借った、買った、勝った ! 刈ったる
この頃、よく昔のことを思い出す。
決していいことばかりの人生ではないが、それでもここまでやって来た。いや、よくぞ、ここまでになったものだ。
貧しい漁師の娘で小学校もろくに行ってない自分が、今は家を持ち、美容院を経営し周囲から「センセ」と呼ばれているのだ。これを成功と言わずして、何を成功と言うのだ。それに引き換え、自分の周囲はアホばかりである。
秀子は長女、下に二つ違いの妹の絹枝、少し年が離れてこれまた二歳違いの弟が二人。この二人の弟と、姉二人はある意味よく似ていた。長男長女は顔がよく勉強もできたが、次男と次女は顔も頭も冴えなかった。
秀子はおかしくてたまらない。
----同じオヤから生まれた兄弟姉妹でありながら、ようも、こんなにもくっきりと線引きがされたものよ。
特に絹枝は不器量な上に病弱でよく泣いていた。
「うるさい!不細工」
いくら、オヤにたしなめられても秀子は平気だった。嘘は言ってない、本当のことではないか。
成績のよかった秀子はもっと学校に行きたかったのに、小学校は二年で絹枝と交代させられた。当然、絹枝も二年通っただけだが、秀子と違って成績はともかく、勉強しようという意欲もなかった。弟二人は小学校を卒業した。
秀子は貧乏が嫌でたまらなかった。
顔も頭もいい自分がどうしてこんな粗末な着物で、魚にまみれなければならないのか…。
悶々とした日々を送っていた時、一人の青年から声をかけられた。最初は誰かわからなかったが、言われて気が付いた。彼はドサ回り一座の花形役者だった。娯楽の少ない時代、芝居の一座が来れば、いつも小屋は満員になったものだ。だが、興行は夜であり、昼間に旅役者を見かけることはついぞないことだった。
「いつも、見に来てくれてありがとう。名前は」
----えっ、この人は、舞台の上から、私を見ていたの…。
これだけで秀子は舞い上がってしまった。
「ひ、秀子、です」
「じゃ、今夜も待ってるよ」
「はいっ、あのぅ」
「悪いな。もう、支度しなきゃいけねえんで」
後に
それからは芝居小屋に入り浸ったが、役者には女房がいた。その女房も化粧して舞台に立てばきれいだが、一たび化粧を落とせば痩せこけた青白い顔の女でしかなかった。
「なにさ、この色黒娘」
痛いところを突かれた。秀子は色黒だった。この時代、色の白いは七難隠すと言われ、少しくらい不器量でも、色白であればそれでよしとされていた。だが、この一言で秀子の心に火が付いた。
----寝取ってやる…。
体を武器にすれば男などちょろいものである。もう、こうなったら放すものか。秀子はオヤにも黙って次の興行地に付いて行った。
そこからは、絹枝も知らない秀子の黒歴史である。
初めは刺激のある毎日だった。秀子も娘役として舞台にも立ち、色黒も白塗りすれば目鼻立ちのはっきりした顔は舞台映えし、客席から多くの視線が注がれる快感を味わったりしたものたが、すぐに現実を思い知らされた。
何と、行く先々の興行主の夜の相手として差し出された。最初は酒を飲まされ、その後は嫌だと言えば、他の役者たちから殴る蹴るの暴行を受けた。
「お前なんか、最初からそのつもりで、只飯食わせてやったのさ」
そう言ったのは、役者の女房だった。
----こんなはずじゃなかった…。
所詮は世間知らずの娘でしかなかったのだ。
----もう、こんな暮らし、いや!
