「ゲヘヘ、お前が戻したんじゃけんのっ」


 別れるの、戻さないのと言ってみたとて、いつも庄治は戻ってくるではないか。第一鍵は持ったまま、行く当てのない庄治は戻るしかないのだ。こんな茶番ケンカに付き合わされる娃子の方が虚しい…。

 それにしても、世の中とはどうして、こんなにも矛盾と欺瞞に満ちているのた゜ろう。世の大人たちのあまりにも身勝手なこと。平然と、約束を破るくせに、子供にはとんでもない「理想」を要求する。自分ですら出来ないことや、自分はやる気もないくせに、それを子供にはやらせようとする。できなければ怒り散らす。もう、何もかもが腹立たしい。

 娃子の反抗期の始まりである。ちょっと考えれば、教科書だっておかしい。歴史に出てくるのは男の名前ばかり。女は、卑弥呼、紫式部、清少納言、北条政子とキュリー夫人が一行だけ。さらに、女とは愚痴っぽいとさえ書いてあるのだ。

 こんな気持ちを誰かにわかってほしかった…。

 そんな娃子にも仲良くしてくれる友達ができた。

 名を峰子と言った。峰子は娃子と違い成績がよく、学級委員でもあったが偉ぶりもせず、普通に接してくれた。

 峰子は五月生まれで、仲良くなった頃には誕生日は過ぎていたが、早生まれの娃子の誕生日を知ると、その日に、手紙をくれた。

 そこには心からの祝いの言葉がつづられていた。こんな手紙を貰ったのは初めて…。

 娃子は十三歳にして、初めて誕生日を祝ってもらった。


 


  






 










 





 








 




 






 










 

 




 

 




 

        







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