見下ろす男

 ルゥジョーは、五日ほどかけて、ノゴーリャの街に入った。単身であるから、何食わぬ顔をして旅人の中に紛れることが出来た。森の軍は、ノゴーリャを封鎖するようなことはせず、あくまで王家の軍の一員としてそれを守っているという体裁を取っていたのも、彼の潜入を容易にした。

 街に入った後、その様子を観察して回った。どうやら森の軍は、民には慕われているらしく、評判はすこぶる良い。酒を売る店に入り、詳しくそのことを訊いた。

「そりゃあ、地方軍から変わって、良くなったさ」

「どう良くなったのだ、親父」

 ルゥジョーは、若い旅人になり切っている。出された酒に、少し口を付けた。

 ナシーヤの酒は、大まかに三種類ある。果実を寝かせて作るもの。穀物を寝かせて作るもの。穀物の酒には上澄みと濁りの二種類があり、上澄みは味の切れが良く、濁りは香りが強い。今ルゥジョーが飲んでいるのは、果実の酒である。

「まず、乱暴をしない」

 なるほど、地方軍は質が悪く、管区により異なるとはいえ、腐敗が目立つ。金のある者と結託し、弱者からさらに奪う。そういうやり方が、当たり前になっていた。このノゴーリャはそこまでではないにせよ、森の軍がまだ賊と呼ばれていた頃などは、それに通じて金品などを要求する代わりに、森の賊を攻めたりせぬという約定まであるほどであった。

「そうか。今まで軍が攻めても森の賊がそれを退けたと世間で評判になっていたのは、そういうことだったのだな」

「まあ、そうだ。しかし、森の軍は、今の首領が前の首領を殺して、かなり良くなった。はじめ、この街には焼き物や薬などを売りに来ていた」

「焼き物を」

 ルゥジョーは、初めてそれを聞いた。ただ単に、行き場のない人が集まっただけの集団ではなく、何かしらの目的を持っている。そのためには、まず、金。それを、彼らは、焼き物を作ることで得ようとしたのだ。

「なかなか、良い出来だ。東の国から運ばれて来るようなものと、遜色ない」

 店の主人は、客に酒を出すための碗を一つ見せてやった。

「こんなものを、作っているのか」

 このナシーヤには、無い技術である。

「東のものは、高い。運んで来る者もそうだが、それを仲買いする商人に、金が入りすぎるのだ。森で作られたこの器は、安い。皆、有難がっているさ」

 ルゥジョーは、その艶やかな手触りを感じながら、この国の姿の片鱗を見た気がした。

 民は、飢えている。こういう都市部ならば、食い物にはそれほど困らぬであろう。しかし、長く続く戦いにより、心が枯れている。戦いとは国を荒らし弱らせるが、一部の者だけを富ませる。だからナシーヤを貫く貿易の道を通じて東西からもたらされるものには法外な値がつき、王侯や大商人だけがそれを手にすることが出来る。それをあがなう金は、民や飢える者から奪ったものだ。

 ゆえに、民にとってのこの器とは、支配の象徴なのだ。今まで望んでも手に入らなかったそれを、森の軍の働きによって、簡単に手にすることが出来る。だから、皆がこぞってこの器を求めるのだ。

 ルゥジョーは、その小さな変化を見逃してはならないと思った。

 何事かが、起きようとしている。それも、この国全体で。

「いや、それにしても、良い軍もあったもんだ。彼らがこの国の全てを統べるようになれば、戦いも餓えも無くなるだろう」

「そうか」

 ルゥジョーは、酒の代金を支払い、席を立った。

 王都にもたらされる話を聴くだけでは、その場の民の呼吸は分からない。自分がここで見聞きしたものをニコに伝えてやれば、今後ニコがロッシを廃してこの国をより良く作り替えてゆくために役立つことであろう。


 サヴェフを、斬る。その必要が、あるかどうか。それを、確かめに来たのである。

 今の話を聴いていると、どうやら、サヴェフはやはり危ないらしい。それまでの権威の象徴であった地方軍を飛び越して、人気を集めている。今の店の親父も、王家の軍とは一言も言わなかった。彼らにとっては、あくまで森の軍なのだ。

