養親たち 一

 そんな娃子あいこにも小学校入学通知が届いた。

 絹枝は入学式に何を着て行こうか悩んだ。別に、悩むほど着る物があるわけでもなく、今までの暮らしの中でたった一枚残った着物でさえ入学式には向かない。さりとて洋服は普段着ばかり、新しく買う金があるはずも無く、娃子には新しい洋服を買ってやったが、自分はこの着物で行くしかなかった。だが、いざ入学式に行って見れば、他の母親達はみんな、絵羽織で着飾っていた。

 絹枝は情けなかった。何より口惜しいのは、娃子の入学に際して、義男の嫁の則子はスリッパとその袋を、ついで買いして寄越しただけである。

 たったこれだけとは……。

 仮にも娃子は義男の娘ではないか。すべてを知っているくせにこんなもので済ますとは。義男も義男だ。嫁に内緒ででも祝いをくれるのが当然ではないのか。

 それをなんと薄情な……。

 このことを絹枝は決して忘れない。将来娃子が嫁に行く時には全部ぶちまけてやる。そして義男がいかにひどいオヤであったかをとっぷりと思い知らせてやるのだ。だが、そんな遠い先のことより、今、絹枝は後悔していた。

 

----ああ、やっぱり、一年遅らせばよかった。


 娃子は早生まれである。絹枝は娃子の小学校入学を一年遅らせようかと思っていた。今まであまりに大事にされてきた娃子が、こんな大勢の集団の中でうまくやれるはずもない。

 この一年でもっとしっかりするよう、しつけるつもりだった。それなのに入学通知が来れば、周囲から遅らせるのはよくないと言われ、仕方なく流れにのったが先が思いやられた。

 しかし、よく見れば自分はいい着物を着ているのに、子供にはそこそこの洋服しか着せてないオヤのなんと多いことか。

 絹枝の着ているものはみすぼらしくとも、娃子には流行りの黒いビロードのワンピースを着せていた。

 世のオヤは自分のことしか考えないのだろうか……。

 いよいよ学校が始まり参観日に行けば、なんと古ぼけた教科書を使っている子がいるではないか。聞けば兄弟や近所の上級生からのお下がりだという。

 絹枝には信じられなかった。せめて一年生のときくらい新しい教科書を持たせてやろうとは思わないのだろうか。

 近所には上級生も数人いたが、絹枝は娃子にはすべて新しいものを揃えてやった。それも常に一番いいのを。

 手提げ袋の代わりにスーツケース風の、ファスナー付きの小さなバッグを持たせた。これは大阪のデパートで見つけたものであるが、同じようなものを持っている子は一人もいなかった。

 

「娃子、こんなん、持っとる子、おらんで」


 それは学用品に限らず、娃子には常にいいものを買ってやった。ママゴト遊びの道具にしても、近所のどの子より娃子が一番多く持っていた。だが、それは娃子が持っているから、他のオヤたちは買わないだけである。ママゴトとは一人でやる遊びではなく、皆して、娃子の持っているものを使えばいいのだ。 

 それにしても、誰も持ってないようなものを買ってやったと言うに、ぼんやりしているだけの娃子に苛立ちを隠せない絹枝だった。


 娃子が絹枝に引っ張られ、初めて小学校の門をくぐった時、これはとんでもないところに放りこまれたものだと思った。

 そこは大人社会の縮図でしかなかった。

 楽しい学校生活を送るには、美男美女、金持ちの子、権力者の子、勉強が出来る、運動や歌、絵がうまい。さもなくばひょうきんであること。これらのことは、実社会でも通用することであるが、娃子にはそのどれもなかった。

