第6話 囮の王

 策としては?何を言っている?違う、策というならばむしろ囮となったのは私だ。

 私を信じる者を守らずして王などと言えるものか。だが。

 記憶が甦る。

 あのとき、タフマースブは何を言おうとした?


 ――救世主、もし私がスルタンなら……。

 囮を立てて逃げると考える、そういうことか。

 そして、「本物の王」がどこにいるとセリムが考えるか……。


 わかっていたのか、わかっていたのに、敢えて言わなかったのか。

 私を守るために。だが、私はそのようなことは望まぬ。


「スレイマン王子、父に告げよ。私はここにいる。そなたの父は私の顔を知る。イスマーイールは東の道にはいない。私自らそこに行ってもよい、私を父のもとへ連れ行け」

「もう遅い。崖の上に鎖で繋いだ大砲を仕掛けた。砲撃はもう始まっている頃だ。たとえそこにいるのがシャーではないとしても、顔の見える距離ではない」


 目の前が真っ白になる。

 何だと?大砲で、タフマースブの部隊に総攻撃を?崖の上から?

 私がどこにいるかわからないから、部隊ごと殲滅するというのか?

 <冷酷者ヤヴズ>。兵卒には寛大というのは噂にすぎなかったのか。


「スレイマン、私をセリムに会わせろ。何故セリムは姿を見せぬ」

 大砲による総攻撃というが、そのような音はまだ聞こえぬ。

 それまでに、セリムに会わねばならぬ。そう繰り返す私にスレイマンは首を振る。


「父はシャーに魅惑されるのを恐れている。王と言葉を交わした者、剣を交えたものは王に魅了されると言う。叔父のバヤズィットなどがそうだ。王に何をされたのかは知らぬが、王を信奉し、父に叛旗を翻し、処刑された」

「何もしておらぬ。詩を詠み、杯を交わしただけだ」


 バヤズィット。オスマン家の内紛の折、私に庇護を求めてきたセリムの弟。

 スレイマンが今言ったように語られているのは知っている。

 不埒な輩は私のことを男を手玉に取る男娼であるとか、堕天使であるとか、勝手なことを言う。


 だが私は恥ずべきことは何もしていない。

 私はシャー・イスマーイール、無謬の救世主。

「道を開けよスレイマン。私の行うはすべて神の望みたもうこと」


「なるほど、これが父の恐れたことですか。シャー・イスマーイール」

 スレイマンがため息をついて私に剣を向ける。


「まさか王が囮になるとは、父は考えますまい。しかもそれが裏の裏をかく策ではなく、本気で部下を守るためとは。貴方は恐ろしい方だ。羅針盤が北を指す如く、皆が貴方にひれ伏す。そして貴方のために命を捨てることも甘美な喜びとなるのでしょう。貴方が、人を守るために命をかける気高き方ゆえ」

 そう言いながらスレイマンは剣を捨てる。


「このように貴方の前に剣を捨てるもの信仰イスラームであると思える」

 本気とは思えぬ。私を試すような口調だ。そして、裁きの天使ウリエルのように私に問う。


「だが、無謬の救世主よ。無謬とは?過ちなきとは?」

 剣を捨てたまま、スレイマンは右手を空に向ける。控えていたイェニチェリ軍団が再び私に銃を向ける。

「過ちなきはアッラーのみ。貴方は北斗星ではない」

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