足音
戦いが、始まった。ザハールやルスランなどの傭兵も入れて、グロードゥカ軍は三千。対するユジノヤルスク軍は、千七百。大した軍略もなく、両軍はただぶつかり、押し合った。史記に綴られる戦いのうち、後の世になるほど効率的に戦闘を進行させる戦略が用いられることが多いが、この時代は、まだ戦術や戦略の体系化の
史記曰く、このとき、ザハールには、ペトロやイリヤとの他に、ある出会いがあった。ウラガーン史記がおもに編年体で綴られている以上、今は、その出会いについて触れておかねばなるまい。
グロードゥカ軍の、ザハールが属する部隊は、激しいぶつかり合いの中にいた。長く続く戦いにより国土は疲弊しきっており、この前死んだ王が作った武術大会という仕組みが出来てからやや少なくなったとは言え、兵が圧倒的に不足していた。それを補うべく積極的に用いられているのが傭兵というわけである。無論、傭兵とは正規軍ではない。先の項でも述べた通り、彼らはあくまで「陣を借りて」いるのだ。すなわち、ぶつかり合いの最も激しいところに投入される、言わば死に兵のような使われ方をすることがあった。
その激戦の最中に、ザハールはいる。朝から進軍を開始し、昼過ぎから戦いはじめて、いつの間にか夕陽に影を長く伸ばす時間になっている。その間、敵も味方も、多くの者が死んでゆく。
「ペトロ!イリヤ!」
二人は、すっかり腰が引けてしまっている。やはり、連れて来るべきではなかった。守りながら戦うのは、難しい。ザハールのそばにいなければ、彼らはとっくに死んでいただろう。
どこかに、敵の痛点がある。それを探し、突くのだ。そうすれば、敵が押してくる力は、いっとき弱まる。その隙に、二人を後方に離脱をさせなければならない。べつに、出会って間もない街のごろつきと盗人だから、死んだところで何ほどのことでもないのであるが、彼の握る涙の剣が、彼に二人を見捨てることをさせなかった。
二人に敵の槍や剣が向かう度に、ザハールはそれを打ち払い、二人を庇った。
「す、すまない」
正直、二人は戦いというものを甘く見ていた。街で噂される戦いの様というのは、英雄が活躍する美談ばかりで、もっと健全なものなのだ。しかし、実際はどうだ。目を血走らせた男が飛び掛かってきて、命を守ろうとする反射で剣を突き出すと、鉄が散る。恐ろしいほどの力で敵は剣を押してきて、その臭い息を浴びせるほどにまで顔を近付け、二人の命を取りに来るのだ。
そこへ、ザハールの剣が光り、敵の首を飛ばしたり、腹を裂いて
涙の剣が光る度に、血が臭った。その惨たらしい様に、何度、吐きそうになったか分からぬ。
「無理をして、押すな。俺の後ろに付け。二人で、身を固めていろ」
そう言って、ザハールはまた涙の剣を振った。両手で扱う長さの剣と思えぬほど、ザハールの斬撃は速い。振ると、光の軌跡だけを残し、その後、ざっと血の雨が降り注ぐのだ。そして、それを振るうザハール自身も、向かうところ敵無しと言われるだけあり、強い。敵が、まるでザハールが思う通りの方向に身を動かすようであるのだ。振り降ろされる槍の柄を斬り、剣を受けて擦り上げ、左右を切り払い、ヴァラシュカと呼ばれる戦斧はまともに受けて剣が折れるのを嫌ってか、振る隙を逃さず鎧の隙間を突く。まるで、はじめからそう決められているかのように敵は踊り、ザハールはそれに応じる。
その背。それを、二人は一突きにして涙の剣を奪うつもりであったが、とてもそのような余裕はない。今、二人を守っているのは、ザハールに他ならないのだ。
「進め。敵の将を討つ」
駆け出すザハールに、二人は足をもつれさせながらついてゆく。
敵の将。鎧が橙に輝いている。夕陽を受けて、指揮をしていた。
それに向け、ザハールは疾駆した。
涙の剣。
周囲の者が、あっという間に蹴散らされる。
ペトロとイリヤは、抱き合うようにして、それを見ていた。何か、この世の
そして、もう一つ、この世の理から外れたことが起きた。
