第6話 街に別れを

 中学一年生の夏、父親の転勤により突然の転校が決まった沢間秀さわましゅうは、夏休みへ入る前に教室の皆へ別れの挨拶を済ませる。

 秀の通っていた中学校は小学校からの友人が多く、唐突に父親から告げられた転勤は中学校へ入学したばかりの彼にとって非常に残酷な話だった。

 これから青春を謳歌してやろうという彼の意気込みをそれは見事に打ち砕き、彼のやる気を根こそぎ奪い去った。

 唯一の救いと言えば、早い段階から父親が持たせてくれたスマートフォンの中に友人の連絡先が全て入っており、一枚の壁を隔てて、リアルタイムで繋がっていられることだろうか。


 彼は夏休みに入るとすぐに仲の良い友人を遊びに誘い、全力で地元の友人達と思い出作りに勤しむ。

 時間は刻一刻と過ぎ、夏休みの終わりが近づいてくると、引っ越しの準備が始まった。

 荷造をいそいそと進める父親に秀は「なあ親父、次に住む町ってどんなところだ?」と聞く。

 夏休み前に転勤先の話を軽くしても全く興味のない素振りをしていた秀に父親は驚き、荷造の手を止めて話し出す。

「これから住む場所はここより田舎だけど、駅も近いし生活に関しては特に不便なところではないな、遊ぶところはあまりないが――そうだな……隣町に確か温泉があるような話も聞いたぞ」

「温泉か……向こうに住んで暫くしたら行ってみようかな」と言う秀に父親はほっと胸を撫でおろし「きっとお前も気に入ると思う」と話を締め荷物を纏め始めた。


 夏休みが終わる三日前の金曜日に父親が仕事から帰ってくると、荷物の積み込みが始まる。

 慣れた手つきで荷物を運ぶ父親とそれを手伝う秀は、積み込みが終わると、夏の暑さで温くなってしまったペットボトルのお茶を開け一息つき始める。

「出発は明日の朝だ」と父親が言うと「わかった。休憩が終わったら友達のところへ行ってくるよ」と秀が返した。


 休憩が終わり一人の親友の家へ辿り着くと、玄関先でチャイムを鳴らす。

「秀だけど……」とインターホンに向かって言うと「待っていたよ、どうぞ」とインターホン越しに親友の声が聞こえた。

「お邪魔します」と玄関を開けた瞬間、クラッカーが鳴り響き、リビングから大勢の人が出てくる。

 そこには親友の家族や、今までお世話になった人、秀が声をかけていない友人達が待っており、事前にそれを聞いていなかった秀は驚きの声をあげる。

 親友が事前に集まることのできる人へ声をかけていたらしく、玄関先で茫然と立ち尽くす秀へ皆がおいでと手招きをする。

 リビングへ入るとパーティーセットや大きめのホールケーキが机の上に堂々と佇んでいて、親友の母親が「中央に座って」と促すと、秀はまだ状況を飲み込めておらず促されるままに中央へ座った。

 ホールケーキには『ありがとう』と文字が書いてあり、机の上にずらりと並んでいる数々の料理を秀が眺めていると、肩を後ろから軽くポンと叩かれる。

 秀が後ろを振り返ると、親友が頭を掻きながら照れ臭そうな顔で秀に「これ……」と言って寄せ書きを手渡した。

 色とりどりの水彩ペンで描かれた寄せ書きは、数年間の思い出を秀に蘇らせ、最後まで泣くものかと我慢をしていた秀のプライドを崩壊させた。

 秀が「ありがとう……嬉しいよ……」と言葉にならない声で周りにお礼を言うと、秀につられたのか周囲の人間も涙を流し始める。

 時が経つのは早いもので、あっという間に別れの時間がやってきた。

 帰り際、皆へ向かって秀が手を振ると、中にいた一人の女の子が秀に駆け寄り手紙を渡す。

 女の子は「恥ずかしいから家に帰って読んでね」と秀に言うと「わかった」と秀は返事をしながら頷く。


 女の子が元の位置に戻ると、秀は名残惜しそうな顔をしながら皆にもう一度手を振り、一際大きい声で「本当にありがとう!また戻ってきたら皆で遊ぼうな!」と最高の笑顔で皆に別れの言葉を告げた。

 すっきりとした秋の風が吹く中で、どこか哀愁の漂う季節に少しの寂しさを感じ、小さい背中を揺らしながら家路を戻る。


「ただいま」と言って秀が玄関を開けると、父親が「おかえり」と出迎え、すっきりとした顔をしている秀に「何かいいことでもあったのか?」と問うと「まあ、それなりに」とニコニコしながら秀が返事をする。

 秀が部屋に戻り女の子から貰った手紙を開くと、そこには連絡先と秀に対する女の子の想いが便箋いっぱいに詰まっており、文末には手紙に対する返事をいつまでも待っていますと記されていた。

 秀へ手紙を渡した女の子は小学校低学年の頃から秀に片思いをしていたようで、鈍感な秀は、今のいままでその女の子の想いを気付かずにいたらしく、手紙という形で初めて想いを受け取った秀は、もっと早く知っていればと後悔をする。


 この手紙の返事を女の子にするかどうか秀は悩みながら、布団へ横になり目を閉じる。

(またこの場所にいつ帰って来られるかわからない――ここで返事をしたら自分を待ち続けてしまうかも知れないし、彼女の大切な時間を奪うことになりかねないな……)

 そう考えた秀は、また戻ってきたときに返事をしようと心に決めて返事を保留にした。


 朝目が覚めると、家の外から秀を呼ぶ父親の声が聞こえる。

 布団をたたみ、残った荷物を纏めると車に乗り込む。


 昨日、親友の家から帰った道を車で通ると、外には親友とその家族が待ち構えており、車に向かって手を振る。

 助手席の窓を開け秀が身を乗り出し、皆に向かって「ありがとう!」と手を振りながら叫ぶと「またいつでも戻ってこいよ!」と親友の声が返ってくる。

 父親の車はスピードを落とすことなくその場を通り過ぎ、皆の姿が段々と小さくなっていくと、ふいに鼻を啜る音が車内に響く、秀が横を見ると何故か父親が目に涙を浮かべており、秀が「なんで親父が泣いているんだよ……」と言うと、父親は「うるせえ、こっちみんな」と言いながら片手で涙を拭う。

 その様子を見ていた秀もなんだか寂しくなり、男二人でおいおいと泣いていると、並走をしていた車に乗っている人が此方を不思議そうな顔をしながら通り過ぎたのを見て、二人は顔を赤くし泣き止むと、お互い顔を見合わせて笑い始める。


「いい友達を持ったな」と父親がボソッと言うと、秀は「おうよ!」と満面の笑みを浮かべながら返事をした。

「四時間近くかかるから、眠くなったら横になっていいぞ」と父親が言うと、秀は頷いて助手席のシートを少しだけ倒した。

 高速道路に乗り暫く経つと、自分の今まで過ごしていた街が道路上から遠目に見える。

 秀は小さく「またな……」と呟くと、道路上にすっと目を戻した。

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