第8話 タブリーズ

 タブリーズに帰還した私は更に深刻な事態を知り、愕然とした。


 東に向かったオスマンの追撃部隊はスルタン・セリム率いる五万の砲兵隊。騎馬隊長タフマースブを始め、ディヤルバクル大守ウスマージャルーら五千の将兵が全滅した。その中に私がいないことを知ったセリムの軍は今、このタブリーズに向かいつつある。チャルディラーンの大敗で、タブリーズを守るだけの兵はない。


 私は諸将にガズヴィーンへの退却を命じ、私自身、王として十四年を過ごしたこの都に別れを告げる準備をする。


 住み慣れた居室。再びここに戻る日は来るのか。ふと、鏡に映る自分と目が合う。

 皮肉にも私は二十七歳。父を欺し討ちにしたあの時のアルワンドと同じ年だ。

 ――漆黒の髪に碧の目、闇の如き美貌は地上に並ぶ者なし

 スレイマン王子は私の容姿かたちをそのように語ったが、それは容姿かたちにすぎぬ。アルワンドとて美しい容姿かたちをしていた。

 美しいというのはそうではなく――


 ――救世主は、誰よりも美しく気高きお方

 そういって私の髪を撫でた赤き騎士キジルバシ

 美しきはそなただ。だが、そなたがそう言ってくれれば、私は美しくあることができる。


 雨に濡れた髪が重い。八月というのに体中がこんなにも冷たい。

 私の友よ、側にいてくれ。


「救世主は、いつも兄上を独り占めなさるのですね」

 王妃タジルー・ハーヌムがいつの間にか私の背後に立っていた。

 いつものからかうような口調ではない。瞳からは朗らかさが消え、虚ろだ。

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