火にくべた火

 話を戻す。

 随分、時間を食った。ヴィールヒを取り戻すのに。

 サヴェフらが森に籠っている二年の間に、世は更に乱れた。もはや、何のためにこの戦いがあるのか知りながら戦う者は、誰一人として居ない。と史記に記されるほどの不毛な戦いは、ナシーヤ全土に広がっていた。史記には、それは前の王があれでもまだよくこの地を治めていたのだということが知れるということと、堰き止められた河が解き放たれて野を一気に飲み込むように、これこそが、人の本来の姿のうちの一部であり、めた分だけその反動も大きいのだろうということが書かれている。

 そういう乱れた世だから、正直ヴィールヒを牢から出すこと自体が正しいことと信じ、正しいことをしようとのみ思っていたサヴェフが戦いに参画する理由はどこにでもあった。それが、彼の人生の哲学ともいえる、

「正しいことを行う」

 ということである。その信念とでも言うべきか、彼のは終生変わることはなく、彼は正しいことならば悪でも行うことが出来た。

 この場合、具体的に言えば、

「巫女を奪い、その絶大な影響力をもって民の支持を受け、そしてナシーヤ国家を倒し、乱れを治める」

 というものである。この時代は、あちこちにこういう激烈な思想家が登場して、諸地域を遊説して回ることも多かったから、サヴェフのみが狂っていたわけではない。強いて言うなら、時代自体が、着火すればすぐに爆発を起こすようなオクタン価の高さを持っており、あとは誰がその種火になるかという次元まで飽和を見せていたということである。

 こういうとき、案外些細なことが大きな渦となり、時代そのものをも飲み込んで旋回をしたりするものだ。先にも触れたが、サヴェフは元々、ヴィールヒと自分があらぬ疑いを受けたことに対していかっていたのであり、国に対してどうする、こうするということまでは具体的には考えていなかった。

 だが、彼の少しの見栄が思わぬ膨らみを見せ、それが人の鬱屈と奇妙で自然な同調をし、今彼らはについて話をしているのだ。



「欲しい男が、いる」

 サヴェフは、そのことについての話題を、痩せた身体が徐々に戻りつつあるヴィールヒらに持ちかけた。

「欲しい男とは?」

 ザハールが問う。

「我らは、ようやく始まった。何を為すにしても、まず人。私は、そう考える」

 その前提を確認するように、サヴェフはこの場に集まった者どもの顔を見回した。あくびをしながら、癖になってしまっているのか眼を細めているヴィールヒ。王家の軍との戦いで比類なき武を発揮したザハール。一見、飄々ひょうひょうとしているようで思考の冴えを見せるペトロ。無口で変わり者だが見た目は大層美しいベアトリーシャに、犬猫の鳴き声や人の声真似が上手いジーン。それに、はじめ気の強い面を見せていたが馴れるに従い臆病な面が露わになっているイリヤ。ここに、後に成立する国家パトリアエの土台を担う者のうちの多くが集っているのだ。彼らは後に十聖将という呼び名で史記に名を残すわけだが、今はまだ何の力もない。思わぬ弾みで、ナシーヤ王国そのものに対して行動を起こそうということになりはしたが、それにしても人が足りない。

 は、兵になった。この森にはかつての首魁アガーシャが奪い集めた二百頭ほどの馬があり、粗末ながら武器もある。そして、ザハールなど武と戦いの心得のある者が調練をし、賊は兵になったのだ。それが、およそ四百。

 ただ、人が足りぬというのは人数のことではない。焼き物を売って食うに困らず、その辺の地方軍でも迂闊には手出しが出来ぬほどの武力を持つ組織の噂を聞いて、加わりたいと申し出て来る者は多い。しかし、殆どの者が森には入れずに帰された。

 今はまだ、これ以上の人数を増やしても、養うことが出来ないのだ。焼き物を売るとは言っても作るのに手間もかかるし、何より窯が作れる斜面が足りない。だから、今の組織でこれ以上人数を増やすことは出来ないのだ。

 だから、

「ノゴーリャの街を、る」

 という考えに、このは至った。いくらこの地が森、斜面、湿地、沼に囲まれた広大な要害であるとは言え、依るには心もとない。勢力を増やそうと思えば、やはり本拠地が必要なのだ。そのことを考え、鹿の仲間の革に描かれた地図を睨んでいたサヴェフの慧眼が、ノゴーリャの街に止まったわけである。近くには軍の拠点となっているラハウェリという場所もあるが、彼が眼を付けたのは街の方だった。

