流れる星
竜巻のようになっているザンチノのいる広場を通り過ぎ、シャラムスカの小さな村落をそのまま迂回するようにしてまた広場の裏側に至った。この広場にあって暴れ狂う得体の知れぬ老人の働きと、質屋のマーリの施した策による村の入り口の方での騒ぎが互いに効果を発揮していて、誰もひそかに背後に回ったスヴェート達に気付く者はない。
装いは粗末ではあるが、賊はいずれも武装している。ただの野党なら、なかには武器すらもろくに持たぬような者が混じっていることもあるが、やはりこれはその辺の賊とは出来が違うらしい。
腕を拱いて広場の中央の騒ぎを眺め、ときおり声を上げてザンチノに群がる者どもを叱咤している者が首領であろう。
「おい」
傍らのマーリが慌てて静止しようとするが間に合わず、スヴェートは身を潜めた藪からおもむろに身体をあらわして首領の背後から声をかけた。
鉄が鳴る。
抜き打ちに繰り出した斬撃一つでその首を刎ねるつもりが、受け止められてしまった。そののち、はっとしたような眼をスヴェートに向けてきたから、相当に武の心得があるらしい。
「何者だ」
交差した剣を巧みに弾き、身構えて首領は鋭い声を上げた。
「お前こそ、何者だよ。人の村に押し入って暴れているのは、そっちだろう」
言われて、首領はなぜか少し苦い顔をした。
「許せ。世のためだ」
「俺の村を襲うことが、どうして世のためになる。そんな馬鹿なことがあるか」
「俺たちは、中央を目指さねばならぬ。しかし、その金はおろか食い物すらない。だから、世のため、こうして村に立ち寄り──」
「中央?」
「行かねばならぬのだ。そのために犠牲が生じたとしても、やがて大きな流れの中で星となってそれは輝く」
スヴェートを助けろとばかりに藪から人数が飛び出して、首領の周りにいる者どもにそれぞれ打ちかかった。戦場に出たことなどあるはずもなく、ただラスノーの街をほっつき歩いていたり商売をしていたりするような若者どもであるが、不思議とそれが首領の周りの者を押した。
「見ろ。戦わねばならぬのに、鎧も着ぬようなお前の手勢に、俺の仲間はやられている。飯すらも、ろくに食えていないためだ」
「そうまでして、なぜ戦う。中央に、何がある。俺の村のものを奪い、人を殺し、何になる」
「お前に言っても、分からぬであろう」
「そうか」
また、鉄が鳴る。この男の言う通り、しっかり食っていればその斬撃を受け流してスヴェートを一刀両断したかもしれぬが、目は落ち窪み頬は痩せてしまっているこの男には、どうやら受け止めるのが精一杯のようだった。
それでもなお、奪おうとする意思を感じた。何のためにかは、分からない。しかし、不思議と憎しみは薄かった。ただ、自分の生まれ育った村を謂れなく襲うこの理不尽に対しては、激しい怒りを覚えていた。
世は、治まらぬ。あらたな国が立ったとはいえ、まだこうしてあちこちにはなにごとか大層なことを呟いて勝手を働く者が大勢いて、人を苛むのだ。その前がどうであったかは、赤子であったから知らない。
「あの戦いの中で、人は傷付きすぎた。それを知らぬお前のような若者を見ると、羨ましく思う」
渾身の力でスヴェートの剣を押し返してくるその向こうにある眼が、わずかに歪んだ。もしかすると、笑ったのかもしれない。
「そして、お前のような者を手にかけなければならぬことを、悲しく思う」
鼻を鉄の臭いが突いて、スヴェートの体勢は大きく崩れた。その空いた胴に向かって、吸い込まれるように繰り出される剣。
戦いとは、何なのだ。
向かい合った者が剣を向け合い、いのちを奪い合う。その先に、何があると言うのか。
その無為を知らぬ人はおらぬであろうに、それを押してでもせねばならぬ戦いとは。
分からない。死ねば、先はない。星にもならない。死ねば、すべてがそこで止まる。この村でも、賊に殺されたり病になったりして人は死ぬ。たいてい、死んでからすぐは大勢が嘆き、悲しみ、怒るが、少ししたらもうそのことなど忘れたかのように日々を過ごすようになる。ただ、夜の星を見上げ、時折思い出して死した者のことを語る程度である。
