第10話
「全然話できないんですけどぉっ!」
決心して未与子さんの部屋を飛び出してから五日後の金曜日、マンション入り口のインターホンに泣きついた。
「どういうことっスか⁉ 誇張なしの全力ダッシュで追い駆けても全然捕まらない! 僕『廊下を走るな』って叱られたの生まれて初めてで、『言うんだ、実際』ってちょっと感動しましたよ」
今日の金曜に至るまで、隙あらば依央さんと話に出向いたものの一度も成功しなかった。同じ学校・同じ校舎・同じ階の違う教室で恋人に会う、たかだかそれだけのことができない。わけがわからない。
『ちょっと待って、どういうことか説明してほしいのはこっちのほうよ』
インターホンの向こうで未与子さんも混乱している。
『キミがこの間うちから出て行ったとき、決別した雰囲気になっていたでしょう? なのにどうして戻って来るのよ! 翌日の晩から毎日玄関前に弁当が三食分届くし。ピンポンダッシュなんて時代錯誤なことやめなさいよ!』
「あ、食べてくれました? 色々メニュー変えてみたんですけど」
『おいしかったわよ! でもちょっと揚げ物多くない?』
またこれだ。未与子さんにも言われてしまった。もしかして依央さんと同一人物なんじゃないだろうか。そのほうが話が早い。
『で、なに。依央に逃げられるの? 追いかけても捕まらない? 情けない』
「そんなこと言ったってメチャクチャ足速いし、ちょっと視界から外れたらすぐ消えるんだ。なにあの人、忍者の動画とか見て遁走術マスターしてんの?」
今はもう退院した両親に搬入だけは任せているので、火曜からそっくり空いた休み時間で依央さんに会いに行っている。その度すかさず素早く必ず逃げられる。追い込んでもヒラリと身を
『忍術はムリよ。あの子なんでもすぐ憶えるけど、手品みたいに見てタネがわからないものはマネできないもの』
「マジメに答えてもらいたいわけじゃあなくってさァ!」
わかったらできるという意味ならとんでもないことだ。そんな人間をどう捕まえたらいいのか。
「じゃあ依央さんの動きを遅くする呪文とか、なんかないの?」
『妖怪じゃないんだから……まあ、ちょっと怪人じみてはいるわよね』
マンション前で騒いでいても仕方ないので、部屋に入れてもらえることになった。
あれだけ覚悟を決めて出た部屋にまた訪れることになってなんだか気恥ずかしい。再会はお互い赤面になった。
「や、やあ……」
「……ども」
ふたりでモジモジしながら奥の居間へ移動する。
「それで……どうなっているの?」
「聞ぃーてくださいよォ! もう散々なんですから!」
「ちょっと、いきなりそんなテンションやめてくれない? ついていけない。第一『依央が逃げる』の他に話はないんでしょう?」
この五日間ため込んでいた憤懣をようやく発散できると思うとつい興奮してしまった。深呼吸を挟んで気持ちを落ち着かせてから、質問に答える。
「ハイ。でも弁当販売だけは欠かさず手伝ってくれてるんですけど」
「ハァっ⁉ それだけ逃げて、昼休みは付き合ってるっていうの?」
今度は未与子さんのほうが取り乱す番だった。
先のことを予測しているからか、そこから外れたときの動揺が激しいのかもしれない。ものすごく険しい顔がものすごく似合わない。それが面白くて、和む。
「ハイ、来ますよ。平然と台本顔で」
休み時間は僕が追い回しているのに、昼休みになると向こうからやって来る。それはもう堂々とした佇まいで、そしてピークが過ぎると去っていく。有能なパートタイマーのようだ。
「だから依央さんの為にも、早く原因を解明したいんです」
「あの子の為って?」
「他の生徒も見てるんで」
「……あー」
一連の出来事を毎日目撃している他の生徒たちからすれば、相当異様な光景だと思う。休み時間に僕から逃げる依央さん。昼休みに僕を手伝う依央さん。そして逃げる依央さん。
「今じゃすっかり奇行の人扱いですよ。最近はもう教室でも浮いちゃってて、僕が追いかけないとむしろ可哀想なくらいで」
こうなると最早周りの生徒からも「がんばれ」みたいな空気が漂ってきて、DV彼氏と疑われて問い詰められた初日が遠い昔に感じられる。
「だけど昼休みに会えるなら、話すチャンスじゃないの」
未与子さんの考えはまっとうだと思う。僕だってそう思った。
「会話に乗ってくれないんですよ。弁当売るのに必要な受け答えはするけど、こっちからのおしゃべりはもう全部スルーで。見た感じニコニコしてる分余計に切なくて切なくて」
商品が残っていて客がいる以上営業をほっぽり出すわけにもいかない。
「僕も客を気にせず話しかけたり列に割り込んで客側に回ったりしてみたんですけど」
「なんだ。色々やってみてるんじゃないの。それでも、全部空振りなのね」
「……はい」
もう、なにをしたらいいのかわからない。完全に手詰まりだ。
「しかも弁当販売、今日で終わりだったんです。店は通常営業に復帰したし、学校で商売する理由がなくなっちゃって……」
つまり、依央さんとの残された唯一の接点を失うことになる。
「そのこと、あの子には伝えたの?」
「もちろん。来週からは売らないって客に説明しないといけなかったし。依央さんは……一瞬だけビックリしてたけどすぐ台本に戻ったから、どう思ったかはわからなかった」
これで話せることは以上になる。なにかアドバイスがあるならぜひ欲しい。
未与子さんは壁を背に傾げた首を支えるようにしてこめかみへ指を当て、考え込んでいる。その間僕を見たままなのでなんだか緊張した。
やがてぽつりと呟いた。
「私ね、新作書いてるのよ。依央の為の台本じゃない、私の小説」
急になにを言い出すんだろう、そう思っていたらローテーブルから拾った印刷紙を渡された。読めということらしい。
(なんだろ? 試されてるのかな。でも未与子さんの小説って、つまらないんだよなあ……)
前に読まされたものの出来を考えると「褒めろ。されば協力してやらんでもない」という交換条件だったらかなり困る。
無言の圧力に負けて目を通す。
やっぱり内容は前と同じ少女向けだった。少し読み進めて、驚いて未与子さんを見る。
「主人公にイジワルするキャラが出てる!」
未与子さんはそういう人間の悪意が苦手で、どの登場人物も優しく甘いフィクションしか書けないはずだった。その「アハハ」「ウフフ」の世界に毒が足されている。
プイと視線を外した横顔は頬が緩んでいて、あからさまな照れ隠しが見て取れた。
「悪意がなくても人は衝突したり苦しんだりする。そんなことはわかっているつもりでいたけど、キミと依央を見ていたらそういうイザコザも愛しく思えるようになったのよ」
「やったね! すごい進歩だ。これなら読めるレベルになったんじゃないの?」
「そう言えばキミからの評価はとんでもなく低いんだったわね……」
あっという間に表情が沈んで失言を悟った。でも前回がアレだったのでしょうがない。
「いやホラ、僕は本来のターゲット層とは違うわけだからして」
苦しいフォローをがんばると、未与子さんは「まあいいわ」と髪をかき上げる。
「私が思っていたより人は複雑で、だからこそ救いがあるとわかったのよ。だからキミにも救いをあげたいんだけど……」
寂しそうに言葉が萎む。今の依央さんにどう挑んだらいいか、アドバイスは無いらしい。
「あの子が逃げ隠れできない状況になら心当たりがあるんだけどね」
「あるんじゃないですか」
どういうことだ早く出せと視線で訴えると、未与子さんは渋々といった様子でテーブルから封筒をつまみ上げた。
「明日、あの子の誕生パーティがあるのよ。これはその招待状」
「なんだ。要するに家に突撃しろってこと? っていうか誕生日なら依央さんも教えてくれたらよかったのに」
確かに自分が主賓のパーティなら逃げられない。
「……うん? 招待状?」
幼児の頃になら、そんな物を用意したこともあったような気がする。
高校生が家で誕生日を祝うのに招待状なんて気取った物を用意するだろうか。しかも封筒の用紙は銀箔が散る高級ぶりときている。これはシャレの類ではなさそうだ。
未与子さんがため息をついた。
「あの子の家、資産規模で言えば
そこは依央さんが台本を必要とした世界。商店街の弁当屋に居場所はなさそうだ。
「キミが実は巨大弁当チェーンの御曹司とか言う超展開でもない限り、フラっと立ち寄っても入れてはもらえないのよ。どう? 想像した〝お誕生日会〟とはまったく違うとわかったでしょう。そんな所に突撃してなにをするつもり?」
投げかけられた問いと視線。そこには期待があるように感じた。
「依央さんを祝うよ」
答えは迷わなかった。
依央さんが今なにを考えているとしても、恋人に誕生日を祝われることは乙女にとって重要なイベントのはずだから。
翌日、依央さんの誕生日パーティ当日。ドレスコードがあるということでカメラのキムラで撮影時に貸し出すタキシードを着込んだ僕は、会場へ向かうタクシーの中で深刻な不安に襲われていた。
「……僕はまだ依央さんの恋人なのかどうかが問題ではあるよね」
同じ後部座席の隣にいる未与子さんに呆れ顔をされた。
「あのねえ、その問題は否定してあげたはずよ? あの子の気持ちが強烈なのと、もしフるならそれ用の台本をもう使っているという2点の根拠で」
未与子さんは来賓らしく控えめな薄いグレーのドレスで、それでも油断すると見惚れてしまいかねないくらいよく似合っている。
「キミは私の〝連れ〟ってことにする。毎年参加してるけど、招待券さえ持っていればそこまで厳しくはならないはずよ。夫婦で参加する場合も券は一組で1枚だったはずだから、私たちでも問題ないわ」
「夫婦? いや、未与子さんとそれはちょっと……」
「キミ、どれだけ私を傷つければ気が済むのよ。これなら0.5でも私のこと想ってくれていたほうがマシだったわ……」
ほどなくタクシーはナコアに到着した。通常の正面入り口ではなく、横手のコンサート場っぽい立派な門構えだ。このブロックに貸しホールなどが集まっているらしい。
「アウェイだ……。うう、緊張してきた」
「今からそんなことを言っていてどうするのよ。行くわよ」
依央さんの手には豪勢な花束がある。花のことはよくわからないけれど、豪勢な花束だ。誕生日プレゼントが用意できなかったので大量のハンバーグと迷ってから商店街の花屋に用意してもらった。僕が持っていると不安でぎゅうぎゅうに握り締めてしまうので未与子さんに預けてある。
「参加者は依央の親の機嫌を取りたいだけなんだから、参加する意義が一番強いのはキミなのよ? もっと堂々としていなさい」
「そうだよね。どうせナコアの関係者ばっかりなんだろうし、そんな連中にどう思われようとどうでもいいや」
「なによその、ちょっと危ない思考は……」
エントランスを抜けて目的階へ移動。エレベーターで同じ参加者らしい人たちと乗り合わせた。依央さんの知り合いとは思えない、「おっさん」「おばさん」とは呼びづらい品のある中年カップルだ。この町にこんな上流階級がいるなんて、住む世界が違い過ぎて全然知らなかった。
(知ってる人はいないから、追い返される心配もないか。今の僕は未与子さんの〝連れ〟なんだし。……服はちょっと安っぽい気がするけど)
そんなことで詳しく調べられたりはしないだろう。
目的階に到着する。会場は最上階から屋外へ出る展望スペースらしい。背の高いガラス張りの向こうに参加者と料理の乗ったテーブルが見えた。なんともセレブ感のある光景だ。
(大丈夫、僕は未与子さんの連れ、僕は未与子さんの連れ……)
招待券をチェックする入場口の列に並ぶ間、自分に言い聞かせる。聞いていた通り確認は券を回収するだけの簡素な手続きなようで、すぐに僕たちの番が来た。
「ご招待に預かりました、片木未与子です。本日はおめでとうございます」
意外や意外、未与子さんはにっこり笑ってソツなく受け答えしている。そう言えば年上だった。家柄が立派だからか畏まった行事に慣れが感じられる。内心では他人への恐怖心を必死に抑えていると知っているから心配にもなった。
「ハイ、片木未与子様ですね。本日はようこそおいでいただきました」
「連れがひとりいますが、構いませんか?」
「もちろん構いません。そのお花はこちらでお預かりします。のちほどステージで一度にお渡しいたしますので」
「はい、よろしくお願いします」
チェックが終わり会釈を返した未与子さんが先へ進む。それに続こうとして、受付の男と目が合った。
「げっ」
見覚えがある。ニーナのイベントで会場にいたナコアスタッフだ。そのあと楽屋のテントで揉めたのでハッキリ憶えている。
(いた! そういやナコアに知ってるひとりいた!)
サッと顔を背けて入口を抜けようと急ぐ。しかし腕を掴まれてしまった。
「お前この間の、依央お嬢様に近づく悪い虫!」
「ああ、どうも……。本日は上司の家族サービスのお手伝いですか? でも虫に例えるのはやめてほしいな。衛生面は気を遣ってるし」
「最近お嬢様の様子がおかしいというのもお前が原因だろう」
「原因って言い方をしたら……そうなんだろうけどさ」
「お前なんか入れるわけがないだろう。帰れ!」
突き飛ばされてたたらを踏むと、トラブルに気付いて未与子さんが戻ってきた。
「ちょっと、彼は私の連れよ? お祝いに来ただけなんだから、問題はないでしょう」
僕への敵意を剥き出しにする相手の前に割り込むのは未与子さんにとってはかなり勇気のいることだと思う。なのに庇ってくれている。
「彼は依央の同級生で、恋人でもあるわ。参加する権利は誰よりもあるのよ」
しかし男の態度は崩れない。
「で、あれば、招待券を受け取っているはずです」
嫌なところを突かれた。完全に敵意を向けられている今、未与子さんを盾にはしていられないと前に出た。
「実は付き合いが先週からだからで、ちょっと最近会うタイミングがなくて受け取れなかったんですよ」
「なら来年お越しください。君のことは上司――依央お嬢様のお父様へ伝えてあります。その上でお断りするよう申し付かっているんです。『娘に不審者を近づけるな』と」
「どういう伝えかたしたんだよアンタ! これは依央さんの誕生会だろ? だったら依央さんに聞いてくれよ!」
思わず大きな声が出た。周囲の視線が刺さる。
「――では、次の方どうぞ」
男はもう聞く耳を持つつもりが無いらしい。次の参加者への手続きが始まって、引くしかなくなった。
「こうなったら
「いや、いいよ。家の力借りたりとか苦手でしょ」
これ以上負担をかけたくない。
「それより未与子さんは中に入ってよ。依央さんの傍にいてあげてほしいから」
「そう……。期待させたのにこんなことになって、ごめんなさいね。また機会は作るから」
寂しそうに肩を落として会場内へと去っていく未与子さんを元気よく手を振って見送る。人波に背中が隠れてしまえば、もうここにいる意味はなくなった。
乗り込んだエレベーターが閉じるとき、受付で男が勝ち誇った風に笑うのが見えた。
チクショウ、やってやろうじゃねえか。
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