 地理的にこの街が森から近いということもあるが、幾度か触れているようにここにはナシーヤの国土を東西に貫く貿易の道が通っており、南北にも街道が伸びる。さらにアーニマ河の支流にも面しているため、交通の便が良い。これより遥か東の国の兵法の言葉で言う衝地くちというわけである。

「だが、王家に対して我らは歯向かえぬはず」

 ザハールが疑問を投げかける。サヴェフが口の中で笑うので、ザハールは不思議な顔をした。

「ザハール。お前は、真面目なのだな」

 サヴェフらしくなってきた、と筆者は思う。薄い髭が包む口許をちょっと歪め、サヴェフはザハールに説明してやった。

「約定では、そうなっている。だが、約定を破らずに、ノゴーリャの街を奪ることが出来るが、あるのだ」

 サヴェフとはまた異なる聡明さを持つのペトロが、なにごとかを察したらしく、眼を上げた。サヴェフが、それに頷いた。

「たとえば、我々が、勝手にそのようなことをすれば、王家の軍が黙ってはいまい。しかし、たとえば、その王家の軍自身が、我々がノゴーリャに入ることを命じてきたとすれば」

 ペトロの隣のイリヤなどは、ことが大きくなっているのに怯えているのか、誰とも眼を合わせようとしない。その視界に、サヴェフは無理やり自らの姿を入れた。

「イリヤ。それには、お前の力を使ってもらうことになる」

「—―俺?」

 イリヤは、内心、勘弁してくれ、と思ったことであろう。

「サンス、という男がいる」

 サヴェフは、情報収集が好きである。好きと言うより、癖なのだ。なにをするにも、まず情報。焼き物を街に売りに行く者が聞いた話は、全てサヴェフの耳に入ることになっている。

「サンスとは、博奕打ちでな。けちなの疑いをかけられ、長くノゴーリャの牢に入れられている。たぶん、牢に入れられたまま、刑を与えることすら忘れられているのだろう」

「その博奕打ちが、どうしたというのだ」

「まあ、聞いてくれ、ペトロ。そのいかさまというのが、ただのいかさまではないのだ」

 ナシーヤの法では、いかさまくらいで牢に入れられ、刑を受けることはない。せいぜい、博奕仲間から袋叩きにあい、手を切り落とされる程度である。

「証文を、偽造したのだ」

「証文を」

 なんでも、サンスは、博奕に負ければ何をどう支払う、ということを記載した証文そのものを偽造したというのである。あまりに斬新な発想に、ペトロは思わず吹き出してしまった。

「すなわち、サンスは、博奕をせずに、博奕に勝ったのだ」

 博奕打ちの間で交わされる証文の効力は重く、それを破ることは出来ない。公文書と同じく大精霊の名と姿の記された紙――この当時は紙は高級であった――の裏に、自らの名と誓いを書くというものである。サンスはそれを、他人の筆跡と、現代日本で言うところの実印と同じ効力を発揮する署名を精密に真似ることで偽造したのだ。その者が書いたほかの証文と比べても、それは全く同じにしか見えないという。

 だが、相手が悪かった。その相手というのがノゴーリャ管区の長の息子で、本人が詐欺にあったと訴え出たために、ろくに調べもされずすぐに牢に放り込まれ、刑を言い渡された。ちなみに、このような世であるから、ナシーヤの法における刑とは、全て死罪である。不正や腐敗が根まで染み込んでいるような世だから、無実の者がずいぶん殺された。そういう不満も、国の中に渦巻いている。それは今は置くとして、

「そのサンスを牢から出し、証文を偽造させ、それを証拠に管区の長を討つというわけだな」

 とペトロがサヴェフの頭の中を覗いたようなことを言った。

「俺に、何をしろって言うんだ。ジーンみたいに、猫の鳴き真似でもしてろって言うのか?」

 イリヤが、震えかける声を隠すように皮肉っぽく言った。

「彼を、牢から出してくれ」

 サヴェフは、それをのみ言い、イリヤが幾ら無理だと言い募っても耳を貸そうとはしなかった。

「ヴィールヒ。眠っているのか」

 袖に縋るようにしてまだ何事かを訴えているイリヤを無視し、サヴェフはヴィールヒに声をかけた。

「眠っていた」

 ヴィールヒは、眼を細めながら言った。

「こういう話をしているときくらい、起きていてもらいたいものだ。お前は、我らの首魁なのだから」

「誰が、そう頼んだ」

 ヴィールヒは、興無げに立ち上がり、伸びを一つした。それを見たサヴェフの表情が曇った。以前のヴィールヒは、このような男ではなかった。もっと直情的で、感情的であった。やはり、二年もの間暗闇に支配されていれば、人は変わってしまうものなのか。