大精霊のもとにゆくとか、星となってどうするとか、スヴェートはそのようなことについての実感も信仰も薄い。ただ、今まさに自分に降りかかろうとしている理不尽があり、その先には何もないということだけが確信できた。
それに、唸る自らの肉と骨の音。斬られたにしては妙な衝撃が全身を駆け巡る。少し遅れて、水の感触。目の前の景色が変わり、それがどう変わったのかを認識してはじめて、固く握り締めていたはずの剣の柄から左手を離し、それをもう一本佩いた剣にかけて抜き、それでもって今の今まで言葉を交わしていた男を斬ったのだということを知った。
連れている手勢はそれでわっと勢いづき、賊どもは気勢を挫かれて逃げ散ろうとした。広場の中央で巻き起こっている竜巻が、それでなお荒ぶった。
「お前であったか」
全身を汗でびっしょりと濡らし、荒い息を吐いているザンチノが、戦士であった頃に用いていたであろう剣の先を地に付けて薄く言った。
「大丈夫か、ザンチノ」
「お前こそ、怪我はないか」
「ああ」
入り口で騒ぎを起こして人数を引き寄せていたラスノーの腕自慢の若者どもも、集まってきている。はじめに比べて数が減っているのは、死んだ者があるからかもしれない。
「あんたが剣を振るっているところを、はじめて見た」
「もう昔のようにはゆかぬ。死ななかっただけ儲けものだ」
「こんな賊相手に、あんたが死ぬもんか」
スヴェートが言うのに対して、老いたザンチノは眼を鋭くした。
「これは、賊ではない」
「賊ではない?」
「そうだ。これは、軍だ」
「軍?」
軍が、なぜこのようなところに。軍が、村を襲うなどというようなことがあるのか。分からぬことだらけだと言いたげな顔のスヴェートを見ながら、ザンチノは大きく息を吐いた。
「軍とは、かならずしも国に依るものではない」
それだけ言って、ザンチノは村の者どもと共にこの戦いで死んだ者の亡骸を葬る手筈を整えるために広場の中央の方に向かっていった。
ひととおりのことが終わり、夜。スヴェートに従ってきた者のうちのいくらかはラスノーの街に戻っていたが、五人が残り、スヴェートの家にあった。
「お前に、語っておかねばなるまい」
「何を」
「星の話を」
「大精霊の話なら、村の聖堂の爺さんが毎日独り言みたいに呟いてるさ」
「違う」
ザンチノは、深い目をして語りだした。その目はスヴェートでもそれと供にいる若者でもなく、もっと別の、たとえば遠いものを見るようなものであった。
ナシーヤという国のこと。その王家。宰相ロッシ。丞相ニコのこと。王家の軍のこと。ザンチノはその片腕の将軍であったこと。ウラガーンのこと。それが率いる戦士どものこと。
「とてつもない敵であった。俺は敗れた。しかし、ともに、士であった」
近頃失われつつあるこの言葉を、ザンチノは用いた。
「猛将ルスラン。その名の通り、獅子のような男であった。お前の父だ、スヴェート」
「俺の――」
「お前の父と、俺は戦った。それこそ、いのちそのものを泥と血の中に投げ出しながら。斧は壊れ、剣は折れ、それでも、互いの肉体の全てを武器にして」
誰かが、唾を飲んだ。実際にその場に、あの渦の中にいたこの凄まじい剣技を持つ老雄に視線が集まった。腕は細くなり、顔も皺だらけのこの男を、言葉がかつての戦士にしてゆく。
「お前の父は、お前のことを俺に語った。わずかではあるがな。お前の父は、お前を光だと思っていた。人とは、そうでなくてはならぬと思った」
「俺が、光」
「あらゆる者が、それを求めた。あの時代は、そうであったのだ。そして、今もなお、人はそうである。いつの世にも、そうではない者はいる。だが、お前の父は、少なくとも士であった。俺は戦いのあと、罰せられることはなかった。敗軍の将として牢に入れられ、そのあとあったグロードゥカの戦いが終わってすぐ今の宰相サヴェフの前に引き出され、二、三と言葉を交わしただけだ」
はじめてのことである。ザンチノが、あの時代のことを語るのは。
