第7話 紅葉と温泉の町で

 車に揺られること数時間、高速道路を降りて暫く走るとのどかな田園風景が目に入る。

「凄く田舎だな」と秀が表情を強張らせながら言うと、父親が小気味良く笑い「まあ、確かにそうだな」と返す。

 田園を抜け、山の方を目指していくと遠目に田舎の風景には不釣り合いなビルや大型のショッピングモールが見えた。

「大体あの辺にこれから暮らしていく家があるぞ」と父親が言うと、秀は少しほっとしたのか固くなっていた表情を緩め「よかった」と呟く。

(今日一日で荷物の片づけをしたら、明日は色々回ってみよう)と秀が考えていると、ビルとビルの間に佇む一軒家の前で車が止まった。

「今日からここで暮らすことになる」と父親が言うと、秀は家を一瞥し緩んでいた表情をまた固くして無言のまま父親の方へ顔を向ける。

 家の風貌は、風が吹いたら飛んでしまいそうなボロ小屋で、壁には所々穴が開いており、瓦と塗装が剥がれ、庭は雑草が生い茂っていて、如何にもホラー小説に出てきそうな幽霊屋敷のようであった。

 秀の悲しそうな表情を見た父親は「くくっ」と小さく笑うと「冗談だ!」と秀の背中を二度大きく掌で叩く。

(まったく……この父親は何を考えているのだろう。笑えない冗談が多すぎる)

 秀はそう思いながら「冗談きついよ」と膨れっ面で言うと、父親は「そうか?すまん。すまん」と秀の肩に乗せていた手を頭の方へ移動させ、頭頂部を軽くポンポンと叩く。

 更にそこから車を走らせビル群を抜けて数分が経過すると『山を登ると温泉町おんせんまち(温泉町観光協会)』と書かれている看板が目に入る。

(親父が引っ越しの前に話していた地域のことかな)と秀が考えていると、閑静な住宅街に車が入り始めた。

 父親が「ここだ」と言うと、秀は少し驚きの声を上げて目を輝かせる。

 社宅にしては少し大きめの一軒家で、広々とした庭に最近まで人が住んでいたのか、手入れがしっかりなされている様子が見て取れる。

 家の駐車場に車を止めると、秀はポケットからスマートフォンを取り出し写真を撮り始めた。

(今日からここに住むのか)と嬉しそうな顔をしている秀に父親が「あんまりはしゃぐなよ」と笑いながら注意をし、玄関を開けて荷物を運びこむ。

 荷物を運んでいると、段々と辺りが暗くなり始め、付近の家々に灯りがともり始めた。

「近所への挨拶は明日にしよう」と父親が言うと、秀は「わかった」と頷き家の中に入る。


 家の中に入ると、リビングに積まれている荷物の仕分けに入り始めた。

 仕分けがある程度終わり、荷物を自室に運び始めるとポケットに入れておいたスマートフォンが鳴り響く。


 落ち着いてから掛けなおそうと思い、暫くしてから画面を開くと親友からの着信が入っていた。

 秀が電話を折り返すと、親友がすぐに出て秀に問いかける。

「そっちの生活はどうだ?」という親友に、秀は「いや、まだ到着したばかりだから」と笑いながら返す。

 新居の写真をアプリケーション経由で送ると、親友は「前の家より綺麗で大きいな」と正直な感想を秀へ伝える。

 秀は「そうだな、失礼だぞ」と冗談を交えながら返し、続けざまに「またいい写真が取れたら送るよ」と言って電話を切る。

 その後、連日の引っ越し疲れが溜まっていたのか秀は布団へ横になると、すぐに寝入ってしまった。


 朝、目が覚めると秀は身支度を整えてリビングへ向かう。

 まだ片づけの済んでいない荷物の内、一つの段ボールを父親が開けると、中には近所へ挨拶をするためのタオルが入っており、父親が「じゃあ行こうか」と言うと秀は「うん」と言って頷く。

