そんな思いで薄暗いトンネルを明りの見える先へと向って歩いた。つい数十分か数時間くらい前までは今にも死にそうな足取りだったのに対し、今ではだいぶしっかりした足取りになってきており、体力も回復してきているようだった。

 とはいえ、現状ではこれくらいが限界であるかもしれないことも実感していた。満月期に入って、大幅に体力が向上すると同時に、あらゆる体機能も軒並み向上しているとはいえ、それにも限界がある。なんせ、この二週間全く食事を取っていない。

 食事をしなければ、体機能も完全な状態にまで戻すことは叶わない。だからこそ、実際の俺は、まだまだ人間よりは強いが、複数人、それも武器を持っている連中を相手にするにはあまりに危険だということを十分理解していた。

 だからこそ、俺はトンネルの中をゆっくりと進んだ。しかし、どうにも俺は違和感を覚えずにはいられなかった。

(静かすぎる)

 そうなのだ。満月期の俺は、いくら食事を取っていないとはいえ体機能が向上し、感覚も敏感になっている頃でもある。その俺の五感がはっきりと、静かすぎる現状を不自然に感じ取っていた。

 それを察知した俺は、ゆっくりとした足取りからだんだんと足早になっていき、トンネルを作業場のある三叉のポイントまで戻った。そこで、ようやく俺はこの異様な静寂の理由が分かった。

「う……」

 思わず表情をしかめる。かつて十数名からの作業員が作業していたそこは、あろうことか凄惨な殺害現場へと変わっていたのだ。それも、ただの殺害現場ではない。元々武装している作業員たちだったから当然だが、連中の半分以上が、武器で応戦した跡がはっきりと残っていたのである。

 俺のすぐ足元に転がっている者は、頚椎がえぐられて中の脛骨が露出してしまっていた。その奥の死体は、首元から胸にかけて皮膚もろとも剥がされてしまっており、筋肉とも骨とも分からない部分を露出させ息絶えている。

 他にも、手足や体の一部が欠損している死体が珍しくない。それどころか、ざっと見渡しても、手足が一本か二本失っている程度は可愛いもので、そのほとんどが半ば体の一部を挽き肉へと変えられているほど、圧倒的な力で粉砕されたらしいことが一目瞭然の、壮絶さだった。

 しかも、すでに腐敗が始まっているものがほとんどで、辺りには強烈な腐臭が漂っている。俺がこんな壮絶な腐臭に気付かなかったのは、すでに自分がその臭いが漂う空間の中にずっと閉じ込められていたためだろう。

 俺は恐る恐る近くの死体をいくつか見て回った。そのどれもが機械や銃による裂傷などではないことが分かる。つまり、どいつもこいつ”素手“でこんな姿に変えられたということである。

 連中は確実に訓練された者たちであるはずだから、そんなゴリラ野郎どもをこんな簡単に肉塊に変えてしまうほど、圧倒的な力でもってこうされたのだ。その事実が、俺をひどく困惑させた。

 そして、もう一つ疑問に思ったのは、連中のもぎ取られた体の一部など、そのほとんどに噛みつかれたような噛み跡があったという点だ。それは、連中を食いちぎったことを示している。

「馬鹿な、こんなことが……」

 思わず否定しそうになった俺は、例の死体野郎のことを思い出してすぐに言葉にしたことを否定した。そうだ、あいつが言っていたではないか。つまり、人間を喰うような危険極まりない怪物がいたとしても、なんら不思議はないではないか。むしろ、この状態ではその方が自然だろう。

 では、一体どこの誰がこのゴリラ野郎どもを皆殺しにしたのか、である。もちろん、それについての答えはすでに俺自身が持ち合わせている。あの骨野郎だ。俺の血をすすり、肉を漁った憎っくき骨野郎、あのスケルトン・モンスター以外には考えられない。

 それは、俺がここにやってきたルートが一本道であること、それに死体の惨状具合が示している。トンネルから作業場へと出るその境界に転がっていた最初の死体は、背後から頚椎を噛まれてその肉を噛み取られて絶命した。おそらく、骨野郎は一人目が背を向けていることを慎重に見極めたところを狙ったに違いない。

 そして二人目が首から胸元の辺りにかけて、皮膚を剥がされているのも同じだ。一人目の異常に気付いて振り向いた二人目は、皮膚を剥がされて悲鳴を上げた。その悲鳴によって、ようやく他の連中が異常事態を察知し、臨戦態勢へと入ったのだ。

 だから、最初の二人以外が腕を欠損していない限り、皆近くに武器を落としているのはそういうことだ。だからこそ、他の連中の死体が比較的状態が良いのも当然だ。手足をもがれたショックで絶命した者、胴体を貫かれた者、様々だがそれでも後になればなるほど死体の状態は綺麗だ。

 こんな状態で綺麗も何もあったもんではないかもしれないが、少なくとも最初の二人に比べれば、どいつもこいつもまだマシな状態といって良いだろう。脛骨をやられたり、皮膚を剥がされるような残虐性に比べれば、の話だが。