「サヴェフは、俺に問うた。お前は何を求め、この戦いをしたのだと。そして、何を望むのかと」
「なんと答えたんだ」
「お前を、引き取らせてほしいと。ウラガーンの将として育てるのならば無理にとは言わぬが、そうではないならば俺に引き取らせてほしいと」
戦いのあと、なぜそのようなことを。命乞いでも領地でもなく、自分を引き取りたいと敗軍の将が言うというのがどういうことなのか分からず、黙るしかなかった。
「サヴェフはしばらく考え、やがてそれを受け入れた。あの戦いのあとすぐお前の母は病になり、グロードゥカの戦いが終わった頃には死んでしまっていたからな。だが、あのサヴェフの顔は、今でも忘れられん」
「どんな顔をしていたんだ」
そこで、ザンチノがちょっと表現に困ったように言葉を詰まらせ、そのつかえが取れると、
「眠ったようだった」
と答えた。
「なにか、とてつもないことを考えているのだろう。だが、間違いないのは、サヴェフはやがてお前を求めるだろうということだ。お前を求めて、お前に、なにかを求めるつもりなのであろう」
それが、やがてお前は世に出るとザンチノがしばしばスヴェートに言っていた理由。それが良いことなのか悪いことなのかは、誰にも分からない。ただ、
「誰が何を求めようとも、自分の求めるものは自分で決めることができるのだ。それを、忘れるな」
という言葉が、深くスヴェートの心に突き刺さった。
「ザンチノさん」
質屋のマーリが、声を発した。喉が渇いているのか、
「あなたは、今日の賊のことを軍だと言った。それは、どういうことなのでしょうか」
「軍とは、必ずしも国には依らぬ。このスヴェートの父がそうであった。人があり、なにか強い目的があり、それが集まり、戦いをするのが軍」
「では、今日の賊が、そうであったと」
「この世に対する
「どう考えても、無謀では」
「そうだ。しかし、士が集まるとは、そういうことだ。このスヴェートの父がいたウラガーンという軍も、もともとはたった三人から始まっているではないか。少数でもよいという意味ではない。志を立てて士が集まるのに、数は問題にはならぬということだ」
スヴェートは、先ほどから何も言わない。じっと何かを思いつめたようにしてザンチノとマーリの会話を聴いている。
「だからこそ、俺は死ぬかもしれぬと思いながら今日、あえて剣を執った」
「どういうことです」
「若者よ。お前には分からぬかもしれぬが、そうなのだ。光をほんとうに奪いに来る者とは、同じ光を求める者なのだ。だから、それが自らの前に立ったとき、士は剣を振るうのだ」
「仰ることが、分かりません」
「分かるまい。このスヴェートにも、無論。しかし、そういうことがある。そして、世はいまだそうである。そうでなくなるには、もう一つ何かが足りない。世が、それを求めている。俺には、そのように今の世が見える」
世が、それを求める。そのようなことが、あるのだろうか。たしかに新たに建ったパトリアエではその正当性を喧伝するため、精霊の加護と時代の声を背負って戦ったという武勇伝がある。それは、まだ終わってはいないとこの老いた男は言う。
「スヴェート。お前は、必ず世に出る。お前が望まぬのなら、せずともよい。しかし、お前がそれをするなら、お前は、必ず人を導く光となる」
「俺が、光」
マーリと同じように、スヴェートの舌の根も喉にへばりついていた。
「そうだ。実際、お前は、お前の父にとっての光であったのだから」
光。ふと眼をやった窓の外にも、それが。
星の話をするとザンチノは言った。いっこうに、その話はなかった。どうやら、彼は語りたいことを語り終えたようである。とすると、今の話が星の話であったということになる。
この季節では焚かぬはずの火に当たっているように熱い眉をひとつ上げ下げしてそれを払おうとして歪んだ視界に、ちらりと星が流れるのが見えた。
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