人が歩むべき道

 ただちに、復活の巫女の軍の編成が行われた。その数は三千とある。

 軍といっても調練などの暇はなく、ただ旗を掲げ、歩くだけである。総指揮はサハリという者で、かつてウラガーンが精霊の巫女を旗頭に転戦していた頃からの古参である。

 スヴェートは、いきなりその軍の中で、復活の巫女のそばにあってそれを護る役割を課せられた。彼自身、何が何だか分からぬといった具合であったろう。

 グロードゥカで軍としての装備や備品、食糧などの支給を受けた。それを指揮するのが、パシハーバルだった。スヴェートは気さくに声をかけようとしたが、パシハーバルは気付かないのかわざとなのか、決して目を合わせようとはしなかった。


 アナスターシャは、グロードゥカに残った。この軍はあくまで復活の巫女とされるリシアの軍であり、アナスターシャの軍ではない。彼女はグロードゥカの王城の一角で、大精霊に祈りを捧げる役割を与えられたが、要は場所が変わってまた軟禁生活が続くということである。

 それはそうだろう。もしリシアもアナスターシャもコスコフを目指してしまえば、そこにいるザハールと合流し、同化して矛を返して向かって来ることになる。だから、アナスターシャが人質としてグロードゥカに残るのは、仕方のないことだった。

 リシアは、そのことについては残念そうな顔をしたのみであった。父のもとにゆき、それを救うという目的が、彼女の足を立たせた。


「怖くはないか」

 延々と続く兵の列を従えながら、まず西を目指す。

「怖くはありません」

 スヴェートの問いに、リシアは前を向いたまま答えた。あまりに急なことすぎて、自分の身に何が起きているのかを認識する前にその役割になり切ってしまっているように見えた。

 宰相サヴェフが王の名において復活の巫女の軍に下した使命は、ひとつ。

 コスコフに至り、白銀の騎馬隊と合流せよ。そして、バシュトー叛乱軍の首魁ザハールを、王の前に引き出して来よ。

 彼女は、父に会うために、旗の下に立った。それを囲む三千の軍は、狂喜した。

 精霊の巫女の子。母と共に処刑されたそれが、大聖霊に呼び戻され、再び蘇った。国家を苛むものを打ち砕くべく、彼女は西を目指す。

 徹底した調練でもなく卓越した武の力でもなく、それが、三千の軍の推進力となった。


 途中、地方軍でも中央軍でもない者共に遭遇した。数は、百ほど。接近してくるとき、明らかに襲撃とは違う運動であったが、スヴェートらは十分に警戒をし、彼らの様子を伺った。

 その者らは一列に並び、馬を降りて彼らの前に膝をついた。

「復活の巫女の軍と、お見受けする」

「何者だ」

「我らは、シュトヴィンスク東の森で暮らす者。あなた方のうちには、我らを賊と呼ぶ方もおられます」

 スヴェートは、それでこの者らが何のために集まってきたのか察した。かつてこのような者と剣を交えたこともあるし、自分たちも似たような境遇であった。

 食うため奪う者。志を立てたが身は立たず、奪わざるを得なくなったもの。いずれ志を遂げれば、奪ったものを何倍にもして返すことができると信じる者。この時代の賊の中には、そういう者が多くあった。

 復活の巫女は、そういう者を吸引し、それが結晶化するための核。サヴェフがリシアに与えたほんとうの役目は、そういうことである。


 夜営を続け、その火を囲みながら、マーリがそう言った。もともと目端が利き、様々な情報を統合して分析することができる男だったが、この頃にはそういうことまで見抜くようになっている。

「その上で、あなたがどうするかなのです。核となるのはリシアでも、そのそばにあってそれを護るのはあなたなのだから」

 マーリとリャビクは、つとめてスヴェートを将であるとして接した。才智に優れたマーリと背丈ほどもある大剣を軽々と振るうリャビクの二人がそのようにして接するものだから、復活の巫女の軍の中では、リシアを護るあのスヴェートという将はなかなかの人物らしい。というような噂が立ち始めている。

