ぴちょんぴちょんとどこかで水滴が滴り落ちる音が聞こえた。その水音に誘われるように俺は意識を取り戻した。相変わらず周囲は真っ暗で、薄ぼんやりともはっきりと暗闇であるのかも、それすら定かではなかったが。

 とにかく一つ言えることは、俺はまだ洞窟の奥で一人、地面で寝ているという状態だということだろう。しかし、意識を取り戻しているのに瞼と閉じているのと変わらないほどの真っ暗闇だと狂ってしまいそうだ。

 ぶるぶると手を動かした。すると体の中でガタガタと軋む音がした。どうやらまだ動けるだけの体力があるらしい。とにかく、今の自分がどういう状態になっているのか、それを判断するのが先決だった。

 全身を動かそうと試みるも、全身は今しがた動かした腕同様に関節の節々が軋み、筋肉痛をより激しくしたような熱さを持った痛みがあった。その痛みに、思わず呻き声を漏らした。

 ところが、その声が上手く出ない。呻き声であるはずなのに、その呻き声が上手く言葉にならないのだ。今度は、そのことに疑問と焦燥感を持って腕を喉にやる。

 すると、その喉に大きな違和感を覚えた。俺の喉がなくなっている……始め思ったのはそうだった。焦った俺は、さらに確かめようともう一方の手を痛みに軋ませながら喉にやった。

 両手で喉を触ると、ようやく喉の状態を朧げながらその輪郭を掴めた。喉がなくなっていたと感じたのは、極端に痩せ細ってしまっている状態であるらしいということ、肌がガサつき、あり得ないくらいにささくれ立っているということが分かったのだ。

 ささくれ立ち、自分の肌とは思えないほどになっている喉の状態が、実際にどんな状態になっているのかを確かめるには、ここを出る必要があるが自分の今の体力ではそれも難しい。

 ついでと体のあちこちに触れてみた。着ていたジャケットはボロボロ、スラックスも同様だった。そして、ボロボロになって開いてしまった穴の向こうには、全て肌が露出してしまっていることも分かる。

 あの骨野郎は、俺の血を吸っただけなく、服をも破ったということだろうか。良く分からない。ただ、体がうまく動かないこの状態では、自身の状態を明確に判断できないということだけは確実だった。

 だからこそ動こうと試みるも、上手く力が入らなかった。極端に体力が落ちていた。こんな状態は、もしかしたら生まれてこの方初めてではないか。そう思えるくらいに、酷い状態であるらしい。

 今、何時だろう……ここは本当にあの洞窟の奥なのか……そういえばクレオはどうなっているのだろう……様々な疑問が浮かんでは消える。それをどうしようにも、今自分が動くことすらできない状況では、それらの疑問も有象無象の夢の如くたちまち立ち消えていった。

 そういえば、あの骨野郎はどうしたんだろう。最後に浮かんだ疑問だけは、妙に鮮明になって俺の脳裏にこびりついた。

 不明瞭ながら意識が確実にある今、あの骨野郎がどうしているのか、それを感じ取る。しかし、感じるのは遠くで聞こえる水滴の滴り落ちる音だけで、むしろこの空間に俺以外の何者も存在していないことを告げていた。

 全く、先程は突然に現れた骨野郎のおかげで、とんだ醜態を晒してしまった俺だが、その骨野郎がいないことを察した途端、気が大きくなるなんて俺の器も大したことがない。

 思わず苦笑した。顔面も喉の状態と同じで、強張ってしまっているために上手く表情が作れない。その状態が俺に一つのヒントを与えた。俺が今こうして生きていることは間違いないが、体が軋むとは一体どういうことなのか。しかも、体を動かすだけで全身が酷い筋肉痛のように痛むのは。

 俺は確か松下の野郎どもに縦断を浴びせられて、酷い負傷を被った。これならまだ良い。理由がはっきりしているからである。だが、この全身を軋むように痛みは何なのか。その理由が分からないのだ。

 ぐるぐると、脳裏に嫌な想像、推測が駆け巡る。しかし、一度思いついた自分の答えを振り払えるような答えが出るはずもなく、俺は一つの結論に達した。

 まさか、たかが数時間だと思っていたのは間違いで、俺はもう一週間、下手すればそれ以上もこんな洞窟の奥底で過ごしているんではあるまいか。そんな結論だった。

 そう思うと、途端に妙な冷や汗が出てくる。もはや冷や汗など出るはずもないが、そう感じるくらいの嫌なものを背筋に感じた。とにかく意識がなくなっていた間、自分がどうなっていたのか、物理的にも感覚的にも理解できないので、そう思ってしまうと強迫観念に襲われるようだった。

 俺は、居ても立ってもいられない気分で、一気にまどろみつつあった意識を覚醒させた。とにかく、どんな状況であれ、いつまでもこんな場所で寝ている訳にはいかない。

 それに、俺がこう結論付いたのにも、一つの理由がある。現にこうして、生きていることが何よりの証拠だ。何を言っているのか分からないかもしれない。だが、俺は月齢の進み具合によって体力、精神力、身体機能、それら全てが左右される。

 そんな自分の力、特性とも言って良いだろう、それが確実に戻ってきていることを実感しているからこそ、そうした結論に達したのだ。この特性は、あらゆる点で俺の能力を左右する。いや、能力だけじゃない。時には自身の心理状態を含め、世界で一番正確な時計の如く、正確に月齢を感じ取ることができるのだ。

 だからこそはっきりと言える。今は俺がここを訪れた日から月齢が進み、月齢十一日目になろうという頃になっている。明日にも満月期に入る時期である。それはつまり、俺が不死身のスーパータフガイへと変貌する絶頂期であることも意味する。