将に向かって繰り出されるザハールの斬撃を、止めた者がいたのである。
ザハールは大きく姿勢を崩した。相手の獲物は、槍。
凄まじい音。鉄がぶつかり、鳴っているのだ。
早くしなけはれば、押し包まれてしまう。今、ザハールは、敵中に突出しているのだ。
ユジノヤルスクにも、相当な使い手がいるということらしい。
しかし、その者が、いかにザハールの激しい斬撃を受け続けようとも、戦いの流れをどうこう出来るわけではない。
今、彼らは、あくまで駒の一つであった。
ユジノヤルスク軍に、重い衝撃が走った。
どこかで、有力な将が討たれたか、グロードゥカが要地を奪ったかである。
鐘が鳴る。退却の合図である。
どのみち、もうすぐ陽が暮れる。陽が暮れれば、人と人が押し合う戦は出来ない。それまでの辛抱である。
「覚えておれ、グロードゥカの者ども」
ザハールが目当てを付けていた敵将が、捨て台詞を残し、去ってゆく。
グロードゥカ軍も、ゆるゆると退き始めた。
しかし、ザハールは、まだ剣を振っている。
「やるな」
どう斬り込んでも、相手はそれを巧みに受け流し、反撃してくる。
獲物は、槍ではない。ペトロやイリヤには槍に見えたようであるが、相手の獲物は、ただの鉄の棒であった。片手で握り込めるくらいの太さで、八角形になっている。長さは、ザハールの身長よりは短く、それを振り回す敵よりは少し長い。
棒とは、とても合理的な武器である。刃こぼれすることなく、金属製ならば折れもしなければ斬れもしない。どこでも受けられるし、どこでも攻撃出来る。一見、地味な得物であるが、突けば槍、払えば太刀などとよく言われるだけあり、万能である。
それを、相手は扱っている。歳の頃は、ザハールとそう変わらない。
鉄の棒は、重い。それを受ける度にザハールの手が痺れる。軽々と、目にも止まらぬ速さで振り回すには、相当な修練がいることであろう。
もう、この原野には、二人と、それを見守るペトロとイリヤしか居ない。
「どうする。互いに、軍は退いたぞ。このまま、どちらかが死ぬまで、続けるか」
ザハールが、声をかけた。
「やめておく」
そこで、ザハールははじめて、男の言葉がたどたどしいものであることと、肌が褐色であることに気付いた。恐らく、南方の騎馬民族の出身なのであろう。
男は、棒を草に立てた。気が、原野に散ってゆく。日没。この後、まだ暫くは明るい。
「名を、聞こう」
ザハールも、涙の剣の構えを解いた。
「サンラット。あんたは、ザハールか」
「俺を、知っているのか」
「ただの傭兵であれば、これほどに強いことはない。その剣を、振るうことも」
「サンラット。覚えておこう」
二人、同時に背を向けて、西と東へ。
暗くなり始める世界を背負い、ザハールはペトロとイリヤを伴い、帰陣した。
陣では、大変な騒ぎになっていた。
「おお、戻ったか、ザハールよ」
ルスランである。粗末な胸当てに、べっとりと返り血がこびりついている。巨大な片刃の槍で、敵を粉砕していたのであろう。
「陣に戻れば、お前が居ないものだから、死んだかと思ったぞ」
そう言って、豪快に笑う。
「少し、手こずってはいました」
「そうか。なんにせよ、よく戻ったな、ザハール。せっかく勝ったのに、お前が死んでしまったのでは、つまらぬわ」
「勝った?」
「なんだ、知らぬのか。我らは、勝ったのだ。お前の隊がよく敵を食い止めるものだから、その隙に騎馬隊が戦場を迂回し、敵の総大将の首を獲ったのだ」
戦いとは、こんなものである。名誉と誇りを取り戻すために戦っても、傭兵は使い捨てにされ、その間に正規軍が手柄を持っていく。
しかし、それを嘆いてしまっては、ザハールは生きていくことが出来ない。だから、信じるのだ。一つずつ積み上げることで、いつか、天にも届くと。
グロードゥカ軍は、二百余りの損害を出しながら、戦いに勝った。傭兵の陣では、躍り巫女はもうとっくに立ち去ってしまっていて、勝ちの騒ぎもどこか虚しく、夜に灯される火も少なかったというから、その死者の多くは、傭兵だったのだろう。