 何より、家の常識が通じない。うちとよその家は違うらしいと思ってはいたが、その比ではなかった。娃子が足の裏のことを足のハラと言った時。


「足のハラ?」


 何、それ、変な言葉、という顔をされた。さらに、一番困惑したのが、オヤの職業である。娃子はなんと答えていいのかわからなかった。

 庄治も絹枝も仕事らしきものはしているが、それがなんという職業なのかはわからなかった。どこへ行っても長続きしない庄治は、今は「失対しったい」である。

 失対とは戦後の失業者対策の略で、当時一番安い市の日雇い仕事であった。

 絹枝は娃子が幼い頃は女には働くところさえなく、鉄くずを拾い集めて売っていた。それは絹枝だけではなく仲間もいた。

 娃子も同級生の一人にそのことを知られ「鉄拾てつひらい鉄拾い」といじめられたものだ。やがて絹枝も日雇い仕事に行くようになり、主に土方の手伝いで、賃金はいいが仕事はきつい。当然、庄治より収入は多い。後にこの時代はみんな貧乏だったと一括りにされるが、すでに貧富の差はついていた。

 男は仕事、女は家庭という時代、ハハオヤが働いているのはその家が貧乏だからである。教師など専門職に就いているハハオヤもいるが、それこそ稀な例でしかない。

 それにしても、帰宅すれば、ハハオヤとおやつが待っているような家の子のなんと落ち着き払っていることか…。

 そして、彼らは口をそろえて言う。

 給食が、まずい。

 このことは少女雑誌にも書いてあった。だが、娃子を始めとする貧乏人の子供たちにとって給食はおいしいものだった。何より、家では食べられないようなものが出て来るだけでも刺激であり、マカロニを初めて食べたのも給食だった。それもサラダとかではなく、何かよくわからないものと煮てあり、マカロニが水分を吸い取ってしまったかのような代物だったが、もっとも、サラダなどと言う言葉が浸透するのはずっと後のことである。また、ジャムはわかるにしても、クリームはそれこそ何で作られてるのか、誰にもわからなかった。また、ある給食時、一人の女子が金切り声を上げた。娃子とは席が離れていたので、その時はよくわからなかったが、後で聞くところによれば、食パンのヘタの部分がその子の食器に置かれていたと言う。


「いらんわいね!」


 給食当番は順番に配膳していったに過ぎないのだが、彼女はそれが許せなかったらしく、食パンの皿を持って教師の許へ行った。


「先生、こんなん入れるんですよぉ」

 

 教師は自分のパンと交換した。彼女の席近くの女子が給食の後で言った。


「でもね、世の中にはこんなパンでも食べられない人もいるんじゃない」

「ふぅん、うちは、そのなのあったら捨てるんじゃけん。貧乏とはつらいね」


 その女子の家は取り立てて貧しいと言うほどではなかったが、当時のパン屋の食パンにはたまに、ヘタが入っていることもあった。

 いや、食べ物だけではない。着ているものからして違う。特に娃子の場合、絹枝のセンスの悪さも手伝って、なぜか子供らしくない地味なものばかり着せられていた。

 洋服を買う店は決まっていた。そこでいくら何でもこんな柄はいやだと言っても、聞き入られる筈もな、娃子は訳のわからないごちゃごちゃ柄が嫌いだった。また、丈も長い、せめて違う柄にしてほしいと頼むも、店のおばさんも売りたい一心から絹枝の味方をする。


「こっちがいいよ」


 翌日、憂鬱な気分でそのスカートをはいて学校に行けば、すかさず言われたものだ。


「まあ、どこのお姉さんが来たのかと思ったわ」


 娃子は子供時代、可愛い感じの洋服を着たことがない。赤というよりくすんだ朱色、黄色ではなくくすんだクリーム色。

 絹枝には派手な色は不良に通ずるという思いがあったらしく、唯一水色だけは何とか着ることが許されていた。

 着るものに限らず、学校で必要な物を買ってもらう説明も大変だった。

 庄治も絹枝も、わずかしか小学校へ通っておらず、学校と言うものがよくわからないだけでなく、理解しようという気もない。ただ、絹枝は教師の前では子供第一のハハオヤを演じていた。

 この頃は兄弟姉妹が二、三人いるのは普通で、特に真ん中の子は大変らしい。


「お兄ちゃんとケンカすれば、大きいもんに対してそんなことを言うもんじゃない。弟とケンカすれば、小さいもんは可愛がってやらんにゃ、言われて…」


 それに引き換え、一人子は「わがまま」でダメというのが当時の通り相場だった。娃子にも「わがまま」というレッテルが貼られた。なぜ自分が「わがまま」なのかわからないままにそうなっていた。