 それまで存在しなかった、新たな価値観。それは、ときに大地にひびを走らせる。その僅かなひびは年月と共に広がり、やがて地を割ることもある。ニコが、そのような話をしていたことがある。


 ルゥジョーは宿に入り、粗末な寝具に腰掛けた。

 剣を抜き、灯火にかざした。

 表立って使者を発することは出来ないから、こうして一人で来た。世の中は王家の軍の指示で森の軍がノゴーリャに入ったと信じているし、それをよく治めてもいるから、森の軍を糾弾したり、査問する理由がないのだ。

 人物を見る。それで、危ないと思えば、斬る。その判断は、一任された。もし、サヴェフが、この国にとって害悪であった場合、斬れるか、果たして。

 いや、斬るのだ。さもなくば、死ぬだけだ。

 ルゥジョーの髪の色は、薄い。それが灯火の光を吸い込んで、夕の空のような色になっている。

 瞑目。眠っているらしい。朝まで、そのまま、空気は静止していた。

 途中、油が切れて灯火が消える際の、じりじりという音が少しだけした。


 朝。

 軍営へ。このあたりの軍の本営はここから少し東に足を向けたラハウェリという場所にあるから、このノゴーリャに築かれているのは、せいぜいこの街を守備するだけの兵を収容するためのものであった。しかしながら、それが近づくと、雰囲気はがらりと変わった。常に周囲を騎馬の集団が足並みを揃えて歩いており、石でもって造られた塀のあちこちには槍を持った兵が立っている。

 ルゥジョーは、物陰から、観察した。騎馬の集団が通り過ぎた直後。そして、全ての兵の視線が逸れる瞬間。それが重なるのを、じっと待った。

 陽がだいぶ高くなる頃、その瞬間はやってきた。

 騎馬の集団の姿はなく、兵もよそ見をしている。

 駆ける。足音はない。

 石壁を蹴り、僅かな突起に足をかけて更に跳び、一息に塀を越えた。誰にも見られてはいない。塀さえ越えてしまえば、あとは悠々と軍営の中を歩いていればよい。

 軍営の中は、石造りの本営のほかに、兵の詰所や幕舎、武器や食料を置いておくための倉などがある。兵が休息するような場所もあり、まずそこへ足を向けた。

「どうも」

 そこに居た者に声をかけた。その男は兵であろうが、非番なのか平服である。長い金色の髪をだらしなく束ねた頭に腕で枕を作り、椅子にもたれかかっている。

「すみません」

 返事がないので、ルゥジョーはもう一度声をかけた。

 男はどうやら眠っていたらしく、気怠げに顔をルゥジョーの方に向けた。

「なんだ」

「今日からあたらしく、本営でお世話になる者です。サヴェフという人を探しているのですが」

「知り合いか」

「直接は知りません。しかし、サヴェフという人を訪ねてゆけば分かる、という風に聞いています」

 金髪の男は、面倒そうに顎だけで本営の建物を指し、

「あの中で、そう言え。俺に言われても、分からん」

 と言ってまた先程までと同じ姿勢を取った。ルゥジョーは、この男が軍の者ではないのかもしれないと思い、その場を立ち去ろうとした。

 背を向け、数歩歩いたとき、凄まじい悪寒が走り、危うく剣のつかに手をかけそうになった。

 振り返ると、金髪の男が、ルゥジョーを見ていた。その眼を、細めながら。

「眠っていたのなら、すみませんでした」

「——いや」

 男は、立ち上がった。座っていればそうでもなかったが、特に背が高いわけでもないくせに、異様な圧力があった。その細めた眼が、ほんの少しだけ開いた。

 髪の色の割に、濃い色の瞳であった。

「——眠いのではない。少し、眩しいのだ」

 ルゥジョーは、自分がこの男に対して剣を抜いてしまいそうになるのを恐れた。そういう何かを、持っていた。慌てて、本営の方へ駈け去った。いつまでも、あの茶色い瞳が背中にへばりついているような気がしていた。