 中には、混血であるスヴェートの目の色や髪の色がナシーヤ人のそれとはやや異なることから、あれは占い師が見て、天はこの世に二人の王をもたらしたと嘆息するほどの男らしいぞ。などと噂する者も現れはじめている。

 種を明かせば、それらは全てマーリがスヴェートの評判を上げるため、近しい者に意識的に振り撒いているわけであるが、人がものを見る目を曲げるというのは案外容易なものであるらしい。

 黒い墜星ザハールと剣を交え、引き分けた。戦いの女神ラーレから直々に言葉を賜り、本来の軍組織からは外れたところにいた。その縁で、復活の巫女の守護を任されている。

 軍の中に広まるそういう噂は、たしかに事実である。事実を膨らませることなく、人が面白がりやすいように味を付ける。そういうことについての才も、マーリは持つらしい。

 そして、リャビクは心底スヴェートに心酔しきっているから、人があの噂はほんとうかと問い合わせてきたときなど、

「応さ。今こうしてスヴェートを将として立たせるため、何人の名もない仲間が死んだことか。彼らは全て、スヴェートを人の上に押し上げることをのみ望み、死んだのだ」

 と大真面目に答えたりする。そういうことが重なり、僅かな期間で三千の軍の中での立ち位置を得た。


「我らは、ずっと、このような機会を待ち望んでいました。巫女の復活は、時そのものが正しき方に向かってゆくことの兆し。ぜひ、あなた方の旗の下に、私たちを」

 そう懇願する百名についてどうするかの判断を、人は総指揮官のサハリにではなく、スヴェートに求めた。

「構わん。人数は、多いに越したことはないのだ。志を同じくするなら、それはもう仲間だ」

 そう言って、スヴェートはサハリを見た。サハリは、頷いた。

 これも、マーリの入れ知恵である。スヴェートの人気が上がるのはよいが、指揮官であるサハリがそれを面白がらぬようなことになっては、後々面倒なことになりかねない。だから、スヴェート自身は決してサハリをないがしろにせず、どのようなときにおいてもその判断を仰ぐことにしていた。


 賊として流れ歩き、人から奪うことでしか生きられなかった者ども。それが、こうして参じた。

 軍であるから、彼らは奪わずして食い、志のためだけに生命を使うことができる。

 加わったのは、この百だけではない。コスコフに至るまでの道中──彼らは徒歩であるから西に直進し、ソーリ海に至るまでに二十日以上かけて行軍した──だけで大小様々の集団が復活の巫女の旗の下に参じ、その数はもともとの三千にさらに五千を加えるに至っていた。

 しかし、それは同時に後方からの支援をさらに多く受ける必要があることを意味しており、グロードゥカにある兵站部隊に連絡をしなければならない。ただ集まって列を作り、歩くだけの集団のその急激な膨張に対応するために国家はその核たるべき中央軍からも兵糧などの供与をすることを決定し、ソーリの沿岸でいっとき滞陣する彼らのもとを目指して無数の輜重が走った。


 ソーリの海。果てのないそれを遥かに見渡し、そこに飲み込まれるようにして沈もうとする夕陽に手をかざしながら、リシアは思う。

 ──ソーリの海。そこに沈む夕陽。東の山。南の砂漠。北の凍てついた土。見たことのないものがたくさんある。こんなにもわたしは何も知らず、何も持たない。

 産まれてはじめて、外の世界を見た。彼女は産まれながらにして黒い墜星と精霊の巫女の娘であり、相応に大切にされてきた。許しなく一人で居館の塀を越えることはできず、彼女の知る世界とは、よく手入れの行き届いた庭と塵ひとつ無い館の中であった。

