第11話

「ボンジー、アンタ変なこと考えてない?」

「お前にも依央さんの誕生日を祝ってほしいだけだよ。ホントだよ」

 一旦商店街へ取って返し、ニーナを連れて戻ったナコアでさっき下ったエレベーターでまた最上階を目指す。乗り合わせた他の参加者から今度は奇妙なものを見る目で見られている。ニーナがアイドル衣装だからだ。

「完全オフだったから今日こそ泣いてすごそうと思ってたのに、フられてから毎週末会ってるっておかしくない? やっぱり運命なのかな?」

「そういうこと言われると避けなきゃいけなくなるからやめてくれ。似合わないって証明しただけでフったわけじゃないし。――ホラ見ろ、食べ放題だぞ」

 丁度最上階に着いてエレベーターが開いたので、もう見えているご馳走を指差すとニーナは弾む足取りでフロアに進みながら腹を撫でた。実にアイドルらしくない。

「おっ、これはちょっと楽しみ」

 意気揚々と向かった入口で当然止められる。僕の再来に備えてか、受付スタッフは三名に体制強化されていた。離れた場所から成り行きを見守ることにする。

「えーと……イベント会社の方ですか? すいませんがバックヤードの方から……」

 追加されたスタッフが戸惑っている。堂々とアイドル衣装で乗り込んできたらそれはそうなるだろう。着飾った盛装ではあるもののドレスコードを守っているかは疑問だ。

 そこへ、残念ながら残っていた例の男が声をかけた。

「彼女は商店街の関係者だ。ホラ、先週正面スペースでイベントがあったろう?」

「お嬢様がステージに出たっていう? ……失礼致しました。招待券を拝見いたします」

「持ってないんですよねソレ」

「え?」

 ニーナとはここに来るまでの打ち合わせで「とにかくなんとかして入ろうとしろ」とだけ言ってある。

(依央さんじゃないんだから、細かく指示すれば演技くさくなって怪しまれるもんな……)

 受付を通れるかどうかはニーナのアドリブにかかっている。

「今日副島さんが誕生日だって聞いて駆け付けただけなんですよ。最近急に仲良くなったから前もって招待されてるわけじゃなくて。入っちゃダメですか?」

 どうやら極力嘘をつかない方針で行くつもりらしい。そのおかげで堂々としているので、これなら疑われにくい。

「うーん。お嬢様と友達らしいことは確かなんだよな……。ステージを手伝っていたし」

「そうそう。そのお礼もしたいと思って。出番もらえるならなにかしますよ?」

 言って衣装をヒラヒラ揺らす。

 招待券を持たないものの身元はハッキリしている。あとはどれだけ受付スタッフがユルいかにかかっている。

「……『ナコアは敵』みたいなこと言ってたよね?」

 あ、と口が開く。

 依央さんの親がナコアを運営していると聞いて思わず飛び出したフレーズだ。心象は限りなく悪い。

(マズイ……どうしよう)

 顏に脂汗が浮いて顎へ伝う。

 しかし、ニーナは平然としていた。

「ハイ! 商店街にとっては商売敵ですから!」

 元気よく答えるのを聞いて、スタッフは笑い出した。

「はー、あー……わかった。お嬢様に確認を取るから、それまで待ってね」

 逆に彼らが商店街で宣戦布告をしようものならタダでは帰さないことを考えれば寛容な対応だ。それだけ「相手にならない」とナメられているとも言えるけれど。

(とにかく一歩前進だ。あとは未与子さんが仕事をしてくれれば……)

 依央さんがニーナを受け入れるかどうかはわからない。台本アリなら問題ないけれど、ナシだった場合は心配だ。そのために未与子さんには会場に入って、依央さんのそばにいてもらう必要があった。彼女ならきっと察してくれる。

 一度離れたスタッフのひとりが戻って来て、ニーナの行く手が開いた。

「確認が取れました。どうぞお楽しみください」

 一礼してニーナが進もうとする。

(――今だ!)

 すかさず走り込んでニーナの背後にへピタリと付く。

「……水流添ニーナのマネージャーです」

 あっさり見抜かれて、サングラスと虹色のアフロかつらを奪われて捨てられた。町内会の備品なので粗末にしないでほしい。

「彼、本当にマネージャーですか?」

 三人に取り囲まれて凄まれる。高校生相手に大人げないじゃないか。

 振り返らず会場へ入るニーナが「知らない人でーす」と気楽に答えて、僕はエレベーターへ押し込まれた。



「フフフ、ここまでが作戦通りとは思うまい」

 実のところ、自分が追い返されることはわかっていた。そりゃあそうだ。あんな仮装で騙せるはずがない。重要なのは未与子さんに続いてニーナを会場に送り、その存在を強く印象付けること。そして僕が「また来るかもしれない」と思わせてあのスタッフを受付に貼り付けにすること。

(さて、ここからが僕の本領だ)

 ショッピングエリアに移動し、地下階へ行ってATMやら配達窓口やらが押し込めてあるフロアの隅へ急ぐ。そこのコインロッカーに用があった。

 持っていた鍵を回してロッカーの中から取り出したのは店で使っているエプロン。次に取り出したビニール袋に脱いだタキシードの上着とタイを畳んで底に敷き、ロッカーに残っていた弁当を上から押し込む。

 エプロンを付けてパンパンに膨らんだビニール袋を提げれば配達の準備完了だ。ただし届け先は無い。これは架空の注文ということになる。


 装いを変えて貸しホールブロックへ戻る。正面エントランスを避けて建物をぐるりと回って搬入口を探した。こういう施設には利用者とは別の、運営スタッフや業者が出入りする所が必ずある。

(おっ、トラック停まってる。あったあった)

 すぐに見つかった。車をよけて奥へと進む。こっちの入り口にも受付はあるけれど、こういう所にいるのは施設の人間ではなく警備会社の人間だ。よっぽど周到に警戒されていなければ僕のことは知らされていないはずだ。

「弁当のお届けに来ましたー」

 営業スマイルで、窓口の向こうに座っているガードマンに話しかける。

「どこへ?」

「ガーデンプレイス……だったかな。ナコアさん主催でパーティやってる、屋上の」

「ああ、ハイハイ。聞いてますよ」

 ダルそうな手つきで記入用紙を受付台へ置く、その手が、ピタリと途中で止まった。

「……パーティに、弁当の配達? 食事ならケータリングが、レストランエリアからもう届いてるはずだけど。ものすごい量だったからよく憶えてるよ」

 不審がられた。これも当然。

 ナコアの運営者が開くパーティなら各テナントに利益を出させる目的を含んでいるはずだ。商店街でも同じようなことをするので事情はよくわかる。必要なものは全部ナコアで工面するので、他所の弁当屋へ注文が入るような隙はできない。

 その不自然を埋める為にニーナが必要だった。

「なんか急に企画が増えて、それ用のスタッフの分の注文が足りてないって話で。『商店街のアイドル』って言えばわかるってコトなんですが」

「あー……確認するから、待ってて」

 どこかへ電話を掛けるのを大人しく待つ。

 ここからはちょっとした賭けだ。受付にいた男が責任者か何かでこの通話が耳に入り、僕のことを調べていて〝弁当〟にピンと来たらアウト。もしくは他のスタッフがここまで受け取りに来てもアウト。

(他の手段を準備する余裕が無かったからな……)

 今更後悔しても仕方がない。自分なりに万事は尽くしたつもりだ。

 心臓の音が聞こえてしまわないか。不安になりながらじっとしていると、電話を終えたガードマンが改めて用紙を差し出してきた。

「これに会社名と名前と連絡先を書いて。この先のエレベーターで最上階ね」

 窓口から見えない所で、拳を握った。


 一先ず中に入れたからと言ってまだ安心はできない。出迎えが誰か次第で即終了となる。

 最上階でエレベーターが止まり、全身の毛が逆立つ緊張に包まれる前で扉が開く。そこにはニーナが立っていた。大きな鳥のもも肉を持っている。

「なんだ、ボンジーか。ゴキゲンでご飯食べてたらスタッフの人が『注文の食べ物が届いた』って笑いながら教えてくれたから、よっぽど特別なものが食べられるんだと思ったのに」

 全身の力が抜けて立ち上がれないので這うようにしてエレベーターから出る。遅れたせいでちょっと足を挟まれた。

「で、潜入成功? 怒られるよー」

「あとで罰は受けるさ」

 だから受付用紙に嘘を書かなかった。

「アタシもアンタに『バカをやれ』って言っちゃってるからね。最後まで付き合うよ」

 鶏もも肉を旗のように振りながら、ニーナがのほほんと言う。

「いや、もうお前の仕事は終わったから。お疲れ様。報酬はこの弁当をやろう。晩飯にでもしてくれ。一身上の都合で全部ハンバーグ弁当になってるけど」

 タキシードを取り出して着込み、弁当だけになったビニール袋を差し出すと大喜びで受け取った。パーティ会場で散々食べただろうに、なんてすごい奴だ。

「でもここから出口まで道順わからないんじゃない? ウロウロして途中でスタッフに合わないよう確認する役も欲しいだろうし」

 エレベーターから出たここはまだバックヤードで、会場に着いたわけじゃない。廊下が左右に伸びていてまずどっちへ行ったらいいかさえわからなかった。

「……お願いします」

「じゃあ、ついて来て」

 ニーナはもも肉を口に咥え、弁当の入ったビニール袋を大事そうに抱えて先を歩き出した。ムダに壁で背中を擦りながらスパイ気分を出している。衣装が汚れそうだけれど、そこはクリーニング屋なので平気とか思っていそうだ。

 廊下を進んでいると壁にドアが並び始めた。会場でイベントを想定しているのなら、ここは控え室になるんだろう。事実スタッフが休憩しているのか、中から話し声が聞こえる。

「見つかるとマズイ。早く出よう」

「うん。……あっ」

 急かして先を急ごうとすると、前を行くニーナが急に立ち止まった。口を開いたようで足元にもも肉が落ちる。

「ああっ! アタシのお肉!」

 さっきよりも大きな声を出したニーナがしゃがんで、廊下の先が見えた。会場への出口らしい両開きの銀のドアがあって、その手前に依央さんが立っている。

「依央さ――」

 反射的に呼びそうになって、喉が止まる。ひとりじゃなかったからだ。見るからに質の良さそうな和装の中年が一緒にいる。多分父親だろう。

 つまりはナコア事業部長である、とかいうことはどうでもよかった。依央さんは、どうやら叱られている。

「まったく一体どうしたんだ。お客様の話し相手も務められないのか!」

 やっぱり、依央さんは学校以外でも台本を捨てたらしかった。

(ああ、嫌だな……。すごく嫌だ)

 依央さんは綺麗なドレス姿で、宝石まで着けている。なのにうっとり見惚れることもできない。心細そうに肩を縮めて俯いていることや唇を閉じてじっと耐えていることばかり気になってしまう。

(自分の為の誕生会なのに、なんでこんな所で怒られなくちゃいけないんだ)

 止めに入ろうとしたら、ニーナに腰を挟んで掴まれ棚の陰に引っ張り込まれた。

「ダメだよ、ボンジー。今見つかって『アンタ誰』って確認されたら困るでしょ。会場に紛れ込むまではガマンしないとムチャして入り込んだのにムダになっちゃうよ?」

「でも、依央さんが怒鳴られてる」

 助けなければ。僕はその為にここへ来た。これを見過ごせばここにいる意義を失う。

「だってあれは家族の問題だよ。それでもどうしてもって時にはアタシが行くからさ、ボンジーはガマンして。絶対これ副島さんにとっては見られたくない楽屋裏だし」

 ニーナの言うことは正しい。でも正しさなんて要らない。

「依央さんにとって家族が敵なら家族からも守る」

「それ恋人の役目じゃん。今のボンジー、副島さんの恋人かどうかわかんないじゃん」

「……お前、グサッとくること言うなあ」

 思わず冷静になった。「そんな立場でよくこんな所までノコノコやって来たもんだ」と自己嫌悪さえ生まれてしまう。

「だってボンジーまた暴走してるから。だったら止めるのが幼馴染の役目でしょ」

「僕は依央さんに止めてもらいたいよ」

 正直な気持ちを言うと口にもも肉を突っ込まれた。お前コレ落としたやつじゃないか。

 改めて依央さんを見る。すると、父親の他にもうひとりいた。依央さんにとてもよく似た、年上の女。

(ああ……アレがそうか)

 依央さんが台本を求める原因。存在自体が自己批判を呼ぶ比較対象。優秀で素敵なお姉さんへのコンプレックスは、依央さんが自ら育てたわけじゃないと一目でわかった。

「ねえパパ、あんまり叱らないであげてちょうだい。この子だってここ何年かはがんばっていたじゃない? だけど身の丈に合わない努力をしたせいで、もう限界なのよ」

 声は依央さんに似て柔らかい。なのに刺々しく悪意に満ちて感じられるのは先入観のせいだけとは思えない。優しい手つきで頭を撫でられている依央さんは青ざめている。

「この私がずっと隣でサポートしますから。話せないのは喉を痛めているせいにして、頷くだけさせておけばいいのよ」

「そうだな、そうしてくれるか。お前に任せるよ」

 父親はなにもわかっていないのか、ほっとした顔で外に出てった。会場の賑わいが漏れて来て、すぐに閉じる。

 その途端、豹変した。

「ねえ、どうしてお前なんかの誕生パーティを、この私と同じ場所で開くの?」

 姉が目を剥いて依央さんの顔を覗き込む。それこそ依央さんの台本のような別人ぶり。

 さっきまで優しく頭を撫でていた指が立つ。あれでは爪が食い込んでいるはずだ。依央さんの息を吸う音が悲鳴に聞こえた。

「会場は、全部ママが……」

「辞退すればいいでしょう? 私があれだけ教育してあげたのに、まだ遠慮を知らないなんてホント、物覚えの悪い子ね」

 この支配体制は長く続いたものなんだろう。僕からはあんなにも鮮やかに逃げ続けたのに、されるがままになっている。手を払い除けようとさえしない。

「今からでも『私にはもったいないです』って、言ってきなさいよ」

「そんな、もう人が来てるのに」

「謝って帰ってもらいなさいよ。どうせお前の友達なんて――ああ、ひとりいたわね。毎年来てるのが」

 未与子さんのことだ。

「彼女ならもういないかもね? 私の友達が気に入ったみたいで、折角だししつこくナンパするよう言ってあるから今頃はもう……ね?」

 なんてことするんだ。未与子さんはそういうの苦手なのに。

「もうひとり――こっちは入れなかったみたいだけど、〝梵士くん〟だったかしら。商店街の弁当屋? でもお似合いよねえ、ここへも来られないような相手を恋人に選ぶなんて」

 なんだろう。やけに詳しい。この関係で依央さんが姉に話すとも思えない。

 同じ疑問を依央さんも持ったらしい。

「ど、どうして――?」

 揺れる声の問いかけに、姉はあっけらかんと答える。

「だって私、お前のスマホ見てるもの」

 後ろでニーナが「うわぁ」と漏らした。依央さんはショックで赤面している。

「暗証番号を使い回すのはやめたほうがいいわよ。昔パパが作ってくれた銀行口座が元でしょう? アレ、私のと同じだから」

 勝ち誇った顔が、続ける。

「台本とかなんとかの話は信じられなくって、あの干物女に立ち居振る舞いを習ってるだけだとずっと思ってたけど、最近やっと納得できたわ。お前、すっかり元に戻ったね。ホントに演じてただけだったんだ? あのままなら落ち度を見せないから叩きづらかったのに、やめたのは男のせい? そんな価値があるような男とは思えないけど」

「ぼ、梵士くんは凄い人です!」

 唐突に、依央さんが反発した。

「背負うものを自分で選んで一生懸命になれる、立派な人です! 与えられることしか知らない私や、姉さんとは違う!」

「私に生意気な口を利くな!」

 平手が振り上げられる。肩がぐっと押されて、ニーナが飛び出した。

「ハーイ、ストップ! 見ちゃったよ。副島さん、性格の悪いお姉さんがいて大変だね?」

 突然の登場に副島姉妹は揃って目を丸くしていた。

「なによ、お前たち!」

「え、『たち』……? わぁっ! ボンジー、なに出て来てんの!」

 隣でニーナも驚いた。

「だってここで出て行かなかったら卑怯者になるだろ? 依央さんが僕のことを認めてくれてたんだ。なら自分でやらなくきゃ」

 なにを置いてもまず最初に、言わなければならないことがある。

「依央さん、誕生日おめでとう。遅くなってごめんなさい。持ってきた花束はスタッフが集めてるらしいから、探してみてね。そのドレスすごく綺麗で――」

「私を無視して勝手に喋らないでくれるかしら!」

 顔を割り込ませた姉がヒステリックに叫ぶ。0.5も被っていないくせに、近くで見ると増々顔が似て見える。「数年後の依央さん」を空想する時は参考にすると捗りそうだ。

「……好きだ!」

「はぁ?」

 空想が現実にあるように混乱してつい口走ってしまった。魔城ナコアが生んだ悪魔に相応しい邪悪な性格のくせして、普通に赤面しないでほしい。顔が顔なのでちょっとかわいいじゃないか。

 依央さんが「またですか!」と頭を抱えている気がするので今だけはちょっと目を逸らしたい。意味を確認するとヤブヘビになりそうだ。

「あー、今のは忘れてください」

 返事は待たずに再開する。

「〝無視〟はお互い様だろ? アンタはどうせ僕たちに本性がバレても平気だって考えてるんだ。部外者のよそ者がいくら騒いだって封じ込められるって」

 自分が世界の中心にいるつもりの考え。さっきまで見ていたやり取りからそういう雰囲気をヒシヒシと感じた。

「そうよ。お前たちなんか――」

「商店街なんて簡単に潰せると思ってるんだ。上等だ! こっちはナコアが建ち始めた頃から対決するつもりだったんだからな。計画だってある」

「こっちにも喋らせなさいよ!」

 似た声で話されるとまた間違えそうなので絶対に嫌だ。

「まずは商店街をひとつにまとめてモール化する。特に飲食店はかなりの連携が期待できるし全体で従業員を回せるようになれば勤務体制や人件費に余裕が出てくる。家業から企業になることで後継者問題も解決だ。次に農業・漁業の生産者を収穫物の買取じゃなく年棒制で雇用して――」

「ちょっと待ってボンジー、その話アタシも聞いてない」

 ニーナからまさかの文句が出た。商店街モール計画では未来の広告塔兼社長を担うことになるんだからしっかり理解してほしい。

「なんだよ、思い付きで言ってるんじゃないぞ? 前から考えてたんだよ。学校で営業し始めたらさ、時間単位の客入りがもの凄いからこれ他の商売もできないかなって。最初は学校にミニ商店街作ろうと思って提案したら校長に怒られて、じゃあひとつの店舗でなんでも扱う売店を――って色々考えてるうちにそうなった」

「ちょっと前の思い付きじゃん。ねえ、うちの〝じゃぶじゃぶクリーニング〟は?」

「…………」

「なんで黙る」

 クリーニング屋を何とコラボさせたらいいか思いつかないんだから仕方ない。

「随分脱線しているみたいね」

 銀のドアを押し開け、未与子さんが入ってきた。会場でひとに当てられたからか、顔つきがくたびれている。

「未与子さん、商店街モール計画に出資してください!」

「出しましょう。一緒に銀行へ行って、動かせる資産のすべての名義をキミに変えましょう。……とまあ、それは今度にするとして」

 咳払いを挟んで、唖然としていた依央さんの姉を見やる。

「気持ちは凄くわかるわ。わけがわからない割に本人は自信満々で話すからか、つい聞いてしまうのよね。どう、彼は手強いでしょう?」

「片木未与子……!」

 睨みつけには侮蔑が混じっている。年も近そうなので何か因縁があるのかもしれない。

「毎年言うけど……この子のこと、もう構わないであげてほしいの。あなたが優秀なのは事実なんだから、妹なんて気にせずどこでだって自由に振る舞えるでしょう?」

「うるさいわね! 他人の家の事情に口出ししないでくれる? 片木の人間だからって調子乗らないでよね」

「どの口が言うのよ……」

 未与子さんにしてみれば依央さんの姉のような存在は最も苦手としているはずだ。依央さんに寄り添っているものの、むしろ支えられていると言ったほうがいいくらい姿勢に力がなく顔色も悪い。直視すら苦しいのか目を閉じているのに、それでも立ち向かおうとする姿には胸が奮えた。

 が、それはそれとして気になるところがある。

「あ、未与子さん。それ違う。間違ってる」

 腕を交差したバツ印を作って見せる。

「その人が優秀、ってとこ違う。いや、優秀は本当なのかもしれないけど、目立たないはずなんだ。本当なら」

「弁当屋、何が言いたいのよ!」

 裕福で、美人で、優秀で。そんな風に満たされている人間ならこんな風に荒れない。満腹な人間はもっと余裕がある。

「アンタは依央さんが怖かったんだ。依央さんのモノマネは特殊能力みたいな記憶力と効率化が基礎になってて、それは未与子さんの台本にもらった力じゃないんだよ。前からできてたんだ。そして、依央さんは〝妹〟だ。台本がどうとか関係なく小さい子供は身近な年上のマネをする。依央さんは小さかった頃、一体誰をマネしてたと思う?」

 歯ぎしりの音を聞いた気がする。

「依央さんが比べられて苦しいから台本を作って貰ったと思ってたんだけど、元々は逆だったんだね」

 視線を向けると、依央さんは呆けた顔でぽつりぽつりと呟き始めた。

「私……ちっちゃい頃は姉さんの後ろばかり追いかけてて、仲が良い姉妹だったってママが……。ああ、そうだったんだ」

「うん。依央さんのお姉さんは出る杭を叩いてただけの嫌な人だよ」

「そんなシンプルにまとめないでよ! なんなのコイツ!」

「本当に、なんなのかしらねえ……」

 依央さんの姉が怒っているのはいいとして、未与子さんがドン引きしているのはなぜだろう。ニーナはと言えば感慨深げに頷いている。

「ボンジーの決めつけ暴走も、たまには役に立つんだねえ」

 わかった風なそのほほ笑みは、幼馴染特有のやつなんだと思う。



 それから依央さんの姉はスタッフを呼んで僕たちをつまみ出そうとしたけれど、依央さんが拒否したので無事会場に残れた。

「この人たちは私の大切なお友達です。私の誕生パーティから追い出したりは絶対にさせません」

 多分依央さんがそんなに強い主張をするところを見たことがなかったんだと思う。スタッフたちの驚きは相当なものだった。

 完全にまっとうな言い分だっただけに、姉のほうも自分で呼んだ人前でそれ以上なにも言うことができず、「勘違いだった」と体面を保って退散していった。どう言い訳しても不法侵入だったので、最終的に依央さんに受け入れてもらえてよかった。

「まあ、お姉さんはおいおいやっつけていくしかないか。でもあんなのがいたら家にいても辛いだろうから、なんだったら未与子さんとこに転がり込んだらどう? 頼んだらマンションの一部屋タダで使わせてくれそう。あの人依央さんの保護者のつもりみたいだし」

「えっと……。もう大丈夫、かな? さっきママが、姉さんのこと連れ出してたから」

 会場の隅に椅子を2脚寄せ依央さんと並んで話す。

 主賓がこんな所にいて大丈夫なのかというと、会場の中心でニーナが人目を惹き付けているおかげで誰も気にしていなかった。当人にしてみればただ食べているだけなのだろうけれど、それでエンターテイメントになるのがニーナだ。時々歓声が聞こえてくる。どうやら新たなファンを獲得したらしい。しかも富裕層だ。でかしたぞニーナ。

「っていうと、家ではお母さんのほうが強いの?」

「うーん、家でっていうか、全体的に。パパが婿養子だからかな」

「……ああ、そうか。事業部長ってお母さんのことだったんだね。親が偉いっていうからてっきり……。よくない先入観だなあ」

 日曜のデートからして慌ただしく、今日まで逃げられ通しだったので依央さんとこんな風にゆっくり話せるのは久しぶりだ。気持ちが和む。

「さっきなんか一礼していった人がお母さんなんでしょ? ニーナが僕を迎えに来るとき、本当はスタッフが一緒だったんだけど引き離してくれたのがあの人だったんだってさ。多分、知らない所でサポートしてくれてたんだと思う」

「ママ、味方してくれてたんだ……」

 一方で依央さんのほうはあまりリラックスしていない。なにしろアドリブ状態だ。頼りの未与子さんは「限界」と言ったきり倒れそうになっていたのでバックヤードの空いた部屋で休んでいる。

「ママあんまり家にいないから……わからなかった。ううん、ちゃんと見てなかったのかも」

 喋り方はたどたどしくて、とても今この時間が楽しそうには見えない。

 でも、気持ちを疑ったりはもうしない。お互いそこそこ苦労したうえでここにいるし、依央さんの膝にはニーナから取り戻したハンバーグ弁当が乗せられている。

「未与ねえさんには迷惑かけたくないけど、できたら家は出たい……かな」

「え、当てはあるの?」

 なんの縁もなく高校生の娘をひとり暮らしなんてさせるだろうか。いくら母親が味方でも、賛成してくれるとは考えにくい。

 そう思って聞いたところで、じっと見つめられた。どんどん赤みが増していく顔が本当は他所を向きたがっていて、それを堪えているのがわかる。

「……僕の家?」

 もう一度聞くと、コクンと頷くのでため息に代えて鼻息を吹いた。

「そういうことを話すには、先に済ませておかないといけない話が僕たちにはある」

 固い物言いになって、依央さんの体がビクンと震える。怖いのも嫌なのも僕も同じだ。

「ふたつ質問をするね。……依央さんはまだ僕を〝恋人〟と思ってる?」

 あっさりとコクコク頷く。

「ならなんで逃げた」

 ふたつめの質問がき気味に出てしまった。依央さんの顔が引きつる。

「いやだっておかしいでしょうよ。僕のことが好きならなんで逃げる? 一緒に住みたいとか色々跳び越えたこと考えられるなら、なんで逃げる?」

 この五日間で溜まりに溜まった鬱憤が吹き出す。抑えられない。

「そりゃ悪かったよ! 疑ったよ! でも話さないとさ、わからないじゃん! スゲー怖かったよ、嫌われたんじゃないかって! なんだよ、『好きだけど逃げる』って。そういうこと言っていいのは命を狙われる殺し屋だけだっつーの! 依央さんは暗殺者? 違うよねェ! それだけはどうかマネしないでよねェ!」

「だって、だってだって……!」

「だってじゃない! いや、だってでもいい! 聞いた僕が『なんだ、そっかぁ』って安心できる納得話を聞かせてくれ!」

「うぅ……そう言われると自信が……」

「早く」

「だって『合わせる顔がなかった』って言っても、梵士くん絶対納得してくれないもん!」

 念願の理由をやっと聞けて、つい顔をしかめる。

「しょぼい」

「ホラ、やっぱり!」

 依央さんが塞ぎ込んだ。律儀にハンバーグ弁当は頭に乗せて手放さない。

「私ずっと台本で接して来たんだよ? でもそれじゃ梵士くんは未与ねえさんのことばっかり考えるから、私だって『素顔を出さなきゃ』って思ったけど、それじゃ梵士くんを喜ばせられない」

 この取り乱し振り、これこそが依央さんだ。言われてショックだったようだけれど、理由がしょぼくてよかったと思う。

「そういう失敗を見せてほしかったよ。失敗しても嫌われたりしないって信じてほしかった。僕も色々やらかすし今日は不法侵入をしでかしたけど、依央さんそれでどう思った?」

「えっ……。会えると思わなかったから、嬉しかった。会えたら『嬉しい』しか思わない」

 顔を上げて戸惑いながら出る飾りのない言葉。心の底から出ていると信じられる。

「ならなんで逃げた」

 こっちも同じものが、もう一度出てしまった。やっぱり依央さんはパニックになってまたハンバーグの下敷きになる。

「途中から楽しくなってしまったのです! こんなにも、こんなにも私が求められていると実感できることが嬉しくて、嫌で逃げていたわけではなかったのです!」

「なんて罪深い人だ」

「でも梵士くんだって最初は台本アリがご所望だったのでは? 話が違う! おかしい!」

「それについては悪かったけど、その時点でおかしなことになってたんだから、その判断も間違ってたんだよ」

 みんな大好き副島さん。それが誰だったのか、今となってはもうわからない。ここにいるおかしな人がその半分だなんて、まさかの話だ。

「だからさ、僕たちちゃんとやり直そう。台本とか演出とかは全部なしで、普通の依央さんと僕で最初からやり直すんだ。一緒に住むとかいう話はそのあとで考えればいいから」

 信頼には時間が要ると未与子さんが言っていた。

 きっとこの先依央さんは何度も錯乱して、その度に僕は困ったり笑ったりするんだと思う。そういうことを積み重ねて関係を築いていけばいい。

 ハンバーグ弁当を膝に戻した依央さんは胸を押さえ、目に涙を溜めながら頷く。

「私、梵士くんの立派な恋人になります!」

「ああ、違う。そうじゃない」

 パタパタ手を振ると、感動の顔のまま依央さんの首が横へコテンと傾く。

「だから『最初から』って言ったじゃないか。焦らずやり直そう。なんだったら現場を再現してもいいし、僕もがんばってもう一回ブチ切れるから」

 顎が開いたり閉じたりする依央さん。なんだろう。また指を突っ込んでもいいんだろうか。

「最初からって、告白前から⁉ えっ、ふりだし⁉」

 やっと受け止められたようだ。

「そう。そういうこと。できれば普段の学校生活で僕が依央さんに『あの子気になるな』って思うところからにしたいけど、素の依央さんだと違う意味になっちゃうからやめとこう」

 依央さんが頭を抱えた。なんとなく、今後一番見ることになる依央さんの姿はコレな気がした。

「梵士くんって、ものすごくめんどくさい人ですね!」

 たまにニーナから言われるセリフを浴びたことで、ひとつ僕への理解を深めてもらえたことがわかった。これが信頼って奴なんだろう。多分。


 関係者からの祝辞を無視してニーナの貴重でもない食事シーンで奇妙な盛り上がりを見せていたパーティにも終わりの時がやって来た。最後は依央さんから来場者へのお礼としての演奏がフィナーレとなるらしい。

 ステージの端に音楽室にあるような大きなピアノがある。きっと知っているものよりずっと高いやつなのだろう。ピカピカに黒光りしている。

「なるほど、依央さんのモノマネスキルって楽器演奏に打ってつけだよなあ」

 台本は楽譜。手順を効率化する依央さんはきっと速弾きが得意だ。

「金持ちの娘の趣味って、どうしてピアノなのかしらね。イメージが良いのはわかるけれど。女の子は大体習いたがって、金持ちだとそれを実現できちゃうからかしら? 私は興味なかったわ」

 復活した未与子さんがバックヤードから戻って来て、隣でステージを眺めている。

「うん。未与子さんが一般的な女の子だったかどうかはね、絶望的だからね」

「あのねえ、私だって昔は素直な良い子だったと思うわよ」

「推測じゃないですか。こればっかりは未与子さんでも当たってるかどうか……」

「重ね重ね失礼ね。それにしても――」

 未与子さんが目を細めて見つめる先にはステージ上の依央さんがいる。ぎこちない口の端を釣り上げただけのぎこちない笑顔で。

「あの子、本当に台本を捨てたのよね。……やっぱり寂しいわ。手が離れたみたいで」

「未与子さんには僕たちが揉めたときに仲裁してもらう役目が残っております」

「それ喜んでいいのかしら? 報酬は弁当なわけね。というか揚げ物」

 話している間に準備が整ったようで、司会者が会場へ呼びかけた。

「それでは依央お嬢様から皆様へ一曲――そちらのお嬢さん、しばしこちらへご注目いただいてよろしいでしょうか。……お嬢さん? 一旦食べるのをやめて、お嬢さん? 手を止めて、フォークを置いて!」

 見るに見かねてテーブルの方へ行ってニーナを連れてくる。

「なによ。食事中だったのに。食べ終わるまで待ってよ」

 ニーナの食事は待っても終わらない。文句は無視してストローを咥えさせて黙らせた。

「ありがとうございます。助かりました」

 正直な司会に苦笑いを返す。

「それではお嬢様、よろしくお願いいたします」

 会場の全員が見守る中で、依央さんはピアノに向かって腰を下ろした。鍵盤に指を置く、その瞬間、チラッとこっちを見た。

(……ん?)