「まあ、いい。どうせ、することもないのだ」

 小屋が集まる居住区の方へ歩きかけたヴィールヒが、ふと足を止めた。

「そうだ、サヴェフ。名前を付けよう」

「名前?」

「俺たちは、軍なんだろう。どこにも属さぬ、俺たちだけの」

 それが、この集団の矜持になるとヴィールヒは分かっているらしい。

「確かに、いつまでも森の賊と人に呼ばれていたのでは、示しが付かぬ。それで、どういう名がいいと言うのだ?」

 ヴィールヒが振り返り、笑った。邪気は無いが、ここにいる誰もが見たことのない種類の笑顔であった。

「――ウラガーン

 ウラガーンという名を持つ組織が、この史記のはじまりの時代にも、終わりの時代にもあった。それは後にパトリアエという名に変わるから、彼らが創業時この名を用いていたことはそれほど重要視されていないが、筆者は、とても因縁めいた名であると思う。

「それはまた、不吉だな」

 ジーンが言った。彼も、この時代の人における当然のこととして、大精霊を信仰し、ウラガーンとはその神話に出てくる悪役としか思っていない。

「だから、良いのだ」

 ヴィールヒの背後に、西陽。それが、彼の影を龍のように長く伸ばしている。

「我らは、牙。もたらすは、雨。河が乱れるなら、その乱れごと—―」

 サヴェフも、ザハールも、自らの背に冷たいものが流れるのを感じた。これが、ヴィールヒという男なのだ。

「—―飲み込んでしまえ。それくらいが、ちょうど良いさ」

 それだけ言って、立ち去った。

 あとは、言葉を発する者もなく、何となく散会になった。



「俺になんて、出来っこない」

 夜になってから、イリヤは、呟いた。

「あなた、いつも不満ばかりね」

 ベアトリーシャである。火をぼんやりと見つめている。

「ベアトリーシャは、どうして何も言わない?」

 先ほどのように集まって何事かを話すとき、必ずベアトリーシャも呼ばれる。しかし、彼女がそういう場で何かを言うことは極めて少ない。

「だって」

 イリヤの方は見ず、自らが焚いた小さな火のみを見ながら彼女は言う。

「興味ないもの。あの人達が何を考え、何をしようと」

「お前は、強いな」

 ベアトリーシャは、答えない。

「不安になったりはしないのか?」

「別に。わたしは、焼き物を作る火を強くするのに必要なものを作れたり、火薬を作る方法を知っていたりするだけ」

「すごい女だと思うよ、お前は」

「人が知らないことを知っているからって、凄いとは限らないわ」

「俺は、駄目さ」

 イリヤは、いつも突っ張った態度を誰にでも取っているか、臆病さが出て何も話すことが出来ないかのどちらかであることが多いが、付き合いの古いペトロには、心のうちを明かすことが出来た。そして、どういうわけか、ペトロには見せられぬものを、ベアトリーシャには見せる。悲しいことに、ベアトリーシャがそれに興味を示すことは無いが。

「そのサンスって奴を牢から出せと言われても、どうしたらいいのか分からない。俺は臆病なんだ。失敗することばかり想像してしまう。だから、怖いのさ」

 ベアトリーシャが、枝を一本、火に放り込んだ。放り込んでも、枝はすぐには燃えない。だが、周りの火にまかれるうち、やがで自らも火を放つようになる。

「じゃあ、考えてるのね。失敗することを」

「そうさ。いつも、しくじることばかり想像してしまうんだ」

「どうしてサヴェフがあなたを指名したか、分かったわ」

「なんだって?教えてくれ」

「わたしは、自分にしか出来ないことがあるから、それをしているだけ。ここの人は、そういう人ばかりよ、きっと。あなたも、自分で考えれば?」

 そう言って、ベアトリーシャは自らの小屋の方へと立ち去った。その背が闇の中に溶けて消えると、その場には彼女が燃やした火と、イリヤのみが残された。

 イリヤは、その火の中から、彼女が今放り込んだ枝を探そうとしたが、見つけられなかった。

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