 とにかくオヤに大事されているのが気にいらないらしい。絹枝と一緒に夕飯の買い物に行った時、なぜか絹枝が背負ってやろうと言い出した。娃子は歩くからと言ったが、絹枝は強引に娃子を背負った。銭湯でもいつまでも絹枝に体や髪を洗われた。


「あの子、まだ、オヤに背負われてるし、まだ、体洗ってもらってるんだって。いいわねえ、一人子は。いつまでもオヤに構ってもらって…」


 娃子がいくら自分でするからと言っても、絹枝はお前はなにをやらせてもダメだと言うが、たまには世間のオヤと同じようなことも言った。


「漫画ばっかり読みゃがって」


 当時は漫画を読むとバカになると言う風潮があった。そのくせ、娃子が貸本屋で借りてきた漫画を絹枝も読む。


「そりゃ、あったら読むわい」


 大人とは何と身勝手なものか…。


 娃子は漫画だけでなく、本を読むのが好きだった。図書室の童話、民話、偉人伝など片っ端から読んだものだが、作文は嫌いだった。第一書くことがない。また、何を書けばいいのかわからない。三年生の時、家のことがテーマで書いた作文を先生は面白いといってくれたが、それを読んだ絹枝は烈火のごとく怒った。


「家の恥を書きゃあがって!」


 それからは無難なことしか書かなくなった。

 今も一人の男子が将来の夢についての作文を思い入れたっぷりに読んでいる。


「こんなことを書くと。先生は。勉強も。出来ないくせに。と。思うだろうけど」


 思うだろうけど、で、完全に声が裏返っている。

 人の夢や希望にケチつけるつもりは毛頭ないが、これでは暗に自分の成績の良さをアピールしているだけではないか。 

 こんな男子がどの学年にも一人はいた。

 また、習字の時間に隣の席の子の腕が当り、娃子の白いブラウスに墨が付いてしまった。当時の机の多くは二人仕様だった。


「あっ、ごめんね、ごめんね」


 と、その子は謝ったが、娃子はぞっとした。

 彼女が謝っているのはわかるが、家に帰ればそれこそ絹枝に、これまた延々と怒られることに震える思いだった。

 娃子が言葉をなくしていると、謝ったことでその子は安心したようだ。


---ああ、あんた、何をしてもオヤに怒られないのだったね。


 と、その目は言っていた。

 冗談じゃない。

 白いブラウスに墨を付けて帰って怒らないオヤはいないかもしれないが、絹枝はただ怒るのではなく、延々となじり続けるのだ。

 それなのに、どうして絹枝が子供には甘い母親として、周囲に浸透してしまったのだろう。


「ねえねえ、テストで何点とっても怒られないんだって」


 娃子はそんなことを言った覚えはない。庄治も絹枝は学校というものにそれほど関心がないのである。

 教師の前ではいいハハオヤを演じている絹枝だが、家ではがらりと変わる。 


「昔は、学校なんか行かんでもよかったんじゃ!」


 大体、女の子は読み書きそろばんが出来ればいい。

 それにはせいぜい二、三年も学校に行かせればこと足りるのに、なぜ九年間も通わせなければならないのか絹枝にはわからない。

 世間体があるから行かせているが、なんと金のかかることか。

 給食費も苦しい中から毎月きちんと払っているのに、その他にもなんやかやと金がかかる。

 それでも娃子をしっかりした子に教育してくれるならともかく、今の学校は「オヤコウコウ」というものは教えないらしい。

 絹枝は人間の基本は「オヤコウコウ」だと思っている。

 オヤほどこの世でありがたく、すばらしいものはないのに、どうして今の学校ではそのことを教えないのだろうか。だから、今どきのガキはオヤの言うことを聞かないのだ。

 ここのところを今の学校はわかってない。これでは、先が思いやられる。

 今のガキが大人になる頃には、どんな恐ろしい世の中になっていることやら。それでも、せめて娃子だけは素直ないい子になってほしいと願っているのに、もうすでに内面うちづら外面そとづらを使い分けているではないか。これではいけないと絹枝は声を張り上げる。


「オヤの言うことを聞け!オヤの言うこと聞いとったら、間違いないんじゃ!」







 













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