 石造りの本営は、風はよく通るが日差しで暑くなりやすい。王都の軍営ならばもっと快適であるが、地方軍ならばこんなものだろう。

 ナシーヤにおける建築様式というのは決まっていて、こういう建物の場合、最上階の奥がその建物の中で最も偉い人間の部屋である。

 そこに、サヴェフはいるはずである。

 脇の部屋からも気配はするが、それは無視して、まっすぐに奥の部屋の扉を開いた。

 誰もいない。というより、使われた形跡がない。

「何か用か」

 背後で声がして、飛び上がりそうになった。

 サヴェフ。

 その姿を、何度か見たことがある。

 戦後処理のため彼が王都を訪ねて来たときだ。

 小柄ではあるがいかにも意思の強そうな眼をしており、また、強い気を持ちながら背後に立つことを悟られぬような武も持ち合わせている。ルゥジョーはいつもニコの影に付いてくる付録のような存在としてしかそれに向き合って来なかったが、今こうして、一人の人間として向き合ったとき、思わず背骨が震えた。

 これは、危ない。

 そう思った。

 思って、剣の柄に手をかけようとした。

「どうして、サヴェフがそこに居ると思ったのだ」

 柔らかな口調である。ルゥジョーは、剣を抜く機会を逃した。どうやら、サヴェフはルゥジョーのことを覚えていないらしい。

「首領なら、この部屋ではないのか」

 どういう心境かは分からぬが、ルゥジョーは救われたような気がしていた。

「そうだ。ゆえに、サヴェフはそこには居ない」

「どういう意味だ」

 それには答えず、

「お前、何者だ?」

 とサヴェフは問うた。

 ルゥジョーは、一瞬、迷った。しかし、意を決して、言った。

「丞相ニコが臣、ルゥジョー。主より、汝に問い糾したい儀があり、参った」

 訪問の仕方こそひっそりとしているが、正式な名乗りである。それならば、サヴェフは、王家の軍に従うものとして、武器を置き、片膝を床に付けなければならない。

「問い糾す、とは?」

 しかし、サヴェフはそれをせず、ルゥジョーを上目遣いで見ながら、質問をしてきた。

 ——叛意あり。

 ルゥジョーの手が、剣の柄に。それより早く、サヴェフがルゥジョーに身を寄せた。

「まあ、どうぞ」

 ルゥジョーを逆に斬り捨てるのかと思ったが、サヴェフは表情ひとつ変えずに主人の部屋の脇の部屋の扉にするりと腕を伸ばし、それを開いた。ゆったりとした動作でルゥジョーに入室を促し、自らもそれに続き、向かい合って背もたれのない椅子に腰掛けた。

「伺いましょう。丞相は、このサヴェフに何を問い糾されるのか」

「先年の、のことを」

 サヴェフは、何のことか分からぬ、という具合に小首を傾げた。

「それがため、正式に使者を発するのではなく、こうして私のような者が内々にやって来ている。お察し頂きたい」

「——と、仰いますと?」

 ルゥジョーは、どこまでしらを切るつもりなのかと苛立った。だから、

「貴殿らがここに入り、もともとあった守備軍が南に移り、そこで騒ぎになった件だ」

 と言い切ってやった。ルゥジョーにすれば、どうだ、これでもうしらを切ることも出来まい、という心境であったが、甘かった。

 と言うより、サヴェフを前にして、彼の本来の沈着さが失われていたと言う方が正しいかもしれぬ。ルゥジョーとはよく頭が回り、先の先まで考えて行動したりものを言ったりする男であるが、このときはまだ、あるいは若すぎたのかもしれない。

「なんと。では、噂は、本当であったのですね」

 サヴェフは、大げさに驚いた。

「いや、あれには、我らも困らされました。王家の軍からの命とあり、一も二もなくここに参じたはいいが、ここにもともとあった軍は、そのようなことは聞いていないと言う。命令を記した書面を見せ、丁寧に説明し、ようやくここに入れたと思ったら、出た軍が南で騒ぎを起こしたという。我らの中でも、一体何がどうなっているのか、一度王家に尋ねてみるべきだという声が多いのです」

 しかし、とサヴェフは言葉を少し切った。

「ただでさえ、あちこちで混乱が起きています。そんな中でこれ以上王家を騒がせることを、私たちは望まない。それゆえ、ただこうして命じられた通りにこの街を守り、民の暮らしが良くあるようにと、そのことにのみ注力していた次第です」