 軽く近所への挨拶を済ませると、秀は少し出かけてくると父親に言って、まずは気になっていた温泉付近に行ってみようと考え自転車に跨る。


 平地から山へ向かう道のりは険しく、普段からあまり長距離を走っていない秀はすぐに疲れてしまう。

 適度に休憩を取りつつ長い山道を進んでいると、木々だけの視界が開け渓間が見える場所まで来ていることに気付いた。

 息を切らしながら落下防止用のガードレールに近づき下を覗くと、先程まで走っていた道や家々がとても小さく見えることがわかる。

 秀は「相当高いところまで来ているんだな……まだかかるのかな……」と呟いた後、ガードレールへ掛けていた片足を離し、またペダルを漕ぎ始める。

 更に道を進むと、上り坂の頂上に辿り着いた。

(やっと下りか……)と秀が一息ついていると、後ろから農作業用の軽トラックがとろとろと道を上ってくる。

 秀の付近でトラックが亀のようにゆっくりスピードを落として止まると、運転手が窓を開けて秀に声をかける。

「この辺の子じゃないね?どこの子だね?こんなところまで自転車で来るなんて、凄いね」と質問攻めにされる秀が返答に戸惑っていると、運転手は秀の気持ちを察したのか「すまんな!珍しかったもんでなー」と窓を閉めてその場から走り去ってしまった。

(温泉町までどのくらいかかるのか聞けばよかったな……)と秀が後悔しながら暫く坂を下っていると、視界が急に開けて住居やお店らしきものが見えてきた。


 下っていた坂が平坦な道になると『ようこそ、温泉町へ!』と書かれた看板が見える。

 看板の前に自転車をつけると秀はスマートフォンを取り出して写真を撮った。


 看板の先を進むと一本道の先には食事処と温泉宿が立ち並び、一軒の土産屋が見える。

(また時間があるときにゆっくり見てみよう)と秀が考えていると、先程の軽トラックが食事処の駐車場へ止まっているところを見かける。

 秀が軽トラックに近づくと、先程の運転手が降りてきて、秀の姿を見つけるや否や物凄い勢いで秀に駆け寄る。

 運転手が「さっきの!」と言うと秀は「先程はどうも……すみません。びっくりしてしまって」と運転手に頭をさげる。

 運転手はケラケラと笑いながら「いいよ、いいよ」と秀に頭を上げるように促すと「この辺に来るのは初めてかい?」と秀に問いかける。

 秀が質問に頷くと運転手は「そうか。じゃあ、この先にある池に行ってみたらいい」と言って一本道の奥にあるトンネルの方向を指し示した。

「ありがとうございます。行ってみます」と言って秀がお礼をすると「また機会があったら、うちの店にも寄ってくれよな!」と言って後手を振りながら店の中へ入って行った。


(ちづる亭か、どんな料理を出すのだろう……)と秀は気になって入りたくなる気持ちを抑えトンネルの方へ歩みを進めた。

 少しだけ距離のあるトンネルを抜けると先程までとは違う景色が辺りに広がり始める。

 町の方では青々としていた木々が、道を進むごとに紅く染まり、暫く景色に見惚れながら歩いていると池に架かる大きな吊橋が見え始める。


 自転車を押しながら歩いていると、女の子が吊橋の中央付近に立っている様子が秀の目に映る。

(あんなところで何をしているのだろう……)と暫く秀が考えていると、女の子が急に動き始め、欄干を乗り越えた。

 秀が女の子の行動に驚き急いで吊橋へ駆け寄ると、女の子がすっと欄干から手を離し池に落ちていく。


 付近にいた観光客は悲鳴をあげ慌てるだけで、落ちた女の子を助けようとするものは誰一人としていなかった。

 見かねた秀は急いで上着を脱ぎ、勢いよく欄干を飛び越えて池にダイブする。

 沈んだ体を浮上させ、水面に出て大きく息を吸い込むと再度池の中に潜り、沈んでいく女の子を見つけると片腕を引っ張りながら水面に顔を出して岸へゆっくり向かう。

「がんばれ!」という観光客の声援に(こいつら……)と腹を立てながら泳ぎ、岸へ辿り着くと周りにいた観光客へ体を引っ張り上げるように指示を出す。


 岸にあがると秀はてきぱきと人工呼吸を始め、女の子が息を吹き返すと「あとは頼みます」と近くで様子を見ていた観光客に声をかけ、急ぎ足でその場を立ち去った。

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紅葉の歌が舞う吊橋の上で Mirai.H @wandering_life

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