一刻も早くここから逃げたかったが、逃げ出そうにも金がない。そうなのだ、たとえ逃げても金がなければ、どうしようもない。さらに、決して、タダでは逃げたくなかった。彼らに何かダメージを与えてやらねば気が済まない。それから、必死で金の在りかをさぐり、チャンスはやって来た。その金を掴んで秀子は走った。まずは、住み込みで働けるところを渡り歩き、やっと、あの旅一座がやってこない土地へと流れついた。それが、大阪だった。
いや、ここまでが地獄だった。今でも思い出したくない、なのに、つい、思い出してしまう…。
このままではいけないと、髪結いの師匠の門を叩き、頭を下げ、厳しい修行に耐え、一人前の髪結いとなった頃、恒男と出会った。
秀子も人並みに結婚して、落ち着いた暮らしがしてみたかった。
ようやく手に入れた幸せ…と、思ったのも束の間、やはり、恒男も男だった。
それでも、秀子はもう一度やり直すべく、恒男の弟の子をもらうことにした。それが茂子である。姪を養女にしてやったのだから、これからは少しは遊びも自重するだろうとの期待もあってのことだが、恒男は茂子に見向きもせず、それまでと何も変わらなかった。
怒った秀子は自分の店を持つことにした。当然恒男は反対したが、腕には自信があり、茂子の世話や家事だけでは物足りない自分がいることも確かだった。
ちょうどその頃、妹の絹枝が、戦死した夫の残した家や土地を売った五万円と言う金を持ってやって来た。まさに、鴨が葱を背負って来た。
秀子が、今住んでいる家と隣の家を買いたいので、金を貸してほしいと言えば、絹枝は何のためらいもなく一万八千円と言う金を差し出した。
家と言う基盤があるのだ。自分の髪結いの腕と社交性があれば、きっとうまくいく。そして、二人の見習い美容師を雇った。この二人の美容師はその後十年住み込みで働き、今でも付き合いはある。
だが、その後はなぜか雇う美容師が長続きせず、肝心の茂子は高校入学時に自分が養女であることを知り、それから、ますます反抗的になった。卒業後は秀子の後を継がせるべく、美容学校へ行き免許を取得するが、これは秀子が裏でもらってやったものである。
それほどに、秀子は美容業界で顔の効く存在になっていた。
----ああ、いややいやや。また、ろくでもないこと、思い出してしもて…。
その時、近所の主婦がやって来た。その顔を見ればわかる。金を借りに来たのだ。各停しか止まらない駅から続く短く貧相な商店街ではあるが、その中で、女手一つで店を経営しているのは秀子だけである。後は嫁ぎ先の店を手伝っているに過ぎない。
近所の主婦たちは、高利貸は恐くて行けないが、秀子になら借りることが出来た。だが、秀子は絹枝とは違う。利息こそ取らないが、皆、利息代わりのものを持って来る。口にこそ出さないが、貴重な金を貸してやるのだから、何か持って来いオーラ全開で相対する。その時の優越感、その後も相手に対して優位に立てる、この時の快感がたまらない。
この世に、絹枝ほどのアホがいるだろうか。あの金を最初に握ったのが秀子なら、弟妹などにはビタ一文貸さない。例え貸したにせよ、その時は弟妹であろうともきっちり取り立てる。それを絹枝はやすやすと差し出した。その後、前夫とは似ても似つかぬぐうたら男と一緒になり、従弟の義男から邪魔になった娘まで押し付けられてしまい…。
これだけでも、どうしようもないアホと言えるの。
秀子はニヤッと笑った。
絹枝のアホ、アホの絹枝は、今までに口先だけの金の催促すらしたことがないのだ。金が有り余っているならともかく、貧乏で底辺のきつい仕事をしているのに。もっとも、秀子にしてみれば、絹枝がアホで助かっている。何はともあれ、秀子はこの家と土地を買い、今は人を使う経営者なのだ。
借った、買った、勝ったのだ!
自分のものは自分のもの。人のものでも自分のところへやって来たものは自分のもの。借りたものでも返さない。
買い物は少しでも安いものを、それも最小限度。秀子の一番高い買い物はこの家であるが、それも人の金で買うと言う、おのれの賢さよ。自分は勝ったのだ。
いやいや、まだまだ足りない。
さあ、もっともっと、これからは刈れるだけ刈ったろやないか。
刈って、刈って、刈りつくす…。
「秀子さん、これやけど…」
と、今日も近所の人が古着等の不用品を持って来れば、例によって一枚ずつチェックしてから、段ボール箱に入れ、棚に積み上げる。
秀子はやると言うものは何でももらう。金だけでなく、物もたくさんあるに越したことはない。いや、金と物に囲まれることこそ幸せ…。
それなのに、無い!無いのだ。
財布の中の千円札が一枚、足らない!
今、この家に居るのは…。
----
「あいごぉ!!」
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