出会い

 ――龍は、あらたに生まれる。それは河、それは星。それは雨、それは、風。涙の震えが、呼んでいる。

 ウラガーン史記 第一節十九項 「精霊の巫女、語りて曰く」より抜粋



 ザハールは、金を受け取り、原野を去ろうとしていた。ぺトロとイリヤの二人と、グロードゥカまでは共に行動するか、それともここで別れるか、思案しているときであった。

 この日は、夏のように暑かった。それなのに、その男は灰色のフード付きの外套を纏っていた。乾燥していて砂埃の多い南の地方では日除けのために夏でもこのような装束をするが、この中央地域では珍しい。

 眼前にそのような出で立ちの男が現れたことを訝しがったザハールが、足を止めた。

「ザハール殿と、お見受けする」

 顔には布が巻かれていてよく見えぬが、声は若い。その布を外し、フードを下ろすと、案の定、若い男の顔が出てきた。

「お前は」

 ザハールは、僅かに身構えた。

 涙の剣が、わずかに震えた気がしたのだ。

「私は、サヴェフと言う」

 名を聞いて、ザハールは、このサヴェフが、どこのサヴェフであるのか何となく察した。ユジノヤルスク地方で腕を鳴らしている、中級の士である。確か、王家主催の武芸大会で、毎年上位に名を連ねていた。


 そのサヴェフであると察しがつくほど、目の前のサヴェフは、強い気を持っていた。

「確か、グロードゥカのヴィールヒの反乱で、捕らえられたのではなかったか」

 眼を鋭く細め、そう問うことで、目の前の男が何者であるのかを確かめようとした。

「私は、放逐された。ヴィールヒのみ、まだ捕らえられている」

「そうか」

「私が何者であるのか、知っているのか」

「察しは付く」

 まだ、涙の剣が、震えている。何を告げようとしているのかは分からない。いつも、あとになってから、分かるのだ。

「その運良く難を逃れたサヴェフが、俺に何の用だ」

 ザハールの身体は、再び戦いをするそれへと向かいつつあった。それを、

「待て」

 とサヴェフは制した。

「その、ヴィールヒのことだ」

 ザハールは、一旦、気構えを解き、話を聞いてみようと思った。



「では、ヴィールヒが王を殺したというのは、偽りであるとお前は断ずるのだな」

 草に腰を降ろした姿勢のまま、ザハールは念を押した。

「偽りだ。決して、そのようなことはない」

「なぜ、そう言える」

「私は、ヴィールヒを、知っているからだ」

「ふむ」


 これは、この時代においては、重要な発言の一つと言える。戦いの続く時代だから、人と人の間の信というものが、重要視される。信はすなわち侠心きょうしんに通じ、己を知る者のために生き、そして死すことをも厭わないような風潮が、士の間ではあった。

 自らを士と自負する以上、

「私は、ヴィールヒを、知っているのだ」

 というサヴェフの発言を、ザハールは無視することは出来ない。

「聴こう」

 人と人の交わり。その中でこそ、人は己が何者であるかを知り、生き、戦い、示すのだ。

 この時代にしか吹かぬ風が、二人の間に吹いた。


「まず、あの男は、王を倒すようなだいそれたことをする男ではない」

 そう、サヴェフはヴィールヒのことを定義付けた。

「あの男は、ただ己の内にあるものを研ぎ澄まし、それを外へ向けて放つことを喜ぶ」

 道を求める、芸術家のような気質ということらしい。

「あの男にとっての戦いとは、世にはじめからあるもの。それを虚しく思うからこそ、あの男は、己を一つの刃としてただ研ぎ澄ますのだ。それが、王を倒し、このナシーヤに乱をもたらすことを、望むはずがない」

 それから、サヴェフは、補足するように言った。

「私は、王が倒れたとき、ヴィールヒのすぐ近くにいた。矢は、私が放ったものでも、ヴィールヒが放ったものでもない」


 はじめから、それを言えばよいようなものだが、これがサヴェフという男なのだろう。端的な事実は事実として呈示はするが、その背景、周囲などを気にする。要するに、情緒豊かな理論屋といったところだろう。

「それで、俺に何の用があるのだ」

 ザハールは、サヴェフの方を向き直った。陽射しのために流れる汗を、ひとつ拭って。

「──彼らは?」

 サヴェフは、ザハールの背後で、不得要領に座っている二人を見て問うた。

「俺が、頼りにしている者達だ。彼らのことは、気にしなくていい」

 そう言わなければ、これから話すことを漏らされぬよう、サヴェフは二人を斬るかもしれぬと思ったのだ。頼りにしている、と言われ、ぺトロは気まずそうに笑い、イリヤは身を少し縮めた。

「そうか。では、話す」

 サヴェフの眼が、陽の光ではない、澱んだ何かを映しはじめた。

「いま、ヴィールヒは、グロードゥカの地下牢にいる」

「ふむ。王都から、移送されたのだな」

「ああ」

「そこで、あの事変以来、ずっと捕らわれている」

 そこで、どのうな仕打ちを受けているのかを想像するように、サヴェフは黄色い髪の隙間に光る眼を上げた。


「口を挟んでもいいでしょうか」

 サヴェフと同じ色の髪をした、ぺトロである。一見、イリヤの方が口も悪く、気が強いが、どうやらぺトロの方が人間がらしい。

「なんだ」

は、王を殺めたのが、そのヴィールヒであると、断じているのですか?」

「そうだ。謂れないことであるが、彼らは、そう決めつけている」

「ならば、何故、ヴィールヒはすぐ処刑されないのでしょう」

 その答えを、サヴェフは持たない。

 確かに、言われてみればそうである。


 夏のはじまりの頃に起きた事変から、世は一気に乱れた。まだ同じ夏の中にあるというのに、あちこちで反乱、争闘が起き、ナシーヤの国内は目も当てられぬ有り様である。その中で、一人、置き忘れたように、地下牢にヴィールヒは放り込まれている。それは、何のためか。王を殺した嫌疑がかかっているなら、さっさと衆の前に引き出し、処刑すればよい。そして、新たな王の手で、乱れる国内にその首を見せつけ、王権の力を誇示するのだ。それをせず、国の中を乱れるに任せ、それをもたらしたをも生かし続ける理由が分からない。

