養親たち 三
このミンコとは、最近越して来たミサエと言う女の子のことである。
そのミサエは越してきた、のっけから言ったものだ
ハハオヤはママハハで自分と兄には十分にものを食べさせてくれない。弟はママハハの連れ子。
「もう、食べさせてくれんわいっ」
みんなミサエに同情し、何かにつけて食べ物を与え、ママハハに文句を言う人もいた。
しかし、娃子は、この子、こんなこと言って大丈夫なのだろうかと思った。
絹枝にしても、娃子が家の恥を外でしゃべったといっては容赦なく殴るのに、ミサエはママハハを「オカアチャン」と呼んでいるが、そのママハハの悪口をこんなにも堂々と言って大丈夫なのだろうか…。
だが、ママハハはちゃんと食べさせているという。ただ、特に兄は痩せて小柄なくせに、食べる量が半端ではなくバカ食いをするのが気に入らない。ミサエは娃子より二つ下だが、背は低く痩せていた。
「可愛そうに、ろくに食べさしてもらえんから、のう、こんなに痩せて」
と、絹枝は言うが、娃子も痩せている。ただ、身長はあった。
「わしらぁ、いくら娃子を怒っても、食うものだけは食わすで」
それでも、娃子は一度だけ見たことがある。ママハハがミサエに昼ご飯を食べに帰れと言っているのを。だが、遊びに夢中のミサエは今はいらないとか言っていた。
「後で食う言うても、知らんけんのっ」
娃子はどうして帰って食べないのだろうかと思った。おそらく、後で食べることは出来ないだろうに。また、夏のある夜、ミサエがやって来て絹枝に言った。
「オカアチャンが、そうめんが余ったけん、食べてくれんか言うて」
「お前は食うたんか」
「うん」
その後、そうめんが届けられたが、娃子は食べなかった.
そんなママハハはがさつなだけの女であった。しゃべるとき口の端にツバがたまるのがなんともおかしかった。
ママハハは絹枝の気さくなところが気に入ったのか、しげしげとやってくるようになった。気前のいい絹枝は娃子の着られなくなった服をミサエに譲り、ある時、ママハハに昼ごはんを勧めた。
ママハハは喜んで食べた。おかずは魚の切り身の入ったすまし汁だった。
「まあ、あんたぁ、うちに来て遠慮せんのんよ。汁も一杯といわずに、もっと飲んだらエエがね」
ママハハは機嫌よくおかわりをする。
「まあ、こりゃうまいわ。絹枝さんは料理が上手じゃね、うまいわ」
「そんならもっと食べんにゃ」
「ふっふぁはっはぁ。バカの三杯汁じゃ」
「エエよ、エエよ、さあ、もう一杯」
結局、汁を四杯おかわりをした。
ママハハが満足して帰れば、待ってましたとばかりに絹枝は外に出て人に声をかける。すぐに人は集まってくる。絹枝の話は面白いし、時にはとんでもない情報を掴んでいたりする。
絹枝は身振り手振りを交えながら、楽しそうにうれしそうに、今あったことを話し出す。
「バカが、汁、四杯吸うてから」
指で四を作り、一人ずつに見せていく。
「人の家で四杯も吸うてから。ああ、バカよ、バカよ」
確かに汁を四杯もおかわりするのはバカだけど、薄ら笑いを浮かべながらしつこく勧めたのも、後で皆と一緒に笑ってやろうと言うミエミエの魂胆があったからではないか。絹枝はそこまでして人を笑いたいのだ。
そんなある日の夕方、ミサエの家のアロエを分けてもらいに絹枝と行けば、ママハハと弟とミサエは食事を始めたところだった。ミサエは給食用の箸を水洗いし、茶碗の冷やご飯にカレーをかけて食べ、弟も小さい皿で同じものをスプーンで食べていた。
それだけのことが絹枝にかかるとすごい話になる。
「わしゃ、見たんじゃけぇ。飯に汁かけただけで、おかずいうてやらんのじゃけん。かわいそうに、汁かけただけの飯なんか、わしら、娃子に食わせたことはないわ、ほんまなんじゃけぇ、わしゃ、見たんじゃけぇ」
このときも娃子は黙っていた。あれはカレーだったと言えば、絹枝に怒られるだけである。
絹枝のメリケン粉いっぱいの、スプーンでも持て余すような大きなジャガイモが転がっているようなカレーではなく、さらっとしたカレーで鍋も20センチくらいの大きさでしかなかった。何より弟も同じものを食べていたではないか。それでもミサエはあまりおかわりは出来ないだろうと思った。
「かわいそうに、ミンコはかわいそうなもんじゃ」