 ともかく、奥へと進むに連れて死体の様子がより単純になっているので、この死体の山を築いた骨野郎の行動が見て取れるというものだ。信じられない気持ちもあるが、骨野郎はだんだんに再生していっているのではないかという、妙に確信めいた気持ちもある。

 あの頭蓋骨に触れた際に感じた、気色の悪いぬめる感覚。あれは、おそらく骨に肉などが現れだしていたことを示しているのではないか。そんな気がするのだ。欠損する死体の一部に、明らかに噛み傷が見られるのがそれを確かな証拠であるように思われるのである。

 たかがそんな理由だけで、骨が再生していくなど理屈に合わないのは重々承知だが、それはあの死体野郎のことも考えてみれば、十分に考えうる可能性だと思っていた。

 案外、直感というものは馬鹿にできないもので、ましてや非現実的な物と触れた経験のある者として、そういう可能性を除外するというのは、それこそ間抜けな話だろう。

 俺は一先ず、この死体の山の中を避けるように進み、地上へと通じるカタパルトのレールが敷かれた道を行こうとした。だが何を思ったのか、それとは逆、松下と共にやってきた時にはほとんど触れられもしなかった反対のトンネルが気にかかり、そっちへ行くことにした。

 なぜこんな行動を取ったのか自分でも分からない。満月期に入ると、どういうわけか、普段なら気にならないようなことが気にかかり、どうしようもなく好奇心にさらわれてしまう趣がある。しかも、それのせいで考えもつかないような出来事に巻き込まれることも良くある。

 ともかく、俺はそちらに足を向けて進んだ。こちらのトンネルは、例のカタパルトのためのレールが敷かれているので歩きやすく、奥で何をしているのか見ておきたいという好奇の誘惑に負けたというのもある。

 カタパルトのレールに沿って一〇〇メートルも進んだだろうか、さらにその奥に例のカタパルトがどん詰まりに鎮座していた。俺はそのカタパルトへと近づいていき、梯子を登った。

 カタパルトを登った俺の視界の先に、妙な物が飛び込んできた。それは、一体なんでこんな海の地下にあるのか想像もつかないような代物で、地下にある分、余計に不気味で、曰く有りげに見えてくるものだ。

「鳥居……こんな地下に……」

 そう、俺の目に映ったものは、朽ちかけている鳥居だった。地下にあるためだろうか、すでに根本は侵食されてボロボロ、向って左側の脚は完全に根本から朽ち折れてしまって傾いていた。

 となると当然、その先には同様に朽ちかけた社だ。鳥居や社には、いつ頃のものかも分からない、腐って判別も難しい注連縄が申し訳程度にしめられてはあったが、もう誰も参ることのないこの場では、それが逆に惨めに思えて仕方ない風情になっている。

 俺はカタパルトの上を歩いて飛び降りると、まっすぐに鳥居へと進み、社の前までやってきた。境内――と呼ぶべきかは分からんが――には、連中が施した無骨な現代的装置が二台、両脇に置かれている。装置はどうやら照明のようだが、すでに電気は通っていないのか事切れていた。

 連中の目的がこの地下に埋もれた神社であることは一目瞭然だが、なんだってこんな海の下にこんな神社が人知れず眠っているのか、それを知りたくなった。さらに進み、木でできた格子状の扉を開き、中へと入る。

 ただでさえ薄暗い地下において、社の中はさらに暗く、まるで俺が二週間もいたあの窖のようだった。だが、それでもかすかに空間の様子が伺えるのは、俺の狼の持つ特性の一つである、夜目が利くことが大きかったろう。

 社の中は、何もないに等しかった。いや、これこそが本来の神社が神社たる所以だ。現在のように、人の歴史の中で神社に格付けし、歴史を重ねていくにつれて信仰を厚くするごとに、神社というのは仰々しくなっていって、下品な装飾などで満たされていくようなった。

 だが、実際の神社というのはそんなものではない。本来は自然を敬い、そのためだけにただ社を取って付けただけのものこそが本来の神社の姿だ。拝殿だとか、本殿だとかそんなものは人間が勝手な妄想のもとで付け足していった要素に過ぎない。

 もっとも、その社という形態そのものが仏教の影響なので、そもそもが社を持つこと自体が本来から言えば、おかしな話だ。自然を敬い、そこを儀式の場にする。これこそが本来の神社の、いや神を依り代に移し、降臨させるための祭り事、それが正しい姿なのだから。

 それだけに、この海の底で眠る神社の無愛想な社は、いくらか好感が持てるというものでもある。よくよく見れば、社も壁があるかと思えば、奥は壁らしい壁などなく、岩盤そのものになっているし、まるで社は単なる屋根代わりの張りぼてのようですらあった。

 それだけに中にある、ただ一点、奥まった所にあるものが気になった。そこにはこの岩盤をくり抜いて作られたらしい祠があり、古い時代の宗教を思わせるものが鎮座していたのだ。

 しかし、いくら夜目が利くとは言え、目を凝らしてもその全貌を知るにはあまりに暗く、俺は一旦社を出て連中が設置しておいた照明機へと歩み寄った。事切れているが、もしかするとまだ生きているのではないか、一縷の望みをかけて機械をいじって回った。

