第10話 来訪者
ガズヴィーンの離宮に落ち延びてから、一年あまりが過ぎた。
その日はオスマンの使者を迎えるとのことで宮廷中が緊張で満ちていた。
だが、朝議の場に私の姿はない。
玉座にあるのは2歳にも満たぬ王子タフマースブ。
母であるタジルー・ハーヌムが摂政として廷臣たちと共に
チャルディラーンの大敗の後、王は酒に溺れ政を顧みぬ、と人は言う。
だが、酒は私を酔わせることはない。溺れることなどない。
私は常に醒めている。神は私に酔いという逃げ場すら許して下さらぬ。
はっきりと醒めているのに物憂い。何もかもが物憂く虚しい。
「オスマンの使者が王に謁見を願い出ております」
侍従が私に告げる。オスマンの使者が?
王妃や宰相との間で和議を締結したのではなかったのか?
「丁重にお断りせよ。政から身を引いた王には力などない」
そう告げさせたはずなのだが、オスマンの使者はなおも謁見を求める。
全く気乗りはしなかったのだが、これ以上断り続けることも物憂く、仕方なく使者を通させる。
そうして私の前に現れた金の髪の使者は。
「スレイマン王子……」
暗き部屋に一筋の光が指す如く、王子はまばゆく笑む。
「お久しぶりです、
まったくだ、無礼者。だが、何故か怒りではなく、懐かしさすら感じ、軽く皮肉を投げかける。
「王子のそなたを使者に立てるとは、セリムも相当困っていると見える。ハプスブルク家のカルロスは手強い敵であろう?」
オスマンの宿敵の名を挙げる私に、スレイマンは苦笑する。
「なんと、王が政を抛棄したというのはまやかしですか」
「いや、ただ、成り行きを眺めているだけだ」
王にあるまじき無責任な言葉を発す。情報は侍従を通して耳に入ってくるが、それを他人事のように眺めている。ハプスブルク家に何か工作をしているのは、おそらく王妃タジルー・ハーヌムだ。
「まあ、およそそのとおりです。我が
「まだ早い?それではそなたの
「そのように聞こえましたか?」
はぐらかすように笑うが、スレイマンの目には揺るぎない自信がある。この王子がスルタンとなればオスマン朝、いや、オスマン帝国は欧州を震撼させる国となろう。思えばスレイマンは私と7歳しか変わらぬ21歳。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます