第20話
「あははは~、さぁすが一条君……いや、一条室長! 筐体の借りは闘技でお返ししないとねぇ~!」
「黒井さんは闘技エリア内の全モニター類の停止を。それからセッティングE」
「はいはい了解~。いくちゃん、準備~!」
いつもの調子に戻った黒井が、鼻歌でも歌いそうな気楽さで萩原に声を掛ける。
「城ヶ崎はATRAセキュリティチームと、他の研究室にネゴシエーションを至急」
「初動が遅い、さっさと言え。……万に一つも遅れを取るなよ」
「当たり前でしょ」
城ヶ崎が満足そうに鼻を鳴らして、近くのデスクへと足早に向かう。
それを横目で確認し、今度は展開が読めずにいる恭祐たちを見た。
「これから起こることは、全部見なかったことで宜しく」
「……それは……、構わんけども……」
決まりの悪い恭祐の返事。
奈央や依舞樹も、混乱したままに頷いているようだが、今はそれでいい。
御子柴は、自然と城ヶ崎の後ろに付いて、その作業を補佐しようとしている。頭の固そうな印象だったが、柔軟な行動が出来るようだ。
それだけをチラリと確認し、律自身も足早に作業を進める所属員の元へ向かう。
あまり周囲に構っている暇は無いのだ。
次の行動に向けての道筋を頭に描きながら、誰にどの指示を出すか思案していると――。
そのままには流せない他室の人間が、声を上げた。
「待って! ……いや、コレ、どういうこと? ……一条の弄っていた教習機が、暴走しただけなんでしょう……?」
二体の筐体の残骸が散らばり、騒然としている第六研究室内に、耳慣れない声音が響く。
恐る恐る立ち上がった青木が、忌避の眼差しでこの惨状を見つめていた。
パウダー状の消火剤から見え隠れするヒナの残骸に顔を引き攣らせている。そして研究室内のモニターに映し出されている、闘技エリアの理解不能な光景に顔を強張らせた。
「闘技場……なんで……教習機が4体とも、ゴースト現象……? 一条が変なファームを入れたから、暴走してる……?」
「……それだけに見えたなら、早く第四研究室に帰った方がいいよ。ちょっと今からゴタゴタするから」
ゴタゴタどころの話じゃない。
そして残念ながら、現状を長々と説明してあげるような時間は無いし、そんな親切でもない。
若干面倒になって投げやりな回答をすると、案の定、青木が苛立ち交じりに食い下がってきた。
「だから何が……。さっき一条との間に割り込んで破壊された、この筐体は何? 前に食堂で見かけた気がするけど、筐体の稼働は、筐体闘技科の限られたエリアだけ、と定められているでしょう」
「……それはこっちの事情だから」
「今から何をするわけ? 暴走してるあの教習機4体を放置して、闘技エリアのモニターを切ったり、セキュリティーチームを動かしたりなんて……、尋常じゃない」
「それも、説明している時間はない」
「……特殊情報の隠匿は、室長権限でしか行使できないだろ」
状況を説明しない律を睨みつけるように対峙する青木。
何故か初対面の時から非友好的な態度だったのだが、更にそれが悪化している。
「……越権行為までする気?」
越権、ではない。
さっき宣言したはずなのに、聞いていなかったのだろうか。
だからこういう非常事態は嫌いなのだ。対外関係が、本当に面倒臭い。
「――それなら全く問題ないよねぇー」
律のイラっとした空気を感じ取ったのか、愉快そうに目を細めた黒井が、こちらの会話に割り込んできた。
いつもの調子で、掴みどころのない黒井の喋りに、青木も若干力を抜いたようだ。
「……黒井室長。貴方の指示であれば、問題ないとは思いますが……」
「いやいや。一条君が指揮していて何ら問題ないよ」
「ですから――」
「だぁからー」
青木の言葉を遮った上で、一度言葉を止めた黒井。
「一条室長だ、って言ってるでしょう?」
「……はぁ!?」
「第六研究室の室長は、一条君だよ」
「……いやいやいやいや。黒井さん、貴方が室長でしょう」
「僕? 僕は室長代理。一条君が断固拒否するから、仕方なくこのポジションにいるけど、僕ってばもう卒業してるからねぇ」
「……はぁ?」
「研究生制度だよぉ。知らないのぉ? 卒業生がそのまま研究生として研究室に残ることが出来るってやつ。まぁ、そういう立場だから、正式な役職には就けないんだよねぇ」