そんなミサエのことは庄治も気になるらしく、菓子などを余分にやったりしていた。そこで庄治は思った。
----ほぉ、ママコいじめいうたら、飯食わさんことか……。
そんな庄治が娃子を怒っていると、絹枝が止める。
「あんたぁ、そんなに怒ってばっかりおると、娃子の根性がへちれるわ」
「うるさいわい。言わんとわからんのじゃ。娃子はちっとも言うこと聞かんのんじゃ」
「ふん、あんたのんは、ママコいじめじゃないか」
「なに言うか。ママコいじめ言うたら、飯食わさんことを言うんじゃ。わしは飯は食わしとる!」
と、娃子が近くにいてもお構いなしである。もっとも、絹枝はせめて、庄治だけは実のオヤではないと、娃子に気付かせたい気があった。とにかく、ミサエが現れてからというもの庄治は食事の時に言ったものだ。
「もっと食えや」
娃子がもう食べられないと言っても、さらに食えと言う。
「あんたぁ、娃子も小さい子じゃなし、食いたいだけ食うわ」
事実、絹枝が見ても、娃子は食べていると思う。
庄治はミサエのことからものを食べさせないことだけがママコいじめだと学習したようだ。
そのママハハは絹枝について日雇いの仕事に行くようになった。これには絹枝は閉口した。口先だけでさっぱり役に立たない。その不満は娃子にぶつけられた。すべては娃子がミンコなんかと一緒に遊ぶからだと、散々嫌味を言われたものだ。その後、ママハハはつまらぬことで絹枝と仲違いし、ママハハの方から勝手に腹を立てて絹枝から離れていった。絹枝はせいせいした。
だが、ママハハがミサエを虐待していたことは事実で、このことは後に新聞沙汰となった。ミサエは中学卒業を待たずに施設に引き取られていった。
ミサエの父親は大工ということだが、娃子はその姿を見たことはない。
ママハハは新聞に実名が出なかったことを幸いに。
「ありゃあ、うちじゃないんよ。うちなら、置いてもらわりゃせんわあ」
と、うそぶいて、その後も平気で暮らしたものだ。
だが、ママハハ・ママコはミサエだけではない。
ミサエと入れ違いのように引っ越して行った、カズヨという子もそうだった。
どういう事情か知らないが、カズヨが斜め二階の家のおばさんに背負われきた日のことを娃子は覚えている。
娃子と絹枝の年齢さは三十七歳だが、カズヨとおばさんもそれ以上離れていたと思う。
カズヨと娃子は四歳違いであったが、すぐに仲良くなった。
カズヨは娃子と違う意味で厳しくしつけられていて、どこの子もよそでお菓子などをもらえば「ありがとう」と言い、後で親に報告する。
だが、カズヨはありがとうの後すぐに。
「オカアチャンに見せてくる」
と言って、もらったものを持って家に帰る。
「オカアチャン、娃子ちゃんのおばさんにこれもらったよ」
と報告してから、また娃子の家に舞い戻り、一緒にもらったものを食べる。
カズヨの隣に一つ上の男の子が住んでいた。そこにみんなして遊びに行き、お菓子をもらった。例によってカズヨが家に帰ろうとするのを、そこのおばさんは止めた。
「カズヨちゃん、おばさんがオカアチャンに言ってきてあげるから、ここでみんなと食べたらいいよ」
それでもカズヨは帰っていった。
また、カズヨが遊びに来たときパンが一つあったので半分分けした。娃子が絶対黙っているから帰らなくてもと引き止めたもののカズヨは帰って行った。娃子は半分のパンが恥ずかしかったし、それくらい黙っていてもいいと思うのだが、カズヨのハハオヤの考えていることも、絹枝とは違う意味でどうにもならないようだ。
世の中で子供というものはオヤに怒られる役回りになっているらしい。それでも、カズヨがオヤに怒られているのを見た絹枝は自分のことは棚に上げて言ったものだ。
「かわいそうに、ひどいこと言うわ。カズヨはあんなに小さいのに、もうオヤの顔色見るようになってから、わしらぁ、娃子にあんなひどいこと言うたことはないわ。かわいそうに」
その時、カズヨがどんな怒られ方をしたのか知らないが、オヤの顔色を見るのはカズヨだけではない。
娃子も見る、見ている。それでなくとも娃子が話のきっかけをつかめないうちから、絹枝はすぐに身構える。またなにかロクでもないことを言うに違いないと睨みつけるではないか。
