4、

 

 通年でないとはいえ僕らから太陽の恵みを奪ったあの森は、年ごとにその面積を広げていた。

 僕の家のまわりには小さい集落はおろか家の一軒すら建っていないのでしばらくは誰にも影響は出ないだろうと楽観視していたのだが、いつのまにかそれほどに森の勢力は拡大していて、いつのまにか他の人に被害の及ぶほどになっていたということか。

 家にまねき温かい飲み物を差し出すと少女は少し落ち着いたようで、ひとつひとつ言葉を選びながら自身のことを話してくれた。

 名前はザート。

 僕の見立て通り木彫り細工で有名な村の住民だった。

 彼女の村は小さいながらもそれは美しい村で、肥沃な土地のおかげで作物も良く育ち、仲の良い住民たちが何不自由なく暮らしていたのだという。

「それが、あの空に広がる不気味な森が私たちの村からも見えるようになってから、みんなの笑顔が少なくなっていったの」

 村の外れの辺りから徐々に植物は枯れていき、放牧していた山羊や羊も元気がなくなった。乳の出が悪くなれば子どもたちも育たず、いつかまったくいなくなってしまうのではと村人たちは不安がった。

 その不安を追い立てるように、次の年には畑にも影響が及び、一年の収穫は目に見えて少なくなった。

「生きて行くにはなんとか足りるけど、不安を振り払うには少ない収穫量、というところかな?」

 僕の言葉にザートは神妙な面持ちで頷いた。

「そうなると、村を捨てるものもでてくるだろうね」

 さらに言葉を重ねると、ザートは何度も何度も頷いてみせる。

「それで村を救うために木こりを探していると」

 またしても無言で頷いた少女に、僕は短いため息をこぼした。

「ただ単なる木こり?」

 これには首を横に振った。

「探しているのは『人食い森』の木こりさんよ!」

「ずいぶんと古い話を知ってるね」

「父さまから教えてもらったの。父さまは木彫り細工の職人だから木や森のお話しをたくさん知っていて、その中に『人食い森』のお話しがあったの」

 言葉を重ねるごとに彼女の手に力が入っていくのがわかった。それほどに彼女は、その昔話の登場人物である「木こりさん」に希望を抱いているのだろう。




 少し、昔の話をしよう。

 ずっとずっと昔の話を。




 少女が住む村がまだ村でなかったころ。

 ぽつぽつと人々が住み始めたころ。

 それくらい遠い昔の話。

 そこからだいぶ離れたところに豊かな街があった。村と呼んだ方がふさわしいような小さな街ではあったが、食べ物にも着るものにも住むところにも誰も困ったりしない、争いとも天災とも縁遠い夢のような街だった。

 ただその街に住むものにはひとつだけ気がかりなことがあった。

 街の東にあった大きな森のことだ。

 うっそうとした森は傍から見ているだけでも薄気味悪いものだったが、それだけならば困りはしない。

 住民を悩ませたのはそれが「人食い森」と呼ばれる森であったからだ。

 誰が名付けたか、いつからそう呼ばれているかは知らない。

 しかしその名の通り、森に入ったものは二度と街には戻らず、幾日か後に無惨な姿で森の姿に吐き出される。人が入らなくても、迷い込んだ家畜や野犬の類いがやはり酷い目に遭い、森のまわりには生き物の残骸が絶えることはなかった。そのせいで、ぬるくゆったりとした風が吹く日には街の方まで屍臭が漂うことも少なくなかった。

「楽園には似つかわしくない森だ」

 ある日誰かがそう言った。

 街の人々はそうだそうだと口をそろえ、西の森の木こりに頼ることにした。ひとり森に住むような変わり者だったが、その腕は確かで、彼が斧を振るえば巨木も妖木も切り倒せぬものはないと言われる青年だった。

 はじめは渋った木こりだが、人々が「なんとか」と深々と頭を下げ懇願するものだからついに根負けし、幾人かの手伝いを連れて森に入った。

 木こりと「人食い森」の手に汗握る戦い。

 ……この辺のくだりは、子ども向けの絵物語を読んだ方がいいだろう。大人たちが酒を飲みながら語る場合、このあたりは「なんやかんやと困難はあったが、無事森の主である大きな妖木を切り倒したんだとさ」で終わってしまうのだ。

 今回はその例に倣うとしよう。

 なんやかんやで「人食い森」はことごとく切り倒され、積み上げられた丸太を囲み人々は歓喜した。

 細かく切ってもなおまだ動き出しそうだった妖木だけは、木くずも残らぬようにとすべて燃やされたという。

 そして木こりは西の森へと戻った。






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