 俺は体を癒やし、万全の状態に持っていくために、さらにじっくりとそこで数時間を過ごした。いや、数時間というより半日近い。すると、俺の中の体内時計が、確実に、今が月齢十二日目に入ってきたことを告げた。

 狼を祖に持つからか俺の体内時計は正確で、自分の視覚的、知覚的な感覚よりもそっちの方が信頼できる。ようやく待ち望んだ満月期の到来である。俺はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。もっとも表情は強張って、まるで動かなかったが。

 ともかく、待ちに待った満月期だ。俺の能力が最も開花される時期に達した以上、ここからの俺は何者にも止められるようなことはない。だからこそ、その喜びを全身で噛みしめるように軋む体に鞭を入れてのろのろと動かし始めた。

「ぅ、ぐ……」

 ぶるぶると腕を動かし、なんとか寝返りを打つ。寝返りを打つだけで重労働に思えるくらいに鈍りきった体だが、だとしても銃撃を受け、まともに動けなかった一時を思えば、大いに回復したと言える。

 それだけじゃない。そもそも何発も被弾しただけでなく、骨野郎に体から血を抜かれた我が身を思えば、こうして生きているだけでも十分に奇跡といえよう。それだけに、俺の本能が生きている今を悦んでいた。

 なんとか寝返りを打った後は、うつ伏せの状態から足と膝を抱え込むように腹の下にやり、少しでも上体の負担を減らしながら徐々に体を起こした。おそらく、上半身が垂直になったのはおよそ二週間近くぶりのことだ。

 通常なら寝返りも打たず、寝たきりだと床ずれなどを起こしてえらいことになるのだが、幸か不幸か、多量の出血と骨野郎に血を吸われたお蔭で、血液を含む体液がかなりの量なくなっている。そのために、そうした現象が起きるのを防いでいた。

 もちろん、俺の並外れた回復力も手伝っていることなのだが、ともかく俺の特筆すべきタフさが今回も命を繋ぎ止めたことだけは間違いない。だからこそ、もうこんな湿気た場所からは退散したかった。

 ぐぐぐ、と体の中で奇妙に軋む音が鳴った。のろのろになりながらようやく立ち上がれることが出来た。二週間も寝たきりだったのだから、久しぶりに立ち上がるとなんでもない行動も清々しい気分だった。

 立ち上がった足は無様に震え、歩くのもままならない状態ではあるが、そんなことに構ってなどいられない。体の状態とは裏腹に、頭の方は割合すっきりしているのだ。

 よろよろと、足元すら覚束ないまま俺は岩盤の上を出口に向かって歩き出した。真っ暗だが、野生の勘がこっちだと告げていた。それに、かすかにだが歩く方向から空気の流れを感じる。多分、ここに押し込められた時の出入り口に違いない。

 よろめく足元が頼りないが、それを堪えつつ俺は出入り口を目指した。曖昧な記憶では、俺の倒れていた場所から出入り口まで一〇メートルかそこらのはずだから、そろそろその付近のはずだが真っ暗闇の中では距離を確かめられないので、不安になって仕方ない。

 弱々しく両手を前にかざして歩くと、七、八歩ほど歩いたところで指先にごつんと岩の壁が当たる感触があった。なんだか、この感触が懐かしく感じられたのは、それだけ自分の中の時間が間延びしていたからだろう。

 俺は突き当たった壁からずるずると出入り口がどこかを探した。肌で感じる空気の流れも頼りに、あった言う間に出入り口を見つけることが出来た。するとひょうきんなもので、たった今の今まで力のなかった体から、途端に力が沸き起こって勢いよくしゃがみこんだ。

「あった……あったぞ」

 かすかに感じていた空気の流れる場所を突き止めた俺は、腹ばいになってその穴の中へと入り込む。ずるずると狭い穴の中を這いずって進んでいけば当然、露出した肌のあちこちが擦り切れて小さな擦り傷を大量に作った。

 だが、今の俺にはそんなものはまるで気にならなかった。ようやく見つけた出口が、歓喜の感情に変わっているのだ。そんなことを気にしていられるわけがない。

 俺は指先はもちろん、手の平などに所々に感じる痛みを生命の喜びだと受け止めて、狭い穴を這い進んだ。そうして、やや上り坂になった穴をいくらか進んだ所で、前を探っていた手から前方にあったはずの岩盤の壁の感触が消えた。穴の出口へと繋がったのだ。

 俺は両腕を大きく広げ、穴の縁にかけて穴を這い出る。相変わらず薄暗いが、それでも空気の流れが明らかに違ったのを肌で感じた。何よりも、空気が新鮮だった。窖の奥の澱んだ空気に二週間も沈んでいた身からすると、まるで人里離れた森林の中で大いに自然を満喫するような、そんな気分だ。

 そのせいだろうか、肌にできた擦り傷によるヒリヒリとした痛みもさほど感じない。いや、きっと感じていないのは単なる気分のせいではない。満月期に入って、俺の治癒力が爆発的に上がってきているのだ。

 事実、窖を自力で這い出ただけでなく、今こうしてしっかりと地に足をつけて立っているのがその証拠だ。二週間も飲まず食わずだった人間にそんなことが可能だろうか。否、不可能だろう。俺の中に眠る圧倒的な力が、再び湧き上がってきているからこそ成し得る芸当としか言えないだろう。

 窖から出た俺は、そのままずるずると左足を引きずりながらトンネルを進んだ。トンネルの向こうは、薄暗いがかすかな明りが見える。きっと、向こうであの武装した連中が作業に当たっているのだ。

 となると、こうしているのは危険であるかもしれない。もっとも、あの連中がわざわざまだほとんど発掘できてないこっちの方にく来るとは思えないので、体力回復も図りつつ注意して進むとしよう。



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