そして、娃子の言うこと、なすことはロクでもないこととして、即座に処理され取り合ってすらもらえないことがほとんどてある。
だから、娃子はいつも絹枝の顔色を見ている。
子供にはそれしか出来ない。
なのによその子のことは気が付いても、娃子には、そんな気すらないのだ。
それでも娃子は近所のどの子よりもカズヨが好きだったし、姉妹のように仲良くしていた。
ある夜、カズヨが踊っているというので、みんなで見にいった。
カズヨが踊りを習わされていることは知っていたが、舞い姿を見るのは初めてだった。
ハハオヤに叱責されながら、カズヨは必死の形相で踊っていた。
踊りたくないのだと思った。しかし、オヤには絶対の服従しかない。
そのときのハハオヤの歌と、泣きたいのをこらえながらのカズヨの踊りを娃子は今でも覚えている。
♪ あおやぎの かげに だれやらいるわいな~
その後、カズヨ一家はあわただしく引っ越していった。引っ越しの理由すらわからないままの後は、なんとも寂しかったものだ。
だが、別隣り上のおマセのマセコもハハオヤが違うと聞いたことがある。
この頃から、娃子は漠然とだが気付きはじめた。
いや、とっくに気づいている…。
それは娃子が六年生になった頃だった。絹枝が体調を崩し、しばらく仕事の出来ない状態が続いた。そこへ、絹枝の仕事仲間の若い女が、赤ん坊の面倒をみてくれないかとやって来た。
娃子にすれば、若いとはいえ小柄な女がよくきつい仕事が出来るものだと思った。家が近かったこともあり、少しの間預かることにした。
赤ん坊はスミエという色白の女の子だった。十一歳の娃子にとって赤ん坊は最高のおもちゃであった。スミエは明るい子でたちまち子供達のアイドルになった。
娃子たちは一生懸命スミエに言葉を教えた。
呼べば「はーい」とにこやかに返事をする。「ありがとう」も「ちょうだい」も教えた。だが、いくら娃子たちがあやしても、ハハオヤを恋しがって泣くときがある。夜しか一緒にすごせなくても、やはりハハオヤが一番なのだ。
それにしても、絹枝が拭き掃除の後の雑巾でスミエの口の周りを拭いたのは許せなかった。
「へへっ。これで拭いたら、人見知りせんようになるわ」
確かにスミエは人見知りしないが、それは娃子をはじめ子供達が入れ替わり立ち替り相手をするからであって、決して雑巾などのせいではない。
「はあ、赤ん坊のときのことは覚えとりゃあせんわ」
絹枝は娃子にしてきたことをスミエにもしているだけであった。
そんな娃子の小学校最後の運動会の日、絹枝と庄治に連れられてスミエもやってきた。
その日は暑くアイスキャンデーがよく売れていた。
絹枝は娃子のクラスの後ろの席で、スミエにアイスキャンデーを食べさせながら、声を張り上げたものだ。
「娃子、食えや、食えや、溶けるで。早よ食えや、食えや」
娃子はもう、情けなかった。
「まあまあ、いつまでもオヤに構ってもらっていいこと」
そんな同級生の声が聞こえたような気がした。あまりにしつこい絹枝に、娃子は余程、うるさいと文句を言いに行こうと思ったが止めた。
絹枝の側に行けば、アイスキャンデーを食べたと言われるのだ。食べなくても食べたと言われるのだ。
娃子は恥ずかしくても黙って耐えるしかなかった。
その後スミエはどれくらい絹枝に預けられていただろうか。
まもなくスミエの両親は離婚した。どうやら、男女間のもつれらしい。スミエはチチオヤに引き取られ、早々に再婚したハハオヤは、やがて女の子を産む。
色の白いスミエとは似ても似つかぬ、ハハオヤ似の色黒の貧相な赤ん坊だった。
「この子が生まれてから、はあ、スミエのことは思わんようになった」
と、ハハオヤは銭湯で言っていた。
チチオヤに引き取られて数か月後、娃子はスミエに会った。歩くようになっていたが、娃子のことは忘れていた。それでも、前に手を付いてしまい、土の付いた手を差し出して来た。娃子はきれいに洗ってやった。やがてチチオヤも再婚した。
さすがに娃子は認めざるを得ない。
不幸は娃子を中心に回っている。
娃子の周りはみな不幸だ。
絹枝も娃子がいなければ、もっと楽に生きることが出来ただろうに…。
そして、もう一人…。
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