「考えたこともなかった」

 正直に、サヴェフは言った。


 彼の中には、あらぬ疑いをかけられ、牢に投じられたヴィールヒをどうにかしたい、という思いのみがあり、そもそも、何故そうなったのかということを考えていなかったらしい。


 後年になり、彼は神謀しんぼうを持つと言われるに至り、その卓越した戦略眼と判断力でヴィールヒらを支える重要な役目を担うようになるのだが、この頃はまだ彼も若い。

 いや、年齢のせいではなく、があるのは、彼の性分であり、なのかもしれない。

 史記に記された、後年になってからの彼の言葉に、このようなものがある。

「強く、思い込むことだ。思い込みが浅ければ、疑うことを忘れ、あらぬ方に進んでしまう。ほんとうに強く、何かを決めつけ、思い込むほど、己が誠に正しいか否か不安にもなる。だから、あらゆる要素をかき集め、比べ合わせ、採るべき道を導き出すことが出来るのだ」

 これは、彼という男を、端的に表していると思う。


 それを言う頃には、彼の黄色い髪や髭は、もっと白っぽくなっているが、今、あらためてぺトロの言うことを反芻し、考えている彼が指先でいじり回しているそれらには、若い輝きで満ちている。

 指が、ふと止まった。

「そもそも、乱れをもたらすことが、目的?」

 どれほどヴィールヒのことしか考えていなかったのか、今初めてそういうことに思い至ったらしい。

「俺には、分からない。ただ、あんたの話を聞いていて、不自然だと思ったまでのことです」

「お前、名を教えてくれ」

「ぺトロです。こっちの黒髪は、イリヤ」

「ぺトロ。さすがに、音に聴こえたザハールが認め、共に戦うだけのことはある」

「いや、俺は」

 ぺトロは、やはりばつが悪そうに頭を掻いた。

「是非、私の秘めたはかりごとに、加わってくれぬか」

 ぺトロは、そう請われて、困ったようにザハールの方を見た。

「この国が、にわかに乱れ出したのは、誰かがわざとそうさせているということか?」

 ザハールが話を戻す。

「そう考えざるを得まい。だから、乱れをもたらした張本人とされているヴィールヒを処断せぬのだ。彼が生きている限り、国はまとまらぬ。王家をたすけようとする者、滅ぼそうとする者、乱れに乗じ、己の利を貪ろうとする者。それらは、どこに向かってよいのか分からぬまま、互いに相争うことになるだろう」

「そうした先に――?」

 なにがあるのかまでは、誰も分からぬ。そうして、乱れに任せ国内をめちゃくちゃにすることが、一体誰の利になるというのか。

「サヴェフ。どうやら、お前が望みを果たすことにおいて、更に大きなものを背負わなければならぬらしいぞ」

「ザハール。忠告、感謝する」

 サヴェフは、草から立ち上がった。話は終わりということである。

「答えを、聴こう」

 また、フードを被り、その奥からサヴェフは問うた。


「私は、ヴィールヒを助けにゆく。それをすることが、正しいことと思うからだ。誰が何のために乱れを求めるのかは知らぬが、そうであるなら、尚更。ヴィールヒを助ける。そうして、乱れを、治める」

「ヴィールヒを助けることが、乱れを治めることになると?」

「乱れぬようにすることと、乱れたものを治めることは、違うと思う。一度乱れてしまったものは、どうしようもない。だからこそ」

「――ヴィールヒとは、それほどの男か、サヴェフ」

「問うな。私は、そう信じている」


 夏の陽は、いつまでもしつこく彼らの上に居座っている。そこに、影が一つ伸びた。

「ゆく。俺の生を、繋ぐことになるやもしれん」

 それが、ザハールの答え。

 彼ほど真面目でひた向きな男でも、やはり鬱屈はするものらしい。

「戦いの中で生き、名誉を、誇りを取り戻す。それは、もしかしたら、乱れの中から、珠を掴み取ることに似ているのかもしれん」

「あらたな戦いを。ザハール」

「それは、俺が決めることだ」

 ザハールは、別にサヴェフの言うことに心打たれたわけではない。無論、サヴェフのことはとても好もしく思ったが、彼は、従ったのだ。涙の剣から、雫が滴り落ちるような感覚に。龍が身悶えをするような、震えに。


 お前達はどうする、とザハールが問うと、ぺトロは、ゆくと即答した。イリヤは、そう言うぺトロを驚いたように見上げ、少し気後れしながら、同じようにして立ち上がった。

 これで、四人。

 まだ若い彼らが、出会ったときの話である。


 先程までの陽射しのことを忘れたかのように、天は彼らの上に厚い雲をもたらした。

「──雨が、降るな」

 ザハールは、それを肌で感じた。

「確かに。風が、出てきた」

 答えるサヴェフは、フードを深く被り直した。

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