 ──そんなわたしを求めて、こんなにも多くの人が。

 リシア自身、今ここにこうして立つのが必ずしも自分でなくてはならないということはないと分かっている。復活の巫女と大袈裟に喧伝されたその存在とそれが掲げる旗に人は集まっているのであり、リシア個人を求めるために人が集うわけではない。

 自らの足が抱く平たい岩の上からふと振り返ると、八千にも上る人がずらりと居並び、無数の星のようにしてリシアを見上げている。星を見上げるとき、ふとそこに自分が吸い込まれそうになるような気がすることがある。それに、似ていた。

 ──あの小さなわたしの世界が、こんな場所に繋がっていた。

 居館の塀の中。母と軟禁された館の敷地。それを包む空はたしかに今ここに繋がっていて、リシアの世界とこの場所との連続性を証している。

 ──ああ、わたしもまた、皆と同じなのだ。人とは、星のようにして集まり、そうして生きるのだ。

「リシア」

 空に溶けかけていた意識が、はっと呼び戻された。見ると、スヴェートが穏やかに笑っている。

「言葉を」

 言葉。それはいつも姿を変え、形を変えるもの。しかしそれを発する人の心は、必ず誰にも触れられぬ場所にある。心のかたちを示すために作られたのではないかと思えるあらゆる言葉は、時として人の心の内側に向かって走ってゆく。

 遠く。遠く、遠く、きっとどれだけの時間を経ても決して重なることなどできないであろうもの。すぐ目の前にありながら、決して同じにはなれぬもの。

 それが、人。夜の闇の中に個として浮かぶ星の、そのひとつひとつ。

 今リシアを見つめるそれが、西陽を受けて輝いている。人が変わった色だともてはやす瞳も、染まっている。

 その中には、同じ色になった自分がいた。それを見つけた瞬間、リシアの世界は扉を開いた。いや、そこにもともと扉などなく、ずっと繋がっていたのだということを知った。

 ──おなじだったんだ。一番遠く感じるものは、わたしと同じものだったんだ。

「皆に、言葉を」

 リシアの知る限り最も優しい声が、そう求めた。もう一度振り返り、ひしめく星に向き合う。


「何を言っていいのか、分からないけれど」

 人々の抱く熱が伝わって、自分の身体が熱くなるような。

「どうしてか、わたしはここにいる」

 自分の身体の熱が、声に乗って運ばれてゆくような。

「戦いなんて恐ろしくて、見たくもない」

 人の目の色が、少しだけ変わった。陽が、沈もうとしているのだ。

「だけど、わたしは、父に会いに行きたいの。たとえそれが、国が敵と定めた叛乱軍の黒い墜星ザハールであったとしても」

 ソーリの風。陸に向かって吹いている。それが、彼女の母譲りの色の髪に触れて弄び、去った。

「そうすれば、わたしと父は、親子に戻れる。そうすれば、戦いはなくなる。それが、わたしの目指すもの。そう思って、ここまで歩いてきた」

 人の求めるべきもの。それが、ここにある。それを、人は見ている。

「復活の巫女なんて言われても、よく分からない。わたしは、ただ父に、兄に会いたいだけ。母を、笑顔にしたいだけ。そのためになら、わたしは歩ける」

 復活の巫女の軍。このとき、その性質が決まった。

 声が、ソーリ海に、それを包む日没に、地を見下ろす時を知って顔を出す明星に。風に。この世界の全てと共鳴し、震えた。

 彼らは、ただ歩く。人が求めるべきものがあるところに至るまで、歩くのだ。

 叛乱軍を討つとか、敵を倒すとか、国家の安寧とか、そのようなものはもうここにはない。

 己に連なり己を知る人を安んじること。それが、戦いの終息に繋がる。

 個から伸びる糸を手繰り、衆に、国家に、そして天地の狭間の全てのものに。

 それを求める人々がラーレ軍に合流したのは、ノーミル暦五〇八年四月の末のことである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る