何もない 二
何が変というより、とにかく変なのだ。そして、オヤとはこんなものだろうかと思った。すぐに、違うと気が付いた。
人は何を指してオヤというのだろう。
一緒に暮らしているから。食べ物をくれるから。周囲があの人がオヤだと言うから。
娃子にはオヤという実感がなかった。
だからといって、それがわかったからといって、娃子に何が出来たというのだろう。
幼い子供に何が出来る…。
しかし、絹枝は巧妙に、折に触れ、娃子にそれを匂わせた。
----気付け、気付け、このことに早よう気付け。
娃子はどうしていいのかわからない。
絹枝の誘導に対し、どのようにリアクションをとればいいのかわからない。下手に口を滑らせば、それこそ、烈火の怒りを誘発してしまう。
できるだけ絹枝を刺激しないようにするのが、精一杯だったが、ウソか誠か、絹枝はよく孤児院の話をした。
「孤児院じゃのう。腹一杯、食えんのんじゃ。止めなさい!言われたら、それ以上食えんのんで。の、かわいそうなもんよ」
だから、食事のときでさえ気は抜けない。
夕食はまず、絹枝と庄治の人の噂話から始まる。噂話といえば聞こえはいいが、要するに悪口である。娃子は黙って食べる。
人の悪口を聞きながら食べるのもいやだが、ひとしきり噂話が済めば、次は娃子の番である。
娃子は絹枝がうるさいから、気をつけているつもりだが、それでも怒られる。
それにしても、せめて食事中には怒らないで欲しい。絹枝も庄治も怒りながらも、平気でものを食べることが出来るが、娃子にはそんなゲイトウは出来ない。
「早よぅ食やぁがれ」
絹枝に言われ、無理やりご飯を口に押し込むが喉を通らなくて、何度水で流し込んだことか。が、娃子が唯一我を通せるのも食事であった。
何一つ思うようにならない中で、食べ物の好き嫌いだけは言えた。娃子は絹枝とは食べ物の好みが違った。まず酢が嫌い。筍は苦いから嫌い。塩辛いものも嫌い。絹枝も庄治も皮も剥かずにすりおろした長芋をご飯にかけてズルズルとかきこむが、それはまるで吐しゃ物のようで、娃子は見ただけで気持ち悪い。
娃子が嫌いなものを嫌いと言えるのは、絹枝にも嫌いなものがあるのでしぶしぶ認めていた。
そんな絹枝の嫌いなものは肉だったが、他にもあると思っていた。絹枝の嫌いなものが食卓に上る筈もないが、肉は庄治の大好物であり当時の最大のご馳走はすき焼きだった。年に一、二度食べられただろうか。
カレーですら、滅多に食べられない代物であり、まだ、カレールーのなかった頃、絹枝のカレーは「独特」だった。
肉、玉ねぎ、ジャガイモ、ニンジンを煮る。そして、平鉢に山盛りのメリケン粉にカレー粉を入れ、その煮汁で練る。練ったものを鍋の中へ、それこそ、強引にねじ込む。
それでも娃子にとってカレーはご馳走であり、この時、庄治はカレーだけ椀に入れ、それをアテに酒を飲む。
娃子も同じようにカレーだけ食べてみたかったが、どうしてもそれが言い出せないままにご飯にかけられたカレーを黙って食べるしかなかったが、この時の絹枝のカレーとご飯を混ぜ合わせる時のスプーンのカチャカチャ音が頭に響いて嫌だった。
24センチのアルミ鍋いっぱいのカレーが一度で食べきれるはずもなく、翌朝も食べることになるのだが、これが娃子にはつらい。
朝、カレーは固まっている。それを火にかけ水で延ばした気の抜けたカレー。これはまったくおいしくない。でも、それを食べなければ他に食べるものはない。
また、玉ねぎの薄切りをメリケン粉を練った衣の中にぶち込み、油で揚げた塩味の効いた玉ねぎの天ぷら。一つの玉ねぎがものすごい量になる。その揚げたものを直接皿に入れるものだから、山積みになったてんぷらの下の方は、しなしなの油まみれになってしまう。たまに小エビや小イワシの天ぷらもあるが、これも基本は変わらない。天ぷらというより塩味のエビのメリケン粉団子、小イワシのメリケン粉団子でしかない。それでもエビはおいしかった。
「こんないつ、エビばっかり食やぁがる」
こんないつとは「この奴」と言う意味であり、娃子のための言葉である。絹枝に言われ、娃子はハッとなった。エビばかり食べたつもりはなかったが、それからはエビ団子は二つだけと決めた。
塩味の効いたものが好きな絹枝であったが、醤油味はそれほど辛くはなかった。といっても、出汁はイリコ、砂糖と醤油と水だけの煮物は何を食べても同じような味でしかない。酒は常にあったが、絹枝が料理に酒を使うことは皆無だった。
漁師の娘である絹枝は魚が好きだった。娃子は魚の臭みが苦手だったが、かなり我慢して食べた。ただ、魚のあらを水から煮立て醤油をさっと回しただけのものには閉口した。鍋のふたを開けると生臭ささがわっと広がり、それを絹枝はあらについている身だけ食べ、後は捨てる。また、ハハオヤの味噌汁がおいしいなんて誰が決めたのだろう。日本人はみんな味噌汁が好きというのもわからない。
絹枝はなぜか汁物があまり好きではない。よって、味噌汁などは滅多に作らない。作ればほとんど一種類の野菜か麩だけのそれも味噌煮の様な味噌汁に、たまにネギのぶつ切りが入っていた。また、すごいのが「貝汁」である。夏になれば近くの海に貝掘りにいく。