「いや……でも……皆、黒井さんが室長だ、って……」
「だぁけど。――誰も僕を『黒井室長』とは呼んでないでしょう?」
その言葉に絶句する青木。
「まぁー。第六だけは『室長代理』なんて立場を、一条君が勝手に作ってくれちゃったから、室長会議とかにも僕が出てるしぃー。あながち『黒井室長』でも間違いではないんだよねぇー。僕ってば有能ー」
自分の胸に手を当てて自画自賛の黒井。
律としては、黒井の自己評価に、何となく腑に落ちないものがありつつも言葉には出せない。『室長』ポジションから逃げまくっている張本人なので、とやかく言えた立場じゃないのだ。
黒井の挙動を呆然と見つめながら、言われたセリフを反芻する青木。
「……室長、代理……いや、え……。……一条って1年生ですよね。留年なので所属は2年目かもしれませんが……。いや、それでも流石に2年目の人間が室長だなんて……」
「だぁれが2年目なのー?」
「一条ですよ。だって去年の研究室決めの時、第六に所属希望を出したんですが、募集定員に達したので、って……。一条が先に申請したんでしょう?」
青木の言葉に少しの間停止した黒井が、くるりと華麗に後ろを振り返る。
「いくちゃーん、去年の新人って誰だっけ?」
「……江口でしょう」
「そうそう、えぐっちょだ。――君の同期に当たるのは、えぐっちょ。一条君じゃないよぉー」
自分の研究室の新人も覚えていなかったのか、と呆れ気味の萩原から回答を得た黒井が、立ち尽くす青木に告げると、青木は更に混乱したように額に手を当てた。
「……え、江口も第六だったんですか……。じゃあ僕が断られたのは……?」
頭の中で顔と名前を一致させているのだろう。江口はあまり目立つタイプでは無いから、青木とも親しくなかったらしい。
何かの思い違いをしていたのか、青木はぶつぶつと記憶の整理をしているようだ。
「……いや、えーっと、だったら一条は……なんで第六に? 所属員でもないってことですよね?」
「はぁ? ……はぁー……。君は、あまり賢いタイプじゃないねぇ……」
まだ疑問を投げてくる青木に、黒井がわざとらしく溜息を吐く。
「一条君は、ここの室長。今は1年生だけども、ちょっと留年してるだけで、第六には『所属5年目』なの。…君よりずぅーっと、先輩だよ?」
「……はい?」
「だぁから、所属5年目。1年生だけど5年目。つまり留年4年生」
「ちょっと黒井さん、最後の一言が凄い余計!」
思わずつっこんだ律の言葉なんて、微塵も耳に入らないのか、固まったままの青木。
それはそうだろう。
まさか自分と同学年だと思っていた人間が、先輩だったなんて、直ぐには納得できないだろう。
恭祐達も唖然とした顔でこちらを見ている。
「……別に嘘は言ってないでしょ。何回留年したか、を言わなかっただけで……」
少し決まり悪げに、視線を彷徨わせながら主張してみる。
一応自分でもわかっているのだ。ネタとしてウケることは間違いが、どれだけ留年すれば気が済むのだと。
だからあえて正確に伝えなかったのだが、バレたからには開き直ろう。
「え、ちょ、りっちゃん! それマジで言ってる!?」
「……マジも何も……、大マジですよ、事実ですよ……」
「4年も留年ってどういう事!? てかストレートにいってれば、今、5年生!?」
「いやぁー……だから萩原も、俺に敬語っぽい感じだったでしょ? 萩原4年だし……。一応、先輩だからって敬語使ってくれてるんだよ。名前は呼び捨てだけど……」
「えぇええ、あ、確かに副室長、りっちゃんには敬語だったかも……じゃなくて……。えっと、ホントに室長なの?」
「……まぁ、書類上……。所属最年長で、他は全部後輩だから、どうしても指名を断れなくて……。でも研究室に黒井さん残るっていうし、なんて好都合……、っととと……」
本音がダダ漏れ過ぎた。
萩原からの殺意の籠った視線を感じて慌てて口を塞ぐ律。
萩原は、黒井の設計するハードに惚れ込んでいるせいで、『室長代理』なんかを押し付けた律に非常に手厳しい。雑務のせいで黒井の研究時間が減っている、と。
確かにそれは事実かもしれないが、そもそも今年、既に卒業している人間なのだから、『代理』として繋ぎ止められただけ、俺の手柄じゃないか、なんて律本人は思っている。いつかこの部分を、しっかりと認識合わせするべきだな。うん。