「ザハール」
戦いの経験などないまま、戦いに自らを投じたペトロとイリヤが、何人もが押し込められた幕舎の中、ばつが悪そうに言い出した。
「助けてくれて、ありがとう」
「もう、戦いには加わるな。お前達には、向かぬことだ」
二人は、黙った。
「グロードゥカに戻り、下らぬ盗みやゆすりを続けている方が、まだましだ」
ザハールはそれだけを言い、ごろりと横になった。
「あんたは、何故戦いに?」
ペトロが、その脇に座った。イリヤも、同じようにした。
「それ以外に、することがないからだ」
「戦う以外にすることがない、か」
ペトロはザハールと言葉を交わそうとするが、イリヤは、普段口が悪く気が強い分、消沈してしまっているらしく、何も言わない。ただ膝を抱えて、聴いている。
「戦ったところで、何が変わるわけでもないと知ってはいる。今日、グロードゥカが勝ったから、どうだというのだ。この乱れた世が、それで治まるのか。人が五百年続けてきた戦いが、無くなるのか」
「では、ザハール。あんたは、何のために戦うんだ。誇りを、取り戻すのではなかったのか」
ペトロが、初めて知る世界である。
こういう生き方をしている者も、多くいるということは知識としては知っていても、実際にそういう者と親しく話すと、やはり違って見えるものだ。
「どうせ、何にもならぬ戦いだ。どうせ、何にもならぬ命一つだ。ならば、せめて、精一杯生き、戦い、己の価値を、己で感じていたいではないか」
とても清潔な笑顔を浮かべ、ザハールは言った。あれほど無惨な、おおよそ人の
もしかすると、戦いに慣れてしまうということは、ある意味で、人のどこかが壊れてしまうことであり、膝を抱えて震えているイリヤなどの方が、よほどまともなのかもしれぬ、とペトロは思った。
それは口には出さず、
「あんたを、俺たちは、殺そうと思っていた。殺して、その剣を奪おうと」
ザハールは、意外そうな顔をした。
「だけど、出来なかった。あんたと、あんたのその剣が、俺たちを守ってくれたんだ。戦いの場に立って、分かった。恐ろしいものだ」
「お前達とは、不思議な縁を感じるのだ。どうか、こんなところで死なず、生きていてほしいと思う」
「そう、言ってくれるのか」
「こんな世だ。人との繋がりくらい、大切にしていたい。朝になれば、陣は解散になる。どうか、健やかでな」
「わかった」
「イリヤも、達者でな」
イリヤは、ぴくりと身体を動かし、ああ、とだけ答えた。
翌朝、簡単な論功行賞があった。支度金としての金貨五枚のほかに、働きに応じて追加で報酬が与えられるのだ。
このときザハールが得たのは、金貨三枚。多いと言ってよい。よく戦い、敵を食い止めた働きが、認められたのだ。
戦いが続くと、経済はどうしてもそれを軸に旋回する。ナシーヤ王国は東に大山脈を持っており、そこから無限に金銀が採れるのだ。戦いが続けば、軍費がかさむ。
だが、やはり戦いが続けば、鉄などの金属は必要になるし、それを掘る者や精製をする者、売る者、剣や鎧などに加工する者、それを売る者は儲かる。
その代わりに、人は死に、田畑は荒れ、生産は減る。金の流通が活発になる代わりに、国がすり減っているのだ。
この五百年の間で、何度、滅ぶ瀬戸際に立ったか分からぬ。
そして、その愚を知りながら、今なお、人は争い、戦う。
これは、そういう時代から、後代へと続いてゆく国家の形成の物語である。
史記は言う。
時は、流れてゆくと。
ゆっくりと、確かな足音を立てながら。
その足音の一つが、ザハールのもとにもやって来ようとしている。
それは、男の形をしていた。
灰色のフードを被り、昨日まで血を流していたこの戦場を歩いていた。
そして、ザハールの前で、その足音を止めた。
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