その貝をきれいに洗い、24センチのアルミ鍋に貝が口を開けられる程度の水を入れ、煮立てば味噌を入れる。そして、貝だけお椀に入れ、箸を持ったまま貝をつまみ、身だけ猛烈な勢いで食べる。そんな味噌風味の貝煮を絹枝は貝汁と言う。鍋の底で肩身の狭そうな汁は当然捨てられる。かと思えば、魚の切り身を入れたすまし汁もたまに作るが、多くの場合、おかずはこれだけである。さらに、例によって、イリコ出汁に醤油を加えただけのそうめんのつけ汁。これが薄くておいしくない。
「汁も飲むんよ」
汁物が嫌いなくせに、よく言うと思った。そして、この時のそうめんの器がお椀だった。夏にお椀で生ぬるいそうめんを食べるのは、決して気分のいいものではない。
「どうだらええわ。食えるだけありがたい思え」
このお椀も、最初は汁物は汁茶碗で食べていたが、汁茶碗では熱いので、やっとプラスチックの椀を買ったと言う訳だ。その後、知り合いの見舞い返しにガラスのそうめん鉢をもらった。
そして、冬になると大根と白菜の出番が多くなる。大根は「大根ツキ」で細く付き出し醤油で煮たもの。白菜は、少量の小さなサイコロ状のカジキマグロと水で煮たものを、絹枝と庄治は酢醤油で、酢の嫌いな娃子は醤油だけで食べる。また、この酢醤油とは、酢と醤油を継ぎ足しただけのもので、白菜が粗方なくなった頃に、やっとカジキマグロの姿が見えてくる。
その他、煮炊き物のアク取りなど一切しない。茄子と油揚げを煮れば、油揚げが真っ黒。ある時、味噌汁に茄子をそのままぶち込んだものだから、気持ちの悪い色になってしまった。また、小芋(里芋)のぬめりも取らない。煮っころがしの時はそれでもいいが、一度、醤油ご飯に小芋を入れ、ベタベタの醤油ご飯が出来上がった。
それら、ほとんどの煮炊きはこの24センチのアルミ鍋だった。ちゃぶ台の上にはいつもこの鍋があり、鍋から直接中のものをとって食べるのが嫌で、娃子は皿に取って食べようとする。
「皿、汚さんでええ」
皿の種類も少ないが、使えるのも最低限でしかない。こんな時でも庄治の酒の肴はほぼ毎日刺身であった。たまに一切れもらえるが、子供なのに刺身が好きだというのはオヤが酒飲みだからである。
そんな中で唯一、おいしいのが具がしっかり詰まった巻き寿司である。酸っぱいもの好きの絹枝にしては、控えめなあっさりとしたすし飯だった。ばら寿司も作るがその時の食事はそれだけで、他に吸い物もない。そんな中でも、なぜか、花見弁当だけは色鮮やかにきれいに詰めたものだ。
また、すごいのが正月である。いつからあるのか、元は誰のであったのか知らないがちょっとした空き地の隅に石臼が立てかけてあった。
それで近所中が餅をつく。絹枝も庄治その日は張り切っている。
絹枝の手返しは誰よりも上手であったし、杵をおろす庄治とも息はぴったりあっていた。
もっとも息が合わなければ餅つきなど危険な行為でしかない。だが、娃子にはこの二人の餅つきは奇異な光景に映ってならない。絹枝と庄治の年に一度だけ気持ちが合う日が、この餅つきである。とにかく庄治は大ニコニコで、絹枝は得意満面であった。
餅つきが終われば、絹枝は張り切って、正月料理に取りかかる。黒豆、田作り、棒鱈、煮しめ、どれも大なべいっぱい炊く。
絹枝の黒豆にはレンコンゴボウ椎茸こんにゃく等が入っている。田作りはザラメ砂糖を使うから、冷めるとカチカチにくっつく。煮しめは煮昆布、こんにゃく、にんじん、小芋や厚揚げが入るときもある。さらに、酢の効いた
これらを正月中毎日食べるのだ。かなりの量だから、なかなか減らない。飽きても食べ続けるしかない。庄治は朝から酒を飲み、酔っぱらって寝る。
その他に、口には出るが、一度として食卓に出てこない料理も存在する。
茶わん蒸しと親子丼である。
「茶碗蒸し作る時に…」
と、絹枝は言うが、その茶わん蒸しなるものも作ったことはない。第一、茶わん蒸し用の器もなければ、蒸し器もない。それでも、しばしば口にするのが不思議でならない。
親子丼は時に食べ物の話になると、庄治の口から発せられる憧れの様な言葉であるが、これまた、絹枝は丼物など作ったことはない。だが、この親子どんぶりには別の意味もある…。
「わしゃ、
煮麺とは、元は素麺を温かいダシで煮たものだが、汁物の具材となる時もある。いや、その煮麺もあまり作ったことはない。さらに、豆腐のミミ、固い部分が好きだと言う。娃子は豆腐のミミも嫌いだが、煮麺も嫌いになった。
しかるに、絹枝はいつも怒っていた。
怒っても怒っても怒り足りない。庄治も他人だらけの世の中も気に入らない。それらの総仕上げが娃子だった。
----この、疫病神!
顔を見ただけで気分が悪い。腹立ちまぎれに絹枝は娃子の頭を二、三発殴ったかと思えば、返す手で娃子の手をひねり上げ「ほうれ、ほうれ」と振り回し、転んだ娃子に蹴りを入れる。だが、しかし、決して体に傷が残るようなことはしない。これらの行為は、娃子が言葉で意思を伝えられるようになるまで続けられた。
その時の、涙を溜めた娃子の顔は、ぞっとするほど、おぞましい…。
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