その萩原が口を開いたので、辛辣な苦情が飛んでくるのかと思ったが、聞こえてきたのは若干の棘と、真面目な報告だった。
「一条室長。あなたが雑談をしている間に、状況の変化があったようです。見嶋、詳細を」
「はい、報告します。闘技エリアのVRネットワーク内に、干渉型のワームを見つけました。このワームが、教習機のコントロールを外部から受信しています」
「……影響は?」
「少なくとも闘技エリア内の教習機4体、それからIPアドレス末尾38の端末ともデータ送受信の痕跡があります」
「じゃあ見嶋はそのまま端末側を辿って。江口がフォロー。これ以上、他の端末や筐体との接続を確立させないように」
「了解です」
律の端的な指示に、軽快な返事で猛然とディスプレイに向かう第六の面々。
その周囲には、破壊された筐体が散らばったままで、目の前のモニターには、操縦者不明のまま稼働を始める教習機が4体。
これだけの非常事態だが、第六の所属員は、全く動揺する素振りが無い。
普段のダラけた雰囲気を一変させ、整然と、統制の取れた動きを見せている。
第六のイメージとは真逆の状況に、混乱しているままらしい青木が、更に目を白黒させた。
「……第六って……一体……?」
「んー……ATRAの、セキュリティーチーム・対情報テロ特別対策室、みたいなものかな?」
「……対情報テロ……」
「そう。第六研究室のメイン研究テーマは、ATRAの機密情報の保護と、それに伴う実力行使。だから、うちのメンバーは、こういう荒事が得意なんだよ。ヒナが常時リンクしていたのも、この一環」
最新鋭の筐体や、VRネットワークに関する機密情報は、いつどこから狙われるかわからないのだ。
盗まれるだけならまだしも、破壊されればその経済損失は計り知れない。それに繋がる未来の技術すら、失われる可能性すらあるのだから。
だから、第六研究室の存在意義は大きい。
学生闘技という、学生らしい栄誉からは遠い場所にいるが、その分、ATRAの筐体技術の奥深くに関わっている、特殊な研究室なのだ。
室長クラスにもなると、第六の事情を知っている者達ばかりだが、あまり表立って口外出来るネタではない。殆どの学生は、青木同様、聞いたところで事実を疑うレベルだろう。
その青木が、懲りずにまだ口を開いたか、と思ったが――。
『ぴんぽんぱんぽーん。ヒナちゃん様の弔い合戦をご希望の皆さまー』
突如、スピーカーから聞こえてきた、ヒナの声。
普段通りの抑揚の少ない、至って平常運転なヒナの声音に、神妙だった恭祐達の表情が一瞬で明るくなった。
「おおお、ヒナちゃんだ! うわっ……すっげ安心したぁー……。ホント、心臓止まるかと思ったってばー」
「強制遮断は大丈夫だった!? 吐き気とか無い!?」
「そうですわね、暫くは無理なさらずに……」
スピーカーに向かって労いの声を掛ける恭祐達。
心配の色が濃いその言葉に、一通り耳を傾けていたらしいヒナだったが。
『そんな悠長にしている場合か。このヒナちゃん様の1/1スケール、特別仕様・常時稼働型筐体が、ああも無残に破壊されたんだぞ。この恨み……はらさでおくべきか……!』
「わぁ……ヒナちゃん、私怨に塗れてる……」
恭祐の至極もっともな感想程度で、ヒナの燃え盛る復讐心が鎮火できる筈も無い。
直ぐに矛先は律へと向かう。
『律! ……叩き潰す準備は出来ているんだろうな……』
後半の、低くドスの利かせた口調に、よっぽど腹に据えかねているのだと伝わってくる。
律としても、手塩に掛けた筐体の無念な末路に、ヒナと同意見だ。
小さく苦笑しつつ、スピーカーに向かって慇懃に宣言した。
「はいはい、ヒナ様。全力で叩き潰させて頂きます。……黒井さん?」
「闘技エリア内、全ての計器類は掌握完了ですよぉー。隔壁も閉鎖、完全に密室同等」
「城ヶ崎」
「各研究室への通達は完了だ。一条の名前で完全封鎖をSランク機密情報として同意を得た。セキュリティーチームにはセキュア事案用のポートを開放してもらっている。追えるところまで、好きに追え」
「萩原」
「セッティング、完了です。
『ENS』ブートスタンバイ」
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