 ザワザワと鳥肌が立つ。なにか嫌なことが起ころうとしている。

 悪寒の正体がわからずにいるうちに依央さんの上半身が揺れて、演奏が始まった。静かな出だしの曲だ。音楽は詳しくないので知らないけれど、それほど難しくない曲目だということはわかった。

(変だな……。依央さんならもっと難易度が高いやつでも――)

 そこまで考えて、思惑がわかった。

「ちょっ、やめろー! やめろー!」

 大きく腕を振りながらステージへ上がる。凍り付いた会場の空気を壊すつもりで、驚いて手を止めた依央さんに向かって叫ぶ。

「依央さんアンタ、今なにやろうとした⁉」

「何って、え、演奏を……?」

「〝人形の夢と目覚め〟、練習曲よ」

 助け舟の解説がステージ下から届いた。未与子さんだ。本当は昔ピアノに興味があったんじゃないだろうか。まあ、今はそれどころじゃない。

「ホラ見ろ! 〝人形〟と〝目覚め〟って、自分に例えようとした! そういう演出みたいなのやめようって言ったのに!」

「イメージとしては〝おもちゃのチャチャチャ〟に似た曲よ」

「追加情報をありがとう! 本当はピアノやってた未与子さん!」

 指摘したら真っ赤になって俯いた。その顔目掛けてニーナがストローで息を吹きかける。

 顔の向きを戻すと、依央さんのほうも紅潮していた。

「だって、思い出したからやりたかったんだもん!」

「なんてありのままな動機! それでいいけどそういうことじゃないんだなあ!」

 互いに遠慮せずギャアギャア言い合って、僕は今度こそスタッフによって会場からつまみ出された。



 パーティ会場を出た僕たちは商店街へ戻ると、それぞれ衣装も脱がずに4人で並び合っていた。準備ができるまでこうして待っていなければならない。

「どうやら僕たちは次に『素顔ってなに?』を考えなくちゃいけないみたいだね」

 隣の依央さんと肩が擦れ合う。

「私が梵士くんの言うことをあんまり気にしないようにするのが一番いいんじゃないかなって、そんな気がしてきました。うちのママとパパをお手本にできるし」

「えー、相手の発言を軽視する前提ってひどくない?」

 ニーナに背中を押される。

「副島さん、ガマンはよくないよ。悪いのはボンジーなんだし、今度色々弱点を教えてあげるから、一緒にボンジーをやっつけようね!」

「ハ、ハイ……よろしくお願いします!」

「ふたりには仲良くなってほしいと思ってたけど……。うーん、これは違うなー」

 依央さんの後ろには未与子さんがいる。

「それより気になるのはふたりが関係を巻き戻して、今現在『付き合っているわけではない』というのは本当?」

「ええ、まあ。やり直そうってことで」

「そうなのね。……ところで私は社会復帰を目指してアルバイトを始めようと思うのだけれど、キミのところで働かせてもらえないかしら?」

「お、えらいじゃないですか。偶然にもうちは最近人手不足を痛感してたところなんですよ」

「梵士くん! あなたは騙されています! いえ、乗せられています!」

「依央、私もがんばるわよ。巻き返し」

「やり直し、やり直しですよ未与ねえさん! 同じ所に戻ってこそなので! 未与ねえさんまで来たらこれはおかしい!」

「あ! 〝やり直し〟についてならアタシも提案ある。イーブンに戻す為に小さい頃ボンジーが憧れてた近所のおねーさんに参加してもらおう」

「昔の話はやめろって。……えっ、おねえさん戻って来てんの?」

「あっ、あっ、梵士くんいけません! どうして顔が赤らみますか!」

 ワイワイ騒いでいると、準備ができたようで声をかけられた。4人揃って正面へ顔を向ければ木村さんが商売道具のカメラを構えて笑っている。仲間ができて嬉しいんだろう。

「依央さん。また一緒に怒られてくれる?」

「……ハイ、それはもちろん」

 僕と依央さんで片手ずつ持ったパネルには「私たちはナコアのパーティをメチャクチャにしました」と書かれている。それがよく写るようカメラに向けながら、その下でしっかりと手を握り合った。

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1.0未満ヒロインズ 福本丸太 @sifu

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