 機械の後ろにあるスイッチをひねってみる。すると、弱々しく機械が息を吹き返し、その状態を表現するかのごとく、なんとも頼りない光源を作り出し社の方を照らし出した。

 もう一個の機械を見てみたが、残念ながらこっちは完全に死んでしまっていたので、弱々しい光源を放つこの機械だけが、今の俺にとって社の中を照らし出す確かな目になった。

 俺はその光源を背に、再び社の中へと入った。先程までとは打って変わって、今度は薄暗くとも祠の様子を浮き彫りにした。その祠を目の当たりにした俺は、思わず眉をひそめてしまった。

 それはどうにも考えうる限り、明らかに異質な祠であったからだった。もっとも、宗教やその遺物に関する専門家ではないから、俺の浅学な知識の中での判断になるが、その祠は縦は人の背丈程度だが、横に長く、まるで一つの壁画か何かのようだったのだ。

 これでは社に背壁がないのも頷ける。俺は再度社を出て重い照明機を中に当たるよう照明の角度を変えた。弱かった光は、照明の角度を変えたことで配線がちょうどよく繋がったのか、いくらか灯りに強さが戻った。暗い社の中を照らすにはまだ頼りなさがあるが、狼の特性を持つ俺にはこれくらいで十分だ。

 照明が当たるようになってより鮮明になった中を改めて覗いた。硬い岩盤を掘って作られた何体もの石像群が、巨大な石の彫刻による壁画のようだった。その様子は、以前行ったことがある大分県にある磨崖仏の石像群のようにも見える。

 磨崖仏と言えば大分県に日本全国に点在する磨崖仏のおよそ半数以上が集中すると言われ、見る者を圧倒するのだが、ところがこれは俺の知る磨崖仏とは明らかに違っているのだ。いや、そもそも石像群はただの一体たりとも神仏を象ったものがなく、これは明らかに異常だ。

 俺の拙い歴史観では、確か磨崖仏というのは平安期に入って、修験道が世に広まりを見せるのと同時に、これも広まっていった。なので、その形態を模してこれらを彫ったというなら、これらは少なくとも平安期以降の作と見るべきだろうが、彫られてあるものが彫られてあるものだけに、その歴史観が通用するかどうか分からない。

 しかも、今は海の底だ。つまり、ここはかつては地上だったが、その後神格化されて神社の形態を持つようになった。ところがその後、天変地異か何かによって岩盤諸共海の底に沈んだ……と見るのが正しいのだろうか。

 俺はそんなことを考えながら、しげしげとその壁像に近づいて眺めた。やはり、これらは仏像ではない。仏像であれば、口元を上顎から覗く牙のようなものがあるはずがない。もちろん、中にはそういう仏像がないわけではないが、こんな地獄絵図にでも出てくるような悪鬼の如きではあるまい。

「だが……」

 思わず声に出た。悪鬼とはいうが、この連中にはいずれも角が生えていない。通常、日本の鬼といえば角が生えているものだ。なのに、やはりただの一体も角が生えていない。生えているのは、全て口元から覗く牙だけだ。

 俺はその一体一体を触れながら、中央へと寄っていく。壁画の中央部分には、一体だけ特別な壁像が彫られてあった。その中央の一体だけは、左右に引き連ねた質実剛健な鬼たちと違って、優美さと音順敦厚さとを兼ね備えた石像だった。

 その一体だけは左右に彫られたものと違って、女像であるように思われるのは決して気のせいではない。彼女がこの石像群の指導者的立場にあるのだろうか。あるいは、崇敬の念を持たれた巫女か何かなのか。事実、彫られた像の何体かは傅いているように見えなくもないから、多分そうだろう。

 ならば、この一体がなぜそんな立場にいるのか気になった俺は、その像を念入りに調べてみた。すると、その像だけが他の石像たち違い、わずかにだが傾いていることに気がついた。他の像が壁にそのまま彫り起こされているのに対し、この女像だけが独立した石像なのである。

 どうにも気になった俺は、その女像をどかそうと試みた。しかし、何度やっても動かせない。ほぼ等身大といっても良い石像の重みたるや、軽く二トン以上はあっても不思議はない。まともに食事を取っていない俺にとって、二トンかそれ以上はあるだろう石像を動かそうなど、土台無理な話だ。

 俺はこの壁像はもちろん、こんな海の底に眠る神社が何であるのか、後ろ髪を引かれる思いでその場を立ち去ることにした。もっと確かめたい気持ちはあるが、かといってこのままここにい続けるわけにもいかないのだから仕方ない。

 とにかく今は早く地上に出て、たらふく食事することが最優先だ。ステーキをたらふく胃袋に収めなくては、とてもじゃないが普段の十分の一の仕事だってできやしない。

 二週間だけとはいえ浦島太郎状態の俺にとって、まず十分な休養と食事が欠かせない。その後はもちろん、すぐにでも松下のところに乗り込み、奴にこの借りは返さなければならないのだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

狼たちの挽歌 @rollinstone1963

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