 これは、サヴェフが一本取った。いや、ルゥジョーが、迂闊すぎたのだ。それ以上、ルゥジョーは何も言うことが出来ない。そして、サヴェフを斬る名目も失った。

「ところで、ルゥジョー殿」

 サヴェフが、表情を変えた。

「ちょうどよい機会です。申し上げたい事があります」

「なにか」

「精霊の、巫女」

 ルゥジョーは、どきりとした。サヴェフは、何故その名を出すのか。それを、一体どうすると言うのか。無論、サヴェフはニコが精霊の巫女を娶ろうとしていることは知らない。

「巫女を、このノゴーリャにお移しするというのは、どうでしょう」

 こいつ、正気か、と思った。そんなことが、出来るはずがない。

「この乱れ。誰かと誰かが争っているというような、単純なものではありません。長く続いたこの乱れを治めるには、国が一つになるような、大きな力が必要なのではないでしょうか」

 なるほど、それは確かにそうであり、ニコもいつもそう言っている。

「精霊の家に、まつりごとのことを持ち込むことは出来ぬ」

 ルゥジョーは、その前提をまず述べた。

「いかにも」

 とサヴェフは同意した。

「しかし、今は危急のとき。巫女を立てて国を回り、互いに争う者どもの手を止めなければ、この国は立ち直れなくなる。巫女をノゴーリャにお移し頂ければ、我らがそれを守り立て、丞相が精霊の旗をかざして国内を回られる際の露払いを致しましょう」

「待て、サヴェフ」

 そこではじめて、サヴェフはおやという顔をした。

「私を、知っておいでか」

「丞相ニコの傍らで、貴殿を見たことがある」

 サヴェフは少し考えるような眼をして、

「ああ、あのときの子供か」

 と言った。その物言いに、ルゥジョーはむっとした。しかし、感情的になるわけにはゆかぬ。サヴェフがわざとルゥジョーを刺激しようとしていることくらいは分かるからだ。

「では、ルゥジョー殿。丞相に、今のこと、お伝え頂きたい」

「まずは、丞相が、どうお考えになるか——」

 サヴェフが、それを遮った。

「それは、おかしい。精霊の家は、王家の力の及ばぬところ。このサヴェフ、誰が何と言おうと、やる。それが、この国のためになると信じている。国を守れずして、王家の軍とは、片腹痛い」

「控えよ、サヴェフ」

「いいや」

 サヴェフの顔が、皮肉に歪んだ。

「ルゥジョー殿。あなたは、正式な使者として、ここに来なかった。ゆえに、ここにいるのは、あくまで、サヴェフとルゥジョーという、ただの人。ここに、いかなる立場も力もない。人と人が向き合うとは、そういうことだ」

 ルゥジョーは、言葉に詰まった。サヴェフを今ここで斬り捨てなければ、と思った。

「このサヴェフを、斬ろうとお考えか」

 それを見透かしたようなことを、小柄なサヴェフが言った。その眼の光の深さに、ルゥジョーは少したじろいだ。

「やめておいた方がよい。あなたもまたこのノゴーリャに屍を晒し、そして我々と王家の軍は共にまた血を流すことになる。丞相の名も、地に墜ちる。それを望む者も、国の中にはいる」

 このサヴェフという者は、一体何者なのだろうとルゥジョーは思った。ある意味、国のことを最も考えていると言えるかもしれない。その支配は弱まっているとはいえ、ナシーヤにおいて絶対的な力を持つ王家すら恫喝し、国を平らかにしようとしているのだ。

 乱れが大きくなると、こういう者も現れる。歪みに棲むそれは、さながら——

「戻るがよい、ルゥジョー。戻って、このサヴェフの言ったことを、丞相にそのまま伝えるがよい」

 ルゥジョーの思考は、サヴェフの言葉により、途切れた。


 戻らなければ。

 サヴェフは、放置しておいてはならない存在であると、伝えなければ。

 巫女を、奪いにくる。

 誰のものでもないから、奪うという表現は違う。

 しかし、サヴェフは、巫女を奪い、それを立てる。この男は、やる。そういう男だ。

「行け」

 サヴェフが立ち上がり、ルゥジョーを見下ろした。いや、見下ろしたのではない。ルゥジョーを、見下していたのだ。

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